七尾太一
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
秋組第5回公演の初日の朝、私は劇場へ向かっていた。
公演期間中は毎日早くに劇場に行き、舞台の様子を確認したりスタッフさんの機材チェックの手伝いをしたりしている。それはただの安全確認というよりは、舞台が無事に始まり、終わってほしいという私なりの願掛けと精神統一みたいなものでもある。
劇場に着くと、既に舞台には明かりが点いていた。先に到着しているスタッフさんがいるのだろうかと思い袖から舞台上を覗くと、そこには太一くんが1人で立ち尽くしていた。
この公演にかける太一くんの気持ちはこの間のポートレイトで聞けたし、あれ以来吹っ切れて役者としてもすごく自信を持って演技ができるようになっている。それでもまだ初主演のプレッシャーが大きいのかなと少し心配になって、数歩近づいてみると、太一くんは客席の方ではなく舞台の天井を見上げていることに気づいた。
その視線の先に何かあるのかと思い見上げてみたが、そこには巻き上げられた緞帳幕と、照明の灯体が吊り下げられたバトンがあるだけだった。
話しかけるか一瞬迷ったが、どのみちもう少しでスタッフさんが来てしまうし、私はできるだけ驚かさないよう、そっと太一くんに近づいて声をかけた
「おはよう、太一くん。昨日はよく眠れた?」
「ふぁっ…!あっ、監督先生…!お、おはようっス!…あは、はい。昨日の夜はめっちゃよく眠れたっスよ!おかげで早起きしちゃって…」
やはり驚かせてしまったようで、急に現実に引き戻されたかのように太一くんは私のほうへ勢いよく振り返った。いつもの笑顔を私に向けてくれるが、そこには僅かに困ったような、苦しいような表情が入り混じっているように見えた。
「何を見てたの?」
と私は少し視線を上げて天井のほうを示すと、太一くんはばつがわるそうな、より困ったような顔でえへへ、と笑うと
「ちょっと、いろいろ思い出してて…」
と言って口ごもってしまう。
「言いづらいことだったら言わなくて大丈夫だよ。太一くんの気持ちはこの間たくさん聞いたし、つらいこともたくさんあったよね。だからこそ、今日の本番は楽しんでね。」
私は気まずそうにしている太一くんの腕をぽん、と叩き笑顔でそういった。
すると太一くんは、少し迷ったあとでいつもよりゆっくりと、少し低い声で話し始めた。
「今のは…その、照明のライト…灯体を見てたんです。俺、灯体を見ると思い出すことがあって…なんていうか、自分の弱さ、みたいな、それでちょっと苦しくなるっていうか」
「そうなの…?それは、なんでか聞いてもいい?」
問いかけると太一くんは少しばつが悪そうにうなずいて、話を続ける。
「GOD座にいたとき、下っ端の役者は、よく照明とか音響の仕込みの手伝いもしてたんスよ。GOD座の舞台ってすごくて、バトンもいっぱいあるし天井もすごく高くて、照明もいっぱい吊らないとなんスよね。
それで、ある公演の時、ちょうどその時の主役がラストシーンで使うスポット用の、センターど真ん中の灯体を頼まれた時があって。灯体って上についてる鉄のハンガーをバトンに引っ掛けて、ハンガーのネジをぐるぐる閉めて固定して、最後に落下防止の安全用として金属のワイヤーの命綱を付けるんスよね。
それを取り付けながらなんかこう、こうやってあくせくつけてる灯体の光を、自分はあの舞台の真ん中で浴びられることはないんだってぼんやり思ってて…
それでふと、その…この命綱を付けなかったらどうなるんだろうって思ったんスよ。もしもこのまま命綱なしでこの灯体が付けられたバトンが舞台の天井まで上げられて、ラストシーンで主役が0番のバミリに立った時に地震でもあったら……それで、大怪我とか…なにかになって、俺っちに代役が回ってきたりしないかな、とか……
それで我に返って、めちゃくちゃ恥ずかしくて、自分が情けなくて、悔しくて……ほんとは、例え俺が付け忘れても照明さんが最後に全部チェックするんでそんなこと絶対ないんスけどね、
でもほんと、それ以来灯体を見るたびにあの時の自分を思い出してすっごく苦い気持ちになるんスよ。」
