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結論からいうと、今日のボランティア活動はすこぶる上手く行った。
学園の仲介で御手洗が手伝ったのは、犬や猫など動物の保護施設を兼ねたカフェの運営資金を募る募金活動である。
彼女との再会が叶い数年越しの想いがようやく通じたお陰か、一層気を引き締め臨んだ甲斐あって、意外なほど募金額は集まった。
活動では充分な成果を得られ、何より昨夜は久々に夢を見ることなく眠れたのもあって、体が軽い。
どうやら運が向いて来たようだと、御手洗は珍しく気負いない安穏とした日常に心を委ねていた。
彼女と再会を果たした昨日を振り返る。
あの後、正式に付き合ってほしいと伝え、純与も私でよかったら、と御手洗の申し出を受け入れ、数年来の旧友は、晴れて恋人同士になった。
それまでの空白を埋めるように、日が暮れるまで沢山話をした。
10歳の頃、御手洗と別れた後の話も聞いたが、純与の辿った変遷は、彼にとって衝撃的なものだった。
実の両親、後見人の叔父夫婦を立て続けに亡くした彼女は、記憶を失い解離性遁走を起こして失踪。
紆余曲折の末記憶を取り戻し、失踪中彼女を保護していた夫婦の養子となり、本芳の姓を名乗るに至ったそうだ。
辛かったね、などと慰めを口にすることもはばかられる経緯だったが、御手洗の隣で過去を語り終え、"今の両親"の話をする純与は、あの頃よりもずっと幸せそうだった。
御手洗も彼女の10歳当時の状況を知ろうとしなかった自分の未熟さを思うと同時に、顔も知らない彼女の養父母へ無性に感謝したい気持ちになったことを思い出す。
本芳純与(もとよしすみよ)という名前も、前の苗字よりよほど馴染んでいるように感じられた。
昨日の今日で振り返る場面。御手洗が彼女のことだけを忘れていたのを、自身の記憶喪失となぞらえて、私も同じだから気にしないで、と申し訳無さそうに笑った顔に、これまでと同量の自責と、それ以上の愛おしさで、胸が苦しくなった。
重い話をしてしまったと忍びない様子の彼女だったが、そもそもあの後どんな風に過ごしていたかを訊ねたのは御手洗だ。
彼女の変遷を知っても気持ちは変わらないし、むしろこれからは何があっても自分が守ろうと、覚悟を新たに彼女の小さな手を握った。
嬉しいばかりとはいえないが、最後にようやく幸福を掴めた。
そんな忘れがたい再会を経て、本日吉日、御手洗は1日ぶりに訪れたマンション内部の洒落た扉の前で制服の襟を正し、緊張の面持ちだ。
御手洗が立っているのは純与の住む部屋の前。
昨日彼女を送った際部屋番号を教えられ、明日の放課後、つまり今日のボランティアの手伝いが終わる頃に来ると約束したのだ。
付き合って一日もしない間に、彼女の部屋に誘われてしまった。
受け身な表現をしつつも御手洗の胸中は緊張3割、彼氏目線の諸感情7割超といった感じだ。内心かなり舞い上がっている。
「いらっしゃ〜い」
インターホンを押して一拍、中からドアを開け迎えてくれた純与は、制服の上にエプロンを着けていた。
(可愛い…!!)
最高純度の眼福を原液で投与され、小難しい思考が爆散し脳内が彼女への好意を残して更地と化す。
落ち着いた色味のシンプルなエプロン。フリルやレースと言った分かりやすい装飾がない所が、彼女の女性らしさをより引き立たせ、家庭的な雰囲気を強調する。
そこに彼女のエプロン姿があるだけで、将来彼女と築くであろう温かな家庭が目に浮かぶようだ。
クールビズ風に見えなくもない自身の半袖ネクタイの制服も手伝い、御手洗は交際初日にして恋人から新婚夫婦に気分のみ昇格していた。
「どしたの清ちゃん、お手伝いで疲れちゃった?」
お風呂にするかご飯にするか的なやり取りを幻視しかけた折、彼女の心配そうな面持ちで色ボケた妄想から現実に帰る御手洗。
一旦冷静になると自身のドリーマーぶりが恐ろしくなる。この局面で新婚妄想はいくらなんでも気が早い。彼女への気持ちを抑える必要がなくなったとはいえ、当分は自重すべきだ。
「ううん、大丈夫。それじゃあ、お邪魔します」
「どうぞ〜、入って入って」
パステルカラーの幻覚を脳内から閉め出し、御手洗は玄関の戸枠をくぐる。
「こんな格好でごめんね。お茶請け作ろうと思ったんだけど、オーブンの予熱上手く出来てなくて、予定より時間かかっちゃったの」
廊下を進み、御手洗に背を向け純与はリビングのドアノブに手をかける。
後ろでエプロンの紐がリボン結びになっている。後ろ見頃に布が少ないので、折り目正しい赤のプリーツスカートが両サイドを薄い布に切り取られて見える。
後ろ姿まで可愛い。御手洗は彼女の一挙一動に芽生える庇護欲と胸キュンで脳内の更地を緑化しまくっている。エプロン姿で客人を迎えるのは礼儀正しい彼女には気が咎めるのだろうが、御手洗は常時その姿でいてもらっても一向に構わないと思っていた。
「まだキッチンで色々するから、清ちゃんは先にくつろいでて」
「そういうことなら、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
荒ぶった内心をおくびにも出さず、彼氏然とした微笑で応じる御手洗。
「従弟の子来てるから、一緒に居間で待っててね」
そういえば、昨日の話で彼女にはひとつ歳下の従弟がいると聞いていた。戸籍上現在は親類関係にないが、未だに互いの家を行き来する仲らしい。
呼ばれたのが自分だけでなかったことがほんの少し残念ではあったが、いきなり彼女の部屋に二人きりというのも展開が急ぎすぎているし、交際初日であるのを踏まえると、身内を挟んでのお呼ばれは妥当な線だろう。
彼女に促され前に進み出ると、リビングの低い机の側で座布団代わりのクッションに座る少年らしき姿を認めた。彼女のひとつ下なら14歳、御手洗と同じ早生まれでなければ、中学2年生か。仕立てのいいベストの後ろ身頃の色味は、蟲寄市の有名私立中学のそれと似ている。
その人物は足音に気づいて姿勢を正し、こちらを振り返る。
御手洗は相手が振り向く際とある箇所に注目する。先程までは、せり出す壁とタンスに阻まれた廊下の延長に彼女と並んでいて気付けなかった箇所だ。
うなじから耳の下までを刈り上げたギザギザの茶髪。
この髪型、どこかで……
「やっとおでましですか。ウチの姉ちゃん待たせるなんていい度胸して――」
振り向きざまに紫の双眸と視線がぶつかったと思うが否や、斜めに半身を傾け軽く肘を曲げ、少年は眉を寄せる。
「うわ。」
およそ昔の知り合いに再会したとは思えないリアクションをとっている彼の名は、天沼月人。
かつて"遊塾者 "の肩書きで、御手洗と共に仙水忍の計画に利用された一人である。
――――
相手は訝しげな表情で御手洗を目で射っている。
眼前の少年と目を交わし、御手洗は思う。
彼ほどあからさまではないにしろ、自分も同じような顔をしているのだろうと。
そして実際、彼らは立場以外さして変わらない驚きを胸中に綴っていた。
(てことは、純ちゃんの従弟って…)
(ウソだろ、純与姉ちゃんの彼氏って…)
"よりによってお前かよ"
頭を抱えたいのをこらえ、愛想笑いで睨み合う御手洗と天沼。
まさか互いに純与と親しい間柄だったとは。意外だが、それ以上に気まずい。
断っておくが、御手洗と天沼は決して互いを忌み嫌っているのではない。
彼らは元仲間同士。御手洗が幽助達に協力する以前から反目し合っていた訳もなく、仙水の仲間内では会話も多かったほうだ。
だが、多少交流を経たからこそ、彼らは互いの性質を把握してしまっている。
両者の性格は表面上で分かるものすら水と油。
すなわち、赤の他人なら無難に関係を保てても、身内にいれば最低限以上の応対を敬遠するレベルでそりが合わないだろうというのが、両者の水面下での共通認識であった。
ひとつ歳下の従弟というだけで、昨日時点で名前を聞いていなかったことが悔やまれるが、相手もそれは同じだったようだ。
「純与姉ちゃんの彼氏って……こいつ?」
開口三番のこいつ呼ばわり。
分かり切ったことを確認するだけでこの口ぶり。なぜこんなに当たりが強いのか。
「もう、月人くん。そんな言葉使わないの」
御手洗の横合いに歩み出た純与が、人差し指を立て天沼をたしなめる。
「分かったよ。『この人』が彼氏?」
甘めの叱り口調から一転、純与は御手洗の腕を自身の両腕に捕まえ、彼の肩口に頬を当て、真隣で寄り添うようにして答えた。
「うんっ♪可愛いでしょ〜?御手洗清志くんっていうの!私は清ちゃんって呼んでるんだけどね」
(か、かわ…え?ボクって可愛い判定なの?)
