短編
おなまえ
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土曜日の昼ってどうしてこんなにぽやぽやするのだろうか。買い物リストはメモしてあるのに、どこにも行く気にならない。それ以外の洗い物や洗濯、軽い掃除、やりたかったことを一通りやり終えて適当にテレビをザッピングしていると、門倉さんが起きてきて、あくび混じりにおはようと言った。
休日の門倉さんはちょっと幼い。
洗濯物を干すときベランダに出ると、部屋からじっとわたしの様子を見たり。
わたしがちょっとリビングから出ようとすると、「どっか行くの。」とか、少し拗ねたように言ったり。それがかわいくて、わたしは「どこも行きませんよ。」と笑ってしまう。
最近はいい天気が続いているし、だんだん春の陽気が芽吹いてきた。室温もいい具合に高めで、門倉さんの肩に頭を預けたりするとちょっと暑いぐらいだ。
「こんなおじさんにくっついたら臭いうつるよ、ほら、煙草吸うし俺」
「気にしませんよ、ぜんぜん。」
付き合う前でこそ、「こんなおじさん」的発言はスキンシップを嫌がっている印なのかなと不安になったりもしていたが、今になって照れ隠し、というか自分のそばにいてほしいということを暗にアピールしているのかもしれないと、わたしは分析している。
というか、今更になってくっついたらにおいがうつるとか、そんなことを言ったら、最早わたしからは煙草やお酒や、ちょっとおじさんっぽいにおいしかしないような気もする。
など考えていたら、見透かされたようなタイミングで「あなたちゃんはあまくて、いいにおいなのに」とぼそっと言われて、なんだか照れてしまった。
と、そうしてぼんやりしていると二人してお腹がくるくる鳴ったのでお昼ご飯の支度をはじめた。おもむろに立ち上がってキッチンに移動すると、門倉さんも立って後をついてくる。門倉さんは、たまにこうしてわたしが料理をするのを見るのが好きらしい。それとも、今日は離れたくない気分だからだろうか。
遅めのお昼は、焼き鮭と、卵焼きと、お味噌汁にしよう。朝ごはんみたいな献立だけれど、実際門倉さんはけっこうまだ寝起きだし、わたしも朝ごはんは抜いてしまったので何の問題もない。
久しぶりにグリルで鮭を焼いてみたけれど、存外うまくいった。卵焼きもうまく巻けたし、お麩とわかめを入れたお味噌汁も、初めて減塩タイプの味噌を使ってみたがいい匂いで安心だ。
皿にそれぞれ移していると、例外なくわたしのすぐ後ろに待機していた門倉さんが「俺やるよ。」と申し出てくれたので、お言葉に甘えてその間にお茶碗にご飯を盛った。
「いただきます。」
「いただきまあす。」
小さめなダイニングテーブルに向かい合って座って、手を合わせる。
ありふれているけど、わたしはこれがとても幸せだと思う。
「……うまいねえ」
「はい」
「ありがとう」
「いえいえ」
門倉さんは、愛情表現をあまりしない代わりにお礼はきちんと言う。
わたしは異動で彼の部署からは離れてしまったが、仕事の時も彼は小さなことにもお礼を言っていた気がする。それが一番最初、門倉さんを素敵だなと思った理由だ。それに加えて、彼は家事が得意ではないので、そういう意味でのお礼もあるんだと解釈している。
わたしは汁物から口をつける癖があるので、お味噌汁が熱すぎて舌が火傷した。でも美味しくて、やっぱり具はお麩がいちばん好きだなって思った。
「いてて」
「今度から俺が味噌汁、フーフーしてあげよっか」
「あはは。かわいいですね。ありがとうございます」
だんだん覚醒してきたのか、冗談を飛ばす門倉さん。そういうことを言う時の彼はいつだって柔らかく微笑んでいて、その目元にできるしわが、心をこちょこちょ擽るようにいとおしいのだ。
お昼ご飯を食べ終わって、テレビをつけっぱなしにしてぼーっとしていると、明日のこと、仕事のこと、将来、実家……全部から解放されたような気がする。