一気に話した後、苦々しげに笑う太一くんを見て、彼の歩んできた道の理不尽さに胸が痛んだ。どうして10代の、必死で芝居に取り組む少年が、こんな気持ちを抱えなければいけなかったのか。もっと早くに救うことができていたらという悔しさ。そして、本当は舞台をつくるときめきを与えてくれるようなものに、苦しみを覚えなければいけないなんてという悔しさ。
私が太一くんにかける言葉を探しているうちに、話し声が聞こえだし劇場のドアがガチャっと開く音がした。
「おはようございまーす!今日も早いですね。あ、七尾くんもか~さすが初主演、気合が入ってるね!」
スタッフさんたちが到着し、一気に劇場がにぎやかになる
「おはようございます!今日もよろしくお願いします」
「おはようございますっス!はい、気合入りまくりなんで、初日頑張りますね!」
太一くんはさっきまでの沈んだ様子を一気に振り払ったような笑顔で挨拶をする。
「はは、頼んだよ!気合入れてたとこ悪いんだけど、点灯チェックしたいから一度暗転してもいいかな?」
「あ、はい!もちろんっス!監督先生、袖のほう行きましょう」
「あ、うん…」
私は太一くんの笑顔に押されるように舞台から袖へ移動し、2人で袖から舞台のほうを眺めるように並んだ。
「暗転しまーす!」
照明スタッフさんの声のあと、舞台の作業灯が落とされ、劇場は一度暗闇に覆われる。そして順に照明の灯体がつけられ、問題なくすべてのライトが付くかどうかの確認が行われる。
無人の舞台には、セリフや音楽がない静寂の中で、灯体に明かりが灯るときの電球のはぜるような、じわ…ぱちん…というかすかな音が響いている。
「太一くん、私ね、この音が好きなんだ」
隣に立つ太一くんに、視線は舞台に向けたまま私はそっとささやくように言った。
「…え?ああ…」
太一くんも同意するように耳を傾ける。
「この音を聞くと劇場にいるんだなぁって思ってわくわくするし、ちょっと間抜けな感じがしてあったかい気持ちになるんだ。」
「…そうなんだ」
「…私にとっては灯体って、舞台に無限の可能性を作ってくれるひとつの魔法の道具みたいなものに思えるんだ。使い方次第で、いろんな場面をつくれる。でも常に役者の頭上にある、危険なものであるのも事実だし、それは舞台にかかわるものすべて、それから人も、全部同じだよね」
わたしはそっと太一くんのほうに視線を向ける。太一くんもこちらを静かに見返してくる。
「灯体も、役者も、人を傷つけたり舞台を台無しにすることはあるかもしれない。でも、舞台を輝かせるために絶対必要な存在だよね。太一くんのその苦い思いは、消えないかもしれない。でも、私はあの光ができること、そこから聞こえる音も好き。そういう部分もあるんだなぁってちょっと、覚えてくれたらうれしいな」
そう私が言うと、太一くんは少し泣きそうな表情でぐっと押し黙り、しばらくしてからもう一度灯体の音に耳を澄まして、そこではっとしたように笑顔をみせた
「俺、いま監督先生に言われるまでこの音、気にしたことがなくて。なんでかなって思ったんスけど、GOD座の劇場ってすげー天井が高いから、すごい小さくしか聞こえなかったんス。それが、この劇場だと、劇場を包んでるみたいに近くて、優しい音に聞こえる!」
そして私にいつもの満面の笑顔で、
「監督先生、俺っちも灯体と同じで、この劇場では舞台を輝かせて、みんなを、監督先生を幸せな気持ちにできるような役者になりたいっス!…それから」
そこで言葉を切った太一くんは、少し躊躇いを見せた後にいきなり私の手を取り、両手でぐっと包み込んだ。私はびっくりして思わず太一くんの目を見ると、その目は私をしっかりと見つめ、
「それから、いつか、左京にいよりも、万ちゃんよりも男前だって思ってもらえるような役者になって、そしたら監督先生に伝えたいことがあるから、だからそれまで一番近くで見ててくださいっス!」
と勢いよく一息で言うと、耳まで真っ赤になった太一くんは、はっとして手を離すと、
「じゃ、じゃああの、寮に戻るっス!初日の準備しないとっスもんね!」
と言って足早に劇場の出口へ向かっていってしまった。
