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第一幕 くじらのすいそう

 地球には三十秒に一つ以上の天体が降り注いでいる。一時間に百二十個もの天体が地球の大気圏まで突入し、燃え尽きているわけだ。大きいものになると空中で爆発を起こすもの、破片を地表まで到達させるものがある。たまにワイドショーで「隕石?」というテロップとともに紹介されているものがそれだ。ところでもし隕石の破片が家に飛び込んできたら研究機関に売りつけるのが賢明だろう。ちょっとしたお金も手に入って科学の進歩にも寄与できる。
 脱線、脱線。
 そう、確率としては千年に一度ほどと言われているのだけれど、直径百メートル級の天体が地球に突っ込んでくると落下場所によっては災害となってしまう。なにせ破壊力は水素爆弾相当ときている。
 直径百メートルとまではいかなかったけれど、直径二十メートルほどの天体がなんとか大気圏での消滅を踏ん張って耐えその一部(ごく一部ではあるけれど)を地表に叩きつけた場所がある。日本っていう国の、福江県佐波沼さわぬま市っていうところなんだけれど。

 ◆◆

「黙祷——」

 この一分間ほど苦痛で悩ましいものはないなあ、と賀川いつひはいつも思う。六十秒の間に何を祈ればいいのやら分からないし(せいぜい『ご冥福をお祈りします』『南無阿弥陀仏』くらいしか浮かばない)、かと言って全然違うことを考えるのも後ろめたい。無心でいたいけれど、何も考えないでいようと意識すると昨日見た馬鹿げたネットニュースなどが浮かんでしまってますます後ろめたい。
(えーっと、ボクは生き残ったんですけど、えーと、頑張って生きていきたいと思います)

「ありがとうございます。おなおりください」
 ふー、と目立たないように一息つきながら腰を下ろす。市民会館のホール目一杯に並べられたパイプ椅子が一斉に軋む音が響いた。黙祷中の頭の中なんか誰も見ていないんだから気にする必要はないんだろうけれど、一応自分が関係した災害の追悼式典ではあるし。
 佐波沼市民にとって今日、六月二十一日は特別な日だ。華宵七年——十三年前のこの日、午後一時四十九分、佐波沼市の上空で小惑星が爆発した。伴って生じた熱風と衝撃波は佐波沼市の南半分を文字通り吹き飛ばし、市の中心部は北部寄りだったとは言え、佐波沼市はほぼほぼ壊滅した。行方不明者と死者数は二五七人、五千人以上が怪我を負い、被害建造物は二万を超えた。
 その一連の災害は『佐波沼隕石落下災害』と呼ばれている。佐波沼市で『災害』といえば大抵の場合、隕石落下のことを指す。
 いつひは当時二歳(厳密に言うと誕生日が来ていなかったので一歳十一ヶ月なのだが)で佐波沼市内に住んでいたのだが自身は怪我もなかったので記憶らしい記憶はない。ただ、実父が災害時に被った怪我が原因で三年後に死去している。