彼女からの意外な評価に動揺するも、困惑気味な笑顔で御手洗も分かり切った事実確認フェーズに入る。
「純ちゃん。えっと…この子は?」
「昨日話した、従弟の天沼月人くん♪」
ぱっと絡めた細腕を離し、純与は御手洗の横から正面に移り、天沼の肩を両手で包む。解かれた腕が名残惜しい。
「賢くてとってもいい子なんだよ〜!それにね、ちょっと意地っ張りだけど、清ちゃんに負けず劣らずかぁいいの」
「意地っ張りは余計だよ姉ちゃん」
可愛いは受け入れるのか。元仲間は従姉に弱いらしい。
照れくささが隠せていない天沼の軟化した口調に、御手洗は従姉弟同士の親密さを垣間見た気がした。
それにしても、天沼が初対面の体で話すのでこちらも初見を装ってしまったが、純与に知り合いだと明かしたほうがいいだろうか。
雑念交じりに考えていると、天沼はとっくに彼の肩から手を離し隣で見守る純与の右肩を掴み、空いた手でピースを作ってしたり顔を御手洗に向ける。
「初めましてェ、御手洗清志さん。純与姉ちゃんの"かぁいい従弟"の月人くんで〜〜す、どうぞよろしく。」
ピース部分の指をパカパカしつつ、軽いノリで自己紹介する天沼。
が、どうぞよろしく、の辺りだけきっかりワントーン低い。
端々に漂う微妙なトゲが気になるが、なるほど、あくまで初対面で押し通せということらしい。ならばと御手洗も言葉につまりながら、つとめてにこやかに挨拶し返した。
「どうも。純ちゃんの彼氏の御手洗清志っていいます。純ちゃんとはこれから仲良くさせてもらう予定だけど、天沼…くんも、あまり身構えないでくれると助かるよ。」
「へ~、どんな風に仲良くするのか詳しく聞きたいなァ。オレも今日はご一緒しますよ、"御手洗さん"」
あまり意味深な空気を出していると面識があるのがバレそうだが。
というか、最後に会った時お前そんな感じじゃなかっただろ。
忌憚なき所感を今にも口角が下がりそうな苦笑いで脳内に並べる御手洗と威嚇前の猫じみた様相で腰に手を当てる天沼の間で、純与は両手を合わせて緩く場をまとめる。
「これでご挨拶は済んだね!月人くん、清ちゃん居間に案内してあげて」
「は~い」
ちらと顧み、1名様ご案内〜とおどけた口調で先導する天沼。
ついて来いとはいわれていないが、向かって数畳右の引き戸を横開きする天沼に続き、御手洗も客間へ足を踏み入れる。
さっきまでの自身の妄想劇場が懐かしい。浮ついた妄想だったが、ここまでガッツリ現実に引き戻されるなら夕方まで玄関口で彼女の眼福を目に焼き付け色ボケに浸っていればよかったかも知れない。
恋人のエプロン姿を録画再生方式で脳裏に描き、束の間の癒しを得る御手洗。
月曜の昼下がり。
再出発したての恋は、一筋縄ではいかないらしい。
――――
御手洗の膝辺りの高さの机上。その両端向かいに一客ずつ置かれたティーカップには、温かな紅茶が注がれている。
来客用の長めのソファの端に浅く腰掛ける御手洗の正面、机を挟んだ一人用の肘掛け付きソファへ横向きに足を崩す天沼は、フリルランプシェードめいたモチーフ不明の大きなぬいぐるみに片肘を埋め、中東の石油王並みにくつろいだ格好でゲームボーイカラーを嗜んでいる。
空の盆を手に純与が客間を去り3秒でこの始末。
客人である御手洗をもてなす気など一切ない。元々期待はしていなかったが、純与の前での態度とは雲泥の差だ。
「彼氏が留学経験あって学生ボランティアしてるとか、姉ちゃん散々褒めてたけど、まさか御手洗さんがねェ…」
ゲームが一段落ついた所で何度かボタンを押し電源を切った天沼は、ソファの横に立てかけたリュックへゲーム機をしまい、おっくうそうに身を起こして言った。
「極端から極端かよ」
「その言葉のナイフしまってくれないか天沼。」
奇しくもいつかの健康優良不良少年もとい霊界探偵と似たようなことをいう天沼。
(前から思ってたけどこいつ、ホントこいつ…)
当時から少々ふてぶてしかったが、生意気ぶりは健在どころか以前より悪化している。
忖度0の放言に鼻白む御手洗をよそに、細やかな起毛の座面にあぐらをかき、ぬいぐるみを抱えた天沼は飄々と話を進める。
「じゃ、まずは姉ちゃんの彼氏に立候補しやがった動機を簡潔に述べてもらっていいかな」
「お前な…」
仙水の計画を阻止したのち、手紙で桑原に自身と合わせてその後を報告した流れで、天沼とは一連の事件が解決した後も顔を合わせる機会があった。
ただ、当時は比較的穏やかに別れたのもあり、以前の快い雰囲気と目前の不機嫌顔との落差に、春めく縁側から極寒の雪山にテレポートしたようなギャップを覚える。これがサウナなら温度差で確実に整っている。
「そりゃ姉ちゃん可愛いしモテるだろうとは思ってたけどさ。いきなり彼氏とか?こっちとしては寝耳に水なんだよね〜」
「しかも相手は海雲通いのそこそこエリートで?学生ボランティアに従事する勤勉で誠実で真面目な美少年!あんまり良物件なんで、経歴詐称を疑っちゃったよ」
ねちっこい圧迫面接官の如き嫌味な台詞を連ねる天沼に、御手洗が粛々と返す。
「まともになったかは他人が見て判断することで、断言は出来ない。けど、ボクだってこの3年ただ無為に過ごしてたつもりはないし、褒められるような人間かはさておき、純ちゃんに嘘なんかつかないよ」
「天沼も、急に来て彼氏とかいわれても納得いかないだろうけど、これから純ちゃん経由で嫌でも関わり増えるんだからさ。そう喧嘩腰になるなよ」
天沼の不信感を拭おうと真摯に答え、末尾は何度目かの苦笑いで締めくくった。
出方を探られているのは理解している。
しかし、御手洗は既に覚悟を決めた。将来への打算がないといえば嘘になるが、純与と恋人として良好な関係を続ける横で、彼女の身内である天沼ともそれなりに仲良くしておきたい。多少性格が合わないならば、歳上の自分がカバーしよう。
そんな御手洗の意図を知ってか知らずか、天沼は片手を振ってすげない態度だ。
「更生した云々は別にいいんだって。多少心を改めたのは見れば分かるし」
かき集めた友好的姿勢が御手洗の中で早くも挫けそうになるが、続ける天沼の苦言は、数分前の嫌味なものとは異なる滔々とした響きで、場の空気を変えた。
「ただ、今がどれだけイイ人でも、昔一緒になって悪いことしてた人が自分の身内に近付いて来たら誰だって構えるでしょ?ましてや、大事な人ほどなるべく関わってほしくないって思うのが当たり前でさ。オレの言ってること、そんな変?」
「逆の立場で考えてみてよ。御手洗さんがオレなら、純与姉ちゃんがそういう人に関わってても平気なワケ?」
「それは……絶対心配になるし、関わるのも必死で止めると思う」
「だよね。オレも同じ気持ち。」
姉を思う弟の率直な指摘。
正論に違いはないのだが、付き合いたてでぶつけられるには中々に手厳しい内容で、非常に耳が痛い。
過去のことで昔の仲間から苦言を呈されるなど全く想定していなかった。告白を受け入れて貰えただけでひどく浮かれていたが、彼女と交際を続け、同じ道を歩み続けるなら、いつかは全てを打ち明けるべきなのだろうか。
彼女には14歳の頃の話はほとんどしていない。隠そうと思ったのではなく、話すべきことなのかどうか、自分の中で正しい判断がつかなかったからだ。
「今の御手洗さんにさしたる害はないだろうけど、やっぱ過去のこと思うと、どうしても引っかかるんだよね。能力の為とはいえナイフ常備してた人だし」
(やめろ天沼、その件ばかりはぐうの音も出ない!)
