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短編
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蝉の声に混じって、リコーダーの音が聞こえてきた。それは聞いたことのある曲だった。
『これって……夏休みの宿題の?』
自分も家で時々練習をしている曲だ。指使いがうまくいかず、練習する度がっかりしているが、今聞こえている音は自分の音と違いとても滑らかだ。どこから聞こえてくるんだろう、と音の在処を探して歩く。
『ここから?』
三角屋根の白色の建物。周りの家とは雰囲気が違うそこから音楽は聞こえているようだった。ぐるっと鉄格子に守られているように建っているその周りを、どこからか入れないかとウロウロする。まるで、お伽噺に出てくるような建物なので、もしかしたら音楽の妖精がいたりして、なんて心がわくわくしている。
『本当に妖精がいたらどうしよう』
入れる場所を見つけ、足を進める。そんなわけない、と思いながらそっと木製の扉に手をかけた。
『わ、きれい……』
左右に規則正しく並ぶ長椅子。陽の光を優しく受け入れる長い窓。そして正面にはキラキラと輝くステンドグラス。
『本当に、絵本の中みたい』
吸い込まれるように建物の中を歩いて行く。音を立てないようにゆっくりと。リコーダーの音はまだ響いている。
『あ、あの子……隣のクラスの……』
キョロキョロと音の主を探していると、長椅子の一番手前、ステンドグラスの光を浴びるように青緑色の髪が見えた。
『風早くんだ』
そうか、たしか風早くんのお家は教会だった。もっと早く気付けばよかった。
後ろから表情は見えないが、背筋を伸ばし姿勢良くリコーダーを練習している姿はキレイだった。
『妖精じゃなかったけど……絵本の挿し絵みたい』
いつまでも眺めていたかったが、特に親しくもない相手に見つかるのは気まずい。音の出所が妖精でもなんでもない、ただの隣のクラスの男の子だったことに少しがっかりしながらも、すっきりした気分で踵を返す。再び静かに扉を開けようと引っ張ると、今度はギィ……と重たい音が鳴ってしまった。と同時にリコーダーの音が止まる。
あ、やばい。振り向けば紫色の瞳と目が合ってしまった。
「おや、君は……」
どうしよう、怒られる。
そう思ったのに逃げることも謝ることもできず、その場に立ち尽くしてしまう。
どうしよう、どうしよう。
「たしか、隣のクラスのタヌキさん、ですよね」
名前を呼ばれ、反射的に体がびくっと跳ねた。見つかった気まずさに声が出なくて、小さくうなずくしかできない。
「どうかされましたか?」
「あ……」
風早くんの、なんでもない声に呆気に取られる。怒ってない?
その声に安心したからか、少しずつ声と言葉が戻ってきた。
「えっと、リコーダーの音が、聞こえてきて……」
風早くんは静かに聞いてくれている。
「宿題の、曲だなって思って……誰が吹いてるんだろう、って思って探してたら、えっと……素敵なお家から聞こえてきたから……ごめんなさい、勝手に入って」
そこでようやく頭をぴょこんと下げることができた。お家の人、呼ばれるかな。やっぱり、怒られるかな。
「礼拝堂です」
「え……」
「この建物の名前。礼拝堂と言います」
「……れいはいどう」
お祈りをする場所なのだと、風早くんは教えてくれた。
「ここで練習をすると、普段より上手に吹ける気がして……でも、誰かに聞かれていたかと思うと、少し恥ずかしいですな」
「そ、そんなことないよ。風早くん、上手だったもん」
キレイな建物……礼拝堂によく似合う透き通るような音だった。妖精が演奏をしているんじゃないかと思ってしまうほどに。だから誰が吹いているのか気になって探したのだ。
「あの、私、あんまり上手じゃないから……もっと練習しようって思ったよ」
風早くんみたいに、吹けるようになりたいなって。
「それに、ここ、本当にキレイで……ここで練習したら、私でも、上手になりそうって思っちゃった」
