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短編
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「……茨は私のこと好きですか?」
誰も残っていない事務所のオフィスで1人パソコンと向き合う彼氏の隣に座りそう問いかける。カタカタとキーボードを叩いていた手が一瞬止まるが、一瞬だけだった。カタカタと再びキーボードを鳴らしながら茨はめんどくさそうに言った。
「事務所では名前で呼ぶなと言ったはずですが」
「誰もいないもん」
相変わらず目も合わせてくれない横顔をじーっと見続ける。こっちを向けばいいのにと念じるがその目が私を見ることは無い。
「ねぇー私のこと好きー?」
懲りずにもう一度問いかける。今度は一瞬すらも止まらず返事をされた。
「面倒な質問をしてくるあなたは面倒なので嫌いですね」
あ、こいつ面倒って2回も言った。誰のせいだ誰の。
でも自分でも面倒なやつって分かっているし、こんな面倒な彼女ムーブを起こしたいわけでもない。こっちにも事情があるんだ。それについて話したかったのに、最近は茨を仕事に取られてて話す暇もなかった。そうこうしている内に近づくタイムリミット。もうなりふり構っていられない。
「ねぇー茨ぁー……キスして?」
「はぁ!?」
ようやくこっちを向いた茨の眉間には深く皺が刻まれていて、いつも上手に上げてる口角も歪で、「何言ってんだこいつ」って目をしていた。
「だってさーお付き合いしてるんだからさー……キスぐらいしてくれても……ね?」
月日だけが経ち、恋人、彼氏彼女、なんて言葉だけの関係で、キスすらもしていないのに、果たして私達は本当にそういう関係なんだろうか。お互い忙しいから、そんなの理由にならない。こうやって2人っきりになっても、茨は絶対に手を出してこないのだから。
「……はぁ~~~~」
体中の息を吐き出すんじゃないかと思う程長いため息をついた後、茨は人差し指で眼鏡をかけ直す。呆れられてるだろうか。こっちを見てほしいと思っていたのに、今はその目を向けられるのが少し怖い。
「あ、ちゃんと覚えてるよ?告白した時に茨から“お互いアイドルなのでお互いにとって不利益になるようなことはしませんが、それでもいいですか?”って言われたこと」
不利益になるようなこと……週刊誌を騒がせるようなこと、つまりは大っぴらにデートはしないとか、人前で親しくしないとか、ちゃんと守ってきた。同じ事務所に所属していても、関わることなんてほとんど無い関係なのだから、すれ違う時に挨拶をする程度の距離感をちゃんと保っていた。
でも2人になった時ぐらいいいじゃないか。
「でも、いつまで我慢したらいい?茨本当に私のこと好き?面倒なやつって思われるかもしれないけど、さすがに不安になるよ……」
私ばっかり好きみたい。既読無視しても、律儀に毎日おはようとおやすみの言葉はくれる茨。忙しい茨がそれをしてくれることが好かれている証拠だと思う。分かってる。でも今はどうしても茨とキスがしたい。
「……だったら、やめますか。この関係」
予想はしていたけどいざ言われると体が強ばる。茨にとっては私なんてやっぱりその程度の存在だったのかと思うと悲しくなってくる。
「やだ……茨と別れるのはやだ……ごめんなさい、でも……私は茨とキスしたい」
鼻の奥がツンとして、唇が勝手に震え出す。茨の姿がぼやけだして、瞬きをする度ぼろぼろ水滴が頬を伝う。ぼやけた視界の向こう側で、茨がもう一度ため息をついたのが見えた。
「ごめん……面倒なこと、言ってるのは……分かってる、んだけど、わ、私、最初は……茨が、いいから」
落ちる涙を拭った手でカバンを手繰り寄せる。茨がどんな顔をしているか知りたくなくて首をもたげたまま目当ての物を取り出した。何度も読んでしわくちゃになった台本。自分の名前が載っている大事な台本を、顔を隠すように茨に見せる。
「……キ、キスシーンが、あるの」
台本をもらった時から言いたかったことがやっと言えた。もらった時からずっと茨に相談したくて、でももしかしたら茨知ってるかな、何か言ってくるかな、なんてちょっと淡い期待もしたりして。茨と話せる時が来たら言おう言おうと思いながら言えなかった。
「最初は……茨がいい」
仕事だから、そういうことをするのは仕方がない。理解している。でも仕事の前に、好きな人とちゃんとしておきたい。
そう思って、茨に面倒なやつだと思われてもいいからとキスがしたいと伝えた。
今茨はどんな顔をしてるだろう。怒ってるだろうか、呆れてるだろうか。怖くて顔が見れない。でも、長い沈黙にも耐えられない。
「……い、いばら?」
そっと台本を下ろし茨の様子を伺うと、体をこっちへ向けながらも机に片肘をつき人差し指でおでこを支えていた。あ、これ機嫌が悪い時によくするポーズだ。
怒ってるのか。そんなくだらないことで?仕事だから我慢しろ?
