アランくんの彼女はロシア人
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父の勤勉な所が私は好きだ。
あらゆる研鑽を自分の血肉にしていった。
俗世的な部分だって、
きっと神様に愛されるだろう。
ガルーラは敬虔な信者ではない。
教会には日常的に参祷しているものの「信仰の火がかろうじて灯っているだけの状態」だった。
そうさせたのは父だ。
私の中ではどうしてもそれが消化できない。
都内の正教会の扉を開ける。
今回はそのことを痛悔したいと思う。
***
ロシアの学校は11年生まである。
クラス替えは無くて担任の先生もずっと同じ。
小学校が4年間。中学が5年間。高校が2年間。
小学校は7歳から通い始めるけど、何歳から入学しても良かった。私は幼稚園が退屈だったから入学テストをして6歳で入学した。
6歳児クラスにいるのは気分が良かった。
小学校を卒業する前に、両親から日本移住の話を聞かされた。開いた口が塞がらなかった。
父は教えてくれた。我が国は多民族国家で、色んな人種を目にしてきただろう。
東アジア。特に日本は単一民族国家で我々は少数民族のような扱いを受ける。仲間外れにされないためにはどうすべきか分かるかい?
私は軽く絶望した。頭が回るから父の考えている構想が私の中に流れ込んでくるのが分かった。うちの宗派がどんなものか知っているから。
ローマカトリック、プロテスタントに並んで3大キリスト教と呼ばれているロシア正教は各国の文化をまるごと受け入れてキリスト教の信仰を土着化させていくやり方を取っていた。
極端な例を言えば日露戦争。
他の宗派なら「神様の前では日本人もロシア人も皆平等だから平和の為に祈ります」と答える。
うちの場合は「日本の必勝祈願をします!」
どこまでも日本文化に根づいた行動を取る。
父は人を見る目があった。
来日した際に県内のとある公園で遊んでいた子供を一人一人観察して通報されたのは過去の話だが、そこで北信介を見つけた。
他にも五件ほど候補があったそうだがロシア人女児の1ヶ月間ホームステイを引き受けてくれたのは北信介の家だった。
当時まだ片言だった父は娘の頭を撫でてから「ワタシの娘ヲ日本人にシテください」と同い年の北信介に頼んだ。彼はそれを真面目に受け取った。
***
日本の小学生の夏休みは41日間。
その期間中ホームステイさせてもらうことになった。
あまりに短すぎる夏休みに少し動揺した。
ロシアの小学生の夏休みは3ヶ月間たっぷりある。だから毎年6月中旬からずっと郊外の別荘地で遊んでいた。
近くの湖で泳いで疲れたら昼寝する。たまに畑仕事手伝ってその繰り返しで何もなかったけどひたすら楽しかった。
日本に到着して一回大きく深呼吸をする。
もうあの場所に戻れないんだと思った。
北信介の家族と共に暮らせばその気持ちは倍増する。「現地の学校でも馴染めるように」特訓の日々が始まった。
アイデンティティがどうこうの話ではない。今はただ日本人になりきることが得策だと子供心で理解していた。
目を合わせない挨拶。
神戸体操のやり方。
畳の歩き方。箸の作法。
仏様のお参りの仕方。
それから日本語を叩き込まれた。
思えば雑巾の絞り方も知らなかったのだ。
泥団子を作るように丸めて絞った私を見て北信介は口をぽかんと開けていた。
ひねって絞るという発想すら思い浮かばない私は野蛮そのものだった。
***
遅れて来日した両親は地鎮祭も教会式ではなく日本式で行なって、融けこむように居を構える。
いよいよ新生活のスタートを切る時が来た。
新学期は9月から始まる国が多い。
というかそうだと思っていたが、なぜか日本の新学期は4月から始まるらしい。
出遅れた感がすごい。中途半端な転校生いややなあ。夏休み最後あたりはそんなことを考えながら過ごしていた。
「やっぱりここにおったか。隠れるの下手やなあ」
「…」
神社拝殿の畳で寝そべっていた私は北信介を一瞥すると顔を背けた。宮司さんのご厚意でもらった冷たい麦茶をそっと端に寄せる。
ここの大人たちは皆子供に優しい。
父はそれを利用するつもりだ。
子供はいつも利用される。
あの時の言語能力で伝えられたかどうか分からないけど、私は不安をぶちまけた。
「…わたしはこわい」
「こわい?」
人間のカラダは7年ごとに新しい細胞で全て入れ替わるそうだ。
シラカバの甘い水で育った私の古い細胞が、新しい分子に取って代わっていく。
7年後にはもうロシアの私ではなくなってしまう。
今は日本人を演じているけど、
いつかロシア人を演じることになる。
その日を迎えるのがこわい。
どうしたらいいの。
「さっき思いついてんけど、これからガルーラって呼んでいい?」
「なんで?」
「うん。ガルーラって呼ぶから」
「…」
ただ同情してほしかっただけなのに。
自分に酔ってるのかと貶してほしかったのに。
何も答えてもらえなかった当時の私はふてくされた。
***
今思えばあれが北信介の「答え」だった。
それに気づいたのはお恥ずかしながら、最近のことである。
彼氏を見ていると、過去が鮮明に見えて新たな視点が浮かび上がるのだ。
尾白アラン。
黒人のハーフとして苦労してきただろうに、いつ見てもめげてないのが不思議だった。
本人は「苦労したことない」らしいので完全に私の思い違いなのだけど。
芯が強いんだろうな。芯ってなんだろうな。
ロシア人を演じている私をさらけ出して、
そんな私を好きだと言ってくれる。
私は…
「告白」を終えると、十字架と聖書と神父の手に口づけをして私の痛悔がおわった。
賛美歌に合わせて十字を切りながら、都内のクリスマス礼拝は神父の言葉で幕を閉じた。
領聖を授かってから正教会を後にする。
引率の先生は「迫力あったな凄かったな」とため息をついた。
「メリークリスマス」
途中で皆と合流して帰路に着く中、少し照れながらそう言って渡してくれたプレゼントを開けた。
手のひらサイズのカラカラを見てアランに抱きついた。周りのヤジがうるさくなったけど、今はこの多幸感を噛み締めていたかった。