博愛主義
おなまえ
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「あ、ぁ……もっと、」
そうか、この人はどこかおかしいんだった。わたしのなかみに易々と手を伸ばしてそれをひっつかみ、生きるのに必要な器官すら平然と、喰らってしまいそうな人。
あなたは思った。
戦場にいる時のようなぎらぎらとした目付きが、ずれた軍帽の下からちらりと覗いている。獣の息づかいで手の甲には血管を浮かせる杉元が、きょうも我慢をできますようにとあなたは祈る。
あなたの胴には杉元が太い腕をまきつかせ、顔をあなたのうすい腹に埋めてすうはあと息をしている。なにか、白石さんの頭のようなあまいにおいでもするのかしらん、と、あなたは暢気なことを考える。
杉元がこうなるのは決して初めてのことではなかった。
「あなたさん、もう、いいかなあ」
さあ今日も疲れた、眠りにつこうと薄い毛布をかぶると、きまって杉元はあいまいにあなたを誘った。しかし彼は可能不可能を訊いているのではなく、「もう」いいのかと問うている。いつものことだ。柔和な口調に似合わない腕力であまり乗り気ではなさそうなあなたの身体を起こすと、母に甘える子のようにあなたに抱きついて大きく息をする。
「………あなたさん……あ……」
人を殺した日、すなわちあなたが疲れた日には必ず、杉元はこうしてあなたにあまえた。ちいさく喘ぐのを隠すように、杉元の息は荒く、眉間には深い皺を刻んでいた。
ただ母に構ってほしいのではなく、そこには性的な欲求も多分に含まれているが、なによりも、きょう犯した殺人を許して欲しいと頼むのが、あなたには意外だった。
以前から杉元がなにかとあなたを気にかけるので、彼女は薄々感じてはいた。寒くないか、怪我はないか、疲れていないか。アシリパに過保護だと言われる(アシリパ自身も大概過保護である)ほどに杉元がそばを離れないので、彼はなにか、大切な誰かと歳が近い自分のことを代わりとして見てしまっているんだと。そのうち食事や聞き込みや睡眠に至るまで、いつでも必ず彼はあなたのとなりを陣取るようになった。
あなたは「このままではいけない」と思った。このままそばにいてもし間違いなど起こったりしたら、杉元の大切な人に申し訳が立たない。なによりも、誰かの代わりとして扱われるのにはいい気がしなかった。
「杉元さん、少し距離をとりませんか。」
あなたはできるだけ棘をなくして伝えようとつとめる。この険しい三人旅において、二人が距離をとるというのはほとんど無理であることは、あなたもわかっていた。そして、杉元がそれに対してウンと肯くとも思ってはいなかった。ただ少しだけ、今の距離感が異常であるということに気付かせたいだけだった。
「…………なんで?」
たっぷりと間をもって、杉元はわずかに眼を鋭くした。喧嘩に発展させたいわけではないあなたは、たしなめるようなやわらかい口調を心がける。それにもうアシリパが眠ってしまったので、ここで起こすような真似はしたくなかった。
ぱちぱちと火が弾ける音以外は、少しの間静寂がふたりを抱きしめていた。
「うーん、ちょっと、最近近いなってことが多くて。杉元さんにも大切なひとがいると思いますので……」
「………」
「ええと、わたしが山で転びかけたときすぐに助けてくれたこととかは、感謝しています。けど……これからはわたしももっと気をつけますから、」
杉元さんはそんなに気遣わなくていいですよ。
と、続けようとしたあなたの声は遮られた。
杉元は額に青筋を浮かせながらあなたを抱きしめていたからだった。
もちろんあなたには彼の険しい表情は見えていなかったが、なんとなく気が立っているというのは雰囲気だけでもわかるようになっていた。
「ど、どう……」
「もうしゃべらないで」
杉元はわざと、あなたの耳に注ぎ込むように呟いた。
ふいにあたっていた火が消えて、辺りが真暗になる。立て続けに冷たい風が吹いて、あなたは暢気にも、少しだけ、直に伝わってくる杉元の体温がありがたいと思った。
