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普通になれない僕たちは

「おはようございます、草間さん。藤田部長がお呼びです」
「朝一からかあ。嫌だな、あの人話長いから」
「怒られますよ」

 金曜に解放された筈の首輪は、月曜の朝には自らの手で嵌め直している。そのうえ、朝一から部長の呼び出しと重なれば、幾ら能天気な人間でも少しは頭を抱えるものだろう。はあ、と溜息を一つ吐いてから、ノートとペンを取り上げて部長の元に赴いた。

「おはようございます、お呼びと聞いてきました」
「おはよう、草間。そんな身構えないでよ、私がいつも無茶ぶりしているみたいに見えるじゃない」
「あれ、違うんでしたっけ?」

 軽く肩を竦めて藤田が笑った。自覚はあるらしい。世間の流れの元となった業界で働いているが、余り変化は感じられないのが実情だ。

「それで、今回は誰を押えたいんですか」
「話が早くて助かるよ、草間。お願いしたいのはこの人」

 最新鋭の液晶端末に表示されたのは金曜の夜から春樹を悩ませている男で、どうしようもないくらい今は見たくない顔だった。特に、ひどく寝ざめの悪い夢を見てしまった今は。

「川上秋一ね、彼だよ。経歴見てたけど、大学まで草間と一緒だったんだね、まだ交流があるかなあと思たんだけど」
「川上ですか……、今はもうないですね。僕たち、大学卒業後、一年ぐらいしか交流がなくて、十年近くになるかな、一度も会っていなくて」

 連絡先すら知りません、というと部長は頷いて、一枚の名刺を差し出してきた。

「これなんだけどね、川上さんって本当に仕事受けてくれないって有名で。唯一獲得できている名刺がこれだから、悪いけどよろしく頼むよ」
「俺に行けって言ってるんですか……」
「だって同期だったら仕事、引き受けてくれるかもしれないじゃない?私だって自分で行けるなら行ってたけど」
「決まってるんですか、相手先は」
「いやまだ。けど、川上を押さえられたとなれば絶対にどこの会社でも手を上げてくると思うんだけど?」
「ちょっと喧嘩別れ、したんです。最後に。だからあまり会いたくないというか……」
「じゃあちょうどいいじゃない。上司に言われたって言われて会って、仲直りする口実になるんじゃない?」

 これ以上は特にないと言わんばかりに、椅子に座って春樹の出方を伺う。その名刺を手に取る以外の選択肢はないというのに、まるで春樹が進んでその仕事を引き受けたかのように見せかける、上手い作戦だ。社内でも最年少で部長のポジションに座った女性であるだけに、手腕は確実である。

「分かりました、けど期待しないでくださいね。もう十年近く前ですからね……」

 覚えてくれているかどうか、と言いながらも、決して忘れられていない自信だけはあった。
 クリエイティブディレクターの仕事が指名で回ってくるようになれば一人前だと思っていたが、今回は別のルートからのアプローチだったのですこし肩を落とすが、やはりコネというものはどこで繋がっているか分からないものだ。昼間に外にでると思った以上にひんやりとした空気に身体を震わせた。会社から郊外に向けて進む。川上秋一との交渉がうまくいけばそのまま帰宅していいという上司の取り計らいがあったが、帰社する気しかしない。 堅物で有名な秋一を商業用のフォトグラファーにリクルートできた人間は今まで誰もいない。
 それに、藤田には申し訳ないが、自分が行けば尚更断られるのではないか。なにしろ、十年近くあっていない男だ。別れ方も本当に気まずかった。そう、別れ方が。会いたくない、電車事故でも起こってくれと縁起でもない願いを必死に唱えて、順調に秋一の事務所に運ばれていく。
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