「あ、あの、ごめ……」
「…………けど」
「え?」
「自分、そんな仕事があるって聞いてませんけど」
「え?」
もう一度別れ話が出る前にやっぱりなかったことにしてもらおうと謝るため口を開いたら茨がぼそっと呟いた。聞き取れなくて聞き返したら、不機嫌さを隠さない声音で一語一語強調するようにもう一度声を発してくれた。余計に怖い。
「あ、えっと、ごめんね、言うの遅くなって。あの、言おうとは思ってたんだけど」
「それ、あなたが出てる今クールの連ドラの台本ですよね?少女マンガが原作の」
「うん?そう」
「あんたの役にキスシーンは無かったと思いますが」
「あ、うん、あの、オリジナル演出で……原作者にも了解取ってるって」
「はぁ~~~~っ」
茨、少女マンガ読むのかな。原作には無いことよく知ってるな。
変な所に関心をしていたら何度目かの長いため息をつかれた。
「あなたに……タヌキに怒っているわけではありません」
「え、そう、なの?」
「えぇ。強いて言うなら、詰めの甘かった自分と言いますか」
「えぇっと、どういうこと?」
茨の言いたいことが分からず頭の上には?がたくさん並んでしまう。そんな私を見て、一瞬思案した茨が躊躇いつつ口を開いた。
「……タヌキには言っていませんでしたが」
「うん」
「あなたの仕事は大体把握しています」
「うぇっ?え、どういうこと?」
私は茨の担当アイドルではない。Edenのような人気も無いその他大勢の1人でしかない私に、副所長である茨が目をかけているなんてことがあればそれなりに噂にもなりそうだが、それもない。
「まぁ、方法は置いておくとして」
「えぇそこ知りたいんだけど」
「あなたの所属するユニットには変な仕事が回らないようにしています」
「へんな、しごと……」
「例を上げれば過度なグラビアだとか、深夜帯のバラエティだとか、良くない噂のあるラジオのゲストだとかですね」
「あぁ……」
言われてみれば、確かにそういった若手女性アイドルの登竜門!のような仕事はしたことがなく、地味な……良く言えば健全すぎるような仕事ばかりをやっている。深夜だが若手女性アイドルが出てSNSの話題によくなる番組に、呼ばれてみたいね、なんてユニット内で話していたこともあったのに、まさか茨が手を回していたなんて。
「……なんで?」
事務所の副所長としては、所属アイドルには有名になってもらいたいだろうに。分かっている。多分、そうだろうと思っているけど、ちゃんと茨の言葉で聞きたくて、つい言葉から出てしまった。
「言わないと分かりませんか?」
「……わかんない」
茨が、何度目か分からないため息をつく。期待を込めて茨を見れば、眼鏡の奥の瞳が真っ直ぐ見つめ返してくれる。ドキドキとうるさい心音が、茨に聞こえてしまうんじゃないかと心配になった。
「はぁ……あなたが心配だからですよ」
「……うん」
「ちゃんと自分のこと分かってるんですか?お願いと押しに弱くて、頼まれたら、困っているならとなんでも引き受けるあんたなんですから、気づいたら密室で男と2人っきり、なんてことが無いって言い切れます?」
「さすがにそこまでじゃ」
「言い切れます?」
「えっと……たぶん」
ほら見たことか、と言わんばかりにこれ見よがしなため息をつかれる。幸せ逃げちゃうよ、なんてちゃかしたら絶対怒られるから黙ってよう。
「心配なんで……これでも」
「う、うん……そっか、えへへありがと」
