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いつかの不安

 少々ばかり暑い日の事だったと思う。銃で木偶人形を撃ちながら考えていたのはいつか先の未来の事だ。
男が仲間と共に不死者の王を討ったのはさほど前の話ではない。
今は残党を狩り獲りながら故郷で妻と暮らしているのだが、不穏な影はまだ世界を揺らめいている。

 そう、例えば闇の勢力についた女。自分が愛した女の姉だ。
否、男は自嘲気味に笑って銃を下した。
彼女は闇の勢力についたのではなく自分が愛した女が、姉を裏切ったのだ。
石畳に座り込み男は手持無沙汰に銃を玩ぶ。はたして彼女と戦うことになった場合、自分は愛した人の家族を殺せるだろうか。
万一戦いに勝利しても、
愛した人と今まで通りに笑い合うことができるのだろうか。
その瞳を真っ直ぐ見ることができるのだろうか。
その人の姉を殺した手で、その人の手を握り返すことはできるのだろうか。
 
 そう思った瞬間に手から滑り落ちた銃がカラカラと石畳に擦れて音をたてる。
ため息をついてそれを拾い上げようと立ち上がった時、後ろから声をかけられたので男は振り返った。
「驚かせてしまったかしら?ちょっと考え事してるみたいだったから」
「いや、なんでも、なんでもないんだマーニ」
すぐに笑顔を作って見せた男の顎をついと、人差し指でつつきながらマーニは小さく「嘘ね」と笑った。
「わるい」
「言いにくい事なら言わなくてもいいわ。きっとあなたは自分で答えを見つけられる人だもの。でも相談したくなったら我慢はしないでね?」
屈託なく笑う妻……マーニの顔に、男の胸は痛んだ。

 もし、彼女を殺したら。

「どうしたのリンゴ?体調悪いのかしら。今日は少し日差しが強いものね。うふふ、あなた、無茶する人でもあるからね。あのひとがいなくなってちゃんと止める人がいないのかしら?日陰で休憩しましょう、ね?」
差し出された白い手を取り、また胸が痛む。

 もし、彼女を殺したら?

 ドロリとした不安が足に絡みついたかのように男は立ち上がる途中、少しだけよろけた。
しかし、すぐにつま先で地面を叩き靴を馴らす仕草を取り繕う。
「もしかして、」
マーニの顔が男の顔に近づく。
訝しげにひそめられた眉をさらにクッと寄せじっとりと男の目を見る。
「また暗黒ローン?」
「それは違う、安心してくれ。借金はもうしない、それは誓った、ウン。誓ったよな?」
「誓うのと誓いを果たすのは別ですよ?ちょっとバンクに見に行ってきます!もし借り入れがあったら今日はごはん抜きですからね!」
「あ、ああ。じゃあ俺は先に帰ってるから……借りてないからな!?」
ちなみにそれは嘘だった。返済はつい昨日終わらせたが。

 家に帰る途中に鍛冶屋に寄って男は悩みを師に打ち明けることとした。ウダウダと言った後に漸く絞り出した悩みを聞いて、師は低くうなり……難しい話だと言い切った。
「今はヘルが人間でいてくれている事を願うしかないのではないか?もし彼女が未だ輪廻の輪から離れてさえいなければマーニが説き伏せてくれるかもしれん。しかし、既に闇の一族へ変容してしまっているのなら彼女の魂を浄化してやることしか我々にはできん」
「だよ、なあ。すまないスミス」
「お前は他の連中たちとは少々順番が違うからな、仕方がない」
師は青い瞳を細めてやさしく笑った。

「順番?」
「ギルドの連中たちなんかは顕著だろう。あいつらは多くの仲間と共に戦う。その仲間のうち何人が戦死した後"帰って"きてしまうと思う?何人の仲間に二度目の死をくれてやることになると思う?」
「ああ、そういうことか。」
「そうだ。ひまわりも、わしも、マーニも生きている。おてんこの奴は……還ってしまったが。お前は少々まっすぐ歩きすぎたな。希望的観測ばかりはできんが最悪の事態を想定するのは爺の仕事だ。今は幸せをかみしめていろ。いいな?」
「フッ…」
「どうした?」
「いや、覚悟ができて、ヘルと戦うことになって吹っ切れたら俺にもう敵なんていなくなるんじゃないかと思ってな!」
 快活に笑って見せた腹に軽く拳を叩きこまれ、男はむせ返る。
「強がるなよ馬鹿弟子?もう子供ではあるまいて。さ、飲んだら帰れ。あまりマーニに心配させるんじゃないぞ。」
作業台の上に乱暴に置かれたカップを仰いで男は家路についた。

