ためらいの足取りで
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世の中の男性は、恋人に呼び掛ける時、どんな風に声を掛けるのが普通なのだろう。
個人的には名前を呼んでくれるのが理想なのだが、もしかするとこれは学生時分の夢見がちな願望であって、割と少数派の意見なのだろうか。
いいや、そんな筈は無い。
「おい。」
私に何かしたい時、彼はいつもそうやって、私に呼び掛ける。
私とでは無く、私に何かしたい時、と表現するのは、恋人として付き合い始めてから今まで、彼が私の返事を聞いてくれた事が一度も無いからだ。
これだけならまだしも、「おい」とすら言わない時もある。
この間なんかは、背後から肩を叩かれて、小学生くらいのイタズラでよくある肩ポンからの振り向きざまに人差し指でほっぺたをぷすっとやる例のアレかなと気楽に彼の方を向いた瞬間に接吻(古語)をかまされた。
唇を押し当てるだけで、それ以上は求めない。
彼のキスはいつも突然で、中途半端に優しい。
手を繋ぐ時もそう。こちらが応じる前に、無造作に彼の掌に握り込まれる。
勿論、彼の事は好きだ。
ただ、あまりにも好き過ぎて、彼からの不意討ちのスキンシップで一々どうにかなりそうになる。
控え目に言って長生き出来る気がしないし、心臓が幾つあっても足りない。
これからなるべく長く彼と居る為にも、心の準備をしたいと思うのは、贅沢な悩みだろうか。
「ねえ、勝己。」
「どうしていつも、私に返事訊いてくれないの?」
昼休み、普段会うのに使っている中庭のベンチに腰掛けながら、思い切って聞いてみたが、反応は実にしょっぱい物だった。
「訊く必要ねえからだろ」
彼は先程飲み切ったばかりの炭酸飲料の缶を片手に、こちらを見もせずに返す。
派手なカラーリングに英字の商品名。中学の頃から割と良く買っているのを見るが、そんなに気に入っているのだろうか。
切り出すタイミングを窺っている間に、ついさっき彼が買った炭酸入りジュースの缶も空になってしまった。
「勝己は、訊かなくても私の気持ち分かるの?」
「俺の"個性"はエスパーじゃねんだ。んなの知るかよ」
すげない返答が続くが、話し合いが成立していない所で引き下がっては相談を持ち掛けた意味が無い。
「じゃあ必要ない事も無いんじゃ……」
「しつけーな、俺が必要ねぇから必要ねんだよ!」
怒鳴るのはよろしくない。非常に心臓に悪い。
こう言うおどかしを前触れもなくされると貧弱にも程がある私のメンタルはしばしば恋人らしく無いドキドキで壊れそうになる。
……ので、彼から突然怒鳴られた時には、ちょっぴりお返しをする事にしている。
「ぎゃー、今ので鼓膜破れたー。これは酷いケガでっせー、あんさんどないしてくれんねーん」
「当たり屋かお前は!!つか何だその棒読み、やる気あんのか!?」
「ちょっとしたおふざけだよ。面倒なら流してくれていいのに、律儀なんだから」
一応怒鳴るのをやめて欲しい意図は伝わった様で、彼は殆んど睨む様相で声を落とす。
「……んでそんな返事訊くのにこだわンだ」
ようやく本題に入ってくれる気になったらしい。
馬鹿をやった成果だろうか。
「だって勝己、キスとかハグとか、手を繋いだりとか、いっつもいきなりでしょ?」
「は、ハア!?デケェ声で何言ってやがる、俺の名誉に関わるからやめろ!!」
至って普通のボリュームだが、彼は妙に落ち着きなく声を荒らげる。
「不意打ちが嫌って事は無いんだけど、付き合ってから今日まで全部それだと、流石にちょっと困るし、何で?ってなるじゃない。恋人でも、確認は大事だと思うけどなー」
聞きながら私の意図を察したのか、彼は静かになり、代わりに口許を結んで表情で苛立ちを露にする。
眉を寄せた為に、彼のきつい目許が更に鋭くなった。