「だったら、一緒に練習しますか?」
「え……?」
「俺で良ければ、教えることもできますし」
どうですか?と風早くんが首を傾げてくる。
「え、えっと、いいの?」
「はい、もちろん。君さえ良ければ」
「嬉しい!ありがとう風早くん!」
それから私はほぼ毎日、同じ時間に礼拝堂へと通った。鉄格子の門をくぐる時には、つい周りを見渡してしまう。誰にも見つかりませんように。
いけないことをしているわけではないけれど、風早くんとの時間を誰かに知られたくなかった。
「また余計な力が入ってますな。穴を塞ぐ時は、もっとリラックスして大丈夫ですよ」
風早くんは私が下手っぴでも笑ったり、からかったりしない。それだけでも一緒に練習をしていて安心感があるのに、教え方も優しかった。何度間違えても「大丈夫」と何度も教えてくれる。
「あ、今の音、キレイでしたな」
一瞬でも上手く吹けると、すかさず褒めてくれた。本当に自分が上手になったように錯覚をしてしまう。
「あのね、風早くんのおかげでリコーダー吹くのちょっとだけ好きになったよ」
練習が苦ではないということを伝えたかった。
「俺のおかげ……?」
「うん、他の男子みたいに失敗しても笑わないし、何度も丁寧に教えてくれるし、いっぱい褒めてくれるから」
だから、ありがとう。
素直な言葉を伝えるのは少し気恥ずかしいが、風早くん相手にならそれができた。不思議な感覚だ。
「それは……タヌキさんが、努力されているからですよ」
「そう、かな」
「はい、そうです」
「そっか……ありがとう風早くん」
夏休みも中盤に差し掛かる頃には、私のリコーダーの腕前もかなり上がっていた。穴を塞ぐことに一生懸命で力みすぎていた指も、力を抜くことを覚えてからは変な音が出ることもほとんど無くなり、今では、風早くんと一緒に合わせることもできるようになった。風早くんが根気よく教えてくれたからだ。
「今の、上手だったよね!」
「えぇ、俺もそう思います」
2人で合わせた後、風早くんに顔を向ければ風早くんも嬉しそうに笑みを返してくれ、胸がじんわりと温かくなるのを感じた。
「えへへ、夏休み明けの発表も大丈夫な気がしてきた」
これでクラスの男子に笑われなくてすむかもしれない。夏休みが始まった頃、練習する度にがっかりしていた自分に教えてあげたい。大丈夫だよ、上手になるよ、って。
「ところでさぁ、風早くん、他の宿題は順調?」
「はい、大体予定通りといったところです」
「そっかー……あのね、算数で分からない所があるんだけど……」
「ふふ、俺で良ければいつでも教えますよ」
「やったー、明日持ってくるね」
礼拝堂の常連客となった私は、リコーダーだけでなく他の宿題も持ち込むようになっていた。風早くんはイヤな顔もせず「俺も、誰かと一緒にした方が捗りますから」と言ってくれる。それは私も同じだから、嘘じゃないって思いたい。
夏休みが終わるのが寂しい。風早くんと過ごす時間は心地良い。風早くんもそんな風に思っていてくれたら嬉しいけど、確かめるのが怖くて……なんて言えばいいかも分からなくて、聞けないまま日数だけが経っていった。
「明日から新学期ですな」
「うん、風早くんのおかげでリコーダーも上手になったし、宿題もちゃんと終わったよ、ありがとう」
お礼を伝えても風早くんは「君が頑張った結果ですよ」と謙遜する。本当に、いつまでもここに通いたい。きっと風早くんなら「好きな時にどうぞ」と言ってくれるだろうけど。クラスが違うと学校を出る時間も違うし、毎日の宿題も違うだろうし。夏休みのようには多分来れない。接点が無くなる。寂しい。
最初はただ、キレイな場所でリコーダーの練習ができるだけで楽しかったのに、段々風早くんに会えることが楽しみになってしまった。多分、私は、風早くんのことが……。
「あ、あのね、風早くん。学校始まっても、その、学校で話しかけても良いかなぁ」
