短編
おなまえ
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終業式のかえり道の、ちょっぴり坂になっているところにつむじ風が吹く。遠くの道路で救急車がけたたましく自己を顕示する。歩道のすぐそばを、自転車がふらふらと息を切らしながらたどる。そういう生活の道のなかで俺たちは、寒い寒いと言って鼻をマフラーにうずめた。…夏には冬が待ち遠しいと言い、いざ冬になるとはやく夏にならないかな、とか願う、俺たちはそれぐらいどうでもよく絶望していた、いや退廃していた。
「遠くに行きたいかも」
妄言ともいえる漠然としたあなたの願望にいともたやすくマジになる俺の通信簿は、ああ面白いほどに1、2、1、2と底辺で行進をつづけていた。
単純なる俺の脳みそは、やはり一つの事しか考えられない。あなたのことばかり目で追って、ゆめにみる。からまった二つの指先のかじかむこと、それでいて手のひらは勝手に汗ばむこと、あなたのささやくような声を聞くのに必死になって、つばを飲み込むのにもタイミングを計らなきゃならないこと。
背の低い電車に乗り込むと、外気とは打って変わってむわんとした暑さがしつこく足首を攫んでくるようだった。優先座席だけが空いていたけれども、あなたが座らないので俺も同じようにそうしていた。
川や民家や道路を次々追い越す車窓と、姿勢のいいあなたの横顔を交互に眺めていた。双方が黙ったままずっとそうしていると、車内にはもうほとんど人がいなくなっている。
俺は車窓よりもあなたのことばかり見ていたから、いつの間にか窓から見える景色にはもえる山ばかりになっていたのに気が付かなかった。
「次で降りよう」
あなたはそう言って、手を繋ぎなおしてくれた。その些細で自然な動作に胸を鳴らして、だが俺以外の人間のにおいを嗅ぎまわってしまう、俺はまさしく愛の奴隷だ。
ホームに降りると、陳腐な表現だが空気がすごく新鮮な気がして、深呼吸をしようとした。
…するとあなたはやわい手を俺の頬へ遣り、撫でるようにくちづけた。互いのくちびるに隙間が生まれる音が、体温が、名前も知らない、だれもいないホームに溶け込んで消えていく。
「……俺、だめだ、顔が」
俯いて要領を得ない俺の言葉に、あなたが笑ったのが分かる。
「どうしたの?」
あなたの塗っているリップクリームの香りがうつった。
ほんとうなら校則で禁止されているあまい香りと、あやういほどのあなたの視線、そのどれも、俺以外のところへ行ってほしくない。
あなたにとっていちばんの、かえのきかない存在になりたいよ。
「なんか、おかしいんだよ、あなたといるとさあ、変になる、のが、きもちよくて」
「…じゃあ、いっしょに変になろうよ」
俺は、「なる」と言うよりも先に、もういちどキスをした。また指先がしびれだす前に繋いで、おとなになったみたいな子供のまねをする。変てこなその姿を、俺は恋と名付けた。