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短編
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「すまないね、どうしても外せない用事ができてしまって」
『……しょうがないですよ、英智さん忙しいもん』
そう言いつつ電話の向こうの彼女の声は不満気だった。それも仕方ないだろう。なんせ今日は随分前から約束をしていた花火大会の日だったのだから。
「英智さんに市井のお祭りというものを教えてあげます」とタヌキちゃんは息巻いていた。僕としては、市井のお祭り、というよりもタヌキちゃんが体験してきたお祭りはどういうものかの方が興味があったのだけど。
「それじゃあまたね。いいかい?くれぐれも1人でお祭りに行こうなんて思わないでね」
『行かないですよ。1人で行ってもしょうがないし』
「それなら良いんだ。この埋め合わせはまた今度するから」
聞き分けの良いタヌキちゃんは普段ならそこで「はぁい」と言うのに、今日は違った。
『あ、あの!今日、何時ぐらいに終わりそうですか?』
「うん?残念だけど、花火の時間には間に合わないと思うよ」
『あー……花火は、まぁ、もういいんですけど……約束してたから、ちょっとでも顔見れたらなぁって思って……』
今日は珍しく粘るな、と思った。最近、忙しくて禄に構ってもあげられなかった反動かな。今日会えると思っていたから正直、タヌキちゃんを後回しにしていた自覚はある。とはいえ、用事が終わった後に会うとなると時間が気になる。
「そうは言っても、遅くなるだろうから」
『うーん……だめ、ですかぁ?』
「そうだね、だめだね。我慢しなさい」
『えぇー』
今日は本当に聞き分けが悪いな。何が彼女をそうさせるのだろう……。そんなに僕とお祭りに行きたかったのだろうか。いや、でも花火はもういいと言っていたし……。
「何か理由があるのかい?」
考えても思い当たる節が見つからず、本人に直接聞いてみる。「えー」だの「んー」だの言い淀み、最後は「特にないですけど」だった。
『特にないですけど、理由がないとだめですか?』
「だめではないけど、会えない理由ならあるね。まず、夜遅いと僕が心配になるから。これ以上の理由がいるかい?」
『大丈夫ですって、ちょっとぐらい。ね?英智さん』
少し甘えた様子で僕の名前を呼ぶ。僕はそれに弱い。
「仕方ないね。終わったら君の家に行く。それで良いかい?」
『やったぁ、英智さん大好き』
「やれやれ、全く……君には敵わないね」
電話の向こうで「ふふっ」と笑う彼女に少しだけ安心する。機嫌は直してもらえたかな。これでようやく用事にも取り掛かれそうだと別れの挨拶を切り出すと「まって」と再び呼び止められた。
『あ、あの、用事終わったら1度連絡してもらっても良いですか?』
「それは構わないけど……家に着く前とかじゃなくていいのかい?」
『はい。えっと、ES出るぐらいに連絡くれると助かるというかなんというか……えーっと、準備があるので』
「ふぅん?よく分からないけど分かったよ」
『良かった。じゃあ、またあとで……ありがとう、英智さん』
「お礼を言われる筋合いはないよ。先に約束を破ってしまったのは僕だからね。でも……うん、僕も後で会えるのを楽しみにしているよ」
新たな約束を取り付け電話を切る。億劫に感じていた用事も、その後の約束を考えるとそれほどでもないと思えてくるから不思議だ。彼女のためにもできるだけ早く終わらせようと机に向かった。
***
どれほど経っただろうか。終わらせないといけないことが一段落し、背伸びをする。窓の外はもうすっかり暗く染まっていた。
本当なら、今頃タヌキちゃんと歩いていただろうにね。君は僕をどこに案内してくれただろう。手を引かれながら人混みをかき分けて行く。「次はあっちへ行ってみましょう」と君が笑う。そして花火を2人並んで見上げる。
なんて自分から捨てた未来を思い描き少し感傷にふける。やれやれ、僕も楽しみにしていたものだ。
時計を見ると、今から家庭に伺うとなると非常識と言われそうな時間になっていた。ここでやっぱり今日は止めようと伝えればさすがに彼女に嫌われるだろうか。嫌われはしなくとも、がっかりはされるだろう。……それは少し、嫌だな。
「もしもし、タヌキちゃんかい?うん、今からESを出る所だよ……え?」
『あの、だから、ちょっと待っててもらえませんか?私が行くので』
「私が行くって……今からかい?もう暗いから僕が」
『いや、っていうか、あの、えーっと実は近くまで来てまして……』
「え?この時間にかい?」
一瞬、友人といるのかと思ったが、電話からは彼女の声しかしない。こんな時間に女の子が1人で?
