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短編
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「ねぇ巽さん……それ、なに?」
心なしか、怒気を含んだ声でタヌキが巽に問うてくる。
それ、と言われてもなんのことか思い当たらない自分としては首を傾げるしかない。彼女の家に来て、「お帰りなさい」と出迎えられ、自分の家でもないのにそう言われることに心地良さを感じながら靴を揃えているだけだった。今の行動の中で何か怒らせてしまうことでもあっただろうか。
「まさか巽さんにこんなこと言う日が来るとは思わなかった……」
「えぇっと?」
「しらばっくれないで!巽さんの……浮気者っ!」
「え……?」
もちろん、見に覚えなどない。今日の共演者に女性はおらず、現場スタッフの女性とも近しく話していないので何か匂いが移ったとも考えられない。
タヌキさんは何を勘違いされているのでしょう……。
「あの、タヌキさん」
「やだ、他の人触った手で触んないで!」
誤解を解こうと伸ばした手はぱしんと振り払われてしまう。思いの外大きな音がして、振り払ったタヌキすらもばつの悪い顔をしている。重苦しい沈黙が廊下に流れてしまった。
「……誤解、です。何をそう勘違いされたのかは分かりませんが……俺は」
「ご、誤解じゃないもん!そんな確固たる証拠つけといて……誤解も何もないですよ!」
口を開けば開くほどタヌキの神経を逆撫でしてしまうようで、彼女の声が大きくなっていく。誤解は解きたいが、下手に刺激もしない方が良いかもしれない。どうしたものかと考えている内に、タヌキが語気強く指をさして来た。
「首!」
「首……?えっと首がどうかしましたか?」
「……ついてる」
「ついてる?」
「キスマーク!」
「え!?」
キスマーク、と聞き慣れない単語を耳にすると同時に慌てて指された箇所を手で覆う。指でなぞれば確かにそこには何かがあった。
多分、おそらく、これは……虫さされ、でしょうか。
それまでは気にもならなかったのに、皮膚が膨らんでいることに気づくと痒みも伴ってきた。紛れもなくこれは虫さされだろう。
「あの、タヌキさんこれは」
「言い訳なんて聞きたくないんですけど?どうせ浮気するなら分からないようにしてほしいんですけど!?」
「ですから」
「そんなに堂々とキスマつけるような浅はかな女なんか好きなの!?趣味悪いね、巽さん!」
虫さされなのだ、と説明する隙もなくタヌキが怒りをぶつけてくる。
弱りましたな……。
誤解で怒られているのに、心の片隅でなぜか嬉しいと思ってしまっている自分がいる。
彼女をこんなに怒らせ……いえ、悲しませているというのに、どうしてこんなに嬉しく思えてしまうのでしょう。
ただの虫さされをキスマークだと誤解し怒っているタヌキを愛しいと思えてしまう。声を荒げないといけないほど自分のことを好きだと主張されているようで。
このまま誤解させたままだとどんな反応をしてくれるでしょうか。いえ、やはり悲しませたくはありません。誤解は解いた方が……。
でもこのままでも少し面白いかもしれない、と思ってしまった。
「……今のは聞き捨てなりませんな」
「え……」
「俺の趣味が悪いと、そう仰いましたか?」
「言った……けど……」
どんな反応をしてくれるだろう、と巽はこのまま誤解をさせ会話を続けることにした。少しだけ怒気を交え、不愉快そうな顔を作る。すると案の定、彼女は狼狽した様子を見せる。
「俺が選んだ女性です。趣味が悪いなどと言わないでもらいたいですな」
もちろん選んだ女性はただ1人なのだが。巽の思惑通り勘違いをしたままのタヌキは更に勘違いを重ねたようだ。顔から血の気が引いていき、何か言いたげにはくはくと口を開くがそれらは言葉にならず唇が震え出していた。
「……本気、なんだ……」