そうか、この人はどこかおかしいんだった。わたしのなかみに易々と手を伸ばしてそれをひっつかみ、生きるのに必要な器官すら平然と、喰らってしまいそうな人。
あなたは思った。
戦場にいる時のようなぎらぎらとした目付きが、ずれた軍帽の下からちらりと覗いている。獣の息づかいで手の甲には血管を浮かせる杉元が、きょうも我慢をできますようにとあなたは祈る。
あなたの胴には杉元が太い腕をまきつかせ、顔をあなたのうすい腹に埋めてすうはあと息をしている。なにか、白石さんの頭のようなあまいにおいでもするのかしらん、と、あなたは暢気なことを考える。
杉元がこうなるのは決して初めてのことではなかった。
「あなたさん、もう、いいかなあ」
さあ今日も疲れた、眠りにつこうと薄い毛布をかぶると、きまって杉元はあいまいにあなたを誘った。しかし彼は可能不可能を訊いているのではなく、「もう」いいのかと問うている。いつものことだ。柔和な口調に似合わない腕力であまり乗り気ではなさそうなあなたの身体を起こすと、母に甘える子のようにあなたに抱きついて大きく息をする。
「………あなたさん……あ……」
人を殺した日、すなわちあなたが疲れた日には必ず、杉元はこうしてあなたにあまえた。ちいさく喘ぐのを隠すように、杉元の息は荒く、眉間には深い皺を刻んでいた。
ただ母に構ってほしいのではなく、そこには性的な欲求も多分に含まれているが、なによりも、きょう犯した殺人を許して欲しいと頼むのが、あなたには意外だった。
以前から杉元がなにかとあなたを気にかけるので、彼女は薄々感じてはいた。寒くないか、怪我はないか、疲れていないか。アシリパに過保護だと言われる(アシリパ自身も大概過保護である)ほどに杉元がそばを離れないので、彼はなにか、大切な誰かと歳が近い自分のことを代わりとして見てしまっているんだと。そのうち食事や聞き込みや睡眠に至るまで、いつでも必ず彼はあなたのとなりを陣取るようになった。
あなたは「このままではいけない」と思った。このままそばにいてもし間違いなど起こったりしたら、杉元の大切な人に申し訳が立たない。なによりも、誰かの代わりとして扱われるのにはいい気がしなかった。
「杉元さん、少し距離をとりませんか。」
あなたはできるだけ棘をなくして伝えようとつとめる。この険しい三人旅において、二人が距離をとるというのはほとんど無理であることは、あなたもわかっていた。そして、杉元がそれに対してウンと肯くとも思ってはいなかった。ただ少しだけ、今の距離感が異常であるということに気付かせたいだけだった。
「…………なんで?」
たっぷりと間をもって、杉元はわずかに眼を鋭くした。喧嘩に発展させたいわけではないあなたは、たしなめるようなやわらかい口調を心がける。それにもうアシリパが眠ってしまったので、ここで起こすような真似はしたくなかった。
ぱちぱちと火が弾ける音以外は、少しの間静寂がふたりを抱きしめていた。
「うーん、ちょっと、最近近いなってことが多くて。杉元さんにも大切なひとがいると思いますので……」
「………」
「ええと、わたしが山で転びかけたときすぐに助けてくれたこととかは、感謝しています。けど……これからはわたしももっと気をつけますから、」
杉元さんはそんなに気遣わなくていいですよ。
と、続けようとしたあなたの声は遮られた。
杉元は額に青筋を浮かせながらあなたを抱きしめていたからだった。
もちろんあなたには彼の険しい表情は見えていなかったが、なんとなく気が立っているというのは雰囲気だけでもわかるようになっていた。
「ど、どう……」
「もうしゃべらないで」
杉元はわざと、あなたの耳に注ぎ込むように呟いた。
ふいにあたっていた火が消えて、辺りが真暗になる。立て続けに冷たい風が吹いて、あなたは暢気にも、少しだけ、直に伝わってくる杉元の体温がありがたいと思った。
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