懸念を吐露するついでに黒歴史をつつかれ、額に手をやり下を向く御手洗。
シリアスに傾いた思考が、天沼の追撃で一気に集中を欠く。
「姉ちゃんは、オレと違って人を選んだりすることを知らないんだ。それって人間性としては長所なんだろうけど、自衛の点では全然ダメだよ。別け隔てないってことは、良い人も悪い人も拒めないってことだもん。姉ちゃんはちょっと抜けてる所あるから、悪い大人に騙されたりしたらって…考えたらゾッとする」
天沼が失礼を承知で不信感を露にしているのは、恐らく不安の裏返しだ。
だが、御手洗が歩み寄ろうにも、過去仙水の計画に協力したという共通点が、少なからず双方のノイズになってしまう。
あの計画に手を貸したことを改めて後悔する。
過去の件さえなければ、天沼とは今日が初対面だったかも知れないし、互いの印象や会話の内容も違っていたはずだ。
それでも、ここで話を止めるつもりはない。
口にすべきは信用を得る為の説得ではなく、彼と同じく純与を真剣に想う者としての決意表明だ。
「天沼が心配になるのは分かる。――でも、いつかお前に変わるって言った通り、ボクは今日まで出来る限りのことをやって来た。」
「今すぐ信用してくれとはいわない。いつか天沼にも純ちゃんを安心して任せてもらえるまで、純ちゃんの彼氏として、一人の人間として頑張るよ」
「だから……」
「……」
微妙な顔でこちらを見つめ、わざとらしく大きなため息をつく天沼。
「よっわいなァ御手洗さん。そこは意地でも『お前の姉ちゃんはボクに任せろ!』って啖呵切るとこでしょ?」
「わ、悪かったなァ弱くてっ」
過去の応酬を匂わせる文言を交えた煽りに、御手洗は昭和後期の漫画やアニメにありがちな目元だけはにこやかな逆八の字眉で勢いづく。
重めの空気が消散し、残るのは互いの意地のみだ。
「受け身な彼氏さんには、オレから勝負しかけるしかないみたいだね」
ぬいぐるみを横に置き、不敵に笑う天沼に、覚えずたじろぐ御手洗。
「まさか、ここで能力使うつもりじゃ…」
「あ~ないない。相変わらず気弱な割に好戦的だよね、御手洗さんは」
「オレが言ってんのはこれ」
天沼が一旦ソファを立ち上がり、座面の後ろから箱を持ち出す。
緑の盤面に白黒の石が並ぶパッケージは、誰もがよく知るポピュラーな室内遊戯だ。
「オセロ…?」
「というワケで。――――ゲーム勝負で白黒はっきりさせようか、御手洗さん?」
片眉を上げ、ゲーム盤を取り出す天沼に、こいつ絶対これがやりたかっただけだ、と漠然とした答え合わせをなされる御手洗なのだった。
――――
容赦なくしてやられた。
御手洗の石は白。天沼の石は黒。
盤面は一面潔いほど綺麗な黒に染まり、白の石は1つもない。
「あちゃ~、ボロ負けだよ御手洗さん。こんなんじゃ、オレの純与姉ちゃんは到底任せられないなァ」
デカぬいぐるみをポンポン叩き、天沼は楽しげに当てこすりをいう。
ゲーム勝負には真剣な天沼のことだ。敗北を認めた暁には、本気で別れろといわれかねない。
「も、もう1回だ!次で挽回するから!」
「そうこなくちゃ。次も一瞬で四隅取ってやる」
最初の石を4つ中央に並べ、ゲームは2戦目に突入する。
「で、肝心なこと聞いちゃうけどさ」
また例の圧迫面接を再開する気かと内心食傷する御手洗は、気疎げに相づちする。
「なんだよ今度は」
「姉ちゃんとはどこで知り合ったんだい?」
今度はどの角度からチクチクいわれるかと思いきや、彼女の身内として穏当な質問が投じられ、肩透かしを喰らった気分になる。
さりとて、彼女の身内にここまで気を張らなくてはならないのもおかしな話だ。
幾分前の手厳しい指摘が頭をよぎり、歯切れ悪く答える御手洗。
「昔通ってたスイミングスクールに、純ちゃんが体験入学に来て……そこで」
「へぇそう、体験入学で。でも体験って御手洗さんが教える訳じゃないよね。そこでそんな仲良くなるかなァ」
「バディ組んでたんだよ。生徒数に対してコーチ少なかったし、初心者の補助役みたいな感じで」
「何度かそうかなっていうのはあったけど、最初に意識したのは、あの時だと思う」
「顔、水につけて、バタ足のまま進む練習の為に、手を握ってあげてたんだけど」
「純ちゃん、不安だったのかな……『もっと強く握ってくれませんか』って……いわれて」
「で、そこで好きになったって?」
「っ、……そうだよ。悪いかよ」
なんだろう。自分で話してて恥ずかしくなって来た。
御手洗の面映ゆいエピソードに、天沼は無言で俯く。
そして、ほどなくしてゆっくりと顔を上げた。
「ハァア〜〜??」
尻上がりにカーブを描く眉。昼間の猫のように黒目の割合が少ない三白眼。緊迫とはかけ離れたデフォルメのきつい呆れ混じりの表情は、顔全体で彼の不興と不満を表していた。
「なんっっなんだよソレ。手を握って握られて『あ、好き
』じゃないんだよ、惚れるの早すぎでしょふざけてんの!?じゃあ何、女の子に手握られたり女の子の手握ったりしたら誰でも好きになんのかあんたは!」
天沼は両手で罪なきデカぬいぐるみをもみくちゃにしながらストレスを発散する。シンプルな顔文字にも似たぬいぐるみの顔が、不本意に伸縮させられ気の毒なことになっている。
「いや、なんでボク正直に話してキレられてるの?」
表情も声もフラットに素朴な疑問を挟む御手洗。
「なんだそのアンデスメロンばりに甘っあまな理由は!だァ〜〜っ甘い!オレもうむず痒くて砂糖吐きそう!!なーにが手を握るの握らないのだっつーの!あんたほんとにあの御手洗さん!?昔とは別の意味でもんのすごくムカつくんだけど!!?」
(ムカつくのは分かったけど、佐藤錦だのアンデスメロンだの…果物で例えるの流行ってるのか?)
