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普通になれない僕たちは

 腹が減るにおいがする。寝たまま鼻が勝手にひくひくと動く。甘いバターの焦げる匂いと、ミルクの優しい匂いが部屋に満ちている。日差しがさんさんと降り注ぎ、まるで物語の一ページのように目が覚める。

「うん、うん……分かってるってば、心配しすぎ」

 ぼうっとしてソファの上に座り直していると、キッチンからガウンにトランクスのまま秋一が現れてフライパンを片手に、口パクで『おはよう』と挨拶してくる。

「おはよ」

 大きな欠伸、すっかり寝不足を取り戻すような久しぶりの熟睡。

「ん?友達。泊りに来てるんだってば、うるさいなあ、友達だって」

 春樹の声に電話の向こうが反応したのか、皿にバター塗れのスクランブルエッグをどさっとよそってそそくさと部屋を出て行く。それが無性に寂しくて、追いかけていった台所でわざと音を立ててコーヒーの豆を挽いていく。二人の会話が気になって仕方なく、わざと邪魔しようとしている自覚すらあるのに、素知らぬ顔をしてコーヒーが落ちるのを眺めていた。

「あーはいはい、また気が向いたら頼むよ、うん」
「だれ?友達?」
「友達みたいなもんかな、でも仕事もちょっとしたかな」

 ふうん、という、努めて興味のないふりをした返事で乗り切ったくせに、気になって秋一をちらちらと観察してしまう。至って自然で、何とも思っていないような顔でパンにバターを塗りたくっている。

「砂糖?」
「今日はリンゴジャム」

 シナモンの香りがふわっと広がって、朝食の準備が整う。創作活動でどんなに我を忘れても、朝ご飯だけは一緒に食べるルールを敷いていたのを思い出す。

「今夜飲みいかないか?ちょっと会社に寄った後に向かおうと思ってるんだけど」 

 これでもかというくらいバターの利いたスクランブルエッグに冷たいケチャップをぶちまけながら春樹が誘うと、秋一はうん、と頷いた。

「やっぱり、どんな人がこの宝石着けてるのか見てみたいんだよな。この店、高くて入る余裕なんかなかったし」
「なに、やっぱり彼女にはこんな高級なライン、渡すんだ」
「いや、結婚指輪とか……」

 そこまで言いかけてふと口を噤んだ。まるで、彼に対して重大な裏切りをしているようで、急にひどく後ろめたくなる。

「へえ、結婚近いの?どんな子?」
「あ……いやあ……結局別れちゃって」

 そりゃ残念、という軽い受け流しに救われた気がして、その話はそこまでで打ち切られた。

『春君、私の事本当に好きか分かんないんだもん。大切にしてくれるけど、もう、わかんない』

 泣き笑いしながら最後に伝えられた言葉を思い出して、唇を噛みしめる。彼女には悪いことをした自覚はある。確かに好きだった、好きだったのだがやはり違うのだ。それをズバリ見抜かれてしまって、結局何もフォローできずに二人の関係は終わってしまったのだ。

「じゃあ十九時に交差点前の交番で」
「お前もどこか行くのか?」
「うん」

 電話の相手と?という軽い問いかけのあと一歩が怖くて踏み込めない、大人は臆病な生き物だ。
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