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誕生日に読む話
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『ごめんなさい、今日の約束は無しにしてください』
約束の時間まで後1時間程。送りたくない文字を打って送信する。どうしてこんなことになってしまったんだろう。今絶対、私はこの世で一番不幸だ。家へ戻る電車に乗ると悲しさで視界が滲み始めた。
「君の誕生日までには戻ることにするよ。予定を空けておきたまえ」と宗さんに言われたのは数週間前。久しぶりに会える!と飛び上がる程嬉しくて、指折り数えていたらその数日後には「君に会えるのを楽しみにしている」とメッセージつきでそれほど大きくない箱が届いた。厚みはそれほどないけれど、幅の広いそれに、まさかねと思い丁寧に開けると、そこには宗さんからのプレゼントーー彼特性のワンピースが入っていた。「私にお洋服作って!」とねだっても「いつかね」とはぐらかされていたのに。会えるだけじゃなくて、ワンピースも作ってくれるなんて!
今すぐ彼の元へ飛んでいきたい衝動をなんとか抑え、私も会いたい、楽しみにしている、と毎日毎日連絡を入れた。ハンガーにかけたワンピースを眺めながら、髪型やメイクに悩んだ。誕生日には、一番可愛い私で会うんだと決めていたのに。
電車の窓に写る私はこの世で一番可哀想な格好をしていた。
こんな格好では会えないからと送ったメッセージには、宗さんから返事が届いているようだけど、怖くて確認ができなかった。
最寄り駅につき、泣いてメイク崩れした顔を誰にも見られないよう俯いて歩いて行く。歩く度にカタン、カタンとヒールが虚しく音を立てた。
もしかしたら来るかもしれない、ときれいにしてあった部屋すらも今はみるのも辛い。姿見鏡に写るのは、乱れた髪に、汚れたワンピース、伝線しているストッキング……人前に、ましてや好きな人に見せられるような姿ではない。せっかくの誕生日だったのに。絶対良い日になると思ったのに。今頃楽しくデートをしているはずだったと思うと、またじわじわと目の淵が熱を持ち始めた。「嫌われたらどうしよう」それだけが気がかりで、そんなこと考えたくなくて、現実から逃げるように私はうずくまった。
どれぐらいそうしていたのか。長かったのか短かったのかも分からないけど、ピンポーンと鳴ったチャイムの音で意識が戻される。何か荷物を頼んでいたっけ。鉛のように重たい体をノロノロと動かし「はい」と返事をする。
『あぁ良かった。家には居たんだね』
「っげ、宗さん」
『げ、とはなんだね、げとは。まぁいい、とにかくここをさっさと開けたまえ』
「えぇ……っとぉ」
まさか宗さんが家まで来てくれるとは思ってもおらず、頭の中はプチパニックを起こしていた。ワンピースは汚れたままだし、顔も髪型もひどい。どうにかして帰ってもらう方法は……。
『タヌキ、早くここを開けなさい』
「ひぇ、はいっ」
強く言われ反射的に扉の解錠ボタンを押してしまう。あぁしまったと思うにはもう遅い。どうしよう。宗さんがエレベーターで上がってくるまでに何分ある?着替えるべき?でもあのワンピースはどうしたって話にならない?隠し通せる?あぁどうしよう。
そうこう考え部屋の中を歩き回っている内に再びピンポンと音が鳴った。あぁ終わった……。
「なんだ、元気そうじゃないか」
「……はい、あの」
「返事の寄越さないし電話にも出ないしで具合でも悪いのかと……ん?どうしてヒールが折れた靴を……ってタヌキ?!」
「ごめんなさぁぁい」
宗さんを招き入れた瞬間、別れ話をされるんじゃないか、怒られるんじゃないかと思っていたのに宗さんは優しく私の心配をしてくれた。だから余計に宗さんがくれたお洋服を汚してしまったなんて言いだし難くて、どうしようかともじもじしていると、宗さんが玄関に脱ぎ散らかしたヒールの折れた靴を見つけてしまった。
