短編
おなまえ
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あなたちゃんは俺を見て目を細める。どきどきいってやまない頭の奥の、誰も知らなかったそれに気づきはじめていた。もう指先までかっと熱くなって、鳴きだした蝉に俺は耳を傾けた。
その放課後は嘘みたいに人を必要としない。誰もいない校舎の裏にあるベンチに二人で座っていた。黙ったままで。遠くのエキストラの声だけが騒いでいる。
わずかに震える手は、あなたちゃんの指がおちてくるのを待っていたのかもしれない。俺は情けない男だ。
昨日降った雨の水溜りがまだきらめいていた。びゅうと風が吹くとそれが少しだけゆれて、波紋が立つ。
喉が苦しくて、深く空気を吸うと、俺の鼓動、その音がやけによく聞こえた。それがたまらなく嫌だった。あなたちゃんの生みだす音が聞こえない気がしたから。
「ねえ。」
あなたちゃんがおもむろに動いた。俺ははっとして、伏せていた眼を上げて彼女を見た。彼女は俺の汗ばむ手にそっと、白魚のような御手を優しくかさねる。その瞬間もっと苦しくなった。
はあ、はあ、と、俺の息遣い、汗を拭う隙も与えずに、あなたちゃんは距離をぐんと縮めた。
「あなた、ぁ、あなたちゃん、」
「間田くん。キスしてあげようか」
そのたった一言のささやきで俺は呼吸を止める。
あなたちゃんの目玉の濃淡が夕日の色と同化した。
喉が急に狭まったみたいにきゅんとして目の前が霞む。彼女と目があった2秒で俺は侵された。
(してほしい。してほしいよ。)
あなたちゃんにキスされたい。そのくちびるにたべられたい。苗字じゃなくて名前を呼ばれながら、捕食されたい。そして願わくば俺だけをその瞳孔にとじこめて俺だけにいじわるをしてほしい、とか愚かなことを思う。
「お、俺。あなたちゃんのこと好き…」
「うん。」
「キス、してほしい、よ」
「…わかった。」
あなたちゃんはさらに近づいてきて、俺の額に口付けた。
ああ、汗ばんでいるだろうに。と思うより先に、その着地点がくちびるでないことに胸のあたりがしくしく痛むのが苦しくて、またどこまでも自分が情けなくなる。
彼女はすぐに離れたが、残り香は俺の鼻腔にはりついてあまい余韻をとどめた。汗がまた頸を通り抜けて、脳がとろける。
夏がそしてそれ以外が、俺を殺すのだ。
「あなた、ちゃん、おでこじゃなくて、」
「うん?どこ?」
わかってるくせに。俺はそう言いたかったが、ワザといじらしく見えるように眼をそらして、口をもごもごさせる。媚びる女みたいにそうしたのはあなたちゃんに可愛く思われたかったからだ。
「……もう。かわいい」
待っていた言葉に、にわかに肩が震えたが、歓喜の声は喉で押しとどめた。
彼女はペットにでもするみたいに俺のほほを撫で、そのままぼさぼさの髪をかきまぜた。べたべたする俺の肌に反して、あなたちゃんの手は神聖なまでにひんやりしていた。
頭が痛いほど脈を打っている。夏のせいにはしきれないほど、どこもかしこもあつくて堪らなかった。
「…子犬にしてあげるね。」
そう言って少し口角を上げたあなたちゃんはあまりにもサディスティックできれいで、絶対的で、その瞬間に俺の世界にはその女の子以外存在しなくなった。
「っん!」
あなたちゃんが俺のくちびるを喰んだ。
(食べられてる、あなたちゃんに、あなたちゃんの犬になれたんだ…❤︎)
あなたちゃんの味がする。あなたちゃんは控えめに、その犬歯で俺のくちびるを噛んだ。あなたちゃんの味が血の味に変わってさびしい、けれど、それを拭うように彼女は傷口に舌を入れてくれる。
痛くてくらくらして息が吸えなくて、気絶しそうになる俺に対してあなたちゃんは、わざと音が出るように口を離した。その音で俺が興奮すると思っているんだ。そうわかってるのに、俺はまんまと拐かされる。誑かされる。
息を思い切り吸うとあなたちゃんの匂いで肺がいっぱいになってまた頭がおかしくなる。好きすぎておかしくなる。
「あなた、ちゃん、大好き…❤︎」
もう頭がうまく働かなくて、俺はまた尻尾を振っている。もういちどを望むように甘ったれた声をあげてあなたちゃんを見た。
「だめだよ。待て」
ずきずき痛い。あなたちゃんの叱るような声で尚更欲しくなる。きみの肩にさわりたいけれど、俺はきみの子犬だから、命令に逆らえないんだよ。さわりたい。さわってほしい。
「待て。待あて。」
あなたちゃんはもう耳元にまで接近していた。囁き声で俺をあまくいじめる。俺の肩は、彼女の吐息ごとにぞわぞわ震えていた。自分の、餌をおあずけされる犬のような呼吸がやけに耳につく。
「キスして…さ、さわって、よ…」
「…どうして?がまんできないの?」
また耳のそばで責めるように天使がささやく。
「できない…」
「ふうん」
彼女はベンチから立ち上がった。
「帰ろっか。」
「な、なんで…」
俺もつられて、よろよろと立ち上がる。
あなたちゃんが、汗ばむ右手をとった。
「お家くるでしょ?」
そのあなたちゃんの、飼い主然とした表情といったら!俺は絶頂を感じた。
「っぁ……!!あなたちゃん、俺、俺、本当に好き…」と、意識もせずに声が漏れる。
「知ってる。わたしも間田くんのこと、好きだよ。」
どこまで俺を喜ばせたら気が済むんだ!