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短編
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※名前有りの犬が出ます
予定が無くなってしまった夕方。彼女はどうしてるだろうと電話をかけた。しばらくは会えないと伝えていたから、会えるかもしれないと言えば喜んでくれるだろうか。
「あ、タヌキちゃん?今から会いに行ってもいいかな」
『え、今からですか?えーっともうすぐ着いちゃう感じです?』
「そうだね、あと十分もあれば着く場所にいるんだけど……もしかして都合が悪いのかな」
『いえ、そういうわけでは……んー、そっか。はい、待ってます』
「そう?じゃあ後でね」
『はい』
歯切れ悪く彼女との通話は終わった。何か予定があったのだろうか。もしそうなら悪いことをした。どうやら約束無く会えることに喜んでいたのは僕だけだったようだ。顔を見たら帰ってしまおうか。もやもやする胸の奥に気づかないふりをしながらタヌキちゃん家へ向かった。
「英智さんこんにちはぁ。お仕事終わったんですか?」
「あ……うん、予定していたものが無くなってしまってね。それでタヌキちゃんに会いにきたんだけど」
「ふふっ嬉しい」
電話の時と裏腹に、インターホンを鳴らしすぐに出迎えてくれた彼女はご機嫌だった。顔を見たらすぐに帰るつもりだったのに、笑顔でどうぞどうぞと招き入れられてしまい僕のほうが挙動不審になる。思っていたのと違う。寝起きだったんだろうか、持ち帰りの仕事でもしていたんだろうか。思いを巡らせても答えは見つからない。もういっそ理由は分からなくても電話のことを謝ろうかと部屋に入った時、ソファの隣に見慣れないものを見つけた。
「……犬、がいる」
見慣れない丸いクッションの上に、体を丸めた見慣れない茶色い犬がいた。僕の声に反応したのか、犬はピクッと耳を動かし顔を上げる。
「マロちゃんお待たせー。お散歩行こうねー」
その犬の横に腰を下ろしたタヌキちゃんが甘く優しい声をかけた。頭を撫でられた犬、マロちゃんと呼ばれたその犬は嬉しそうに鼻をすり付けている。犬……飼ってたっけ?
「あ、マロちゃん、お隣さん家の子なんですけど、今日はちょっと外に出る用事で遅くなるから散歩だけさせてくれって頼まれたんです」
疑問を口にせずとも顔に出ていたんだろう。マロちゃんを撫でながらタヌキちゃんが教えてくれた。その間も手は止めず、頭や首元を撫でていて、マロちゃんも満更ではない顔をしていた。
「へぇ、人懐っこい子なのかな。ふふ、僕も撫でていいかな」
正直、僕よりも犬の方に優しく接するタヌキちゃんを見て面白くはなかった。久しぶりに会えた恋人にもそれぐらい甘い声を出してくれても良いんじゃないかい?タヌキちゃんの横に座り、首元へ手をやれば……もふ、と毛の海へ吸い込まれていった。……うん、これは少し気持ち良い。
「マロちゃん、英智さんだよー」
「電話でノリが悪かったのはこの子がいたからかな?」
「あ、そうなんです。ごめんなさい。丁度お散歩行こうかなって思ってた時で……でも良かった入れ違いにならなくて。あの、せっかくなんで英智さん、一緒に行きませんか?」
上目遣いでおねだりされれば断る理由なんて無い。
「もちろん、いいよ。行こうか」
よかった、と立ち上がったタヌキちゃんがリードの準備を始める。いつも使っている物が目に入ったからか、マロちゃんも体を起こして伸びをした。まるで準備運動のようだ。口元から出しっぱなしの舌がなんとも可愛らしい。タヌキちゃんが虜になるのも分からないでもないな、とマロちゃんの顔をじっくり見つめると、目の上の色の違う部分が眉毛に見えないこともない。なるほど、だからマロちゃんか。
「それじゃあお散歩行こうか」
首輪にリードをつけられたマロちゃんがタヌキちゃんを元気良く引っ張った。
「ふふっ英智さんと犬の散歩なんて変な感じ」
「そうだね。僕も新鮮で楽しいよ」
タヌキちゃんと並んで歩く前には、尻尾を丸め上げふりふりとお尻を振って歩くマロちゃん。犬付きのお散歩デートは、いつも以上にゆったりと時間が流れているようだ。
