2章
次の日。蘭は猫教会に来ていた。人払いが済まされた教会の奥に柊神父がガコガコと音を立てながら大きな姿見を用意して一息つくと、その様子を見ていた蘭と視線が交わり気を抜いた笑顔で返してくれた。
「魔界では基本的に鏡を用いた交信が主流なんですよ。今日は境界監査局で共に働いたことのある悪魔に蘭さんとお話をしてもらおうと思っているんです」
柊神父。白髪混じりの黒髪に整った顔立ちのその人物は時折ピノと事態の確認を交えながら魔界との交信の準備を進めていく。
「交信といっても大仰なものではありませんから気負う必要はないのですよ」
「気負う必要はないって……言われても」
「言ってしまえば今からするのはファンタジーskypeです。お互い顔を見ながらするボイスチャットですよ。何も鏡から腕が伸びて来て攫われるなんて事はないですから安心してください」
ニッコリと笑う柊神父の手に香炉が握られているを見つけた蘭が胡散の香りを嗅ぎつけた目線を送ると彼は笑顔でゴリ押した。
「悪魔と渡り合うのには悪魔の『名』を知ることが大事です。これから交信する相手は基本的に温厚な人物ですが万が一の場合、私が『名』を使い強制的に退去させます。どうか安心してお話しください」
そう言って柊神父はクレヨンで鏡に文字を書く。
これが我々でいう電話番号入力ですよ、などと解説をしている途中で姿見に映った蘭の姿は水面のようにたわみ歪み揺らめいて、すぐに濡羽色の髪の女性が映り込んだ。
『これは淫魔だな』
「のっけからご挨拶ですよ、アヌビス」
柊神父が声をかけるとその方向を向いてアヌビスと呼ばれた女が顔をしかめる。
『こちらも仕事が忙しい中顔を貸してやってるんだ。感謝をするのだぞリーパー』
濡羽色の女性はくるくる毛先を弄んで唇を尖らせる。小さくため息をつき、蘭を見て言った。
『人として生きていくつもりか?』
「勿論です」
『多分後悔するぞ。オススメしない』
「知らない人に知った口聞かれたくないです」
ピュイとピノが口笛を吹く。おそらくは「カッコイイですねラン!」とでも言いたいのだろう。目を合わせるとパチンとウインクをして微笑んだ。
『知った口を聞くなと。それは、言いたくなる気持ちもわかるな。こちらは同じ立場として善意で言ってるんだが』
蘭が訝しげに見ると、アヌビスの女は首を傾げて言った。
『私もお前と同じく混ざり物で、人として生きるのをやめた立場だから善意なのだよ。魔性の血はその世界での幸福を阻むモノだ。こちらに来れば傷つくこともあるまい』
「やです」
『強情だな……おい松の落とし児。お前この娘の力は押さえつけてやったりしているのだろうな?』
眉根をぐっと寄せたまま、アヌビスの女はおそらくピノを呼ぶ。蘭の座る椅子の背もたれに顎を載せ、ピノはあっけらかんと答えた。
「してマセんよ?持って生まレたものを押さえつけテ生活させるなんてソンナソンナ」
『死ね』
「ヤーです」
ゾワリと関係ないはずの蘭が鏡越しだというのに怖気を感じているのにもかかわらずピノはのほほんとその殺意を受け流した。
「ア、ラン。こちらチョト昔に歌姫をしてた吸血鬼のお姫サマなんですけケレド。気づかないウチ、能力使ってスコシ世の中混乱させてしマイました。だから人間の世界いれなくなって、オ父様の下で働いてマス。いっぱい辛イ思いして魔界に行きまシタから、ランのこと心配してる気持チはモノホーンですよ」
『暴露をするな勝手に人の汚点をだな貴様!』
「ショーガナーイで~す!ラプンツェル。アナタ、オ父様に最近トッテモ似てきてます、オッかない顔、オッかない声、オッかない仕草ばかりデス。ワタシの可愛いファミリア、警戒してしまってマスのでアナタとてもいいヒト、教えてあげないと」
舌打ちが一つ鏡の向こうから聞こえ、アヌビスの女は手帳を開いた。
『松の落とし児、須らく永久に神の名の下呪われろ。死ね。淫魔の娘は別に生きていい。最果ての氷層に住まう我らが輝ける御方の名の下祝福されるがいい。で、だ。無理に時間を作れば父上と誰かひとりほど連れてそちらへ行けるかもしれん。一週間ほど時間はかかってしまうが、それを逃せばしばらく仕事詰めになるのでそちらも無理にでも時間を作ってほしい』
