短編
おなまえ
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冬は風がかわきすぎていて、まともに前を向いて歩くと涙が出そうになる。だからみんな下を向いて歩いているんだ。それに、うずまく木枯らしに押されてかさかさと枯れた音を立てる落ち葉も、俺たちをどこか悲しい気持ちにさせる。
そのうち何枚かは人目を避けるように側溝へ落ちて、いつ降るかわからない雨におびえて「かわいそうだ」。べつに心から可哀想だとは思わないけど、なんとなく口に出した。
「(名前)」
(名前)という完璧なことばのどこかが、くちびるの中で欠落して声になる。
「(名前)ちゃん。(名前)」
俺は(名前)の身体を揺すって起こす。暖房がきいてぽかぽかした俺の部屋で、洗濯してもらったばかりのシーツが清潔なにおいをさせている。その清潔なにおいは、(名前)のにおいと似ている。
この部屋にはあんまり楽しいものはない。だけどいまは、なんだかすごく楽しい気分だった。
「……定助くん?」
「おはよう」
「ぅうん」
寝起きの(名前)はぼんやりして、壁をながめている。壁にだって楽しいものはない。というより、ここがどんな場所だろうが関係ない、俺たちふたりだけが楽しくなればいいんだから。
「……あれ。ここは?定助く」
口がふれあう。(名前)の温度がながれこむ。
がさがさした俺のくちびるとは違うやわらかくてかわいい毒。カーテンのすき間をくぐりぬけてきた、俺たちを責めるような陽の光。(名前)の口のなかよりは、あつくない太陽だ。
一緒になったふたりの口もとから『そういう』音がするたびに(名前)は恥ずかしがって逃げようとする。だけど舌はからまるし、平熱以上の関係はもっと深いところでつながりたがったから、手をにぎって壊さないように求める。
「っい、いや!」
彼女が俺をつきとばす。言葉通りいやそうに口を拭っている。
「そっか……まあいいか。じゃあ、静かにね」
しゃぼん玉が(名前)の喉にふれて割れるのを見て、俺はちょっとだけ笑った。ちょっとだけ、さっきよりも楽しい気分が増してきた。(名前)はまだわかってなくてふしぎそうな顔だ。
「かわいそう」……
「 」
かわいい声が聴けないのは残念だけど、しかたない。(名前)のにおいは清潔だけどシーツと同じじゃあなく、どこまでも俺を悪者にしてくれる甘いにおいだ。
視線がぶつかって、息がぶつかる。つながって、はなれる。音もなく流れた(名前)の涙は、うるさいくらいに心臓をゆらしていた。