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第一幕 くじらのすいそう

「だからさ、こんなとこで騒ぐなって、言ってんじゃん」
 言うことを聞かない子を前にした大人のような困った表情を作った重光は肩をすくめる。注意にしては乱暴であるが当然だ。重光は注意のふりをして喧嘩を売っているのだから。
「あいつ、龍行の武藤だ!」
 少年たちの一人が声を上げると、ますます動揺が広がった。ベンチでスマホゲームの周回クエストをこなしながらも聞き耳を立てていたいつひは吹き出す。もう龍行高校の有名人かよ。
 これから繰り広げられるであろうコントを聞こうといつひが耳をすましていると「はっ」と吐き捨てるような笑い声が響いた。
「武藤だか加藤だか知らねえけど、うちの涼くんと怜くんは強力な異能を持ってんだぜ。舐めてかかると痛い目見るぞ」
 威勢よく啖呵を切った少年だったが、それを聞いていたいつひは危うく大きな声で笑い出すところだったし、重光は重光で「誰にしようかな、天の神様の……」と次の獲物を選び始めている。聞いちゃあいない。
「聞けぇ!」
「ん?」
 完全に空ぶってしまった少年は苛立った声をあげる。怒りと恥ずかしさで頬が赤くなってしまっている少年の肩に後ろから来たオールバックの少年が宥めるように手を置いた。クリーム色の髪をしたオールバックは重光を見据え、静かに口を開く。
「やあ、オレは怜。異能は……まあ、口で言うより実際に体験するほうが分かりやすいだろ」
 その言葉とともに重光の元へ氷の礫が飛んでくる。直径三〜五センチほどで大きめの雹と言ったところ。
「痛て」
 重光が眉をひそめる。なんか飛んでくる、と思ったものの動かなかったので当然いくつかが体にぶつかった。自分にぶつかって落ちた氷の礫を見下ろしていたら、調子に乗った怜が飛び蹴りをかましてきていた。
 重光はノーリアクションのまま、その飛び蹴りを突き出した掌で受け止めた。怜は跳ね返ってストンと着地する。
 静寂。目の前で何が起こったかイマイチ掴めないゆえの沈黙だ。怜は壁に向かって行ったわけではない。人間に飛び蹴りをしたのであって、跳ね返って着地とは一体全体、どういうわけか。
 怜は首を傾げ、それから合点がいったようにニヤリと笑みを浮かべた。
「ははーん、なるほど。キミも異能保有者ってわけだ」
 ベンチのいつひは今回の勘違い発言には堪えきれず噴き出す。当の重光は変わらず黙ったままだ。怜の足裏を受け止めた掌を開いたり閉じたりしている。
「オレの異能は氷を作り出す能力、お前は何だ? 防御系だろ?」
 トンチンカンもここまで行くとちょっと引くかも、っていうか結局口頭説明してるし、といつひは呆れて興ざめしてしまった。スマホゲームの周回に戻る。そろそろオートに対応して欲しい。
 【異能】というのは読んで字の如く、普通の人間には備わっていない、普通とは異なる能力のことを指す。例えば、怜は氷を作り出す異能だが、他にも短い間空中に浮かぶ能力や自分の体の一部を変化させるものなど、異能の中身は多岐にわたる。そして、それら異能保有者の共通点は『佐波沼隕石災害の被災者で当時五歳以下だった』ということ。
 異能について研究する施設は市内にあるものの異能についてはまだ分かっていないことだらけ。異能保有者はどんな能力であっても佐波沼市内では野放しに近い状態になっている。
 だからこんな風に非生産的な使い方しかしない輩がうじゃうじゃと湧く。いつひは隕石災害の生き残りではあるものの異能を持っていない。大なり小なり異能を持っている人間が多い中でいつひはレアケースだ。異能保有者に対しては羨ましい反面、下手な使い方を見ると「ボクなら」と思わずにはいられない。
「俺、いま、異能使ってないけど」
 重光は不思議そうに首を傾げる。怜はその言葉を信じていないようで眉を八の字にして「誤魔化そうたって──ぶ」その困った顔のまま重光にぶん殴られた。
「つか、お前ら如きに使う異能はねーよ! 俺、異能は安売りしない主義」
 倒れた怜の背中に片足を乗せた重光は得意げに笑う。少年たちは目くばせし合う。そしてライバルグループの垣根を越えて「重光」という超巨大悪に立ち向かうことを決めた。そのことに重光も気付き、口元に弧を描く。
「涼……、あっちを狙え……」
 その重光の足元で怜が苦しそうに呻いた。「何ぼそぼそ言ってんの」と重光が下を覗き込んだとき、彼の視界は冷たい白で満たされた。微細な氷が重光を襲ったのだ。一歩退がり、手で払いのける。
「冷て〜」
 若干苛つきつつもどこか楽しそうな重光が次の目を開けたとき、怜は足元からいなくなっていた。代わりに有象無象たちが一気に躍りかかってきた。六人。怜はいない。重光は瞬間的に狩る順番を決めた。