違うの違うの。本当はそれを履いて髪もメイクももらったワンピースに似合うようにばっちり決めて会いに行くつもりだったの。私も会うのを楽しみにしていたの。
「ごめんなさい宗さん、嫌いにならないでぇ」
感情が破れてしまった私の目からは涙が溢れてくる。どれだけ今日を楽しみにしていたのか言葉にしようとしても、嗚咽が邪魔をして言葉にはならなかった。
「うぇぇっうぅっ、ご、ごめ、ごめんなさっ」
「何を謝ることがあるんだね。……あぁもう、嫌いになどなったりしないから泣きやみたまえ」
縋りついて泣き続ける私を、宗さんは優しく抱き留め背中をさすってくれる。その優しさが嬉しくて、申し訳なくて中々涙は止まらなかった。
「ほら、何があったら僕に教えてごらん」
それでも辛抱強く宥めてくれる宗さんに、私は事の顛末を話始める。
楽しみで早くに家を出過ぎたこと。遠回りして行こうと公園に立ち寄ると、散歩中に逃亡した大型犬にジャレつかれたこと。駅に向かっている途中、自転車に泥水を引っ掛けられたこと。駅構内ではすれ違う拍子にぶつかった相手のコーヒーが撒けたこと。階段を上る時には足を踏み外したおばあさんの下敷きになり、ついにはストッキングは伝線し、ヒールも折れてしまったこと。これでは宗さんに会わせる顔が無いから帰ってしまったこと。
自分で言っていて情けなくなってしまう。なのに宗さんはとびきり優しい声で聞いてきた。
「君にケガは無いのかね?」
そういえば、と思い痛い所は無いかと考えるが、すり傷があるぐらいでどこも痛くないやと首を振る。
「そう、君にケガが無いなら良かった」
耳元で宗さんの声がする。抱き締められていると分かった時に、嫌われてない、呆れられていないと安堵し、引っ込みかけていた涙が再び溢れてしまった。
それからしばらく、「大丈夫だから」と宗さんが宥めてくれようやく落ち着いてきたころ、大事なことを言ってないことを思い出した。これを言ったら、さすがに呆れられるかもしれないが、言わないわけにもいかない。
「あ、あのね宗さん……」
「なんだね。まだ何か言い忘れた不運なできごとでもあるのかね」
「ごめんなさい、せっかく貰ったお洋服……汚しちゃったの」
スカートを広げて見せると、そこには犬の足形がつき、泥が跳ね、コーヒーが染みを作っていた。
思った通り、宗さんは驚いたのか汚れてしまったワンピースをまじまじと見ている。ごめんなさい、宗さんの大事なお洋服を汚してしまって。さすがに怒られる、と身を固めているとふっと宗さんが微笑んだ。
「あぁ、やはりよく似合っているね」
聞き間違い?と思い顔を上げるとやっぱり宗さんは穏やかに笑っていて。
「ほら、もっとよく見せてごらん」
「でも……私……っ」
「メイクも髪も、合わせようと頑張ってくれたんだろう?」
「っ……そう、でもっ」
どうしてそんなに優しくしてくれるのだろう。大事なお洋服を守れなかったのに。謝っても足りないのに。でもそれが嬉しくて、情けなくて、安心してしまって、止まっていた涙がまた頬を伝ってしまう。
「ほら、そろそろ泣きやみたまえ。せっかくの誕生日だろう」
「でも、でもっ」
「大丈夫、怒っていないよ」
「わたしっ……ほんとに、ごめ、なさ……」
「服ならまた、作ってあげるから」
「っぅう宗さぁんっ」
「本当に今日の君は泣き虫だね」
声を上げて泣く私を、小さな子をあやすようによしよしと宥めてくれる宗さん。ごめんなさいと言う度に大丈夫だと言ってくれた。そんな宗さんに、好きが溢れて止まらなくなってしまう。
「ご、ごめんなさ、い宗さっ、ひっぅ、うぅ、好きぃ、ほんとに大好きぃ」
「あぁ知っているとも。僕も君を好いているからね。……誕生日おめでとうタヌキ、愛しているよ」
それだけで、私は世界一幸せな女の子になってしまった。