「……未曾有の大災害を乗り越え、見事に復興したわが町を誇りに思い、より一層の繁栄を……」

 現市長が何か喋っているなあ、と黙祷のときとは一転、いつひは口元に手を当てて小さくあくびまで認めた。それからズボンのポケットに入れていた追悼式典の行程表を取り出して目を落とす。あとは県知事と遺族代表のことばだ。
 式典はつつが無く終了し、一般参列者のいつひは伸びをしつつ席を立つ。ぞろぞろと出口に向かう人々の中ににょっきりと青みがかった紫色の頭が突き出ているのを見つけたいつひはにんまりと笑った。それから周囲の人たちを軽く掻き分け、そちらへ向かう。それからその人物の腕を取り自分よりも三十センチほど上にある顔を見上げ悪戯っぽい笑みを浮かべた。
武藤むとうくん、みっけた!」
 すると躑躅色の瞳がいつひの菖蒲色の大きな瞳をジッと見下ろし、カクンと首を傾けた。
「イッヒーも来てたんだ」
 いつひのことを『イッヒー』と呼んだ長身の青年は意外そうな声をあげた。彼は武藤重光しげみつと言い、いつひの高校のクラスメイトだ。
「それ、そのまま返すし……。武藤くんのが珍しいじゃん」
 今年が初めての参列なんじゃない? といつひはケラケラ笑う。重光は「んー、そうかもしれねーけど忘れたー」とかなりどうでも良さそうに答える。
 ぼーっとしているように見える重光だがツリ目気味の目つきは鋭く、頭のてっぺんの方だけぴょこぴょこと触覚のように跳ねている髪から時々覗く左耳には大きめのピアスが三つ付いていることもあって第一印象はかなりおっかない。
 対するいつひは大きな瞳をきらきらと光らせ、口角も上がっている。明るく、楽しそうな表情で重光と並ぶと人畜無害っぷりが際立つ。重光といつひ、並んでいると『まさに凸凹コンビ』と言いたくなる出で立ちだ。
 ホールの出口に近づいたところで人の流れの動きが止まった。千人以上の人間が一気に出ようとしたのだから詰まってしまったようだ。
 動かなくなってしばらく経ったので、いつひは前方の様子を見ようとその場で跳ねた。肩辺りまである向日葵色の髪がさらさらと揺れる。光が当たる部分は薄緑色に見える、ふしぎな髪の毛だ。
「もーすぐ動くだろ」
 そんないつひに上から重光の気だるげな声が降ってくる。一九五センチメートルの長身を誇る彼の視界には動き始めた様子が映っているようだ。いつひは「武藤くんがそういうならそっか」と納得し落ち着いた。その通り、すぐに行列はゆっくりとだが動き出す。
 やっとの思いで(というと少々大げさだが)市民会館から出る。いつひは外の空気を胸に入れてから、重光の腕をぶんぶんと左右に振った。
「あっ、そうそう武藤くん! あのねあのね、旭森の方にあるシフォンケーキ屋さん美味しいんだって! 行こ行こ!」
 つい先ほどまで追悼式典に出ていたテンションにしてはいささか不謹慎にも思えるが、少なくともいつひにとって十三年前の災害は『過去』だった。実の父親と一緒に過ごした日々よりも父親がいなくなってからの時間の方が長い。それに今はもう新しい父親がいる。
「俺甘いの好きじゃねー……」
 シフォンケーキと言う単語に小さく眉を寄せた重光は、隕石落下災害で母親と兄を亡くしている。
「喫茶風の軽食もあるみたいだから大丈夫だよお、それにボクいつもお昼は武藤くんの好みに合わせてるでしょ!」
 バカみたいな量の中華料理ばっかり!といつひは頬を膨らます。重光の行きつけの中華料理屋は俗に言うメガ盛り店なので、いつひが一人前を頼むと食べきれなくて持て余すのだが重光の大のお気に入りのため結構の頻度で通っている。火鍋御膳は辛いものが好きないつひお気に入りのメニューでもあるけれど。
「イッヒーが勝手についてきてんだろ」
「なにそれ、武藤くんが寂しそうだから一緒に行ってあげてるんじゃん!」
「あーはいはいアリガトーゴザイマス」
 重光はいつひに掴まれていない方の手をヒラヒラと振って適当にあしらった。この二人の会話はいつもこんな調子だ。いつひが楽しそうにおしゃべりをし、それに重光がボソリと余計な一言を投じて、それに反応したいつひが勝手に騒ぐ。
 華奢ないつひにポカポカと殴られても嫌な顔をしない重光の姿を見た人間は稀に「もしかしてこの大柄で一見怖そうな人物は、実は心が広いのではないか」と勘違いをすることがあるのだが、この武藤重光と言う人物は見た目のまま、いや、それよりもタチが悪いかもしれないのだ。
「感謝が薄いー! まあいいや、ボク心が広いからね。優しいから」
 軽口を叩くいつひだったが、重光の様子がおかしい。彼が出す雰囲気がピリついている。
「どったの武藤くん……」
 そっと声をかけ、見上げると重光がある一点を見つめていることに気づいた。会館の駐車場の端、重光といつひと同じくらいの年頃に見える少年たち十人ほどが二つのグループに分かれて睨み合っている。式典には大勢の人が集まるので原則車での来場は禁止されていて、駐車場も閉鎖されていたので人気ひとけがなかった。それをいいことにひと暴れするつもりなのか、どちらかが手を出せば即大乱闘になりそうな空気だ。いつひはこれで重光の雰囲気が変わった理由を察した。
「あー……」
 いつひが呆れてため息をつく。重光の口元はわずかに緩んでいる。その表情は獲物を見つけた猛禽類に似ているところもあるが、それよりも新しい玩具を前にした子どものようだった。
「イッヒー、ちょっと待ってて」
「えー、シフォンケー……はあ、はいはい」

 重光はウキウキとした足取りで少年たちの元へ向かう。剣呑とした空気が漂うところに向かう人間の背中ではない。「シフォンケーキ屋さんに行く話はどうなったのさ」と言いかけたがどうせ聞かないだろう、と諦めたいつひは近くのベンチに腰を下ろし、スマホのゲームを立ち上げた。こういうことは関わらないに限る。
 ニッコリと、不自然なくらいに口角を上げた笑顔を貼り付けた重光は少年たちの視界にぬっと現れた。
「なー、ダメじゃん。こんなところで喧嘩したら」
 唐突な大男の登場にふたつの少年グループはあからさまに嫌悪の表情を見せ、すぐさま攻撃的な言葉をぶつけ始めた。
 「何だお前」「は?」「どっか行け」「お前からやってやろうか」等々。重光は苛立ちと嘲笑混じりの言葉の数々を笑みを浮かべたまま、うんうんと相槌まで打ちつつ聞いている。豹変したのは、少年の一人が重光の脛を蹴りつけた瞬間だった。
 躑躅色の瞳がぎらりと煌めいたと思うと、重光の大きな手は少年の首を鷲掴んで持ち上げていた。絵面的には屠殺前の鶏のようになっている少年を前にしたグループの仲間は激昂し、リスニング不可能な言葉を投げつけ(罵詈雑言ということは確かだ)二人が飛びかかってくる。しかし重光の方が早かった。飛びかかろうとしてきた二人に向けて持っていた少年を投げつける。飛んでくるものが人間じゃなかったら、二人とも避けることができていたかもしれない軌道だったが「まさか人間が」「こんな速度で」「飛んでくるわけがない」のスリーコンボにたじろいだ二人には見事に直撃した。
 呆気にとられる少年グループだったが、重光が狩りの手を止めることはない。一番近くにいた少年の顔を殴りつける。鼻血を吹き出しながら倒れる少年を見下ろす重光の表情はうっとりとした恍惚の表情だった。
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