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短編
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※数年未来ぐらいの話
「君の助手席に乗りたいな♪」
可愛い彼女が運転免許を取ったと言うならそう思うのは当たり前だろう。二つ返事で「いいよ!」「どこ行こうか」なんて笑顔が返ってくると思ったのに、タヌキちゃんはこの世の終わりのような顔をして言った。
「あの……生命保険には入っていますよね」
その言葉はドライブデートを約束する彼女が言う言葉ではないよね。
君のためなら車も用意するよ、と言ったのにタヌキちゃんは頑なに首を振った。
「最悪ポシャっても気にならない、なんとかなる車じゃないと運転できません」
一体どんな車で来るのかとちょっとだけわくわくしながら待ち合わせ場所に向かえば、よく見かける小じんまりとした車だった。
「親から借りてきました。あのまぁ、ちょっと色々言われましたけど。っていうか英智さんをこんな車に乗せるのイヤなんですけど!」
シートベルトを締めながらタヌキちゃんがなんやかんやと言い訳めいた言葉を並べる。運転しやすいようにだろか。いつもより簡素にまとめられた髪とか、滅多に見ないパンツスタイルだとか、ヒールの無い靴だとか、普段と違う姿が新鮮で可愛い。
「君の運転する隣に乗れるなんて僕は幸せ者だな♪」
「お抱え運転手持ちの人が何言ってるんですかー、もー。狭くてもちゃんとシートベルトしてくださいねー」
「狭い分君との距離が近くて嬉しいんだけどな」
言われた通りシートベルトをすれば、確かに今まで感じたことのない窮屈感があった。なるほど、市井の人達はいつもこんな感じなのか。
「よし。じゃあ目的地は海岸沿いのカフェでいいんですね?」
「うん、予約した時間には余裕もあるし、ゆっくりでも構わないからね」
タヌキちゃんはスマホを見ながら一生懸命目的地を入力している。便利な世の中になったけど、なんだか味気が無いなぁ。
「ね、僕がナビしようか?」
「え゛!?」
「そっちの方がドライブデートっぽくない?」
有無を言わさずその手からスマホを取ればようやくタヌキちゃんは僕の方を見てくれる。その顔は「何言ってんだこの人」と訴えていたけど気づかないふりをした。
「大丈夫、ナビぐらい僕にだってできるよ」
自分のスマホに目的地を入力し、音源はオフにする。これでタヌキちゃんの頼みの綱は僕だけになったわけだ。
「タヌキちゃん、車線変更しておいた方が良いよ」
「はっ?え?車線変更!?」
「次の信号は右だからね」
「信号……信号?これっ!?」
「うぅん、次だよ」
「つぎぃ!?」
早めに声をかけた方が良いかと思い、信号を通り過ぎる直前に伝えればちゃんと伝わらず勘違いをしたタヌキちゃんが大きな声をあげる。「次が右次が右」と呪文のように呟くタヌキちゃんはハンドルをしっかりと握りしめ、脇目も振らずに集中している。
「あ、右に曲がったら次は1つめの信号を左に曲がってね」
「はぇっ!?1つめ?!」
「うん、1つめ……それだね」
「これっ!?」
「あぁ通り過ぎちゃったね」
「あぁああ…………」
「ふふっ、大丈夫だよ。すぐに違う経路を表示してくれるから」
数秒もすればスマホに新しい道順が表示される。それをタヌキちゃんに伝えればいつも以上に元気な声が返ってくる。一生懸命で余裕がないんだろうけど、そんなタヌキちゃんを可愛いと思うし、僕の声を頼りにしているというのがとても嬉しかった。
なんて考えていたのは僕だけのようで、ドライブデートを始めて20分程でタヌキちゃんが叫んだ。
「タイム!」
「えっなに?どうしたんだいタヌキちゃん……」
一際大きな声を出したかと思うとタヌキちゃんは勝手にコンビニに入り車を止めた。ハンドルにもたれるように「ふー」と大きなため息をついたかと思えばがばっと勢い良く体を起こす。
「スマホ、返してください」
キッと僕を睨みながらさっきまでハンドルを握っていた手を差し出してくる。力が入りすぎていたのか、その手はうっすらと白かった。
「自分で確認しながら運転したいです」
「……僕のナビは頼りなかったかい?」
少なからずショックを受けタヌキちゃんを見れば静かに首を振り違うと言う。じゃあどうして?
