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【中編】君ともう一度恋をする(巽)
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視界が真っ暗になる前に、誰かのひどく慌てた顔が見えた。菫色のキレイな瞳から今にも雨粒が落ちそうだった。大丈夫、心配しないでって言いたかったのに言えなかった。あり得ないほどの眠気が襲ってくる。ちょっとだけ寝るけどすぐに起きるから。
「タヌキさん!タヌキさん!!」
重くなる瞼を遮るように誰かが私の名前を呼ぶ。私はその声が好きだ。でも今はその声が悲痛な叫びのように聞こえてしまう。どうしたの?ねぇ、そんなに悲しそうに呼ばないで。大丈夫だから、起きたらまた優しく名前を呼んでね。
◆◆◆
目覚めると視界に入ってきたのは知らない天井だった。まるでドラマみたい。そう思いながらなんだか重たい体を持ち上げる。部屋を見渡すとそこは私の部屋ではなくて……。一瞬、本当にドラマの撮影でもしてたっけと思ってしまった。患者役なんて受けた覚えはないのに。着ている物もテレビでよく見る入院服のようだ。
私、どうしたんだっけ。
痛む頭を押さえ、思い出す。直近の仕事は……そう、舞台があった。オーディションで勝ち取って、尊敬する脚本家の舞台に出れるんだって嬉しくて、ボロボロになるまで台本を読んで、練習だって苦にならなくて……。そこではっと気付く。今は何月何日?舞台は?なんで病院にいるの?
カレンダー!スマホ!誰か……!
部屋の中を見渡してもそれらしい物は見つからない。いやいやスマホぐらいあるでしょう。と引き出しを開けても、枕をひっくり返しても出てこない。どうしよう、どうしよう、とパニックになりかけていた時、コンコンと扉がノックされ「どうぞ」と言う前に開かれた。
「あら、あんた起きたの?」
「……お母さん」
そこに居たのは久しぶりに会う母だった。手には紙袋を持っている。
「丁度良かった。これ着替えね。どっか痛いとこはないの?お腹空いてない?あぁ先生たちに起きたって言わないとね。言った?言ってないでしょ。じゃあちょっとお母さん言ってくるからまだ大人しくしてるのよ」
母は私に紙袋を渡すとそのまま入ってきたドアから出て行った。聞きたいことが色々あるのに。とりあえず受け取った紙袋の中身を確認する。そこには着替え、それも可愛くない部屋着、しか入ってなくて、私が望んでいたスマホは見つからなかった。
「あんたが練習中に事故にあったって聞いた時はそりゃほんとビックリしたけど命に別状は無いっていうからまぁそこは安心してたわ。その割には全然起きなくてそれにもビックリはしたけどね」
「ごめんなさい」
「まぁいいわよ、起きたし。あんたの部屋勝手に入ったけど、思ったよりきれいにしてるのね。エライじゃない」
「え、そう、かな」
事故に合う前の記憶は朧気だが、舞台の稽古やユニットのレッスンが重なって部屋を綺麗に保つ余裕なんてなかったと思うけど。私は割とずぼらな性質で、また使うからと物は出しっぱなしだし、洗濯物は干したままの所から着るし、食器だって水切りして置いてある所から使っている。実家にいる時から母には「もう少しちゃんとしなさい」と言われていたのに、たまたま綺麗にしていたんだろうか。
「退院は何もなければ三日後だって。これを機にちょっと休みなさい。じゃあお母さん帰るからね」
「うん、ありがとう」
私が起きたと伝えに行き戻ってきた母に私が眠っていたであろう時の話を聞き終わると、そう言って帰っていった。スマホは今度持ってきてくれるらしい。
記憶が朧気だと伝えると驚いていたけど「まぁ頭打ってるしね」と納得してくれ、私がこうなったことを説明してくれた。どうやら私は楽しみにしていた舞台の練習中、大道具の下敷きになったらしい。そう言われればそんな気がしてきた。頭のコブはその時に出来たものだろうか。その舞台がどうなったとか、今私の仕事はどうなってるかだとかは母もよく知らないらしく、事務所の人に聞けと言われてしまった。母は前から私の仕事にさして興味がないから仕方がない。
それからお医者さんや看護師さんが部屋にきて、あれこれ聞いていった。明日再び精密検査をし、問題が無ければ晴れて退院らしい。仕事の方が心配で検査なんていらないとも思ったけど、異常も無いのに三日も起きなかったからと言われたら何も言えなくなってしまった。念のためは大事だ。
とは言ってもスマホも無い、台本も無い状態では何もすることがない。もう一度寝るしかない、と思っていると私が起きたのがどこから伝わったのか、入れ替わり立ち替わり人がやってくるようになった。