「へー、アイツまだ動けたんだ」
 残り四人。時々熱かったりしびれたりするが有象無象の異能だろう。あと二人。肘の辺りを切られた。なんてことはない。怜はどこだろうか。少しは歯応えがありそうだ。
 最後の一人の頭を鷲掴みにし力を入れる。「ギッ」という悲鳴を聞いた後、適当に放り投げて有象無象の処理は完了。
「イッヒー……」
 重光はベンチでスマホを触っていた友人に怜がどこに行ったかを聞こうと呼び掛けながらそちらに体を向けた。そうして目が合ったいつひは、涙目で蔦に縛られ立たされていた。口にも蔦を咥えさせられ声を出せないようにされている。いつひを縛っている蔦はアスファルトの割れ目から不自然に生えてきていた。異能だ。
 その横にいるのは怜と同じ髪色の男子。彼は前髪をボンボン付きのヘアゴムでまとめていた。こいつが異能の持ち主だろう。
「イッヒーから離れろ」
 ゆっくりと瞬きをした重光が地を這うような低い声で言う。蔦を操る男子は空色の瞳で重光を見つめた後「いいよ」と拍子抜けするほど素直にいつひから数歩離れた。
「でも僕の異能を使えば、この子はいつでも潰せるよ?」
 重光が動こうとするのを牽制するように言うと、体の前に持ってきた掌をゆっくりと握る。いつひが苦しげな声を上げた。その声が重光の鼓膜を震わせ、脳が「いつひの悲鳴」と認識したその瞬間。
 蔦少年の顔は重光の膝蹴りを思い切り受け、崩壊していた。
 異能の使い手に深刻なダメージが入ったことにより異能が解除される。蔦の拘束から解かれたいつひはバランスを崩し尻餅をついた。怪我はないようだ。
 電光石火の膝蹴りをまともに食らった蔦少年は十メートルほどの距離を吹き飛び、駐車場のフェンスにぶつかっていた。歪んだフェンスの中心でかぱかぱと水気のある呼吸音を立てる蔦少年に駆け寄る存在が一人。怜だ。
「涼……!」
 怜が呼びかけると涼の瞳がこちらを向いた。夥しい鼻血で呼吸が苦しそうだが意識はあるし目も見えているようだ。その涼の体が大きく跳ね、ガクガクと震え出す。何事かと涼の視線を辿った先に怜は──鬼を見た。
 首をゆっくりと左右にもたげながら、重光が近づいてくる。その一歩ごとがまるで死刑宣告のカウントダウンのように聞こえる。重光の放つ異常なプレッシャーに怜はおかしくなりそうだった。
 ガフッ、と涼が血を吐くとそのまま気絶した。この圧に当てられたのだ。怜も気を失いたかった。恐怖で気を失うなんて仲間内では笑い者だが、絶対にそっちの方がマシだと断言できた。
 重光が怜の頭を掴む。奇声に近い声が勝手に出てしまった。重光が「マンドラゴラかよ怖えー」と呟いたのが聞こえたが、自分の悲鳴に攻撃力があったらどんなに良かったか。ぽい、と脇に捨てられる。重光の目当ては涼だ。
「や、やめろ、もう涼は、弟は意識が……」
 這いずって移動し、重光の足元に縋るようにまとわりついた怜は乞い願うような声を出した。重光は一瞥をくれた後「イッヒー泣かしたやつは五体満足で返さねえって決めてんだよ。イッヒーいじめなきゃそこまでしなかったのによ」と怜を軽く振り払った。直後、ぽきんと枯れ枝を折るかのような音が聞こえ、涼の悲鳴が響く。その悲鳴は怜の胸を突き刺すようだった。下手なことをしなければ良かった。怜の涼と同じ色の目には涙が滲んでいた。
「お、オレが、やるなら、オレを」
 再び足元に纏わりついてきた怜を見て、重光は目を細めて笑った。楽しそうで、狂った笑顔。けれどどこか違和感のある──。
「そうだな、兄なのに監督不行き届きだ」
 しゃがみ込んで怜と目を合わせた重光は彼の腕を取った。ぽきん。なんの躊躇いもなく、重光は怜の腕を折った。尋常じゃない痛みが襲ってくる。ぐっと悲鳴を堪えている怜を見下ろす重光は満足げな表情をしていた。
 その痛みの中、怜は気づいた。さっきの違和感の正体は、寂寥だ。

「武藤くん終わったー?」
「おー。名前と顔も覚えた」
「うーわ、ボコした相手の写真撮るとか趣味悪すぎなんだよね相変わらず」
「全員じゃねーよ。面白かった奴限定だ。メモだからな」
「い、嫌すぎる〜。てか武藤くんが馬鹿するせいでボクがエロ漫画みたいになったじゃん恥ずかしすぎるよ!」
「イッヒーそういうエロ漫画読むんだ」
「ころすぞ?」

 遠ざかって行く会話。怜は手放せない意識を持て余し、ぼんやりと腕の痛みに耐えていた。どのくらい経っただろうか。いつの間にか目の前に一人の少女が立っていた。
「──はご入用ですか?」
「……は?」
 話しかけられたが聞き取れず、反射的に聞き返す。すると黒いロリータワンピースの少女はおかっぱ頭を揺らしてもう一度繰り返した。
「『力』はご入用ですか?」と。
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