「それって……」
『お前が今のままその世界へ住まうのに必要な魔王直属の部下二名の認証だが、誰も文句のつけようのない証人を用意してやるから断るなよ。そっちの世界へ出向いてやるサービス付きだ。やや話したいこともあるしな』
「おや、私の伝手では不満ですかアヌビス。十分だと思いますけれど」
鏡へひょっこり顔を出した柊神父は鎖付きの香炉を穏やかに、脅すように揺らして乳香の香りをはためかせるも、アヌビスは眉根のしわを親指で伸ばしながら肩をすくめた。
『私に頼ったんだ。やっかみを食らうぞリーパー。護ってやるって意味だ』
「あ、じゃあ来週私の抱えてる任務も手伝ってくれますか?滞在伸びますよ」
『…………仕方がないな。請け負ってやる。感謝するがいい』
こそりと蘭の耳へ、柊神父の枯れた低音が滑り込む。
(彼女、なんだかんだこっちの世界が好きなんですよ。仲良くしてあげください。二百歳ちょっとっていうのは魔界じゃあなたほどの若者なんです)
こうして緊張の糸が緩まった悪魔との交信は終わり、鏡には正しく蘭、ピノ、柊神父が映っている。
蘭は伸びをして体中を軽快に鳴らし、脱力した。
「ねえピノ」
「はぁイ?」
「あの人、なんなの?」
「ン~ブラザー、どこまで話してイイですか?」
「大体いいんじゃないですかねえ。そろそろ彼女はこちらに出ずっぱりになるでしょうし」
ピノが語るに曰く。
柊神父の呼んだ【アヌビス】というのは境界監査局における肩書であり、彼女はラプンツェルと名乗る吸血鬼の姫君、魔界の貴族の中でも有数の実力者の娘で自身も軍へ身を置き魔王の近衛兵を務めるほどの強者なのだという。ますますゲームライクな人物の登場に蘭の口角はふやけていった。そんな人物と、そんな人物が連れてくる偉大な魔界の要人との面談を約束される……まるで年頃の少年少女のキャンパスノートへ綴られた物語のようではないかと!
「魔界では基本的に鏡を用いた交信が主流なんですよ。今日は境界監査局で共に働いたことのある悪魔に蘭さんとお話をしてもらおうと思っているんです」
柊神父。白髪混じりの黒髪に整った顔立ちのその人物は時折ピノと事態の確認を交えながら魔界との交信の準備を進めていく。
「交信といっても大仰なものではありませんから気負う必要はないのですよ」
「気負う必要はないって……言われても」
「言ってしまえば今からするのはファンタジーskypeです。お互い顔を見ながらするボイスチャットですよ。何も鏡から腕が伸びて来て攫われるなんて事はないですから安心してください」
ニッコリと笑う柊神父の手に香炉が握られているを見つけた蘭が胡散の香りを嗅ぎつけた目線を送ると彼は笑顔でゴリ押した。
「悪魔と渡り合うのには悪魔の『名』を知ることが大事です。これから交信する相手は基本的に温厚な人物ですが万が一の場合、私が『名』を使い強制的に退去させます。どうか安心してお話しください」
そう言って柊神父はクレヨンで鏡に文字を書く。
これが我々でいう電話番号入力ですよ、などと解説をしている途中で姿見に映った蘭の姿は水面のようにたわみ歪み揺らめいて、すぐに濡羽色の髪の女性が映り込んだ。
『これは淫魔だな』
「のっけからご挨拶ですよ、アヌビス」
柊神父が声をかけるとその方向を向いてアヌビスと呼ばれた女が顔をしかめる。
『こちらも仕事が忙しい中顔を貸してやってるんだ。感謝をするのだぞリーパー』
濡羽色の女性はくるくる毛先を弄んで唇を尖らせる。小さくため息をつき、蘭を見て言った。
『人として生きていくつもりか?』
「勿論です」
『多分後悔するぞ。オススメしない』
「知らない人に知った口聞かれたくないです」
ピュイとピノが口笛を吹く。おそらくは「カッコイイですねラン!」とでも言いたいのだろう。目を合わせるとパチンとウインクをして微笑んだ。