「タヌキー!心配したよー!全然起きないからこのまま抜けられたらどうしようかと思ったー!」
私を見るなり泣き出すユニットメンバー。彼女らの話では私のことは世間的には詳細は発表されていないが、事故に遭い療養中ということになっているらしい。だから気にせずしっかり治せと言われたが、人気商売故にあまり露出を減らすのは本意ではない。元気だし、できるだけ早く復帰したいことをマネージャーに伝えよう。
そう思っていたのにマネージャーよりも早く事務所のお偉いさん、天祥院さんと先に会うことになってしまった。
「やぁ、気分はどうかな、タヌキちゃん」
年齢はそう変わらないはずなのに、天祥院さんと話す時にはいつも緊張してしまう。もちろん、事務所の偉い人だからというのもあるが、話す時に有無を言わさない圧が出ている気がするからだ。見た目はとっても美しいのに。
「あ、大丈夫です。時々頭が痛みますけど……打ったせいだと思います」
それなら良かった、と天祥院さんが微笑むだけでドキドキしてしまう。……何か裏がありそうで。
「君が出演する予定だった舞台だけどね、代役を立てて行われることになったよ。起きてはならない事故が起きたけれど、君が無事だったということもあり中止にはできなかった。大人の事情でね」
「そう、ですか……」
三日も寝ていたと聞いた時に少し覚悟はしていたけれど、こうしてちゃんと聞くとズシンと重たい物が胸に乗っかってきた。出たかった。その為に頑張ってきたのだから。
「大丈夫、君ならまたチャンスを掴めるよ。だからそんなに気落ちすることはない」
「……はい」
気休めでも天祥院さんに認められているような気がして嬉しかった。私はまだアイドルとしてやっていけるんだ。
仕事は今後体調を見ながら考えていくという方向で進んでいるそうだ。どれだけ元気です、と言っても天祥院さんに「無理はよくない」と言われてしまうと重みが違う。私が思うより、復帰は後になってしまうかもしれない。残念だが私の椅子がまだあることに安心して休ませてもらうことにした。
天祥院さんが帰ったあとも、なんだかんだ人の出入りがあり、あっという間に面会時間が終わりかける。もう来る人はいないだろうな、と窓の外が赤く染まっていくのを見ていると、廊下から話し声が聞こえてきた。仲が良さそうな男の子たちの声だ。扉をノックされ、爽やかな声で「タヌキちゃん、開けてもいーい?」と聞かれる。どうぞ、と答えるとそこには四人の男の子がいて……四人?
「タヌキちゃん、大丈夫?起きててへーき?おれ達すっごく心配したんだよォ」
藍良くんが緑色の目を潤ませながらベッドに近づいてくる。
「藍良、病室では静かに、だよ」
「分かってるよ、もう。ヒロくんのくにせ」
一彩くんが後に続いて、マヨイくんがオロオロと、でも安心した様子で声をかけてくれる。
「でも安心しました。お元気そうで……」
「心配かけてごめんね。でも大丈夫だよ」
ALKALOIDのみんなとは事務所が同じということもあって仲良くさせてもらっている。忙しいだろうに、こうしてみんなで様子を見に来てくれたことがとても嬉しい。でも……。
控えめに後ろに立っている長身の人へ目をやると、菫色の瞳が不安そうに揺れ動いた。
「タヌキさん、俺は……」
穏やかな声が耳に心地良く届いた。私はこの声を知っている。はずなのに……。
「あの、ごめんなさい……誰、ですか?」
形の良い唇が「え」と動いたがそれは声にはならなかった。
何か変なことを言っただろうか。他の三人も信じられないものを見る目で私を見てくる。私は慌てて言葉を続けた。
「あ、ごめんなさい。ALKALOIDの新、メン、バー……ですか?私、寝てた、から……知らなくて……えっと……え?」
弁解しているつもりなのに三人の顔は益々険しくなっていく。それどころか
「タヌキちゃん……それ、笑えないんだけど……」
青ざめた顔の藍良くんが絞り出したような声で呟いてきた。笑わすつもりなんてもちろん無い。
「え……でも、だって……ALKALOIDは……」
三人組……うぅん違う。モチーフがスートだから四人いるはず。そう、ALKALOIDは四人いる。でも、知らない。私は四人目を知らない。曲やMVを思い出そうとしても四人目の顔が、声が、出てこない。確かにそこにいるはずなのに、私の記憶にその人はいない。
「ご、めん、なさい……分からない……」
口の中が乾ききって、ようやく出せた声は掠れていた。
様子のおかしい私を見てみんなも顔を見合わせている。
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