短編
おなまえ
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ぼくはあなたを刺し殺したあとはじめて煙草を吸った。
よく、彼女のまわりを漂っていたにおいだ、と思った。それが死ぬほど嫌いだった。それは、死体にぼくの香水をふりかけても消えなかった。こんなのを吸う男なんかと付き合わなきゃ、もう少し長生きできたかもしれないのにな。つくづく残念なことだ。
そしてぼくはげほげほ咽せる。「あぁあ」と声を上げてそれを投げ捨てて踏みつける。何度も何度も踏んで彼女に関する何もかもを忘れられるように願った。それが最後の最悪の一本だった。
彼女のこいびとはぼくのスタンドが殺した。何のひねりもない毒におかされ終わった。懺悔をさせる隙もなく。死体も残っていない。
しかしあなたの死に顔は醜かった。身体は穴だらけでそこから生あったかい液があふれ続けている。死体は言いようもないほど凄惨に乱れてぐちゃぐちゃだった。
けれどこの表情はぼくだけのものだという確信があった。
血液でぬめる手を握った。(このとき、はじめて彼女のちいさな手を握ったのだった。)
始まりつつある死後硬直と体温の下降によって、ぼくの恋の終わりがはっきりと見えて、ここにきて急に、寂しいという感情を理解できたような気がする。
外で雨の音がざあざあなっている。ぼくは傘を持っていなかった。
うんざりだ。
あなたのくちびるにキスをして、そうしたら寂しくて、なのに愛おしくてどうにもならなくて堪らなくて、嗚咽はもうひとり分しか聞こえないで、ぼくはずっと、独りぼっちだったんだと思った。
ぼくは彼女の顔についた血のちいさな滴まで、犬みたいにして舐めとった。人間のあるべき姿を逸脱し、それは狂う獣だった。
ぼくは独りぼっちだ。息遣いと唸る声とべちゃべちゃいう音がしている。
神がもしいるのなら、ぼくは間違いなく地獄行きだろう。けれどもぼくは今、神でさえも殺してそのあとに、また独りぼっちであることを可哀想がるのだろうと、ふと考えた。
頭痛と耳鳴りがひどい。
もうずっと、あなたを好きになってしまったときからずっとそう。
まだ残留する薄い煙がうざったくて仕様がない。
おまえの男と同じ香を纏っても、おまえに愛してはもらえないんだ。奪っても奪っても足りない何かがぼくの割れた器からたえず漏れ出している。
ぬるい夜が少しずつ明けていく。いかないでと願ってもなお。夢のような浮遊感が絶えず付き纏っていた。祈るように彼女のそばに座り込んだ。口のまわりがどうにも濡れている。血で濡れている。
「好きでした。ずっと。こんなことをしても。あなたが誰のものでもなければ…よかったのに」というようなことをうわ言のようにぶつぶつ呟いて、分かりやすく狂人のなりをしていた。
このままぼくはずっとこうしていて、そして死んでゆく。愛の為に死ぬのだといえば、まあ、聞こえもいいことだろう。もう絶えた煙草のかす共が、ぼくの、呪縛だった。