「マロちゃん可愛いなぁ」
「自分では飼わないのかい?」
「うーん、仕事の時一人で長時間留守番させるのかわいそうなんで……今はいいかなぁ」
「……そうだね。一人っきりだと寂しいかもしれないね」
他愛もない会話をしながらのんびりと歩いて行く。マロちゃんは僕らの会話に興味を示さず、外に出れたことが嬉しいのか、ご機嫌に歩いている。
「英智さん、今日はもうお仕事ないんですか?」
「うん、予定が全部キャンセルされたからね」
「そっかー……じゃあ、ゆっくり、できます?」
「ふふ、ゆっくりしていっていいのかい?」
「もちろんですよー」
そんなことで喜ぶタヌキちゃんが可愛くて、空いていた左手に手を絡めた。一瞬瞳を大きく開いたけれど、それもすぐに笑顔に変わる。両手が塞がり歩きづらそうな彼女の右手からリードを貰えば、僕たちの間には穏やかな時間が流れていた。
ゆっくり、の言葉通り、犬の散歩が終わっても二人(と一匹)で部屋で過ごし、一緒に料理も作った。野菜を切ったり皮を剥いたり、慣れてはいないけど依然よりは上手になったと自分でも思う。シャワーも浴びて、タヌキちゃんの家に置いている自分のルームウェアに袖を通せば、この空間は僕がリラックスしてもいいのだと実感ができる。但し今日は招かれざる客(犬)がいる。
確かに犬……マロちゃんは可愛い。一緒に散歩をしている時なんて、毎日こんな時間があっても良いとさえ思った。だけど料理をしている時も、食事をしている時も、可愛らしくタヌキちゃんの周りをウロウロし「マロちゃん、ご主人さまと離れて寂しいね~」なんて同情を誘い甘い声と暖かな手を施してもらうのはずるいと思ってしまった。
「じゃあ英智さん、私お風呂入ってきますね。マロちゃんのお迎えまだだとは思うんですけど……」
「大丈夫だよ。もし来ても荷物は全部渡しておくから」
玄関には既に玩具やおやつ、リード等マロちゃんのグッズを忘れないように用意している。あとはマロちゃん用のクッションとマロちゃん本人さえ忘れなければいい。ゆっくりしておいで、とタヌキちゃんをお風呂に送りだすと甘える相手のいなくなったマロちゃんがはふぅとため息をついた。
「ため息をつきたいのはこっちだよ。確かに君は可愛らしいけれど、タヌキちゃんは僕の恋人なんだからね」
じっと僕を見てくるマロちゃんに話かければ何を思ったのか、マロちゃんはソファに飛び乗り僕の膝に頭を置く。
「なんだい?僕に撫でてほしいのかい?僕はタヌキちゃんほど甘やかさないよ」
とは言いつつもふもふした体に手をやれば、つい何度も何度も撫でてしまう。ふさふさの毛の下にはもちもちした肌がある。
「ふふ、君は温かいね」
冬場は湯たんぽ代わりに良いかもしれない。マロちゃんは返事の代わりにまたため息をついていた。
「あぁ!マロちゃんがいないっ!」
髪を乾かす時間も惜しかったのか、お風呂から上がったタヌキちゃんは珍しくタオルをかけたままだった。
「残念ながら、十分ぐらい前に帰ってしまったよ」
「あー……いいもんいいもん。また今度お隣さんにおじゃまするもん」
ふてくされたタヌキちゃんが勢いよくソファに座りスプリングが軋んだ。その拍子に髪の毛から水滴が跳ぶ。
「急いでいても髪は乾かさないとダメだよ」
「マロちゃんのために急いで出てきたのに……」
マロちゃん用のクッションがあった場所を見てももうそこには何も無い。乱暴に髪の毛を拭くタヌキちゃんの肩に頭を置けば、動きづらくなったのか困惑の声がした。
「……英智さん?」
「僕のために、っては言ってくれないのかなって思ってね」
「え……えっ……?」
「ふふ、冗談だよ。ねぇタヌキちゃん、犬、飼おうか」
「え、え、えっと、え、どこで、ですか?」
「そうだね……タヌキちゃんが仕事を辞めて、僕と一緒に暮らすようになったら、かな」
「へぇー……え……えぇっ!?……え、っとー、あ、私、あの髪乾かしてきますね……」
タオルを深く頭に被り直したけれど、隙間から見えた顔は赤く染まっていた。また犬を交えて一緒に散歩する日がそう遠くなければいいのに、と僕は思った。
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