知らない所で守られていたんだということが分かって途端に嬉しくなってしまう。さっきまでの泣きそうだった気持ちが嘘のようで、今ならなんでもできそうな気分だ。
「今の撮影も、何も問題は無いだろうと思っていたんですが……まさかそんな改変をされるとは……」
茨はぶつぶつとあのプロデューサーは、だのこの脚本家は、だのと呟き始め(若干恨み節にも聞こえる)自分の思考に入ってしまった。
「あの……茨ぁ?」
私の声なんて届いていないのか、スマホを取り出してはトタタタと画面を叩いてはため息をつき、再び画面を叩いては眉間に皺を寄せ……を繰り返している。何してるんだろう、と顔を覗き込もうとした時、ぐわっと勢いよく振り向かれてしまった。
「あなたは」
「ひぇっはい!」
「あなたは、そのキスシーンに了承しているんですか?」
「え、あ、えっと……」
確かに原作改変だが話の流れ的にはおかしくもないし、ドラマの盛り上がり的にも有りだろうとは思う。それに正直な所ここで「できません」とゴネてめんどくさいアイドルだと思われたくない。注目もされるだろうし、せっかくのチャンスなんだからそれを掴みたい。
「だから、了承はしてるんだけど……」
だめかなぁ、と茨を見るとまだ何か言いたそうな顔をしていた。
「それで、自分とキスしなかったらその方が初めてのお相手になる、ということだったわけですが?よく考えたんですか?」
「それは……」
あわよくばついに茨とキスできるかも、と考えなかったこともない。こんなきっかけでもなければ茨は私に手を出さないだろうし……。今の流れからするとこれでも手を出されそうにないけど……。
というかさっきからお説教ばっかりでしてくれる気配がないんですけど。
あぁせっかく引っ込んだ涙がまた出てきそうで視界がぼやけてきた。
「言えば……茨、してくれる、かなって……思っちゃった……ごめんね、困らせて……。もう、言わないから……」
これ以上ここに居たら本当に茨に愛想を尽かされそうで怖くて立ち上がる。
明日のキスシーンどうしよう。茨としたかったな。経験無くても上手くできるかな。やっぱり無しにして下さい、なんて困るよね。大丈夫、これは仕事だもん。
「ちょっと」
「ごめんね、仕事の邪魔して。もう帰るから。あの、えっと、明日は、猫に舐められたとでも思いながら頑張るから」
その為にも帰って可愛い猫の動画でも探そう。イメージトレーニングだ、と茨に背を向けると「人の話聞け」と低い声が聞こえた。本格的に怒られると思うと同時に腕を引っ張られ、すっぽりと茨の腕の中に収まってしまった。
「え、え、な、なに」
「あんた」
「へぁっはいっ」
抱きすくめられ耳元で茨の声がする。その声は怒気を含んでるし、あんた呼びする時は大抵機嫌が悪い時だから蛇に睨まれた蛙のように縮こまってしまう。
なのにこんなに距離が近くなることもそんなになくて、不謹慎ながらも胸キュンの方でも心臓がドキドキしていた。ときめいてるなんて、ばれませんように。
「……本当にこのまま帰るつもりだったんですか?」
「え、うん……?」
………引き止めてくれたってことは、ちょっとは期待してもいいのかな。
いやでも相手は茨だ。バカなんじゃないですか?ってデコピンされるかもしれない。
「はぁーーーーーーーーーー。どこの馬の骨かも分からないようなやつに初めてを奪われるぐらいなら俺が先にしておきます」
「うん……うん?っえ!?茨キスしてくれるの!?」
「うるさい。耳元で騒ぐな」