「その。偉そうな事言ってごめんね。でも……勝己、そう言う事してくれる時、物凄く優しいから。いたわってくれてるんだな、って嬉しい分、余計気になっちゃって」
所要時間はや2分弱にして、会話のキャッチボールは断たれ、とうとう横を向かれてしまった。
「…………怒ってる?」
「……」
分かりきった質問をしてみても、彼は整然とした面立ちの右半分を横顔に隠し、未だ不機嫌そうな表情で黙りこんでいる。
彼は拗ねると長いが、そこはこちらも慣れているので、時間の許す限りこの微妙に気まずい無言タイムに付き合うまでである。
今日は沈黙がどこまで続くのだろうかと持ち前の能天気な心持ちでぼんやり待っていたが、予想に反して彼が再び口火を切るのにさして時間は掛からなかった。
「加減が分かんねぇんだよ」
「どんくらいしていいのか分かんねぇ。何もしねーで離れられちゃ堪んねぇし、とりあえず無難な事やっときゃ繋ぎ止めんのには充分だと思ってた。ぃ……今まで恋愛なんざ興味なかったから」
「ックソ、何が悲しくて自分の恋愛遍歴語らなきゃなんねんだ」
意外な本音に呆気に取られていると、最早恥もかき捨てと言った様子の彼はこちらの気持ちも追い付かない内に本題に切り込む。
「とにかく、どこまで許容範囲か基準教えろ」
こうなると結構すんなり進む訳だが、そんな事より彼との距離感がクローズ過ぎる。
「基準かあ。そう言われると、線引きが難しい所だね」
「イヤお前がそこハッキリさせねーとこっちも改善しようがねんだよ」
表には出さない様努めてはいても、彼の美麗なおかつ男らしさもある整った顔を寄せられ、三白眼気味のよさみ深過ぎる熱のこもった視線を注がれては、会話中なのだから当たり前だと重々理解していても鈍る判断力が狂った舵を取ろうとする。
「じゃあ、そうだなあ……本番はナシの方向で?」
「その中年ジジイみてーな発想どうにかなんねぇのか。反応し辛ぇわ」
真面目くさった態度でその場を盛大にうやむやにされ、彼は本格的に呆れたらしかった。
「……教室戻る」
結果、赤子の握力以下の反抗期に限りなく近い不満の上澄みはいつものボケの延長線として片付けられ、彼は空になった缶をベンチの端へ置かれたゴミ箱へ放り、そのまま立ち去ろうとする。
「えー、おいてかないで勝己ー」
「知らねぇ、勝手に付いて来りゃいいだろ」
「トロくせーな、もっと早よ歩けや」
「だってお外寒いー」
そんなやり取りを交わしつつ階段を上り進めると、早くもそれぞれの教室への分かれ道になる場所に着いていた。
自分の照れで話し合いが頓挫したのは悔やまれるが、今日の昼休みもここで終わる。
彼はヒーロー科。私は別の科。
ここでいつも彼の背中を見送ってから午後の教室へ戻るのが、私のささやかな楽しみであり、彼との日課の1つ。
じゃあね、とかまたね、とか、いつもしている様に見送りの言葉を渡そうとした時、不意に彼の声がした。
「りうむ」
彼が口走った決して多くない字数の理由に辿り着く前に、間近に降りる影の主が瞼を閉じる。
赤い瞳が見えなくなり、微かに震える唇に落とされた控え目なノイズと温度。
見た目に似合わない程遠慮がちでもどかしい感覚に、単純な心は、いつまで経っても慣れそうにない。
「――『キスしていい』か?」
「……した後じゃ遅いよ。」
形だけ苦笑してみたものの、火が点きそうな頬の熱さも、今しがたの彼への想いを騒ぎ出すうるさい鼓動も、次のチャイムが鳴るより先に引く気配は一向に無く。
「ああ。そりゃ悪かった」
「次からは気を付ける」と気持ちばかり口角を上げる彼に、ふわふわとし始める空気がいつにも無くくすぐったく感じた。
少しだけ勇気を出してみた、いつもの昼休み。
これからもきっと、彼との関係は、緩やかに私へ幸せを運んでくれる。
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