「よォーっく分かったよ!あんたは推定不穏因子じゃなくただの色ボケ男子高校生だァっ!」
煽り合いにおいては相手が自覚している点をあげつらうのが一番効く。本日ちょいちょい気にしていた所を言い当てられてしまい、御手洗は防戦一方から反撃せざるを得なくなった。
「う、うるさいなもう!さっきから聞いてれば言いたい放題!男子高校生が色ボケて悪いか!!仕方ないだろ好きなんだからっ!!」
「開き直らないでくれるかなァ!?純与姉ちゃんはオレが先に好きになったんだぞ!御手洗さんみたいな色ボケ野郎には渡さないからな!フジュンイセーコーユーなんて許さん、ぜ~ったい認めない!!」
「なんで純ちゃんとのお付き合いにお前の許可仰がなきゃなんないんだよ!お前は純ちゃんのお父さんか!!」
「実質父親と名乗っても差し支えない程度に貢献してるけど!?何か文句あるっての!?」
会話のドッジボール形式で繰り出される不毛な争いの見本市。
お互い真剣なのだろうが、はたからみればただの修羅場風漫才でしかない。
こいついい切りやがった、と空いた口がふさがらない御手洗を指差し、肩で息をする天沼は席を立ち上がる。
ぬいぐるみが膝から落ちたが、彼はそこまで気が回らない様子だ。
「ったく、御手洗さんと姉ちゃんが昔から知り合いとか、聞いてないよ…姉ちゃんも、この大変な時に彼氏なんて…」
椅子の傍らに離れ、片手でぐしゃぐしゃと雑に頭をかく天沼の言葉は、御手洗に聞かせるつもりのない声量で、ほとんど愚痴に近い。
この独り言こそ、彼の偽りない本音らしかった。
「天沼…純ちゃんのことで、何かあるのか?」
静かに問う声を聞いた天沼は、何かを言いかけた風な顔つきで一瞬御手洗のほうを向いたが、短く視線を泳がせ、また背を向ける。
「教えてくれ。ボクが出来ることがあるなら、なんでもする。」
頭から離した手を垂れ下げ、指先を軽く丸めた天沼に、御手洗は食い下がる。
机側に向いた所から更にまた背を向けた為、天沼は御手洗の視点では斜交いに立っている状態だ。
俯きがちの前髪が影になり表情が分かりにくいが、横に結ばれた彼の口元はわずかに開き、強く歯噛みする。
垂れ下げた手を握り込み、天沼は息苦しげに彼女の名前を呟く。
「姉ちゃんは、……――純与姉ちゃんは――……ッ」
そのまま話し始めるかと思われたが、天沼の声はパタパタと小さな足音に気づき、そこで止まった。
「クッキー焼けたよ〜。二人共、そろそろお茶のお代わり入れるね」
「やり〜!オレちょうど小腹空いてたんだ。姉ちゃんも一緒に食べよっ」
椅子から離れていた天沼は、客間の戸を引き現れる純与に抱きつく。
(お、恐ろしく早い切り替え…!!)
御手洗でなければ見逃していたことだろう。
やけに幼く振る舞う天沼は、11歳の頃と変わりなく無邪気に見える。
ただし、深刻そうな空気からの変わり身としては、彼の台詞は大袈裟なほど明るかった。
「清ちゃんの分も沢山あるからね」
慣れているのか、天沼に至近距離でじゃれつかれるのにも動じず、御手洗のほうに顔を向け微笑みかける純与。
天沼も14歳で、相応に身長は伸びており、純与と並ぶと若干低いくらいだ。身長差がほぼないせいか、姉離れできない弟というより、幼女に懐く大型犬を彷彿とさせる。
「あ、その前にこれ」
純与から腕を離し、ひょいと机まで進み出た天沼の最後の一手で、残っていた白の列が黒に変わる。
「へへ~ん。またオレの勝ち~」
「やられた…!」
膝から崩れ落ちる要領で座ったまま背を屈める御手洗。
片手間のオセロは結局2戦とも勝てずじまいだ。
「月人くん、またお客さんとゲームしてたんだ。清ちゃんも付き合ってくれてありがとね」
「あはは、まあね…」
可愛い彼女の花開く微笑みに、男同士で張り合っていたとはいえず、曖昧に答えるしかない御手洗。
「二人共、すっかり仲良しになってよかったぁ。月人くんちょっとツンツンしてるから心配だったんだ〜」
「失敬だな姉ちゃん、オレらもうマブだよマブ!ね、姉ちゃんの彼氏の御手洗さん?」
「はいはいそうだね」
書面上は他人になったとはいえ、仲の良い身内をぽっと出の彼氏に掠め取られるのは、純与と距離が近い関係であるほどいい気はしないのだろう。
天沼の猫被りと評すべき温度差著しい態度を鑑みても、純与に対して好意を抱いているのは明らかだ。(家族愛かそれ以上かはさておき)
一連の圧迫面接よろしい会話も、昔の仲間ゆえにあえて厳しく接したというより、誰が来ても彼氏の時点で試す気満々だったに違いない。
要するに、御手洗相手だからではなく、姉の彼氏相手だから目の敵にされていたという単純な話だ。
彼氏というだけで敵視されるのはいささか理不尽ではあるが、前述の通り、御手洗は天沼と関わりがあり、両親の帰りが遅いということはさわり程度聞き及んでいる。
天沼の家庭の事情を汲めば、手痛い問答も初回くらいは黙って付き合うのが、彼女を想う同志に対するせめてもの義理か。
そうは思うが、本当に彼の前に出る性格には難儀する。
妙な徒労感に苛まれる御手洗だが、ふと客間での小競り合いで悪い方向に盛り上がっていた件が気になり、純与にそれとなく確かめる。
「純ちゃん、さっきはちょっと話し込んじゃって…料理中、うるさくなかった?」
「そうなんだ?音楽聴いてたから、全然分かんなかった」
彼女はエプロンのポケットからビーンズウォークマンを取り出し、顔の横にかざす。ホワイトの丸みを帯びたスケルトンボディの端で、マスコット付きのストラップが揺れた。
「それ…」
マスコットがぬいぐるみと同じデザインだったので、御手洗は小さく声をもらす。
「これ?これはね~、メンダコちゃんっ」
小競り合いが聞かれていなかったかの確認のおまけで、期せずしてぬいぐるみのモチーフを知る。
あまり聞き慣れない名前だが、響きからしてタコの仲間だろうか。
「ぬいぐるみも揃えたんだ~」
天沼が拾って渡すぬいぐるみを御手洗に見せ、壁際の棚の上へしまう彼女。
少女の後ろ姿を目で追う御手洗。棚の上に大小2体ずつ仲良く並ぶぬいぐるみは、まるでメンダコの家族のようだ。
姉弟の会話を聞く限り、ぬいぐるみは天沼がゲームセンターで取ってきた戦利品で、今日はそれを渡す為に彼女の部屋に来ていたらしい。天沼の表情を見るに、もちろんそれは方便だろうが。
その後は小皿に乗ったクッキーを紅茶と共に相伴に預かり、和やかに夕方までを過ごすこととなった。
足早に日が傾くのによそえて帰宅を促す天沼の隣で、夕食もどうかと彼女に勧められ、御手洗は即快諾した。
散々圧迫面接に付き合ったのだから、これくらいは役得の内だ。
天沼は不承不承の体だったが、彼女の手前それ以上何も言わなかった。
約1名のジト目をかわしつつ、彼女が取り分けた料理を受け取る御手洗。
天沼との関係を元仲間から純与の従弟と彼氏へ移行させるにはしばらく時間がかかるだろうが、これも試練と思い、根気よく信用を積み重ねて行くしかない。
――――
なんともはや、目まぐるしい1日であった。
夕食を済ませ御手洗の居座る建前がなくなった途端、天沼は機嫌よく彼を玄関口に誘う。
御手洗が帰るので寂しげな純与をなだめる天沼に、御手洗もまた明日会えるから、と同調し、彼女の頭を軽く撫でた。
天沼は彼女の後ろでうっすら癖毛の少年を睨むも、どういう風の吹きまわしか、御手洗を下の階まで送ると伝え、ドアを背に彼と2人で外に出る。
エレベーターで階下に降りる際、天沼は頭の後ろで手を組み無言だったが、エントランス内の自動ドアを通り、マンションの出入口を抜けた時、短い階段を降りる御手洗の背中に呼びかけた。
「あのさ。」
客間での攻防と代わり映えしない一幕が過ぎ、御手洗は辟易しながら帰途につく。
別れ際の長丁場を、彼にとってこの先に待つ不穏な展開を暗示した警告であったと理解するのは、幾日をまたいで随分後のことだった。
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学園の仲介で御手洗が手伝ったのは、犬や猫など動物の保護施設を兼ねたカフェの運営資金を募る募金活動である。
