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短編
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「ねぇタヌキちゃん、こういった物はどこに行ったら見れるのかな」
「は?」
天祥院先輩に呼び止められ、少し見てほしい物がある、とスマホの画面を見せられた。そこには至って普通の、なんの変哲もない、丸い頭に首の長い扇風機が写っていた。
「えっと……家電量販店、とかですかね。スーパーとか、薬局とか、最近じゃ割とどこでも売ってますけど……」
扇風機を見たことが無い人間なんているんだろうか。否、天祥院先輩なら見たことがなくても不思議ではない。なぜ扇風機、という疑問は絶えないが売っている所を教えてあげた。
「はぁ……そういうことじゃないんだよ。さすがの僕だってコレが家電量販店にあることぐらいは知っているよ。行ったことはないけどね。いいかい?僕はね、コレが実際に使われている所を見たいんだ」
「はぁ……」
何かの役作りだろうか。市場調査?何にしてもこの季節はどこの家庭でも出てるだろう。……天祥院家には無いかもしれないが。
「えー……っと、寮で使ってる人はいないんですか?」
「さぁ、そこまでは把握していないな。とりあえず、僕たちの部屋には存在していないよ」
「そうですか」
24時間空調が管理されていそうな寮で使っている人はそんなにいないだろうし、いてもわざわざ扇風機使ってるぜ!なんて触れ回ったりもしないだろうから知らなくても無理は無いか。
「使ってそうな人に聞いてみたら……ほら、千秋先輩とか、持ってそうですよ」
「そうだね、千秋ならもしかしたら持っているかもしれない。でも持っていなかったら無駄足を踏むことになる。だからこうして確実に持っていそうな人に声をかけているんだけど」
察しが悪いなぁ、という顔で天祥院先輩が見てくる。なるほど、確実に持っていそうな人……
「え、私!?」
自分を指させば打って変わってにっこりとその綺麗なお顔で微笑んできた。つまり、私の部屋の扇風機を見せろと。なぜ。素直に疑問をぶつけたら「それは君が知る必要はないよ」とぴしゃりと言い放たれてしまった。これがこれから家に来たいとお願いしている人の態度だろうか。
「いや、すぐには無理ですよ」
「仕方がないね。君の都合の良い日に合わせるよ」
「えぇー来るの決定なんですかー……」
無理だのなんだの言っても天祥院先輩の中ではもう行くことが決定しているようだ。じゃあ今度持ってきますとも言えない代物で、そう逃げる事もできない。最終的に折れたのは私だ。
「分かりました……じゃあ、都合の良い日を確認したら連絡します」
「うん。楽しみにしているよ」
扇風機の何が楽しみなのかさっぱり分からないが、私は後日、家に天祥院先輩を招くことになってしまった。部屋はどれぐらい磨き上げていたらいいんだろう……。
***
「へぇ、ここがタヌキちゃんの部屋か」
「あの、あんまり見ないでくださいね……」
一人暮らしの広くはないワンルームにこれほど似つかわしくない人がいるだろうか。普段1人で羽を伸ばしている空間に、清潔感漂い良い匂いをまき散らす天祥院先輩がいるのは何かの間違いじゃないかと思う。
「はい、これが家で使ってる扇風機です」
窓際に置いてあるなんの変哲もない、ただの扇風機を天祥院先輩の近くへ移動させた。今日の目的はコレだ。
「ありがとう。へぇ……本当に風が来るんだね」
「まぁ、扇“風”機ですからね」
何が楽しいのか本当に何も分からないが、天祥院先輩は嬉々として扇風機のボタンを色々押している。その度にピッピッと忙しなく扇風機が鳴く。天祥院先輩が扇風機と遊んでいる間に、お茶でも入れようかと廊下に面した台所に立つ。お茶といっても麦茶だ。紅茶なんてものは無い。グラスや氷を準備しながら扇風機と戯れる天祥院先輩を見ると、ボタンをたくさん押すことが楽しい子どものような顔をしていた。
「お茶置いときますねー」
折り畳み式のちゃぶ台の上にグラスを並べる。扇風機は滅多にしない強風を送っていて、いつもより激しい音に扇風機もがんばっているようでおかしかった。
「あぁありがとうタヌキちゃん。ふふ、初めて触ったけど、楽しいね、扇風機」
「そう、ですか」
その笑顔に邪心があるとは思いたくなくて、本当にただ純粋に気兼ねなく扇風機に触りたかっただけなのかなと思った。うるさかった扇風機を弱にすると部屋の中が一気に静かになる。カラン、と氷の音を立てたグラスに天祥院先輩の手が伸びた。
「……先輩って、麦茶とか飲んだことあるんですか?」
「え、もちろんあるよ……あると思うけど」
「あ、考えちゃうレベルでしか飲んだことないんですね」
口に合うか心配だったが飲んだ後に天祥院先輩は「冷たくて美味しいよ」と言ってくれた。お世辞かもしれないが、安心した。
「それで、扇風機を触ってみてどうでした?満足です?」
「え……あぁ、うん。やっぱり実際に見て触るのでは違うね。単純な作りなのに風量調節が絶妙で興味深かったよ。それに、リズムという機能が面白いね」
「はぁ、なら良かったです」
天祥院先輩の役に立ったのなら、部屋にまで上げた甲斐があったというものだ。
「それに、一人暮らしの女性の部屋というのも一度見てみたかったしね」
「え……」
天祥院先輩の言葉に不安になり、今頃になって変なもの出しっぱなしじゃないよな、と部屋の中を確認する。見られて恥ずかしい物は、片づけたつもりだ。
「ふふ、タヌキちゃんらしい部屋だね」
「え、そう、ですか?」
恥ずかしいやらくすぐったいやらでどの辺が私らしいかは聞けなかった。「可愛らしい部屋」と言ってくれたので変なものは無いだろう、と思いたい。
「それでね、タヌキちゃん。ものはついでなのだけど」
天祥院先輩は一人暮らしをしている様子が知りたいと、あれこれ聞いてきた。ESでは一人暮らしをしている人はいないから、物珍しかったのかもしれない。狭い台所も、洗濯機と洗面台と脱衣所が入り交じってる場所も、かろうじて別になってるシャワーとバスタブも、「面白いね」とお気に召していた。
それから「もう少し一人暮らしの様子を感じたい」と言うのでベッドを背もたれに二人で並んで映画を見た。二人の間を扇風機の風だけが通っていく。エンドロールが流れ始めると、もう行かなくちゃと名残惜しそうに先輩は立ち上がった。
「今日はありがとう、タヌキちゃん」
「いえ、まぁ、役に立ったんなら、いいです」
「ふふ、そうだね。とても参考になったよ」
先輩はおかしそうに肩を揺すって笑う。扇風機、もしくは一人暮らしの何が参考になったのかはやっぱり分からないが、本人がそう言うならそうなんだろう。
「また来てもいいかな」
「え、はぁ、まぁ、いいですけど……扇風機買った方が早いと思いますよ?」
「……そうだね、それも……考慮しておくよ」
すぐそこに車が来ているから、と玄関で別れを告げる。ガチャン、と音をたてて閉まった扉がいつもより重く感じた。再生が終わったテレビからはニュースが流れてて、ちゃぶ台の上には空っぽのグラスが二つ。遊ぶ相手がいなくなった扇風機が、寂しそうに風を送ってきた。いつものように一人になった部屋は、なぜだかとても広く感じられた。
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