中編 白昼夢 (観音坂独歩)
おなまえ
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
あの日からあなたさんが公園へ来ることはなくなった。
安否を確かめようにも連絡手段がない。自宅の場所も知らない。
俺たちはこの時代になんてアナログな恋愛をしていたんだ、と、今になって気づかされる。口約束だけでつながっている関係なんて前時代的すぎる。俺たちはあまりにも時代錯誤で、脆かったのだ。
あなたさんに何かあったのかもしれない、おそらく、家庭の関係で……もう俺に会うなと言われたとか、『おとうさん』によって家に縛り付けられているとか…
俺の脳みそはあなたさんのことに大量のリソースを割いてしまって、もう仕事の調子はうだつの上がらないいつもの冴えない社員に戻っていた。定時退社も、今週に入ってからは一度もできていない。あんなに求めていた休みのことも、もはや頭にはなかった。
俺は、あなたさんを忘れようと仕事をしているのだろうか。
あんなに好きだった、いや今も好きな、愛している、あなたさんに、心を蝕まれきる前に、違う、あなたさんが心を蝕んでくれていたのに、俺は少し会えないからといってそれをなかったことにするみたいに、例えばあの夏の日にただ俺が車に轢かれて終わったかのように、そうやって生きているのか。
「ぉえ……」
もう8月が終わった。終わってしまった。
公園にあふれかえっていた子供たちはその数をすっかり減らし、昼間の日差しもどこか力ない。
ベンチに一人腰掛ける俺の影は、ひどく孤独な男のように見えた。いや、事実、孤独へ逆戻りしてしまったのだ。ため息をついても、むなしく、遠くの雑踏に混ざっていくだけだった。
ああ、こころにはまだあの日のぬくもりが残っているというのに。
それがだんだん、秋風で冷えていくのが何よりも恐ろしかった。
まだあのメモ書きも自室の引き出しに大切にしまってある。あの「大好き」という文字列を、あなたがその声で伝えてくれたなら、今度こそ俺は、車にひかれて死んだっていいのに。
彼女との思い出を反芻していくうちに、俺は知らず知らずのうちに泣いていた。
依存していた。28の、気が狂っていると気付かなかった夏。
俺はうつむいて、周囲から涙を隠すように地面だけを見た。ああ、また俺は人の目を気にしているのだろう。あなたさんと付き合ってからは、そんなことなくなっていたのに、俺は戻ってしまったのか。
彼女がこんなところを見たら笑うだろうか、笑ってくれるだろうか。
ときおり抑えきれなかった嗚咽がもれた。
1時間ほどそうしていただろうか、徐々に日も傾き、街路樹の影が深くなり、俺の涙ももう枯れようとしている。すんすんと洟をすするだけになってしまって、ようやく顔を上げた。
今日も来てくれなかったんだという事実が、また重なっていく。
あなたさんのよぶ「観音坂さん」という響きが小さくなっていき、いとおしいはずなのに、さらに遠ざかる気すらしていた。