「……なるんです」
「うん?」
「英智さんの声が気になって集中できないんです!」
言い切ったタヌキちゃんの顔はみるみるうちに紅潮していき、その紅が指先にまで伝わっていく。白かった手は血色を取り戻しわずかに震えていた。今このタイミングで可愛い、なんて言えば「降りろ」と言われかねないだろうから仕方なくその言葉は飲み込んだ。
「それは……困った、ね。そうか、じゃあ、はい」
「……ありがとうございます」
その手の平にスマホを乗せれば再び画面を見ながら操作をする。耳まで真っ赤になっていて、気づいたら手を伸ばしていた。
「だめですよ」
でもその手は届く前に彼女の強い言葉によって阻止される。
「だめですからね。運転中は絶対!お触り禁止ですからね!」
「……今は運転していないと思うんだけど」
「だめです。運転席にいる時は触らないで下さい」
「つれないなぁ……」
ナビ役も無くなり、手持ち無沙汰になった僕の行動を予想して牽制されたようだ。運転に集中したいということなんだろうけど、多少は僕にも構ってもらいたい。
「よし。じゃあ後30分程でつく予定なんで!大人しくしてて下さいね!」
スマホをドリンクホルダーにセットしタヌキちゃんは体勢を直す。じっと僕を睨んだままでいるので安心させるために両手を上げた。
「分かった。触らないよ。約束する」
絶対ですよ、の声と共にエンジンの掛かる音がした。そして車はゆっくりと走り出す。
『50メートル先、左、です。その先、道なり、です』
どれぐらい走っただろうか。車内に音声ガイドが流れるだけで、せっかくの2人っきりの空間だというのになんともつまらない。
「ねぇタヌキちゃん、そういえばね」
時折話しかければ、彼女からの返事は「うん」「へぇ」と気が抜けたもので聞いているのだか聞いていないのかも分からない。いつもタイミングよく打ってくれる相槌も、もっと聞きたいと輝かせてくれる瞳も今は無い。まぁ、これはこれでちょっと面白いんだけど。
「それでね、その時渉が」
懲りずに何度も話かけ、彼女の気のない返事を楽しんでいたけれど、楽しんでいたのは僕だけだったようでタヌキちゃんは再び叫んだ。
「もー!」
「えっ今度はどうしたんだい、タヌキちゃん」
「英智さんちょっと黙ってて!」
車を停めることなく、でも僕の方を見ることもなく、タヌキちゃんは前方を真っ直ぐ見ながら怒っている。速度が上がったのは気のせいだろうか。
「声も気になるし、話の内容も気になっちゃうし、っていうか普通に気が散るからもう英智さん黙ってて!」
話しかけるのもだめなのかい?と思ったけど過ぎ去る景色が速くなったのは気のせいじゃない。一瞬、『生命保険には入っていますよね』と言ったタヌキちゃんの言葉が脳を横切り身の危険を感じた。
「わ、わかった。うん、そうだね。もう話かけないからその……減速した方が良いんじゃないかな」
道案内をすることも無くなり、話しかけることすら禁止され、本格的に手持ち無沙汰になってしまった。流れる景色は市街地から海岸沿いへと変わって行き、目的地がもう少しなことを知らせてくれる。相変わらずタヌキちゃんはちっとも僕を見てくれない。
「や、やっと着いたぁ……」
満身創痍といったようによろよろとタヌキちゃんが車から降りてくる。運転をした事は無いけれどそんなに疲れるものなんだろうか。もっと運転手を労った方がいいのかな。
「お疲れさま、タヌキちゃん。まだ時間には余裕があるね。少し海の方を歩いてみようか」
「ぅえ、あ、はいっ」
手を差し出せば大人しくそこに重ねてくれる。
「ふふっようやく触れた」
「えぁ、あー……あー……」
少しだけどお預けをくらった分、嬉しくなって握る手に力を込める。するとタヌキちゃんもぎゅっと握ってくれた。驚いて彼女を見れば赤くなった顔がすぐに砂浜へと向けられる。
