短編
おなまえ
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俺は今まで本をまともに読んだことがない。
子供のころは、「漫画ばっかりじゃなくて本を読みなさい」って先生や親に叱られたけど、あんな大量の活字、とてもじゃないけど、俺の脳みそには入りきらない。だから頭が悪いのかな。アハハ。
小学校、中学校、高校。読書感想文とかあったなあ。声かけられる人みんなに声かけて、当たり障りのない部分だけを切り取って写させてもらってた。その作戦がうまくいきすぎて賞をとったこともあった。体育館でもらった賞状は、まだ実家に飾ってあることだろう。
あなたちゃん。
だから俺は、いままで人に宿題を写させてもらったことなんかないあなたちゃんが好き。
まじめにやっているのに、賞なんかひとつも獲れっこない。ひとりでせっせとがんばってるのに、報われない。目に涙が浮かんでいるのに、空ばかり見て拭わない。そんなの悲しいじゃん。
子供のころから本ばかり読んでたから、この世界が嫌いなんでしょ?
まあ、俺も、この世界はさほど好きじゃないけど。
「うん、だからさ、厭世もんどうしだよ、俺たち」
「ちがうよ」
俺はあなたちゃんの肩をもんで機嫌を取りながら話す。ああ、いつも俺ばかりペラペラ軽薄そうにしゃべっている。肩はいつもどおり、ぜんぜん凝ってない。でもあなたちゃんは肌が白いから、強く揉んだらすぐに赤く残ってしまう。それがどうにも、やめられなかった。
「痛い」
「そうだね」
「やめてよ。」
「きょうはご機嫌ナナメなのぉ?」
「そう」
彼女の話す秒数を測ってみたい。その数値が愛の大きさだとしたら、俺はなんてかわいそうな男なんだろうって思うから。ほら、つけっぱなしにしていたテレビを消したら、あっという間に沈黙が空間を支配し始めてしまった。彼女はつまらなそうな顔で、俺に見えないように携帯をいじる。かわいいケースもかけないで、はだかんぼうのスマホ、おととい、変えてきたって言ってたかな。
「あなたちゃん浮気してない?」
「してないよ」
あなたちゃんはスマホから視線をそらさない。
「俺はあなたちゃんからは逃げないよ。ゼッタイ」って、一週間前に言ったセリフ、まだ頭に繰り返して響いてくる。ちょっとクサかったかなあ。とか、思うふりして脳みそを騙す。
「そんな服さあ、持ってたっけ」
肩をもむのをやめて、後ろからもたれかかるように抱きしめる。犬みたいにすり寄ると、知らない香りがする。あなたちゃんは最近、香水もつけ始めたみたいだ。
だけど彼女は俺に目もくれないで、スマホの電源を落として言った。それで初めて目が合った。
「買った」
「カワイイけど、俺が選んだやつのほうが似合うよ。」
宿題を写させてもらったことなんかなかったあなたちゃんがだれかの生き方をなぞりはじめた。まじめで、愚直なくらいまっすぐで、何度もひとりで泣いていたあなたちゃんが、その目玉に知らない人の影を映している。
「…………」
「でもさ。悪いのは俺なんだよね。勝手にこのお家に上がり込んだのも、勝手にあなたちゃんを好きになったのも、今勝手にぎゅってしてるのも俺だから」
俺はこの家が好きだった。もちろんあなたちゃんのことも。やっぱりアパートだからふたりで暮らすには手狭だけど、いつだっていいにおいがして、一緒にごはんを食べて、笑って、けんかして、あなたちゃんが仕事行って、俺はそれから迎えに行く。それで仲直りする。
「俺って好きになったら一途なの。……これ、初対面の時にも言ったか」
ああ。あなたちゃんもダメ人間になっちゃったんだね。
俺とはちょっと違うけど、でも足がついてるところはおんなじ。
読書感想文で賞を獲ってようがなかろうが、子供のころ本を読んでようがまいが、結局一緒なんだね。
「あなたちゃん。スキだよ」
自分を再確認するように口に出す。
頬にキスすると、くすぐったそうにしていた。(まだ俺は、あなたちゃんのなかにいるのかな。) って思った。
「ねえ、俺のことだけ見てて、とか言わないからさあ、もっとたべさせて。」
べつに、なにをとは言わないけれど。
何か言いかけたあなたちゃんのくちびるを塞ぐように口づけた。声が俺たちの間に吸い込まれていなくなって、そのわずかな隙間に頭を冷やさなくちゃならない。
もう春なのに、静かでいやになる。こんなアパート、防音なわけがないのにね。
だからこの一瞬だけは、世界に二人ぼっちな気がした。嫌いな、もしくは、嫌われてる。世界が俺たちを遠ざけてる。
唇が離れる。もう一回してやろうかと思ったけど、その前にあなたちゃんが口を開いた。
「ごめん。」「謝らないでよお。」
あなたちゃんの両目いっぱいに涙。ああ。昔見たのとおなじ色。
あなたちゃんが浮気してても、もし俺以外の男と結婚してても、俺はあなたちゃんがずっとバカみたいに好きなんだろうな。だってさあ、俺ほんとに一途なんだもん。こぼれ落ちそうな涙を舐めてやろうとしたら、コンタクトたべないでって怒られた。