彼女との再会が叶い数年越しの想いがようやく通じたお陰か、一層気を引き締め臨んだ甲斐あって、意外なほど募金額は集まった。
活動では充分な成果を得られ、何より昨夜は久々に夢を見ることなく眠れたのもあって、体が軽い。
どうやら運が向いて来たようだと、御手洗は珍しく気負いない安穏とした日常に心を委ねていた。
彼女と再会を果たした昨日を振り返る。
あの後、正式に付き合ってほしいと伝え、純与も私でよかったら、と御手洗の申し出を受け入れ、数年来の旧友は、晴れて恋人同士になった。
それまでの空白を埋めるように、日が暮れるまで沢山話をした。
10歳の頃、御手洗と別れた後の話も聞いたが、純与の辿った変遷は、彼にとって衝撃的なものだった。
実の両親、後見人の叔父夫婦を立て続けに亡くした彼女は、記憶を失い解離性遁走を起こして失踪。
紆余曲折の末記憶を取り戻し、失踪中彼女を保護していた夫婦の養子となり、本芳の姓を名乗るに至ったそうだ。
辛かったね、などと慰めを口にすることもはばかられる経緯だったが、御手洗の隣で過去を語り終え、"今の両親"の話をする純与は、あの頃よりもずっと幸せそうだった。
御手洗も彼女の10歳当時の状況を知ろうとしなかった自分の未熟さを思うと同時に、顔も知らない彼女の養父母へ無性に感謝したい気持ちになったことを思い出す。
本芳純与(もとよしすみよ)という名前も、前の苗字よりよほど馴染んでいるように感じられた。
昨日の今日で振り返る場面。御手洗が彼女のことだけを忘れていたのを、自身の記憶喪失となぞらえて、私も同じだから気にしないで、と申し訳無さそうに笑った顔に、これまでと同量の自責と、それ以上の愛おしさで、胸が苦しくなった。
重い話をしてしまったと忍びない様子の彼女だったが、そもそもあの後どんな風に過ごしていたかを訊ねたのは御手洗だ。
彼女の変遷を知っても気持ちは変わらないし、むしろこれからは何があっても自分が守ろうと、覚悟を新たに彼女の小さな手を握った。
嬉しいばかりとはいえないが、最後にようやく幸福を掴めた。
そんな忘れがたい再会を経て、本日吉日、御手洗は1日ぶりに訪れたマンション内部の洒落た扉の前で制服の襟を正し、緊張の面持ちだ。
御手洗が立っているのは純与の住む部屋の前。
昨日彼女を送った際部屋番号を教えられ、明日の放課後、つまり今日のボランティアの手伝いが終わる頃に来ると約束したのだ。
付き合って一日もしない間に、彼女の部屋に誘われてしまった。
受け身な表現をしつつも御手洗の胸中は緊張3割、彼氏目線の諸感情7割超といった感じだ。内心かなり舞い上がっている。
「いらっしゃ〜い」
インターホンを押して一拍、中からドアを開け迎えてくれた純与は、制服の上にエプロンを着けていた。
(可愛い…!!)
最高純度の眼福を原液で投与され、小難しい思考が爆散し脳内が彼女への好意を残して更地と化す。
落ち着いた色味のシンプルなエプロン。フリルやレースと言った分かりやすい装飾がない所が、彼女の女性らしさをより引き立たせ、家庭的な雰囲気を強調する。
そこに彼女のエプロン姿があるだけで、将来彼女と築くであろう温かな家庭が目に浮かぶようだ。
クールビズ風に見えなくもない自身の半袖ネクタイの制服も手伝い、御手洗は交際初日にして恋人から新婚夫婦に気分のみ昇格していた。
「どしたの清ちゃん、お手伝いで疲れちゃった?」
お風呂にするかご飯にするか的なやり取りを幻視しかけた折、彼女の心配そうな面持ちで色ボケた妄想から現実に帰る御手洗。
一旦冷静になると自身のドリーマーぶりが恐ろしくなる。この局面で新婚妄想はいくらなんでも気が早い。彼女への気持ちを抑える必要がなくなったとはいえ、当分は自重すべきだ。
「ううん、大丈夫。それじゃあ、お邪魔します」
「どうぞ〜、入って入って」
パステルカラーの幻覚を脳内から閉め出し、御手洗は玄関の戸枠をくぐる。
「こんな格好でごめんね。お茶請け作ろうと思ったんだけど、オーブンの予熱上手く出来てなくて、予定より時間かかっちゃったの」
廊下を進み、御手洗に背を向け純与はリビングのドアノブに手をかける。
後ろでエプロンの紐がリボン結びになっている。後ろ見頃に布が少ないので、折り目正しい赤のプリーツスカートが両サイドを薄い布に切り取られて見える。
後ろ姿まで可愛い。御手洗は彼女の一挙一動に芽生える庇護欲と胸キュンで脳内の更地を緑化しまくっている。エプロン姿で客人を迎えるのは礼儀正しい彼女には気が咎めるのだろうが、御手洗は常時その姿でいてもらっても一向に構わないと思っていた。
「まだキッチンで色々するから、清ちゃんは先にくつろいでて」
「そういうことなら、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
荒ぶった内心をおくびにも出さず、彼氏然とした微笑で応じる御手洗。
「従弟の子来てるから、一緒に居間で待っててね」
そういえば、昨日の話で彼女にはひとつ歳下の従弟がいると聞いていた。戸籍上現在は親類関係にないが、未だに互いの家を行き来する仲らしい。
呼ばれたのが自分だけでなかったことがほんの少し残念ではあったが、いきなり彼女の部屋に二人きりというのも展開が急ぎすぎているし、交際初日であるのを踏まえると、身内を挟んでのお呼ばれは妥当な線だろう。
彼女に促され前に進み出ると、リビングの低い机の側で座布団代わりのクッションに座る少年らしき姿を認めた。彼女のひとつ下なら14歳、御手洗と同じ早生まれでなければ、中学2年生か。仕立てのいいベストの後ろ身頃の色味は、蟲寄市の有名私立中学のそれと似ている。
その人物は足音に気づいて姿勢を正し、こちらを振り返る。
御手洗は相手が振り向く際とある箇所に注目する。先程までは、せり出す壁とタンスに阻まれた廊下の延長に彼女と並んでいて気付けなかった箇所だ。
うなじから耳の下までを刈り上げたギザギザの茶髪。
この髪型、どこかで……
「やっとおでましですか。ウチの姉ちゃん待たせるなんていい度胸して――」
振り向きざまに紫の双眸と視線がぶつかったと思うが否や、斜めに半身を傾け軽く肘を曲げ、少年は眉を寄せる。
「うわ。」
およそ昔の知り合いに再会したとは思えないリアクションをとっている彼の名は、天沼月人。
かつて"
――――
相手は訝しげな表情で御手洗を目で射っている。
眼前の少年と目を交わし、御手洗は思う。
彼ほどあからさまではないにしろ、自分も同じような顔をしているのだろうと。
そして実際、彼らは立場以外さして変わらない驚きを胸中に綴っていた。
(てことは、純ちゃんの従弟って…)
(ウソだろ、純与姉ちゃんの彼氏って…)
"よりによってお前かよ"
頭を抱えたいのをこらえ、愛想笑いで睨み合う御手洗と天沼。
まさか互いに純与と親しい間柄だったとは。意外だが、それ以上に気まずい。
断っておくが、御手洗と天沼は決して互いを忌み嫌っているのではない。
彼らは元仲間同士。御手洗が幽助達に協力する以前から反目し合っていた訳もなく、仙水の仲間内では会話も多かったほうだ。
だが、多少交流を経たからこそ、彼らは互いの性質を把握してしまっている。
両者の性格は表面上で分かるものすら水と油。
すなわち、赤の他人なら無難に関係を保てても、身内にいれば最低限以上の応対を敬遠するレベルでそりが合わないだろうというのが、両者の水面下での共通認識であった。
ひとつ歳下の従弟というだけで、昨日時点で名前を聞いていなかったことが悔やまれるが、相手もそれは同じだったようだ。
「純与姉ちゃんの彼氏って……こいつ?」
開口三番のこいつ呼ばわり。
分かり切ったことを確認するだけでこの口ぶり。なぜこんなに当たりが強いのか。
「もう、月人くん。そんな言葉使わないの」
御手洗の横合いに歩み出た純与が、人差し指を立て天沼をたしなめる。
「分かったよ。『この人』が彼氏?」
甘めの叱り口調から一転、純与は御手洗の腕を自身の両腕に捕まえ、彼の肩口に頬を当て、真隣で寄り添うようにして答えた。
「うんっ♪可愛いでしょ〜?御手洗清志くんっていうの!私は清ちゃんって呼んでるんだけどね」
(か、かわ…え?ボクって可愛い判定なの?)
