短編
おなまえ
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それは決定的な。それでいてアイマイに。知らないはずの音が鼓膜を滑り落ち、少年犯罪のたたき売りに、笑顔で値をつける。日常茶飯事になった異常に、もうバイバイといわなくちゃならない。心の溝にとどまったままのその塊を、恋か、執着かと、決着をつける日をぼくは、先延ばしにばかりしていた。
「それは、よくないことだよ。」
よろよろの両足で辛うじて壁へもたれかかるあなたの、それでも美しいことばが嫌だった。
人間には愛なんて伝えることもできないと信じていたかったのに。あなたのしゃべる拙いイタリア語だけでぼくの中の人間性が覆ってしまう。誰にも見つからないように、深い溝にしまっておいた、手術をして取り出した、見えないままの心という臓器が、ぼくの中、奥深くに落ちたままで、だからそれに触れたい、どれほど手を伸ばしてもぼくには、届かなかったけれど。
易々と、ぼくの心には触れてみせたくせに。
「…………」
撃たれて死にかけているというのにあなたはきれいで、こんなところで殺すんじゃなかったな、とか、思う。ここにきて、目をそらしながら今まで築き上げてきたはずの自我が、罅だらけだったことに気付かされる。怖い、ああ、こわい、これが崩れて、おまえがこの子を毒塗れにしないかが心配だ。
「もう立てないんだろ。」
「うん、なんか、前見えなくて」
笑うなよ。つぎはその笑顔に銃弾をぶち込もうと構えたが、手が震えてそれができない。次撃ったら確実に殺せるのに。あなたが見えないなりにぼくと目を合わせて話そうとしているのがわかる。
どんな思い出にもあなたが侵食している。病的までにむしばまれているのに、気づくのが遅すぎた。それは太陽が照る、月がほのめく、暗闇が手招く。路地裏で這いつくばっている今でさえほら、もう、記憶にうつされて遠ざかっていくのだ。
あなたががくんと膝をつく。まだ笑っている。額には汗もにじみだしている。それなのにおまえは笑うんだな。
「……そうだと思った。」
いつだってぼくはあなたの笑顔で殺されてきた。
あなたはぼくじゃないひととでも仲良くできるけど、ぼくはそうじゃないから。
あなたが愛するすべてのものを、ぼくは憎んでいた。あなたの笑顔が愛するすべてを殺してめちゃくちゃにしたら、そばにいるのはぼくだけになるのだろうかと考えていた。そんな訳はなかったけれど。
いつからかおまえを殺してしまうんじゃないかと不安だった、そしてそれが今現実になっただけ。
ぼくと同じで愛されなかったくせに、どうしてそんなにぼくと違うんだ?ぼくが悪だったのなら、どうしておまえは善に成れたんだよ?
ふとあなたが血を吐いた。それはぼくのでもあるような気がした。だって胸がずっと、おまえに出会った日からずっと、ずきずき痛いんだ。
「あなたのせいなんです、ぜんぶ………」
「うん、うん。わかってるから」
だから泣かないで、とあなたが言った。
おまえなんかにわかるもんかよ。もう前も見えないおまえなんかに、ぼくが泣いてるかどうかなんてわかるはずないだろ。口をつきそうになった言葉が詰まって、のどが苦しくなる。いつもぼくの口は誰かを傷つけている。言葉を我慢した後の、口内に広がる苦味に慣れてしまいたくなかった。
街には段々と日がさしはじめている、だがこの路地裏に限ってはずっと暗いまんま。夜が壊れるよりも早く、ふたりはぶっ壊れていた。ぼくたちは、もうとっくに、日なたでの居場所なんか失っていた。
あなたを傷つけたいと思ったから、ぼくは引き金を引いた。
「ずっと好きだった。」
「……うん。」
あなたはぼくがもうそこにはいないことに気付かず、空っぽの道を眺めながら頷いた。見たこともなかった真っ黒、虚ろな目、いやになるほどよく似合っている。
「おまえ、聞こえてもいないんだろ。……もう、ほら、死んでくれ。お願いだから」
「…………」
どうしてこんなに手が震えるのだろう、ああ、やっぱり、ぼくはいつまでも歩き出せないのだ。あなたに閉じ込められているぼくに、あなたもずっと、とらわれていてほしかったよ。手がぶるぶる震えて、銃を取り落とし、ぼくはあなたに近づき、抱きしめるようにして首に手をかけた。