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【中編】君ともう一度恋をする(巽)
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時間を作ると言ってくれたものの、風早さんは単独でラジオや舞台のお仕事もこなしているためすぐにとはいかないようだった。その点私はマネージャーから無理はするなと言われてしまいユニットの全体練習以外の時間を持て余していた。
何もすることがない時間は体に毒だ。考えなくても良いことばかり考えてしまう。どうして風早さんと付き合うことになったのか、どんな付き合い方をしていたのか、気になってしまいスマホの中のデータを見返していた。
フォトフォルダの中には、ユニットメンバーとの練習中の写真や、友達と出かけた時の写真に加えて風早さんの写真が数多く存在した。二人で写っているものよりも彼単体の写真の方が多いことに、“私”が本当に風早さんのことが好きだったんだと思い知る。だけどどうしても思い出せない。こんなことがあるのだろうか。写真の中にある彼と行った場所も、一緒に食べた物も、過ごした時間も、今の私には存在しない。
写真に写る風早さんが愛おしそうに微笑みを向けてくる。仲が良かったんだろうなと思うけれど、やっぱりどうしても知らない人にしか見えなかった。
出演する予定だった舞台の練習に顔を出すことは億劫だった。でも事故とはいえ迷惑をかけたのは事実なので上から『差し入れを持って行け』と言われたら断れなかった。私の代役になったという子はスタプロの後輩でもあり何度か話をしたこともある。『事故ったタヌキの代役を努めることプレッシャーに感じてるらしいよ』とアイドル友達から聞いた手前、何か言葉をかけないわけにもいかない。ただ、私は本当なら降板なんてしたくなかったし、出られるものなら今からでも出たいと思っている。それほど私はこの舞台に出られることを楽しみにしていたのだから。
「お稽古中に失礼します。この度はご迷惑をおかけしました」
演出家や監督の声が台詞に混じって聞こえるのを扉の外から伺い、タイミングを見て中へと入る。中へ入った瞬間、それまで激しく稽古をしていた音がピタリと止み、一瞬の静寂のあとざわざわ、ひそひそと聞き取れない会話がされた。今の私はこの舞台に取って関係の無い異物だから緊張からドキドキと心臓が激しく動き、熱い割に冷や汗が止まらなかった。
「一旦休憩!」
監督の野太い声がして静寂が喧騒に変わる。気づかないふりをしていても、視線の棘が身体中に刺さっていくようだった。
「すみません、お稽古中。あのこれ、良かったら……」
「いいよいいよ、こっちこそ悪かったね。おーい」
監督がスタッフを呼び差し入れを渡す。監督や大道具の責任者達からは入院中丁寧に謝ってもらったので遺恨はない。代役を立てて舞台は続行する、私の状態を世間に詳しく発表できず申し訳ない、と頭を下げられた。大人の事情だから、仕方がない。私は聞き分けの良い子のふりをした。
稽古の様子や仕上がりを教えてくれ、幕が上がる時にはぜひ観に来てほしいと言われるのを笑って誤魔化す。自分が出るはずだった舞台を冷静に見れる自信はまだ無い。
「タヌキの代役の子がまだちょっと堅いんだよね。まぁ入って日が浅いのもあるだろうけど。やっぱり代役ってのが後ろめたいのかな。帰り際にでもちょっと声かけてあげてよ」
見るとその子は人の輪に入らず、隅っこで膝を抱えていた。後から入るとみんなと話辛いよねと同情してしまう。何か話かけようかと足を向けた時「タヌキー」と他の出演者に囲まれてしまった。「大変だったね」「無事で良かった」「一緒に出たかったんだけど」「舞台観に来てほしいなぁ」口々に言われることに笑みを返す。「もう大丈夫」「なんともない」「舞台楽しみにしてるね」思ってもいないことだって言葉にできる。
パラパラと周りから人がいなくなり、目的を果たして帰ろうと振り返ると、そこには代役の子と談笑している風早さんがいた。そうだ、彼は一人になってる人を放っておけるような人じゃないから……。仄かに芽生えた彼への認識に首を捻る。そうだっけ?心なしか胸の中がもやもやとすることに気づかないふりをして二人に近づいた。
「こんにちは」
頭で思い描いていた台詞を読むように声を出す。震えていなかっただろうか。
代役の子が慌てた様子で立ち上がり頭を下げてきた。
「あ、あの、タヌキ先輩の代役を務めさせていただきます!未熟者ですが、精一杯頑張ります!」
本当は、その役あげたくないんだよ。言葉を飲み込み笑顔を顔に貼りつける。何度も頭で繰り返した言いたくない言葉を声に出す。
「途中参加、大変だと思うけど頑張ってね。選ばれたのはアナタだから、私のことは、気にしなくて良いからね」
「は、はいっ!ありがとうございます!」
私の作り笑顔なんかよりもっと眩しい笑顔を返された。良心が痛む。もしもアナタが私の代役じゃなければ……私が熱望した舞台じゃなければ……もっとちゃんと応援できたのにと思ってしまう。
隣りにいる風早さんにも軽く会釈をして「それじゃ」と稽古室を後にする。「そろそろ休憩終わるぞー」と言う監督の声に後ろ髪を引かれながら廊下を歩いて行く。もうここに来ることは無いんだろうな、と感傷に浸っていると「タヌキさん」と名前を呼ばれた。
「え、風早、さん……」
少し息を乱した風早さんが私を追いかけて来ていた。私の……恋人。でも今の私にとっては知らない人で、何を言われるのだろうと身構えてしまう。
「すみません、中々時間が取れなくて」
「いえ……忙しいのは、分かっているので」
真っ直ぐ私を見てくる目が居心地悪くて目を逸らしてしまう。私は貴方を忘れているのだから、そんなに慈しむような目で見てこないでほしい。
「スマホを確認されたんですね」
「……はい」
約束を破ってしまったことが後ろめたく体が強ばった。愚挙だと思われたかもしれない。風早さんは沈痛な面持ちでため息をついた。
「詳しく説明します。今日の夜は空いていませんか?」
「え……夜?」
時間が取れないのは分かるが私にとって風早さんは知らない男の人だ。そんな人と二人っきりになるなんて出来れば避けたい。
「あ、すみません。浅慮な発言でした。……近い内に必ず時間を作ります。それまで待っていてもらえますか?」
私の動揺を見て無理強いはしない姿に温柔な人なんだろうな、と思う。そういう所を私は好きになったんだろうか。
「分かりました」
逸らしていた目を風早さんに向ける。アイドルだから当たり前かもしれないけれど、整った顔立ちをした人だ。面食いのつもりはないんだけど。
じっと見つめていると、菫色の瞳が少し困ったように細められた。