残された私は、太一くんの熱がうつされたかのようにほんのり手と耳が熱くなったまま、しばらくそこに立ち尽くしていた。
公演期間中は毎日早くに劇場に行き、舞台の様子を確認したりスタッフさんの機材チェックの手伝いをしたりしている。それはただの安全確認というよりは、舞台が無事に始まり、終わってほしいという私なりの願掛けと精神統一みたいなものでもある。
劇場に着くと、既に舞台には明かりが点いていた。先に到着しているスタッフさんがいるのだろうかと思い袖から舞台上を覗くと、そこには太一くんが1人で立ち尽くしていた。
この公演にかける太一くんの気持ちはこの間のポートレイトで聞けたし、あれ以来吹っ切れて役者としてもすごく自信を持って演技ができるようになっている。それでもまだ初主演のプレッシャーが大きいのかなと少し心配になって、数歩近づいてみると、太一くんは客席の方ではなく舞台の天井を見上げていることに気づいた。
その視線の先に何かあるのかと思い見上げてみたが、そこには巻き上げられた緞帳幕と、照明の灯体が吊り下げられたバトンがあるだけだった。
話しかけるか一瞬迷ったが、どのみちもう少しでスタッフさんが来てしまうし、私はできるだけ驚かさないよう、そっと太一くんに近づいて声をかけた
「おはよう、太一くん。昨日はよく眠れた?」
「ふぁっ…!あっ、監督先生…!お、おはようっス!…あは、はい。昨日の夜はめっちゃよく眠れたっスよ!おかげで早起きしちゃって…」
やはり驚かせてしまったようで、急に現実に引き戻されたかのように太一くんは私のほうへ勢いよく振り返った。いつもの笑顔を私に向けてくれるが、そこには僅かに困ったような、苦しいような表情が入り混じっているように見えた。
「何を見てたの?」
と私は少し視線を上げて天井のほうを示すと、太一くんはばつがわるそうな、より困ったような顔でえへへ、と笑うと
「ちょっと、いろいろ思い出してて…」
と言って口ごもってしまう。
「言いづらいことだったら言わなくて大丈夫だよ。太一くんの気持ちはこの間たくさん聞いたし、つらいこともたくさんあったよね。だからこそ、今日の本番は楽しんでね。」
私は気まずそうにしている太一くんの腕をぽん、と叩き笑顔でそういった。
すると太一くんは、少し迷ったあとでいつもよりゆっくりと、少し低い声で話し始めた。
「今のは…その、照明のライト…灯体を見てたんです。俺、灯体を見ると思い出すことがあって…なんていうか、自分の弱さ、みたいな、それでちょっと苦しくなるっていうか」
「そうなの…?それは、なんでか聞いてもいい?」
問いかけると太一くんは少しばつが悪そうにうなずいて、話を続ける。
「GOD座にいたとき、下っ端の役者は、よく照明とか音響の仕込みの手伝いもしてたんスよ。GOD座の舞台ってすごくて、バトンもいっぱいあるし天井もすごく高くて、照明もいっぱい吊らないとなんスよね。
それで、ある公演の時、ちょうどその時の主役がラストシーンで使うスポット用の、センターど真ん中の灯体を頼まれた時があって。灯体って上についてる鉄のハンガーをバトンに引っ掛けて、ハンガーのネジをぐるぐる閉めて固定して、最後に落下防止の安全用として金属のワイヤーの命綱を付けるんスよね。
それを取り付けながらなんかこう、こうやってあくせくつけてる灯体の光を、自分はあの舞台の真ん中で浴びられることはないんだってぼんやり思ってて…
それでふと、その…この命綱を付けなかったらどうなるんだろうって思ったんスよ。もしもこのまま命綱なしでこの灯体が付けられたバトンが舞台の天井まで上げられて、ラストシーンで主役が0番のバミリに立った時に地震でもあったら……それで、大怪我とか…なにかになって、俺っちに代役が回ってきたりしないかな、とか……
それで我に返って、めちゃくちゃ恥ずかしくて、自分が情けなくて、悔しくて……ほんとは、例え俺が付け忘れても照明さんが最後に全部チェックするんでそんなこと絶対ないんスけどね、
でもほんと、それ以来灯体を見るたびにあの時の自分を思い出してすっごく苦い気持ちになるんスよ。」