「大丈夫?タヌキちゃん、疲れていないかい?」
「あーはい、だいじょうぶです」
「あそこのカフェはパンケーキが有名なんだって。楽しみだね」
「あーそうなん、ですねー」
俯くタヌキちゃんを連れ砂浜に足跡をつけているけれど、彼女の返事は生気が無い。まだ車を運転している気分なんだろうか。それとも本当は気疲れを起こしているんだろうか。
「タヌキちゃん、本当に大丈夫かい?疲れているなら迎えを」
「大丈夫です!お気遣いなく!」
「え、でも……」
「いえ!ほんと!大丈夫!なんです、けど、あの、ちょっと……」
繋いでいた手も離され、ちょっとずつ距離を取られる。何か、気に障ることを言っただろうか。思い返しても、思い当たらない。いや、運転中に話かけ続けたことぐらいしか思いつかない。……もしかして、楽しんでいたのがバレてしまっただろうか。
「英智さん、ごめんなさい!」
「え?」
「運転中ちょっと、いや、大分?失礼なこといっぱい言っちゃって……なんか、すごい、自分でも分かるほど機嫌悪かったから、あの、英智さん、その、呆れてないかなって……呆れましたよね」
「そんなことは……」
「運転、慣れてないけど英智さんとドライブデートだーとか、うかれちゃって、ナビもすごい、声が良いとか思っちゃって、話も本当は聞きたいけど、うっかりで事故ったらシャレにならないし……あの、本当にごめんなさい!」
僕が言葉を発するより早くタヌキちゃんはまくし立てる。……タヌキちゃんもうかれていたのか。無理矢理気味に誘った自覚はあったから、その一言で嬉しくなる自分がいた。
「ふ……あははっそんな事考えながら運転してたのかい?」
「うぅ考えないようにしてたんですけど、英智さんの声が聞こえたら邪な思いが出てきちゃって……。それに……」
「それに?」
「黙っててって言ってから本当になんにも話してくれなくなっちゃったから、英智さん、怒ったかと思って……」
あぁなんだ、そんなこと。もちろん怒ってもいないし呆れてもいない。むしろ普段と違い僕を睨んでくるタヌキちゃんだとか、僕を怒ってくるタヌキちゃんだとかが新鮮で楽しかったよ。と伝えれば僕の方が呆れられそうだ。
「ふふっ怒ってなんかいないさ」
「……でも」
「静かにしていたのはね、あれ以上君の邪魔をしないようにしようと思ったんだ。それに」
今度はタヌキちゃんが「それに?」と首を傾げる。
「君が真剣な顔で運転をする姿に見惚れていたから道中もとても楽しかったよ♪」
「へぇー……え?え!?見てたんですか?ずっと!?」
「うん♪」
あんなに熱い視線を送っていたというのにタヌキちゃんは気づかなかったようだ。音声ガイドを真剣に聞いているのも、赤信号で止まる時に軽く息を吐いているのも、左折する時にちょっとだけ前のめりになるのも、僕は全部見ていたのにね。
「あ、そろそろ予約の時間になるね。行こうか」
何か言いたげな彼女の手を取って足跡を辿り戻る。来た時とは違い、タヌキちゃんはずっと僕を見上げていた。
「まさか、今度は見るのも禁止、とは言わないだろうね」
「いっ、言いたいです……」
「さすがにそのお願いは聞けないなぁ。帰りも楽しみにしているからね、タヌキちゃん」
「うぐぅ……」
きっと彼女はパンケーキの味なんて覚えてないだろう。それどころか何を頼んだのかすら忘れているかもしれない。タヌキちゃんが覚えておけるようになるまで僕は何度も誘うだろう。「君の助手席に乗りたいな♪」って。
「君の助手席に乗りたいな♪」
可愛い彼女が運転免許を取ったと言うならそう思うのは当たり前だろう。二つ返事で「いいよ!」「どこ行こうか」なんて笑顔が返ってくると思ったのに、タヌキちゃんはこの世の終わりのような顔をして言った。