小さく呟かれた声が宙を舞う。口を覆ったタヌキが糸の切れたマリオネットのように膝から崩れ落ちた。ショックを受けている彼女を自然と見下ろす形になり、可哀想と思うのになぜだか幸福感が沸いてくる。
可哀想、だけどなんて愛しいのか。
「えぇ本気です。俺は本気でその女性を愛しています」
「っ……!」
蒼白に睨んでくるタヌキの目がじわじわと滲みだし、遂にはそこから涙が溢れ出した。
「っも、もう、私のことは……」
彼女が言わんとしていることは分かるがそれを否定するかのように目を反らす。誤解させるような言葉と態度に多少の罪悪感はあった。だがそれよりも勝ってしまうものがあることも否定できない。タヌキの頬を透明な雫が伝うのが見える。もっと見ていたい。
「そう、なんだ……私じゃ、ないんだ……」
うなだれ呟く彼女に巽は雲行きが怪しくなってきたのを感じ取った。元来タヌキは聞き分けの良い方だ。急に仕事が入り反故されても「仕方ないです。頑張ってくださいね」と自分を責めることなく受け入れてくれる。だからもし自分が他の人を好きになってしまったと知れば……。
「分かった……別れましょう、巽さん」
そうなると考えなかった自分を浅はかだと巽は思った。まさか虫さされの勘違いで別れ話にまで発展するとは。
「すみません、タヌキさん……」
「あやまらないでください……だって、しょうがないもん……」
申し訳なく呟くと、タヌキは小さく首を振る。それはもう全てを受け入れているようにも見えた。
そんなにすぐ受け入れないでください。俺としては、ちょっとした悪戯のつもりだったんです。
「いえ、すみません。そうではなくて……嘘です」
「……うそ?」
「はい、あ、嘘ではない部分もありますが……すみません、冗談が過ぎました」
「……じょうだん?」
タヌキの側に膝をつき説明を始める。泣き止んだタヌキがパチパチと何度も瞬きをしていた。
「どこ、から?」
「最初から……。キスマークではなく、虫さされです」
「……え?」
ほら、と触りやすいよう顔を傾け赤い部分がよく見えるように向ける。震える白い手がおずおずと伸びてきて、そっとそこをなぞった。それからわずかな膨らみを確かめるように、指の腹が何度もそこを撫でる。
「……信じてくれましたか?」
「え、え……え、ほ、ほんとだ……え、私……!てっきり……!」
「キスマークだと思いましたか?」
蒼白だったタヌキの顔が、今度は一気に赤く染まっていった。
「ごっごめんなさいっ!!」
「いえ謝るのは俺の方です。すぐに誤解を解かなくてすみませんでした。勘違いで怒っているタヌキさんが可愛らしくて……少し、いじわるをしてしまいました。……怒りましたか?」
「お、怒らないですよぉ~」
正直に伝えると、タヌキから気の抜けた声が上がった。もうその声に怒気は感じ取れず、巽もほっとする。
「元はといえば私が勘違いしたのが始まりだし……今は、それより、安心しちゃった……」
笑うタヌキの目元は赤くなっており、多少良心が痛む。
誤解とはいえ俺のために泣いてくれるタヌキさんも可愛らしかったですが、やはり貴女には笑っていてほしいと思います。
詫びるように彼女の目元を撫でる。もう試すような行為はしないようにしようと思いながら。
「ところで、タヌキさんはキスマークがどういうモノかよく分かっていないようですな」
「え、そんなことは……」
元々タヌキからキスマークをけられることはないし、「恥ずかしいから」と言われるため巽も数えるほどしかつけたことはない。経験が少ないため虫さされとキスマークを勘違いするのは仕方ないことなのかもしれない。だったら、経験させれば良いと思った。
「身をもって知ってください、どういうモノなのかを」
剥き出しになっている彼女の首筋へ唇を寄せる。キスマークとはこういうものだ、と思い知らせるかのように強く吸い上げた。
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