門倉さんはお腹がいっぱいになると、いつも以上にぼんやりする癖がある。携帯や本やテレビを見るでもなく、皿を洗うわたしや、ふと窓の外で動く木々や車の音を見たり聞いたりしている。
「……門倉さんっ。」
「わっ。」
皿洗いを終えて冷たくなった手で、門倉さんの首にぴとりとふれる。わずかに瞼を見開いて、それからわたしの思惑を見抜いたようにフと笑った。
「お湯でやりなよ。荒れちゃうから」
「門倉さんをびっくりさせたくて」
門倉さんはわたしの手をぎゅっと握って、隣に座らせる。彼の手はいつでもあたたかい。お父さんみたいにがっしりした手、だけど、そう言ったらなんともいえない表情を浮かべるのだろう。それに、荒れちゃってもハンドクリームを買ってきてくれたりするんだろうな、というのはなんとなく予想がつく。
「門倉さんの手、好きです」
「そお?ただの、おじさんの手だけど」
「ううん。なんだか……落ち着く」
月並みな言葉だけど、本当に門倉さんの手に触っていると心が平穏に保たれるような気がするのだ。
確かめるようににぎにぎ動かすと、彼は今更照れたようにゆっくり手を離して、目を逸らした。
「……そっか。ならよかったけど」
わたしがただの門倉さんの部下だった頃は、大事な場面の後に、労いの意味で頭をポンポン撫でてくれたりして(直後、「これセクハラか……ごめんね」と謝っていたけど)、あまり照れた表情なんて見たこともなかった。だから仕事モードじゃないときの彼がいまだに新鮮で、わたしに触れる時のおっかなびっくりといった様子がかわいらしく思える。
バラエティー番組の再放送が流れる中、わたしたちはしばらく無言だった。でも気まずさからくるものじゃなくて、お互いにそれが心地いいと感じているからそうなのだ、と、思う。
ふと、冷蔵庫がうなる音を聞いて、昨日買ったジュースを思い出した。わたしは超がつくほどの下戸なので、買うのはもっぱらお酒よりもジュースが多い。
「あっ、門倉さん、あまいの飲みます?」
「どんなの?」
「桃の、炭酸です、ちょっと抜けちゃったけど……」
「ふうん。俺はいいよ」
門倉さんはそんなに甘いものが得意じゃないから、冷蔵庫にあるそういうものは大抵わたし用。薄桃色を小さめなコップに注いで、ちびちびお酒みたいに飲むのがおいしいのだ。
お皿を洗ったすぐ後だったけれど、まあ、炭酸もおそらく今日までの命だろう。しょうがない、しょうがない、言い訳の午後3時が流れている。
「おいしいー」
喉を、わずかな刺激と清涼感が滑り降りてゆく。さっき火傷したばかりの舌がすこしヒリヒリするけれど、春限定と銘打たれた桃味が、どうにもふわふわと甘くて頬が緩んだ。
「よかったね」
「うん」
「………」
門倉さんが娘を見るように微笑ましげに言うので頷くと、彼は改めてじいとわたしを見た。コップの中身を飲み干す喉の動きすらも観察しているので居心地が悪い、というか、気恥ずかしい。門倉さんもやっぱりちょっと飲みたかったのかな。
「なんですか?そんなに見られると恥ずかしいですよ」
門倉さんはふふと笑った。
「あなたちゃん、俺とさ、結婚、してくれる?」
コップにもう中身がなくて良かったと思う。
「そ、それは……ほんとに?ですか?」
「そう、なんか……ずっとこの子のそばにいたいなって思ったから」
子供みたいな口ぶりで、唇を尖らせた門倉さんが言う。心臓がうるさくて、その声すら遠くで聞こえるような気さえする。
「いやかな?」
「……いやなわけありません。わたしも、ずっと門倉さんのそばにいたいです」
そう答えたら、もう門倉さんの顔が眼前まで迫っていた。炭酸よりもちくちくと、わたしの胸で痛むほどしゅわしゅわする、門倉さんはわたしに静かにキスをした。
「うん………あまい」
「…ふふ。」
「……好きだよ。」