一気に話した後、苦々しげに笑う太一くんを見て、彼の歩んできた道の理不尽さに胸が痛んだ。どうして10代の、必死で芝居に取り組む少年が、こんな気持ちを抱えなければいけなかったのか。もっと早くに救うことができていたらという悔しさ。そして、本当は舞台をつくるときめきを与えてくれるようなものに、苦しみを覚えなければいけないなんてという悔しさ。
私が太一くんにかける言葉を探しているうちに、話し声が聞こえだし劇場のドアがガチャっと開く音がした。
「おはようございまーす!今日も早いですね。あ、七尾くんもか~さすが初主演、気合が入ってるね!」
スタッフさんたちが到着し、一気に劇場がにぎやかになる
「おはようございます!今日もよろしくお願いします」
「おはようございますっス!はい、気合入りまくりなんで、初日頑張りますね!」
太一くんはさっきまでの沈んだ様子を一気に振り払ったような笑顔で挨拶をする。
「はは、頼んだよ!気合入れてたとこ悪いんだけど、点灯チェックしたいから一度暗転してもいいかな?」
「あ、はい!もちろんっス!監督先生、袖のほう行きましょう」
「あ、うん…」
私は太一くんの笑顔に押されるように舞台から袖へ移動し、2人で袖から舞台のほうを眺めるように並んだ。
「暗転しまーす!」
照明スタッフさんの声のあと、舞台の作業灯が落とされ、劇場は一度暗闇に覆われる。そして順に照明の灯体がつけられ、問題なくすべてのライトが付くかどうかの確認が行われる。
無人の舞台には、セリフや音楽がない静寂の中で、灯体に明かりが灯るときの電球のはぜるような、じわ…ぱちん…というかすかな音が響いている。
「太一くん、私ね、この音が好きなんだ」
隣に立つ太一くんに、視線は舞台に向けたまま私はそっとささやくように言った。
「…え?ああ…」
太一くんも同意するように耳を傾ける。
「この音を聞くと劇場にいるんだなぁって思ってわくわくするし、ちょっと間抜けな感じがしてあったかい気持ちになるんだ。」
「…そうなんだ」
「…私にとっては灯体って、舞台に無限の可能性を作ってくれるひとつの魔法の道具みたいなものに思えるんだ。使い方次第で、いろんな場面をつくれる。でも常に役者の頭上にある、危険なものであるのも事実だし、それは舞台にかかわるものすべて、それから人も、全部同じだよね」
わたしはそっと太一くんのほうに視線を向ける。太一くんもこちらを静かに見返してくる。
「灯体も、役者も、人を傷つけたり舞台を台無しにすることはあるかもしれない。でも、舞台を輝かせるために絶対必要な存在だよね。太一くんのその苦い思いは、消えないかもしれない。でも、私はあの光ができること、そこから聞こえる音も好き。そういう部分もあるんだなぁってちょっと、覚えてくれたらうれしいな」
そう私が言うと、太一くんは少し泣きそうな表情でぐっと押し黙り、しばらくしてからもう一度灯体の音に耳を澄まして、そこではっとしたように笑顔をみせた
「俺、いま監督先生に言われるまでこの音、気にしたことがなくて。なんでかなって思ったんスけど、GOD座の劇場ってすげー天井が高いから、すごい小さくしか聞こえなかったんス。それが、この劇場だと、劇場を包んでるみたいに近くて、優しい音に聞こえる!」
そして私にいつもの満面の笑顔で、
「監督先生、俺っちも灯体と同じで、この劇場では舞台を輝かせて、みんなを、監督先生を幸せな気持ちにできるような役者になりたいっス!…それから」
そこで言葉を切った太一くんは、少し躊躇いを見せた後にいきなり私の手を取り、両手でぐっと包み込んだ。私はびっくりして思わず太一くんの目を見ると、その目は私をしっかりと見つめ、
「それから、いつか、左京にいよりも、万ちゃんよりも男前だって思ってもらえるような役者になって、そしたら監督先生に伝えたいことがあるから、だからそれまで一番近くで見ててくださいっス!」
と勢いよく一息で言うと、耳まで真っ赤になった太一くんは、はっとして手を離すと、
「じゃ、じゃああの、寮に戻るっス!初日の準備しないとっスもんね!」
と言って足早に劇場の出口へ向かっていってしまった。
残された私は、太一くんの熱がうつされたかのようにほんのり手と耳が熱くなったまま、しばらくそこに立ち尽くしていた。
1/1ページ