『知った口を聞くなと。それは、言いたくなる気持ちもわかるな。こちらは同じ立場として善意で言ってるんだが』
蘭が訝しげに見ると、アヌビスの女は首を傾げて言った。
『私もお前と同じく混ざり物で、人として生きるのをやめた立場だから善意なのだよ。魔性の血はその世界での幸福を阻むモノだ。こちらに来れば傷つくこともあるまい』
「やです」
『強情だな……おい松の落とし児。お前この娘の力は押さえつけてやったりしているのだろうな?』
眉根をぐっと寄せたまま、アヌビスの女はおそらくピノを呼ぶ。蘭の座る椅子の背もたれに顎を載せ、ピノはあっけらかんと答えた。
「してマセんよ?持って生まレたものを押さえつけテ生活させるなんてソンナソンナ」
『死ね』
「ヤーです」
ゾワリと関係ないはずの蘭が鏡越しだというのに怖気を感じているのにもかかわらずピノはのほほんとその殺意を受け流した。
「ア、ラン。こちらチョト昔に歌姫をしてた吸血鬼のお姫サマなんですけケレド。気づかないウチ、能力使ってスコシ世の中混乱させてしマイました。だから人間の世界いれなくなって、オ父様の下で働いてマス。いっぱい辛イ思いして魔界に行きまシタから、ランのこと心配してる気持チはモノホーンですよ」
『暴露をするな勝手に人の汚点をだな貴様!』
「ショーガナーイで~す!ラプンツェル。アナタ、オ父様に最近トッテモ似てきてます、オッかない顔、オッかない声、オッかない仕草ばかりデス。ワタシの可愛いファミリア、警戒してしまってマスのでアナタとてもいいヒト、教えてあげないと」
舌打ちが一つ鏡の向こうから聞こえ、アヌビスの女は手帳を開いた。
『松の落とし児、須らく永久に神の名の下呪われろ。死ね。淫魔の娘は別に生きていい。最果ての氷層に住まう我らが輝ける御方の名の下祝福されるがいい。で、だ。無理に時間を作れば父上と誰かひとりほど連れてそちらへ行けるかもしれん。一週間ほど時間はかかってしまうが、それを逃せばしばらく仕事詰めになるのでそちらも無理にでも時間を作ってほしい』
「それって……」
『お前が今のままその世界へ住まうのに必要な魔王直属の部下二名の認証だが、誰も文句のつけようのない証人を用意してやるから断るなよ。そっちの世界へ出向いてやるサービス付きだ。やや話したいこともあるしな』
「おや、私の伝手では不満ですかアヌビス。十分だと思いますけれど」
鏡へひょっこり顔を出した柊神父は鎖付きの香炉を穏やかに、脅すように揺らして乳香の香りをはためかせるも、アヌビスは眉根のしわを親指で伸ばしながら肩をすくめた。
『私に頼ったんだ。やっかみを食らうぞリーパー。護ってやるって意味だ』
「あ、じゃあ来週私の抱えてる任務も手伝ってくれますか?滞在伸びますよ」
『…………仕方がないな。請け負ってやる。感謝するがいい』
こそりと蘭の耳へ、柊神父の枯れた低音が滑り込む。
(彼女、なんだかんだこっちの世界が好きなんですよ。仲良くしてあげください。二百歳ちょっとっていうのは魔界じゃあなたほどの若者なんです)
こうして緊張の糸が緩まった悪魔との交信は終わり、鏡には正しく蘭、ピノ、柊神父が映っている。
蘭は伸びをして体中を軽快に鳴らし、脱力した。
「ねえピノ」
「はぁイ?」
「あの人、なんなの?」
「ン~ブラザー、どこまで話してイイですか?」
「大体いいんじゃないですかねえ。そろそろ彼女はこちらに出ずっぱりになるでしょうし」
ピノが語るに曰く。
柊神父の呼んだ【アヌビス】というのは境界監査局における肩書であり、彼女はラプンツェルと名乗る吸血鬼の姫君、魔界の貴族の中でも有数の実力者の娘で自身も軍へ身を置き魔王の近衛兵を務めるほどの強者なのだという。ますますゲームライクな人物の登場に蘭の口角はふやけていった。そんな人物と、そんな人物が連れてくる偉大な魔界の要人との面談を約束される……まるで年頃の少年少女のキャンパスノートへ綴られた物語のようではないかと!
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