息も上手くできないくらい胸が熱くて、頭が夢の中にいるみたいなのに、門倉さんの指がわたしの頬を愛おしげに撫でるから、わたしは観念したように、真っ赤になった彼の首に手を回して抱きつくしかなくなるのだった。
休日の門倉さんはちょっと幼い。
洗濯物を干すときベランダに出ると、部屋からじっとわたしの様子を見たり。
わたしがちょっとリビングから出ようとすると、「どっか行くの。」とか、少し拗ねたように言ったり。それがかわいくて、わたしは「どこも行きませんよ。」と笑ってしまう。
最近はいい天気が続いているし、だんだん春の陽気が芽吹いてきた。室温もいい具合に高めで、門倉さんの肩に頭を預けたりするとちょっと暑いぐらいだ。
「こんなおじさんにくっついたら臭いうつるよ、ほら、煙草吸うし俺」
「気にしませんよ、ぜんぜん。」
付き合う前でこそ、「こんなおじさん」的発言はスキンシップを嫌がっている印なのかなと不安になったりもしていたが、今になって照れ隠し、というか自分のそばにいてほしいということを暗にアピールしているのかもしれないと、わたしは分析している。
というか、今更になってくっついたらにおいがうつるとか、そんなことを言ったら、最早わたしからは煙草やお酒や、ちょっとおじさんっぽいにおいしかしないような気もする。
など考えていたら、見透かされたようなタイミングで「あなたちゃんはあまくて、いいにおいなのに」とぼそっと言われて、なんだか照れてしまった。
と、そうしてぼんやりしていると二人してお腹がくるくる鳴ったのでお昼ご飯の支度をはじめた。おもむろに立ち上がってキッチンに移動すると、門倉さんも立って後をついてくる。門倉さんは、たまにこうしてわたしが料理をするのを見るのが好きらしい。それとも、今日は離れたくない気分だからだろうか。
遅めのお昼は、焼き鮭と、卵焼きと、お味噌汁にしよう。朝ごはんみたいな献立だけれど、実際門倉さんはけっこうまだ寝起きだし、わたしも朝ごはんは抜いてしまったので何の問題もない。
久しぶりにグリルで鮭を焼いてみたけれど、存外うまくいった。卵焼きもうまく巻けたし、お麩とわかめを入れたお味噌汁も、初めて減塩タイプの味噌を使ってみたがいい匂いで安心だ。
皿にそれぞれ移していると、例外なくわたしのすぐ後ろに待機していた門倉さんが「俺やるよ。」と申し出てくれたので、お言葉に甘えてその間にお茶碗にご飯を盛った。
「いただきます。」
「いただきまあす。」
小さめなダイニングテーブルに向かい合って座って、手を合わせる。
ありふれているけど、わたしはこれがとても幸せだと思う。
「……うまいねえ」
「はい」
「ありがとう」
「いえいえ」
門倉さんは、愛情表現をあまりしない代わりにお礼はきちんと言う。
わたしは異動で彼の部署からは離れてしまったが、仕事の時も彼は小さなことにもお礼を言っていた気がする。それが一番最初、門倉さんを素敵だなと思った理由だ。それに加えて、彼は家事が得意ではないので、そういう意味でのお礼もあるんだと解釈している。
わたしは汁物から口をつける癖があるので、お味噌汁が熱すぎて舌が火傷した。でも美味しくて、やっぱり具はお麩がいちばん好きだなって思った。
「いてて」
「今度から俺が味噌汁、フーフーしてあげよっか」
「あはは。かわいいですね。ありがとうございます」
だんだん覚醒してきたのか、冗談を飛ばす門倉さん。そういうことを言う時の彼はいつだって柔らかく微笑んでいて、その目元にできるしわが、心をこちょこちょ擽るようにいとおしいのだ。
お昼ご飯を食べ終わって、テレビをつけっぱなしにしてぼーっとしていると、明日のこと、仕事のこと、将来、実家……全部から解放されたような気がする。
門倉さんはお腹がいっぱいになると、いつも以上にぼんやりする癖がある。携帯や本やテレビを見るでもなく、皿を洗うわたしや、ふと窓の外で動く木々や車の音を見たり聞いたりしている。
