短編
おなまえ
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
欲に駆られることがある。それがどんな欲なのかは自分でもわからない。何かが決定的なまでに明確に自分の中で沸き起こり、その奔流が本能を包む膜を押し流してしまいそうになる。その時、胸が熱く、苦しく、灼かれたように痛むのだ。
あなたの手にふれるのがおれのささくれた指だったなら、と、思う。おれは花や蝶や星になぞ成れやしないのに。たとえ生まれ変わったとしても、太陽には、その輝ける脈拍には近づけもしないだろう。
あなたが泣いていた。だが泣いているのは誰なのか判らない。自分のこの頬にあたたかな雫が伝っているような気さえする。その雫が落ちるたびまた痛んだ。あわくおれを苦しめ続ける、また、欲、欲なぞに縛られうるこの、あってないような心。
「もう少しこのまま」
あなたの嘘は笑ってしまうほどわかりやすい。ふと手が触れてしまいそうなのを避ける。
「ああ。そうしていればいい」
ただ隣に座り空を見ていた。今日は星も月も見えないただの薄黒い液体のような空が、ふたりをめがけて落ちてくる。おそろしいほどに絶対的存在、おれたちの影はそれに完全に呑まれようとしていた。
言葉もないふたりの間には、永遠じみた隔たりの気配がもとおっていた。
あなたという、ヒトという生物は壊れやすい。感傷に浸り、短い生を何度も振り返り、自らの居場所を確認しなければ気が済まない。おれはヒトが壊れる瞬間を幾度も見てきた。
願わくは、あなたといっしょに壊れてしまいたいのだ。おれにもそんな日が来るのなら、あなたのその日がもう遠くもないなら。だがそう口に出すことはないだろう。それを、未だに不明な欲求のままにしておきたかった。
あんまり静かなのであなたの狭隘な心臓が鳴っているのが聞こえる。それ以外には何も聞こえない。それでいい。おれの心音が邪魔をしては事だから。
「……ありがとうございます。ワムウさま」
風が吹き雲は退いて、空で月が遊覧しはじめた。仄かに赤くなっている目元を拭ってやることもおれにはできない。しろい光に遣られたかのように目を逸らす。
どうにもならない。命など。爾後のことなど。
冷えただろうあなたの身体に、ちゃちなブランケットをかけて、おれは立ち上がった。
「……早く寝ろ」
踵を返すと、後ろであなたも立ったのが分かった。「待ってください。」壊れそうな手がおれの腕を攫んだ。やめろと言うよりも先に、そのまま人間が胸の中に飛び込んでくる。あなたの命の音が近い。おれの手はあなたにさらわれたまま、情けなくもわずかに震えていた。
もう夜も終わる。煌煌と月明り。心音が伝播している。
おれはこの胸に在る欲が愛であると答えてしまわぬうちに、顕にしてしまうように口を開いた。