「あの……生命保険には入っていますよね」
その言葉はドライブデートを約束する彼女が言う言葉ではないよね。
君のためなら車も用意するよ、と言ったのにタヌキちゃんは頑なに首を振った。
「最悪ポシャっても気にならない、なんとかなる車じゃないと運転できません」
一体どんな車で来るのかとちょっとだけわくわくしながら待ち合わせ場所に向かえば、よく見かける小じんまりとした車だった。
「親から借りてきました。あのまぁ、ちょっと色々言われましたけど。っていうか英智さんをこんな車に乗せるのイヤなんですけど!」
シートベルトを締めながらタヌキちゃんがなんやかんやと言い訳めいた言葉を並べる。運転しやすいようにだろか。いつもより簡素にまとめられた髪とか、滅多に見ないパンツスタイルだとか、ヒールの無い靴だとか、普段と違う姿が新鮮で可愛い。
「君の運転する隣に乗れるなんて僕は幸せ者だな♪」
「お抱え運転手持ちの人が何言ってるんですかー、もー。狭くてもちゃんとシートベルトしてくださいねー」
「狭い分君との距離が近くて嬉しいんだけどな」
言われた通りシートベルトをすれば、確かに今まで感じたことのない窮屈感があった。なるほど、市井の人達はいつもこんな感じなのか。
「よし。じゃあ目的地は海岸沿いのカフェでいいんですね?」
「うん、予約した時間には余裕もあるし、ゆっくりでも構わないからね」
タヌキちゃんはスマホを見ながら一生懸命目的地を入力している。便利な世の中になったけど、なんだか味気が無いなぁ。
「ね、僕がナビしようか?」
「え゛!?」
「そっちの方がドライブデートっぽくない?」
有無を言わさずその手からスマホを取ればようやくタヌキちゃんは僕の方を見てくれる。その顔は「何言ってんだこの人」と訴えていたけど気づかないふりをした。
「大丈夫、ナビぐらい僕にだってできるよ」
自分のスマホに目的地を入力し、音源はオフにする。これでタヌキちゃんの頼みの綱は僕だけになったわけだ。
「タヌキちゃん、車線変更しておいた方が良いよ」
「はっ?え?車線変更!?」
「次の信号は右だからね」
「信号……信号?これっ!?」
「うぅん、次だよ」
「つぎぃ!?」
早めに声をかけた方が良いかと思い、信号を通り過ぎる直前に伝えればちゃんと伝わらず勘違いをしたタヌキちゃんが大きな声をあげる。「次が右次が右」と呪文のように呟くタヌキちゃんはハンドルをしっかりと握りしめ、脇目も振らずに集中している。
「あ、右に曲がったら次は1つめの信号を左に曲がってね」
「はぇっ!?1つめ?!」
「うん、1つめ……それだね」
「これっ!?」
「あぁ通り過ぎちゃったね」
「あぁああ…………」
「ふふっ、大丈夫だよ。すぐに違う経路を表示してくれるから」
数秒もすればスマホに新しい道順が表示される。それをタヌキちゃんに伝えればいつも以上に元気な声が返ってくる。一生懸命で余裕がないんだろうけど、そんなタヌキちゃんを可愛いと思うし、僕の声を頼りにしているというのがとても嬉しかった。
なんて考えていたのは僕だけのようで、ドライブデートを始めて20分程でタヌキちゃんが叫んだ。
「タイム!」
「えっなに?どうしたんだいタヌキちゃん……」
一際大きな声を出したかと思うとタヌキちゃんは勝手にコンビニに入り車を止めた。ハンドルにもたれるように「ふー」と大きなため息をついたかと思えばがばっと勢い良く体を起こす。
「スマホ、返してください」
キッと僕を睨みながらさっきまでハンドルを握っていた手を差し出してくる。力が入りすぎていたのか、その手はうっすらと白かった。
「自分で確認しながら運転したいです」
「……僕のナビは頼りなかったかい?」
少なからずショックを受けタヌキちゃんを見れば静かに首を振り違うと言う。じゃあどうして?