「あ。」
 家の前で小さな声が聞こえて男は顔を上げる。
マーニが扉の前で待っていた。
案外、鍛冶屋で時間を喰ってしまっていたようだ。
「おかえりなさい、あなた。どこか寄ってたの?」
「スミスのところにな。」
「そ。で、ちょっとバンクの残高が合わないから、お、買、い、も、の、してるかと思って道具屋さん覘いちゃった。」
「ウッ……借リテナイ、借リテナイゾ俺……」
「下手な嘘!まぁいいわ。今回はちゃんと返したみたいだから許してあげる。今日はシチューにしようと思うの。手伝ってね?」
 後ろ手でドアを開けて半身で玄関に誘いながらマーニは片目を閉じる。男は冷や汗を拭いながら扉をくぐった。

 食事が終わった後。
窓際で煙草をふかしながら男は再び考え事に沈んでいた。
考えなくていいわけなど無い。せめてヘルの方から連絡を取ってくれればまだ安心できるというのに、キングとの戦い以降彼女の消息は知れない。
吸血変異の有無にかかわらずマーニは心配しているだろうに。
妹のことなどもうどうでもいいのか。彼女の中ではもう妹などいなく、裏切り者がいたというだけなのだろうか。
「リンゴ、夜風は冷たいわよ?」
 毛布を纏ったマーニに後ろから抱きつかれ、男は咄嗟に手を挙げた。
「火ィ持ってるんだからちょっと気を付けてくれよ」
「いつもは後ろから近付いてもすぐに気が付くのに、今日のあなたが注意散漫なの」
生返事を返し、細い腕に温かさを感じた時だった。

「姉さんの事を考えているの?」
 咄嗟に振り返ろうとした男の頬に自分の頬を合わせ、マーニはそっとつぶやいた。
「私もね、とても怖いの。姉さんがいつかキングの遺志を継いで、たくさんのアンデッドを引き連れてやってくるんじゃないかって。その時私……」
詰まる言葉は舌を咬んで出ないようにしているのだろうか。
しばらくして薄い唇が重々しく動く。
「姉さんと戦おうとするあなたを、止めてしまうかもしれない。それであなたが死んでしまっても。それが、怖いの……私、嫌な女だわ。あなたと一緒に生きたいって思ったのに、もし姉さんが一緒に逝こうと言ったらきっと迷うわ。」
ごめんなさいと俯き呟いた妻の腰に手を回し、リンゴは強く抱き寄せる。
「俺も、怖かったんだからお揃いだ。気にするな。」
きょとんとした目を向けるマーニの涙を袖で拭いリンゴは笑った。
「俺もヘルと戦うのが怖いと思ってな。それで、悶々としてた。まだきっとおれも迷うだろう。だから道を指し示してくれ。お前が迷った時はおれが道を決めるから、だから、一緒にいこう」
「あなた……」
「な?」
 窓を閉めて額をつき合わせるとマーニの目が伏せられて、リンゴは少々意地悪く笑った。
顔をはなし、大きな声で嘯く。
「ヘルが怖いなんて当たり前だろ?昼間のバンクに行くお前の顔伯爵の奴とどっこいだぞ?その姉なんだからもっと怖いに決まってる!」
「あ、あなた!!」
 待っていた接吻とは似ても似つかない言葉に妻は顔を赤くして小さな拳を振りかぶる。
リンゴは振り下ろされた彼女の手を取りダンスを踊るかのようにそのまま彼女を抱きしめた。
「ごめんな、強がりなんだ俺。」
「……知ってます。次は本当にゆるさないからね。でも甲斐性はみせて、ください」
 尻すぼみにかすれていくマーニの声にリンゴも囁き声で返事をして、額に接吻を落とした。
fin
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