「……門倉さんっ。」
「わっ。」
皿洗いを終えて冷たくなった手で、門倉さんの首にぴとりとふれる。わずかに瞼を見開いて、それからわたしの思惑を見抜いたようにフと笑った。
「お湯でやりなよ。荒れちゃうから」
「門倉さんをびっくりさせたくて」
門倉さんはわたしの手をぎゅっと握って、隣に座らせる。彼の手はいつでもあたたかい。お父さんみたいにがっしりした手、だけど、そう言ったらなんともいえない表情を浮かべるのだろう。それに、荒れちゃってもハンドクリームを買ってきてくれたりするんだろうな、というのはなんとなく予想がつく。
「門倉さんの手、好きです」
「そお?ただの、おじさんの手だけど」
「ううん。なんだか……落ち着く」
月並みな言葉だけど、本当に門倉さんの手に触っていると心が平穏に保たれるような気がするのだ。
確かめるようににぎにぎ動かすと、彼は今更照れたようにゆっくり手を離して、目を逸らした。
「……そっか。ならよかったけど」
わたしがただの門倉さんの部下だった頃は、大事な場面の後に、労いの意味で頭をポンポン撫でてくれたりして(直後、「これセクハラか……ごめんね」と謝っていたけど)、あまり照れた表情なんて見たこともなかった。だから仕事モードじゃないときの彼がいまだに新鮮で、わたしに触れる時のおっかなびっくりといった様子がかわいらしく思える。
バラエティー番組の再放送が流れる中、わたしたちはしばらく無言だった。でも気まずさからくるものじゃなくて、お互いにそれが心地いいと感じているからそうなのだ、と、思う。
ふと、冷蔵庫がうなる音を聞いて、昨日買ったジュースを思い出した。わたしは超がつくほどの下戸なので、買うのはもっぱらお酒よりもジュースが多い。
「あっ、門倉さん、あまいの飲みます?」
「どんなの?」
「桃の、炭酸です、ちょっと抜けちゃったけど……」
「ふうん。俺はいいよ」
門倉さんはそんなに甘いものが得意じゃないから、冷蔵庫にあるそういうものは大抵わたし用。薄桃色を小さめなコップに注いで、ちびちびお酒みたいに飲むのがおいしいのだ。
お皿を洗ったすぐ後だったけれど、まあ、炭酸もおそらく今日までの命だろう。しょうがない、しょうがない、言い訳の午後3時が流れている。
「おいしいー」
喉を、わずかな刺激と清涼感が滑り降りてゆく。さっき火傷したばかりの舌がすこしヒリヒリするけれど、春限定と銘打たれた桃味が、どうにもふわふわと甘くて頬が緩んだ。
「よかったね」
「うん」
「………」
門倉さんが娘を見るように微笑ましげに言うので頷くと、彼は改めてじいとわたしを見た。コップの中身を飲み干す喉の動きすらも観察しているので居心地が悪い、というか、気恥ずかしい。門倉さんもやっぱりちょっと飲みたかったのかな。
「なんですか?そんなに見られると恥ずかしいですよ」
門倉さんはふふと笑った。
「あなたちゃん、俺とさ、結婚、してくれる?」
コップにもう中身がなくて良かったと思う。
「そ、それは……ほんとに?ですか?」
「そう、なんか……ずっとこの子のそばにいたいなって思ったから」
子供みたいな口ぶりで、唇を尖らせた門倉さんが言う。心臓がうるさくて、その声すら遠くで聞こえるような気さえする。
「いやかな?」
「……いやなわけありません。わたしも、ずっと門倉さんのそばにいたいです」
そう答えたら、もう門倉さんの顔が眼前まで迫っていた。炭酸よりもちくちくと、わたしの胸で痛むほどしゅわしゅわする、門倉さんはわたしに静かにキスをした。
「うん………あまい」
「…ふふ。」
「……好きだよ。」
息も上手くできないくらい胸が熱くて、頭が夢の中にいるみたいなのに、門倉さんの指がわたしの頬を愛おしげに撫でるから、わたしは観念したように、真っ赤になった彼の首に手を回して抱きつくしかなくなるのだった。