「……なるんです」
「うん?」
「英智さんの声が気になって集中できないんです!」
言い切ったタヌキちゃんの顔はみるみるうちに紅潮していき、その紅が指先にまで伝わっていく。白かった手は血色を取り戻しわずかに震えていた。今このタイミングで可愛い、なんて言えば「降りろ」と言われかねないだろうから仕方なくその言葉は飲み込んだ。
「それは……困った、ね。そうか、じゃあ、はい」
「……ありがとうございます」
その手の平にスマホを乗せれば再び画面を見ながら操作をする。耳まで真っ赤になっていて、気づいたら手を伸ばしていた。
「だめですよ」
でもその手は届く前に彼女の強い言葉によって阻止される。
「だめですからね。運転中は絶対!お触り禁止ですからね!」
「……今は運転していないと思うんだけど」
「だめです。運転席にいる時は触らないで下さい」
「つれないなぁ……」
ナビ役も無くなり、手持ち無沙汰になった僕の行動を予想して牽制されたようだ。運転に集中したいということなんだろうけど、多少は僕にも構ってもらいたい。
「よし。じゃあ後30分程でつく予定なんで!大人しくしてて下さいね!」
スマホをドリンクホルダーにセットしタヌキちゃんは体勢を直す。じっと僕を睨んだままでいるので安心させるために両手を上げた。
「分かった。触らないよ。約束する」
絶対ですよ、の声と共にエンジンの掛かる音がした。そして車はゆっくりと走り出す。
『50メートル先、左、です。その先、道なり、です』
どれぐらい走っただろうか。車内に音声ガイドが流れるだけで、せっかくの2人っきりの空間だというのになんともつまらない。
「ねぇタヌキちゃん、そういえばね」
時折話しかければ、彼女からの返事は「うん」「へぇ」と気が抜けたもので聞いているのだか聞いていないのかも分からない。いつもタイミングよく打ってくれる相槌も、もっと聞きたいと輝かせてくれる瞳も今は無い。まぁ、これはこれでちょっと面白いんだけど。
「それでね、その時渉が」
懲りずに何度も話かけ、彼女の気のない返事を楽しんでいたけれど、楽しんでいたのは僕だけだったようでタヌキちゃんは再び叫んだ。
「もー!」
「えっ今度はどうしたんだい、タヌキちゃん」
「英智さんちょっと黙ってて!」
車を停めることなく、でも僕の方を見ることもなく、タヌキちゃんは前方を真っ直ぐ見ながら怒っている。速度が上がったのは気のせいだろうか。
「声も気になるし、話の内容も気になっちゃうし、っていうか普通に気が散るからもう英智さん黙ってて!」
話しかけるのもだめなのかい?と思ったけど過ぎ去る景色が速くなったのは気のせいじゃない。一瞬、『生命保険には入っていますよね』と言ったタヌキちゃんの言葉が脳を横切り身の危険を感じた。
「わ、わかった。うん、そうだね。もう話かけないからその……減速した方が良いんじゃないかな」
道案内をすることも無くなり、話しかけることすら禁止され、本格的に手持ち無沙汰になってしまった。流れる景色は市街地から海岸沿いへと変わって行き、目的地がもう少しなことを知らせてくれる。相変わらずタヌキちゃんはちっとも僕を見てくれない。
「や、やっと着いたぁ……」
満身創痍といったようによろよろとタヌキちゃんが車から降りてくる。運転をした事は無いけれどそんなに疲れるものなんだろうか。もっと運転手を労った方がいいのかな。
「お疲れさま、タヌキちゃん。まだ時間には余裕があるね。少し海の方を歩いてみようか」
「ぅえ、あ、はいっ」
手を差し出せば大人しくそこに重ねてくれる。
「ふふっようやく触れた」
「えぁ、あー……あー……」