これが今の精一杯。心臓が、とんでもなくドキドキしている。断られたらどうしよう、うぅん、風早くんはそんなこと言わない。でもやっぱり迷惑だって言われたら?ドキドキドキドキと心臓が動いて、耳の辺りまで熱くなってきた。ちらり、と風早くんを見たらきょとんとした顔で私を見ている。あ、やっぱり変なこと言っちゃった……。
「もちろん、いつでも俺を頼ってください」
ふっと微笑まれた瞬間、心臓を掴まれたかと思った。あぁずっとお喋りしていたいな。なんて、いつまでもここにいたいけど、そうもいかず家に帰る時間はやってくる。「じゃあまた明日。学校でね」といつもとは違う挨拶をして私は家路に向かう。セミの声は大分少なくなっていた。
9月。日焼け自慢をする男子達や、お土産の交換をする女子達で教室は賑やかだった。登校する時、少しだけ風早くんを探したけど見つからなくて、隣の教室を通り過ぎる時、こっそり覗いたら窓際にある自分の席で静かに本を読んでいた。もちろん声なんてかけられなくて、心の中で『おはよう』って呟いた。その瞬間、ぱっと顔を上げた風早くんと目が合った。あ、見てたのバレちゃったと思う間もなく風早くんが笑って会釈をしてくれる。笑い返してみたけど、ちゃんと笑顔を作れていたかは分からない。
それからも、やっぱりクラスが違うと話しかけるタイミングはなくて、夏休みにあんなに一緒に過ごしていたのが嘘みたいに風早くんとは話せなくなってしまった。それでも、登下校の時とか、教室を移動する時とか、ついつい風早くんを探してしまう。彼だけは、鮮やかに色がついているみたいですぐに見つけられるから。
『今日も本読んでるなぁ』
風早くんの教室を通り過ぎる時はついゆっくりと歩いてしまうようになって数週間、私は相変わらず風早くんを探す。じっと見てると、視線に気付いた風早くんが顔を上げ私を探す。周りにバレないようにちょっとだけ手を振る挨拶。それが2人の合図みたいになっていた。
『でもやっぱりお話したいなぁ』
あのね、風早くんが好きだって教えてくれた本で書いた読書感想文、よく書けてるねって褒めてもらったよ。算数、教えてくれたから2学期の新しい勉強もつまずかずついていけてるよ。何よりも、リコーダーの発表上手にできたよ、って伝えたかった。
だから、その日の帰り道見慣れた青緑の髪が前を歩いているのに気付いて私は走り出していた。良かった、今日は帰りが1人で。良かった、今日はランドセルだけで。ガッチャガッチャとランドセルを揺らしながら私は風早くんを追いかける。
「か、かぜはやくーん!」
走りながらだから掠れた声だったけど、ちゃんと届いたようで風早くんが振り向いてくれる。あぁちゃんと正面から見るのは久しぶりだ。
「はぁ、はぁ、えっと、い……いっしょ、かえろ?」
肩で息をする私に「大丈夫ですか?」と声をかけてくれる。相変わらず優しくてそれだけで胸がいっぱいになる。大丈夫、大丈夫と2人で並んで歩き出す。あれだけ一緒にいたのに一緒に歩くのは初めてだと気付いた時、なんだかくすぐったい気持ちになった。
いざ話ができる、と思うとなぜか言葉は出てこなくて。あれ、夏休みはどうやって会話してたっけ。気を使って会話をしてくれる風早くんに申し訳なくなってしまう。この会話が終われば言うぞ、と何度も思っている内にあっという間に風早くんのお家に着いてしまった。
「あー……」
言えなかった。せっかく2人で話せるチャンスだったのに。がっかりしていると、キィと鉄格子が開く音がした。あれ、お家の方は鉄格子無いはずなのに。顔を上げると鉄格子を開けて礼拝堂へ続く道に風早くんが立っていた。
「寄っていきませんか?」
「え……?」
「俺もまだ、話し足りないと思っていたので」
時間が許せばですが、と風早くんは言うが、返事は決まってる。
「うん!あ、あのね風早くんに伝えたいことがあって」
「俺に?なんでしょうか」
「あのね、私ね……」
話したいことがたくさんある。ねぇ何から話そうかな。
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