「あ、ごめん……」
すぐには言葉が理解できなかったけど脳で処理できた瞬間思いの外大きな声が出てしまった。謝ってる間にゆっくりと茨が離れて行く。
嘘じゃないよね、と確認するように振り向けば茨は相変わらずの表情で眼鏡をかけ直していた。
「本当、に?」
「そもそも、しないとは言ってません」
「え、でもなんかしたくなさそうな顔してたよ」
「したくないとも言ってませんが」
「えぇ……」
今までのやり取りと私の涙はなんだったんだ。
「予定が狂いましたが、あんたの初めては俺が貰う、ということでいいですね?」
「は、はい……」
改めて言葉にされると照れるな……。
返事をしている内に茨が眼鏡を机に置いた。スローモーションに見えるそれを目げ追いながら、あ、私茨とキスするんだ、と頭の片隅で考える。
茨と、キス。
腰を引かれ、頬に手を沿えられる。ゆっくり近づいてくる茨の顔は、やっぱり美しいなと思った。
「…………まって、ちょっとまって」
「は?」
「まってまってまって。嬉しいよ?嬉しいんだけどね?茨とキスしたいんだけどね?でもちょっとまって!」
事もあろうか近づく茨を押し返してしまった。もちろんそれで茨がよろけたとかそんなことは無いけど、まさかここで制止されるとは思わなかったようで茨の声は不機嫌を隠していない。
「この期に及んでなんなんですか、あんたは。俺とキスしたいんじゃなかったのか」
「したいですしたいです!でもなんか、なんか……」
いざできるぞ、となって、腰に手を回されて、ほっぺも触られて、ってなんだか、とっても……。
「恥ずかしい!」
「はぁ?」
「無理~~~!」
あまりにも心臓が忙しくなってきてこのままじゃ茨に聞こえてしまうかもしれない、とじりじり後退りをすれば、呆れ顔の茨も一歩一歩と詰め寄ってくる。
「ひぇええちょっとまってぇ」
「待ってもいいですが……そんな状態で明日のキスシーンできるんですか?」
「え?……うわぁ無理かも。あわわわわ……」
猫に舐められたとでも思おうなんて浅はかなこと考えてごめんなさい。これはちょっと、いやとってもシチュエーションが恥ずかしすぎる。えぇみんなこんな恥ずかしいこと乗り越えてキスしてたの?あ、でも相手が茨だから恥ずかしくなってるだけで、あの相手役の子だったらここまで恥ずかしくないかも。それになんだかんだ言って仕事だし!
「ついでにキスシーンの上手い演じ方も教えてあげます」
「へぁ?っちかいちかい、茨近い!」
ぐるぐると考えている間に机と茨に挟まれてしまい逃げることも叶わなくなってしまっていた。
今更ながらキスをすることがとんでもなく恥ずかしく思えてしまい、されないように両手で茨を押し返す。そんな抵抗空しく、茨はじわじわ距離を詰めてくる。
「いいですか?」
「ひぇえぇ」
「キスする時は、絶対!に、口を閉じておいて下さい」
「へ……?えっと、目、じゃなくて?」
「まぁ目も閉じておいた方が良いとは思いますが、大事なのは口です」
「はぁ……」
マンガやドラマでは目を閉じていたから、閉じるなら目だと思っていたのに、口なんだ、へぇ……。
なんで、どうして、と思っている内に再び茨に引き寄せられる。恥ずかしい、けど……。
茨がキスをしてくれる、ということが、堪らなく嬉しかった。
「はぅっ……」
「……良い子です」
ぎゅっと目と口を閉じるとじわじわと茨が近づいてくる気配がした。無理無理無理無理無理無理…………!