少しだけどお預けをくらった分、嬉しくなって握る手に力を込める。するとタヌキちゃんもぎゅっと握ってくれた。驚いて彼女を見れば赤くなった顔がすぐに砂浜へと向けられる。
「大丈夫?タヌキちゃん、疲れていないかい?」
「あーはい、だいじょうぶです」
「あそこのカフェはパンケーキが有名なんだって。楽しみだね」
「あーそうなん、ですねー」
俯くタヌキちゃんを連れ砂浜に足跡をつけているけれど、彼女の返事は生気が無い。まだ車を運転している気分なんだろうか。それとも本当は気疲れを起こしているんだろうか。
「タヌキちゃん、本当に大丈夫かい?疲れているなら迎えを」
「大丈夫です!お気遣いなく!」
「え、でも……」
「いえ!ほんと!大丈夫!なんです、けど、あの、ちょっと……」
繋いでいた手も離され、ちょっとずつ距離を取られる。何か、気に障ることを言っただろうか。思い返しても、思い当たらない。いや、運転中に話かけ続けたことぐらいしか思いつかない。……もしかして、楽しんでいたのがバレてしまっただろうか。
「英智さん、ごめんなさい!」
「え?」
「運転中ちょっと、いや、大分?失礼なこといっぱい言っちゃって……なんか、すごい、自分でも分かるほど機嫌悪かったから、あの、英智さん、その、呆れてないかなって……呆れましたよね」
「そんなことは……」
「運転、慣れてないけど英智さんとドライブデートだーとか、うかれちゃって、ナビもすごい、声が良いとか思っちゃって、話も本当は聞きたいけど、うっかりで事故ったらシャレにならないし……あの、本当にごめんなさい!」
僕が言葉を発するより早くタヌキちゃんはまくし立てる。……タヌキちゃんもうかれていたのか。無理矢理気味に誘った自覚はあったから、その一言で嬉しくなる自分がいた。
「ふ……あははっそんな事考えながら運転してたのかい?」
「うぅ考えないようにしてたんですけど、英智さんの声が聞こえたら邪な思いが出てきちゃって……。それに……」
「それに?」
「黙っててって言ってから本当になんにも話してくれなくなっちゃったから、英智さん、怒ったかと思って……」
あぁなんだ、そんなこと。もちろん怒ってもいないし呆れてもいない。むしろ普段と違い僕を睨んでくるタヌキちゃんだとか、僕を怒ってくるタヌキちゃんだとかが新鮮で楽しかったよ。と伝えれば僕の方が呆れられそうだ。
「ふふっ怒ってなんかいないさ」
「……でも」
「静かにしていたのはね、あれ以上君の邪魔をしないようにしようと思ったんだ。それに」
今度はタヌキちゃんが「それに?」と首を傾げる。
「君が真剣な顔で運転をする姿に見惚れていたから道中もとても楽しかったよ♪」
「へぇー……え?え!?見てたんですか?ずっと!?」
「うん♪」
あんなに熱い視線を送っていたというのにタヌキちゃんは気づかなかったようだ。音声ガイドを真剣に聞いているのも、赤信号で止まる時に軽く息を吐いているのも、左折する時にちょっとだけ前のめりになるのも、僕は全部見ていたのにね。
「あ、そろそろ予約の時間になるね。行こうか」
何か言いたげな彼女の手を取って足跡を辿り戻る。来た時とは違い、タヌキちゃんはずっと僕を見上げていた。
「まさか、今度は見るのも禁止、とは言わないだろうね」
「いっ、言いたいです……」
「さすがにそのお願いは聞けないなぁ。帰りも楽しみにしているからね、タヌキちゃん」
「うぐぅ……」
きっと彼女はパンケーキの味なんて覚えてないだろう。それどころか何を頼んだのかすら忘れているかもしれない。タヌキちゃんが覚えておけるようになるまで僕は何度も誘うだろう。「君の助手席に乗りたいな♪」って。
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