彼女からの意外な評価に動揺するも、困惑気味な笑顔で御手洗も分かり切った事実確認フェーズに入る。
「純ちゃん。えっと…この子は?」
「昨日話した、従弟の天沼月人くん♪」
ぱっと絡めた細腕を離し、純与は御手洗の横から正面に移り、天沼の肩を両手で包む。解かれた腕が名残惜しい。
「賢くてとってもいい子なんだよ〜!それにね、ちょっと意地っ張りだけど、清ちゃんに負けず劣らずかぁいいの」
「意地っ張りは余計だよ姉ちゃん」
可愛いは受け入れるのか。元仲間は従姉に弱いらしい。
照れくささが隠せていない天沼の軟化した口調に、御手洗は従姉弟同士の親密さを垣間見た気がした。
それにしても、天沼が初対面の体で話すのでこちらも初見を装ってしまったが、純与に知り合いだと明かしたほうがいいだろうか。
雑念交じりに考えていると、天沼はとっくに彼の肩から手を離し隣で見守る純与の右肩を掴み、空いた手でピースを作ってしたり顔を御手洗に向ける。
「初めましてェ、御手洗清志さん。純与姉ちゃんの"かぁいい従弟"の月人くんで〜〜す、どうぞよろしく。」
ピース部分の指をパカパカしつつ、軽いノリで自己紹介する天沼。
が、どうぞよろしく、の辺りだけきっかりワントーン低い。
端々に漂う微妙なトゲが気になるが、なるほど、あくまで初対面で押し通せということらしい。ならばと御手洗も言葉につまりながら、つとめてにこやかに挨拶し返した。
「どうも。純ちゃんの彼氏の御手洗清志っていいます。純ちゃんとはこれから仲良くさせてもらう予定だけど、天沼…くんも、あまり身構えないでくれると助かるよ。」
「へ~、どんな風に仲良くするのか詳しく聞きたいなァ。オレも今日はご一緒しますよ、"御手洗さん"」
あまり意味深な空気を出していると面識があるのがバレそうだが。
というか、最後に会った時お前そんな感じじゃなかっただろ。
忌憚なき所感を今にも口角が下がりそうな苦笑いで脳内に並べる御手洗と威嚇前の猫じみた様相で腰に手を当てる天沼の間で、純与は両手を合わせて緩く場をまとめる。
「これでご挨拶は済んだね!月人くん、清ちゃん居間に案内してあげて」
「は~い」
ちらと顧み、1名様ご案内〜とおどけた口調で先導する天沼。
ついて来いとはいわれていないが、向かって数畳右の引き戸を横開きする天沼に続き、御手洗も客間へ足を踏み入れる。
さっきまでの自身の妄想劇場が懐かしい。浮ついた妄想だったが、ここまでガッツリ現実に引き戻されるなら夕方まで玄関口で彼女の眼福を目に焼き付け色ボケに浸っていればよかったかも知れない。
恋人のエプロン姿を録画再生方式で脳裏に描き、束の間の癒しを得る御手洗。
月曜の昼下がり。
再出発したての恋は、一筋縄ではいかないらしい。
――――
御手洗の膝辺りの高さの机上。その両端向かいに一客ずつ置かれたティーカップには、温かな紅茶が注がれている。
来客用の長めのソファの端に浅く腰掛ける御手洗の正面、机を挟んだ一人用の肘掛け付きソファへ横向きに足を崩す天沼は、フリルランプシェードめいたモチーフ不明の大きなぬいぐるみに片肘を埋め、中東の石油王並みにくつろいだ格好でゲームボーイカラーを嗜んでいる。
空の盆を手に純与が客間を去り3秒でこの始末。
客人である御手洗をもてなす気など一切ない。元々期待はしていなかったが、純与の前での態度とは雲泥の差だ。
「彼氏が留学経験あって学生ボランティアしてるとか、姉ちゃん散々褒めてたけど、まさか御手洗さんがねェ…」
ゲームが一段落ついた所で何度かボタンを押し電源を切った天沼は、ソファの横に立てかけたリュックへゲーム機をしまい、おっくうそうに身を起こして言った。
「極端から極端かよ」
「その言葉のナイフしまってくれないか天沼。」
奇しくもいつかの健康優良不良少年もとい霊界探偵と似たようなことをいう天沼。
(前から思ってたけどこいつ、ホントこいつ…)
当時から少々ふてぶてしかったが、生意気ぶりは健在どころか以前より悪化している。
忖度0の放言に鼻白む御手洗をよそに、細やかな起毛の座面にあぐらをかき、ぬいぐるみを抱えた天沼は飄々と話を進める。
「じゃ、まずは姉ちゃんの彼氏に立候補しやがった動機を簡潔に述べてもらっていいかな」
「お前な…」
仙水の計画を阻止したのち、手紙で桑原に自身と合わせてその後を報告した流れで、天沼とは一連の事件が解決した後も顔を合わせる機会があった。
ただ、当時は比較的穏やかに別れたのもあり、以前の快い雰囲気と目前の不機嫌顔との落差に、春めく縁側から極寒の雪山にテレポートしたようなギャップを覚える。これがサウナなら温度差で確実に整っている。
「そりゃ姉ちゃん可愛いしモテるだろうとは思ってたけどさ。いきなり彼氏とか?こっちとしては寝耳に水なんだよね〜」
「しかも相手は海雲通いのそこそこエリートで?学生ボランティアに従事する勤勉で誠実で真面目な美少年!あんまり良物件なんで、経歴詐称を疑っちゃったよ」
ねちっこい圧迫面接官の如き嫌味な台詞を連ねる天沼に、御手洗が粛々と返す。
「まともになったかは他人が見て判断することで、断言は出来ない。けど、ボクだってこの3年ただ無為に過ごしてたつもりはないし、褒められるような人間かはさておき、純ちゃんに嘘なんかつかないよ」
「天沼も、急に来て彼氏とかいわれても納得いかないだろうけど、これから純ちゃん経由で嫌でも関わり増えるんだからさ。そう喧嘩腰になるなよ」
天沼の不信感を拭おうと真摯に答え、末尾は何度目かの苦笑いで締めくくった。
出方を探られているのは理解している。
しかし、御手洗は既に覚悟を決めた。将来への打算がないといえば嘘になるが、純与と恋人として良好な関係を続ける横で、彼女の身内である天沼ともそれなりに仲良くしておきたい。多少性格が合わないならば、歳上の自分がカバーしよう。
そんな御手洗の意図を知ってか知らずか、天沼は片手を振ってすげない態度だ。
「更生した云々は別にいいんだって。多少心を改めたのは見れば分かるし」
かき集めた友好的姿勢が御手洗の中で早くも挫けそうになるが、続ける天沼の苦言は、数分前の嫌味なものとは異なる滔々とした響きで、場の空気を変えた。
「ただ、今がどれだけイイ人でも、昔一緒になって悪いことしてた人が自分の身内に近付いて来たら誰だって構えるでしょ?ましてや、大事な人ほどなるべく関わってほしくないって思うのが当たり前でさ。オレの言ってること、そんな変?」
「逆の立場で考えてみてよ。御手洗さんがオレなら、純与姉ちゃんがそういう人に関わってても平気なワケ?」
「それは……絶対心配になるし、関わるのも必死で止めると思う」
「だよね。オレも同じ気持ち。」
姉を思う弟の率直な指摘。
正論に違いはないのだが、付き合いたてでぶつけられるには中々に手厳しい内容で、非常に耳が痛い。
過去のことで昔の仲間から苦言を呈されるなど全く想定していなかった。告白を受け入れて貰えただけでひどく浮かれていたが、彼女と交際を続け、同じ道を歩み続けるなら、いつかは全てを打ち明けるべきなのだろうか。
彼女には14歳の頃の話はほとんどしていない。隠そうと思ったのではなく、話すべきことなのかどうか、自分の中で正しい判断がつかなかったからだ。
「今の御手洗さんにさしたる害はないだろうけど、やっぱ過去のこと思うと、どうしても引っかかるんだよね。能力の為とはいえナイフ常備してた人だし」
(やめろ天沼、その件ばかりはぐうの音も出ない!)