柔らかい物が、ふにっと唇に触れる。神経が全て唇に集中しているかのように、そこだけがひどく熱く感じられた。
これが、キス……。
ただ唇と唇が触れただけなのに、未までに聞いたことがないほど心臓がどきどきと早鐘を打つ。付き合い始めて過度な接触は無く、誰にも知られない関係を不満に思ったことはないけれど、寂しいと感じることは何度かあった。そんな寂しさが、満たされていくような気がした。
私、茨と、キス、したんだ………。
茨が離れて行くと、余韻に浸るように無意識に唇を押さえてしまった。触れたそこはまだ茨の感触が残っているようだった。
「……どうでしたか、念願のキスは」
「え!?えっと、えぇっと……」
まさかそんな事を聞かれるとは思わなかったので何も言葉が浮かばない。
気持ち良かった?こんなもんなんだ?いや、よく分からない。レモンの味も特にしなかったな。なんてバカな事を考えてしまう。
でも、これだけは分かる。
「なんか、茨のこと、すごい好きだなぁって思った……」
素直な気持ちを吐露すると、盛大に眉間に皺を寄せ「はぁ?」と言われてしまった。あぁもう全然優しくない。
「もう。じゃあ茨は?茨はどう思ったの?」
「俺ですか?それはもちろん、貴方と同じですよ」
「え、えっと、それって、つまり……」
「言葉にしないと分かりませんか?」
不適に笑う茨がカッコ良くて、すぐには言葉が出なかった。
なんだ、茨私のことすごい好きじゃん。
まだ夢見心地で足も浮いちゃってるんじゃないかと思うほど心がぽわぽわしている。
「……これで明日の撮影も頑張れそう」
呟いた言葉が届いたのか、眼鏡をかけ直した茨の目が一瞬曇る。何か余計な事を言ったかな……。機嫌を損なわれたらイヤだなと声をかける前に茨の方が先に口を開いた。
「くれぐれも」
「え、はい」
「いいですか、くれぐれも、絶対に、口は、閉じたままで、お願いしますよ」
「は、はい!」
どすの効いた声で念押しされ茨の本気度が伝わってきた。キスをする時は口を閉じる、オッケー分かった。でも、とふと思う。開けたらどうなるんだろう。キスがしづらい、とか?
考えだしたら止まらなくなり、もやもやばかりが育ってしまう。
「……ねぇ茨、口開けたらどうなるの?」
それはただの純粋な疑問。どんな不都合があるんだろうと茨に聞いてみる。
茨は言おうかどうしようか迷っているようだったけど教えてくれた。
「とりあえず、舌を入れます」
と。
「へぁっ!?舌ぁ!?」
ぱっと口を押さえて口内で舌を動かしてしまう。
舌ってこの味覚を感じ取る部位のことだよね。ぐねぐねと軟らかく動くこれを、人の口の中に入れるの?
「そうです。この舌で、あなたの口内を蹂躙します」
「ひぇぇえぇっ」
これ見よがしに茨が舌を出しアピールをしてくる。されるわけでもないのに、その舌が自分の口内に入ってくるんじゃないかと思えてしまい慌てて両手で口を塞ぐ。
あんなのが、口に、入ってくると!?
なんでなんでなんのために?
キスだけでも心臓が飛び出るぐらい恥ずかしかったのに、舌を入れられた日には爆発するか心臓が止まってしまうんじゃないだろうか。
「……試してみますか?」
「ひぁぁあああっ!」
こいつ、絶対面白がってる!
「明日の相手がしてこないとは限りませんし、そんなことをされたら俺も面白くはないので」
「いやいやいやいや、大丈夫です。絶対口閉じとくし、なんなら歯も食いしばっておくし!」
一人狼狽える私を面白そうに眺めながらじりじりと茨が距離を詰めてくる。
なんでぇ!?キスするのにはあんなに時間かけたのに!涙を返せ!
「大丈夫だからぁ!無理無理無理無理心臓止まる!」
腰を捕まれ眼前に茨の顔が近づいてくる。待って、本当に待って!
「キスシーンの演じ方も教えてやると言ったでしょう。何事も経験です」
「いや、でもっ!」
明日は絶対口閉じておきますから!そんな、しししし舌とか、入れるシーンにはしませんから!
「口、開けろ」
「っあ、わっ……」
ぎゅっと目を閉じる前、最後の景色。茨が心底楽しげに笑っているのが見えた。
***
その後の撮影は、気合いを入れて乗り込んだのに、相手方の事務所NGが出てキスシーンは無しになった。それを茨に言うと、「練習する必要なかったですね」って事務的に返された。でも今後またあるかもしれないから、その時はまたよろしくね、とお願いすれば「いつでも付き合いますよ」って言ってくれたから、心臓を鍛えておこうと思う。
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