「タヌキちゃん、君は」
『あ、待って待って。お叱りは後で聞きますから。えっと、ちょっと歩くんですけど、川沿いの遊歩道の方で待ち合わせても良いですか?』
「ダメだと言ってももう向かってるんだろう?」
『……えへ』
「はぁ……仕方ない。その代わり通話はしたままにしておくこと。いいね?」
『はぁい。じゃあ何話そうかな。あのですね……』
橋から西側にある1つ目の街灯を待ち合わせ場所にし足を向ける。タヌキちゃんがどこにいるかは分からないが、僕の方は10分もかからない内に着くだろう。その間タヌキちゃんは最近合ったことを報告してくれる。他愛もない話なのに、「うんうん、それで?」と続きを促している僕がいた。
会話をしていると、とは言っても話しているのはほとんどタヌキちゃんだったけれどーーすぐに目的地に到着した。彼女はまだ来ていないようだ。
「僕の方はもう着いたけれど、君は今どの辺りかな」
『あ、橋を渡る所です。もうすぐです、ちょっと待ってて。今日ちょっと、歩きづらくて』
「怪我でもしてるのかい?転ばないように気をつけるんだよ」
『あー……怪我とかじゃないんですけど、はい、大丈夫です』
歯切れの悪い言葉に何を隠しているんだろうと疑ってしまう。思えば今日のタヌキちゃんは変だった。普段なら聞き分けよくすぐに引く所を引かなかった。家まで行くと言ったのに、それを破ってここまで来ていると言う。
なにかあるな。
そのなにかが、なにかは分からないけれど。……さすがに少し彼女に甘えすぎていただろうか。もしかして愛想がつきたとでも言いにくるのだろうか。
最悪の想像をする頭を振りそれを消し飛ばす。いや、それは考えすぎだろう。
「あ、英智さーん!」
もしかして、が尽きない内に電話越しではない声が僕を呼ぶ。向こうからは街灯の下にいる僕が見えるのかもしれないが、生憎僕からはまだタヌキちゃんの姿は見えない。その代わり、カランカランと乾いた音が聞こえてくる。靴でもサンダルでもあり得ない音だ。
「すみません、お待たせしました」
「……浴衣?」
あの乾いた音は下駄の音だった。だからもちろん服じゃない。街灯に映し出されたタヌキちゃんは紺地に白い牡丹が描かれた浴衣を着ていた。手には巾着と不似合いなビニール袋を下げている。
「……結局お祭りに行って来たのかい?」
「行ってないですね」
「えっと?」
友人とお祭りに行くために浴衣を着て外に出た。そのついでにここまで来た、というのなら納得もできるのに、彼女は行ってないと言う。ならどうしてわざわざ浴衣を着ているんだろうか。
「……あの、今年は英智さんと夏祭りに行けると思って、言っちゃったんです。おばあちゃんに」
「おばあさまに?」
「好きな人と夏祭り行くんだよーって……そしたら、おばあちゃん、張り切っちゃって。浴衣着せちゃるけぇねーって」
「ふむ」
「可愛い格好見てもらわんとねって。今日浴衣持って来てくれて……無くなったって言えなくて……」
「なるほど」
大方、おばあさまをがっかりさせたくなかったということだろう。話を合わせながら着付けをしてもらっている様子が目に浮かぶ。
「それでまぁ、怪しくない時間ぎりぎりまで家にいて……ぶらぶらと、してました」
「……浴衣でかい?」
「まぁ、そうなりますね」
困った人たちに声をかけられたりしなかっただろうか。こんなことなら誰かとお祭りに行くよう差し向けた方が良かったかもしれない。いやでもタヌキちゃんはこうして無事に目の前にいるわけだし、あまり余計なことは言わない方が良いかもしれない。
「それでですね。どうですか?」
「え?」
「浴衣。可愛いですか?似合ってますか?」
タヌキちゃんがくるりと一回転して見せる。
そんなの、聞かれなくても答えは決まっている。
「もちろん、とっても可愛いよ」
「えへへ。……本当は適当な時間に家に帰って、褒めてもらったよ、って嘘ついてもよかったんですけど。どうせなら、やっぱり英智さんに見てもらいたいなって思って……だから無理言っちゃいました。ごめんなさい」
そういえば、お叱りは後で聞く、と言っていたっけ。でもわざわざ今更怒る気にはなれない。言いたいことは、たくさんあるけれど。
「僕も君の浴衣姿が見られて良かったよ」
叱られると思っていたタヌキちゃんの顔が安堵からかぱっと明るくなるが、「ただし」と続けた瞬間、再びしょげてしまった。
「あまり夜遅くに出歩かれると心配するから、次からはもっとちゃんと僕に説明すること。いいね?」
「はぁい」
肩をすくめるタヌキちゃんは僕がどれだけ心配したか分かっているんだか分かっていないんだか。それでもこれ以上問いつめる気が無い僕は僕でタヌキちゃんに甘い。
「ところで英智さん。お願いがもう1つあるんですけど」
「いいよ、この際。なんでも言ってごらん」
「花火しません?」
「花火?」
これ、とビニール袋から手持ち花火のセットを取り出した。ご丁寧にガスライターと小さなバケツも用意しているようだ。なるほど、だから川沿いを指定したのか。
「花火大会は行けなかったですけど、一緒に花火したいなって思って。ダメですか?」
首を傾げながら聞いてくるけれど、断られるなんて思ってもいないんだろう。本当は早く家に帰してあげたほうがいいんだろうけど。
「仕方ない。付き合ってあげよう」
「やったぁ。じゃあ水汲みに行きましょう」
「はいはい。でも終わったら車を呼ぶからすぐに帰るんだよ?」
「はぁい。分かってます、もうワガママ言いません」
カランカランと下駄を鳴らしながらタヌキちゃんが嬉しそうに歩く。当初の予定とは違うけれど、鼻歌交じりなタヌキちゃんを見て会えて良かったと思う。だから余計に約束を破ってしまったことを申し訳なく思えてしまった。
「ねぇタヌキちゃん」
「はい?」
「来年は一緒に行こうね、お祭り」
君はまたおばあさまに浴衣を着せてもらって、僕も浴衣を着ても良い。2人で並んでお店を回ろう。そして2人で座って花火を見上げよう。
どうかな。
「……来年の約束もしてくれるんですか?」
「うん。君が許してくれるなら、再来年だって約束しても良い」
「……それでやっぱり用事が入ったとか言ったり」
「イヤなことを言うね、タヌキちゃんは」
「その時はまた一緒に花火してくれますか?」
「もちろん、君が望むのなら」
手に持った花火が音を立てながら色鮮やかに燃え始める。光の向こう側で、タヌキちゃんが「約束ですよ」と笑っていた。
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