懸念を吐露するついでに黒歴史をつつかれ、額に手をやり下を向く御手洗。
シリアスに傾いた思考が、天沼の追撃で一気に集中を欠く。
「姉ちゃんは、オレと違って人を選んだりすることを知らないんだ。それって人間性としては長所なんだろうけど、自衛の点では全然ダメだよ。別け隔てないってことは、良い人も悪い人も拒めないってことだもん。姉ちゃんはちょっと抜けてる所あるから、悪い大人に騙されたりしたらって…考えたらゾッとする」
天沼が失礼を承知で不信感を露にしているのは、恐らく不安の裏返しだ。
だが、御手洗が歩み寄ろうにも、過去仙水の計画に協力したという共通点が、少なからず双方のノイズになってしまう。
あの計画に手を貸したことを改めて後悔する。
過去の件さえなければ、天沼とは今日が初対面だったかも知れないし、互いの印象や会話の内容も違っていたはずだ。
それでも、ここで話を止めるつもりはない。
口にすべきは信用を得る為の説得ではなく、彼と同じく純与を真剣に想う者としての決意表明だ。
「天沼が心配になるのは分かる。――でも、いつかお前に変わるって言った通り、ボクは今日まで出来る限りのことをやって来た。」
「今すぐ信用してくれとはいわない。いつか天沼にも純ちゃんを安心して任せてもらえるまで、純ちゃんの彼氏として、一人の人間として頑張るよ」
「だから……」
「……」
微妙な顔でこちらを見つめ、わざとらしく大きなため息をつく天沼。
「よっわいなァ御手洗さん。そこは意地でも『お前の姉ちゃんはボクに任せろ!』って啖呵切るとこでしょ?」
「わ、悪かったなァ弱くてっ」
過去の応酬を匂わせる文言を交えた煽りに、御手洗は昭和後期の漫画やアニメにありがちな目元だけはにこやかな逆八の字眉で勢いづく。
重めの空気が消散し、残るのは互いの意地のみだ。
「受け身な彼氏さんには、オレから勝負しかけるしかないみたいだね」
ぬいぐるみを横に置き、不敵に笑う天沼に、覚えずたじろぐ御手洗。
「まさか、ここで能力使うつもりじゃ…」
「あ~ないない。相変わらず気弱な割に好戦的だよね、御手洗さんは」
「オレが言ってんのはこれ」
天沼が一旦ソファを立ち上がり、座面の後ろから箱を持ち出す。
緑の盤面に白黒の石が並ぶパッケージは、誰もがよく知るポピュラーな室内遊戯だ。
「オセロ…?」
「というワケで。――――ゲーム勝負で白黒はっきりさせようか、御手洗さん?」
片眉を上げ、ゲーム盤を取り出す天沼に、こいつ絶対これがやりたかっただけだ、と漠然とした答え合わせをなされる御手洗なのだった。
――――
容赦なくしてやられた。
御手洗の石は白。天沼の石は黒。
盤面は一面潔いほど綺麗な黒に染まり、白の石は1つもない。
「あちゃ~、ボロ負けだよ御手洗さん。こんなんじゃ、オレの純与姉ちゃんは到底任せられないなァ」
デカぬいぐるみをポンポン叩き、天沼は楽しげに当てこすりをいう。
ゲーム勝負には真剣な天沼のことだ。敗北を認めた暁には、本気で別れろといわれかねない。
「も、もう1回だ!次で挽回するから!」
「そうこなくちゃ。次も一瞬で四隅取ってやる」
最初の石を4つ中央に並べ、ゲームは2戦目に突入する。
「で、肝心なこと聞いちゃうけどさ」
また例の圧迫面接を再開する気かと内心食傷する御手洗は、気疎げに相づちする。
「なんだよ今度は」
「姉ちゃんとはどこで知り合ったんだい?」
今度はどの角度からチクチクいわれるかと思いきや、彼女の身内として穏当な質問が投じられ、肩透かしを喰らった気分になる。
さりとて、彼女の身内にここまで気を張らなくてはならないのもおかしな話だ。
幾分前の手厳しい指摘が頭をよぎり、歯切れ悪く答える御手洗。
「昔通ってたスイミングスクールに、純ちゃんが体験入学に来て……そこで」
「へぇそう、体験入学で。でも体験って御手洗さんが教える訳じゃないよね。そこでそんな仲良くなるかなァ」
「バディ組んでたんだよ。生徒数に対してコーチ少なかったし、初心者の補助役みたいな感じで」
「何度かそうかなっていうのはあったけど、最初に意識したのは、あの時だと思う」
「顔、水につけて、バタ足のまま進む練習の為に、手を握ってあげてたんだけど」
「純ちゃん、不安だったのかな……『もっと強く握ってくれませんか』って……いわれて」
「で、そこで好きになったって?」
「っ、……そうだよ。悪いかよ」
なんだろう。自分で話してて恥ずかしくなって来た。
御手洗の面映ゆいエピソードに、天沼は無言で俯く。
そして、ほどなくしてゆっくりと顔を上げた。
「ハァア〜〜??」
尻上がりにカーブを描く眉。昼間の猫のように黒目の割合が少ない三白眼。緊迫とはかけ離れたデフォルメのきつい呆れ混じりの表情は、顔全体で彼の不興と不満を表していた。
「なんっっなんだよソレ。手を握って握られて『あ、好き
』じゃないんだよ、惚れるの早すぎでしょふざけてんの!?じゃあ何、女の子に手握られたり女の子の手握ったりしたら誰でも好きになんのかあんたは!」天沼は両手で罪なきデカぬいぐるみをもみくちゃにしながらストレスを発散する。シンプルな顔文字にも似たぬいぐるみの顔が、不本意に伸縮させられ気の毒なことになっている。
「いや、なんでボク正直に話してキレられてるの?」
表情も声もフラットに素朴な疑問を挟む御手洗。
「なんだそのアンデスメロンばりに甘っあまな理由は!だァ〜〜っ甘い!オレもうむず痒くて砂糖吐きそう!!なーにが手を握るの握らないのだっつーの!あんたほんとにあの御手洗さん!?昔とは別の意味でもんのすごくムカつくんだけど!!?」
(ムカつくのは分かったけど、佐藤錦だのアンデスメロンだの…果物で例えるの流行ってるのか?)
「よォーっく分かったよ!あんたは推定不穏因子じゃなくただの色ボケ男子高校生だァっ!」
煽り合いにおいては相手が自覚している点をあげつらうのが一番効く。本日ちょいちょい気にしていた所を言い当てられてしまい、御手洗は防戦一方から反撃せざるを得なくなった。
「う、うるさいなもう!さっきから聞いてれば言いたい放題!男子高校生が色ボケて悪いか!!仕方ないだろ好きなんだからっ!!」
「開き直らないでくれるかなァ!?純与姉ちゃんはオレが先に好きになったんだぞ!御手洗さんみたいな色ボケ野郎には渡さないからな!フジュンイセーコーユーなんて許さん、ぜ~ったい認めない!!」
「なんで純ちゃんとのお付き合いにお前の許可仰がなきゃなんないんだよ!お前は純ちゃんのお父さんか!!」
「実質父親と名乗っても差し支えない程度に貢献してるけど!?何か文句あるっての!?」
会話のドッジボール形式で繰り出される不毛な争いの見本市。
お互い真剣なのだろうが、はたからみればただの修羅場風漫才でしかない。
こいついい切りやがった、と空いた口がふさがらない御手洗を指差し、肩で息をする天沼は席を立ち上がる。
ぬいぐるみが膝から落ちたが、彼はそこまで気が回らない様子だ。
「ったく、御手洗さんと姉ちゃんが昔から知り合いとか、聞いてないよ…姉ちゃんも、この大変な時に彼氏なんて…」
椅子の傍らに離れ、片手でぐしゃぐしゃと雑に頭をかく天沼の言葉は、御手洗に聞かせるつもりのない声量で、ほとんど愚痴に近い。
この独り言こそ、彼の偽りない本音らしかった。
「天沼…純ちゃんのことで、何かあるのか?」
静かに問う声を聞いた天沼は、何かを言いかけた風な顔つきで一瞬御手洗のほうを向いたが、短く視線を泳がせ、また背を向ける。
「教えてくれ。ボクが出来ることがあるなら、なんでもする。」
頭から離した手を垂れ下げ、指先を軽く丸めた天沼に、御手洗は食い下がる。
机側に向いた所から更にまた背を向けた為、天沼は御手洗の視点では斜交いに立っている状態だ。
俯きがちの前髪が影になり表情が分かりにくいが、横に結ばれた彼の口元はわずかに開き、強く歯噛みする。
垂れ下げた手を握り込み、天沼は息苦しげに彼女の名前を呟く。
「姉ちゃんは、……――純与姉ちゃんは――……ッ」
そのまま話し始めるかと思われたが、天沼の声はパタパタと小さな足音に気づき、そこで止まった。
「クッキー焼けたよ〜。二人共、そろそろお茶のお代わり入れるね」
「やり〜!オレちょうど小腹空いてたんだ。姉ちゃんも一緒に食べよっ」
椅子から離れていた天沼は、客間の戸を引き現れる純与に抱きつく。
(お、恐ろしく早い切り替え…!!)
御手洗でなければ見逃していたことだろう。
やけに幼く振る舞う天沼は、11歳の頃と変わりなく無邪気に見える。
ただし、深刻そうな空気からの変わり身としては、彼の台詞は大袈裟なほど明るかった。
「清ちゃんの分も沢山あるからね」
慣れているのか、天沼に至近距離でじゃれつかれるのにも動じず、御手洗のほうに顔を向け微笑みかける純与。
天沼も14歳で、相応に身長は伸びており、純与と並ぶと若干低いくらいだ。身長差がほぼないせいか、姉離れできない弟というより、幼女に懐く大型犬を彷彿とさせる。
「あ、その前にこれ」
純与から腕を離し、ひょいと机まで進み出た天沼の最後の一手で、残っていた白の列が黒に変わる。
「へへ~ん。またオレの勝ち~」
「やられた…!」
膝から崩れ落ちる要領で座ったまま背を屈める御手洗。
片手間のオセロは結局2戦とも勝てずじまいだ。
「月人くん、またお客さんとゲームしてたんだ。清ちゃんも付き合ってくれてありがとね」
「あはは、まあね…」
可愛い彼女の花開く微笑みに、男同士で張り合っていたとはいえず、曖昧に答えるしかない御手洗。
「二人共、すっかり仲良しになってよかったぁ。月人くんちょっとツンツンしてるから心配だったんだ〜」
「失敬だな姉ちゃん、オレらもうマブだよマブ!ね、姉ちゃんの彼氏の御手洗さん?」
「はいはいそうだね」
書面上は他人になったとはいえ、仲の良い身内をぽっと出の彼氏に掠め取られるのは、純与と距離が近い関係であるほどいい気はしないのだろう。
天沼の猫被りと評すべき温度差著しい態度を鑑みても、純与に対して好意を抱いているのは明らかだ。(家族愛かそれ以上かはさておき)
一連の圧迫面接よろしい会話も、昔の仲間ゆえにあえて厳しく接したというより、誰が来ても彼氏の時点で試す気満々だったに違いない。
要するに、御手洗相手だからではなく、姉の彼氏相手だから目の敵にされていたという単純な話だ。
彼氏というだけで敵視されるのはいささか理不尽ではあるが、前述の通り、御手洗は天沼と関わりがあり、両親の帰りが遅いということはさわり程度聞き及んでいる。
天沼の家庭の事情を汲めば、手痛い問答も初回くらいは黙って付き合うのが、彼女を想う同志に対するせめてもの義理か。
そうは思うが、本当に彼の前に出る性格には難儀する。
妙な徒労感に苛まれる御手洗だが、ふと客間での小競り合いで悪い方向に盛り上がっていた件が気になり、純与にそれとなく確かめる。
「純ちゃん、さっきはちょっと話し込んじゃって…料理中、うるさくなかった?」
「そうなんだ?音楽聴いてたから、全然分かんなかった」
彼女はエプロンのポケットからビーンズウォークマンを取り出し、顔の横にかざす。ホワイトの丸みを帯びたスケルトンボディの端で、マスコット付きのストラップが揺れた。
「それ…」
マスコットがぬいぐるみと同じデザインだったので、御手洗は小さく声をもらす。
「これ?これはね~、メンダコちゃんっ」
小競り合いが聞かれていなかったかの確認のおまけで、期せずしてぬいぐるみのモチーフを知る。
あまり聞き慣れない名前だが、響きからしてタコの仲間だろうか。
「ぬいぐるみも揃えたんだ~」
天沼が拾って渡すぬいぐるみを御手洗に見せ、壁際の棚の上へしまう彼女。
少女の後ろ姿を目で追う御手洗。棚の上に大小2体ずつ仲良く並ぶぬいぐるみは、まるでメンダコの家族のようだ。
姉弟の会話を聞く限り、ぬいぐるみは天沼がゲームセンターで取ってきた戦利品で、今日はそれを渡す為に彼女の部屋に来ていたらしい。天沼の表情を見るに、もちろんそれは方便だろうが。
その後は小皿に乗ったクッキーを紅茶と共に相伴に預かり、和やかに夕方までを過ごすこととなった。
足早に日が傾くのによそえて帰宅を促す天沼の隣で、夕食もどうかと彼女に勧められ、御手洗は即快諾した。
散々圧迫面接に付き合ったのだから、これくらいは役得の内だ。
天沼は不承不承の体だったが、彼女の手前それ以上何も言わなかった。
約1名のジト目をかわしつつ、彼女が取り分けた料理を受け取る御手洗。
天沼との関係を元仲間から純与の従弟と彼氏へ移行させるにはしばらく時間がかかるだろうが、これも試練と思い、根気よく信用を積み重ねて行くしかない。
――――
なんともはや、目まぐるしい1日であった。
夕食を済ませ御手洗の居座る建前がなくなった途端、天沼は機嫌よく彼を玄関口に誘う。
御手洗が帰るので寂しげな純与をなだめる天沼に、御手洗もまた明日会えるから、と同調し、彼女の頭を軽く撫でた。
天沼は彼女の後ろでうっすら癖毛の少年を睨むも、どういう風の吹きまわしか、御手洗を下の階まで送ると伝え、ドアを背に彼と2人で外に出る。
エレベーターで階下に降りる際、天沼は頭の後ろで手を組み無言だったが、エントランス内の自動ドアを通り、マンションの出入口を抜けた時、短い階段を降りる御手洗の背中に呼びかけた。
「あのさ。」
客間での攻防と代わり映えしない一幕が過ぎ、御手洗は辟易しながら帰途につく。
別れ際の長丁場を、彼にとってこの先に待つ不穏な展開を暗示した警告であったと理解するのは、幾日をまたいで随分後のことだった。
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