このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

我が子房を得たり

 戦場ではいろいろな音がする。

からからという骨の歩き回る音、ぺたぺたと湿ったはだしの足が歩く音、ねちゃりという毒物のぶちまけられる音。
心地の良い、死の音だとバルトスは戦場を歩いていた。

 バルトス率いる死者の軍は、一度の『終わり』を経て生まれる。
故に、死の音は心地がいい。

 とはいえ、生者たちを一方的に嬲り殺すことにバルトスはなんの心地よさも感じはしなかった。
肉を裂く音も骨を断つ音も、つんざくような悲鳴も彼の伽藍の身体を震わせはするもそこに感動は宿らない。……むなしいばかりだった。
(せめて、彼らが生まれたら面倒を見てやることがワシの償いか……)

 彼らが『生まれたら』、同じ不死者の仲間入りをしたならば。
その時は彼らの父として、そして彼らの前に彼らであった者を殺した男として責任をとらねばなるまい。
風も通り抜けて去っていってしまう肉体だというのにもかかわらず、一体何がこの胸へどろりと貯まるのであろうか。
そのむなしさの正体を探しながら、いったいどれだけの人間たちを切り裂いたろうか。
か弱き柔らかな瑞々しい肉を切り裂くごとそのむなしさは、無味無臭で透明な、触れぬ、得も言われぬ粘性の何かをとくとくバルトスの心中へと注ぎ込んでくるのだ。

「考えたところで、しようもなしか」
 むなしさが何であれ、この侵攻を止めることなどバルトスにはできなかった。
仕方が無かろう。自分たちは勝ち取るために戦っているのだから。
この地上の戦いによって生まれた部下も多くはいるが、それ以外の仲間……

例えば賢きトロルの率いる者、
陽気な人面樹の率いる樹木たち。

 彼らのように魔界を知る者のことを思えば止めるわけにはいかないのだ。

 恵まれたもの、生あるものへの憎しみを言動に不死者たちは肉を啄んでいく。
血がその喉を潤すと彼らは満ち足りたような顔をしておきながら、すぐに夢から目を醒ましたかのようにまた血肉を求め彷徨っていく。
この渇きはきっと潤されはしないのだろう。それはバルトスにもよくわかる。
なにせ自身も同じなのだから。

 ……渇き。

 はたとバルトスは真正面を見据える。
渇き、渇き、渇きとその単語を繰り返しすとんと飲み込んでいく。
不思議とその単語は飲み込むと腹の中に溜まっていたその澱みを吸い込んでスッと消していくのだ。

「そうか。渇き、か」
 妬み……という表現もまた然り。
しかし、それよりも渇きという表現こそ、彼にとっては適っていた。

 うんうんとしたりた顔でバルトスは頷いて、悲惨極まる情景の、崩れ去った街並みを見渡してバルトスは行く。
どこもかしこも火の手が上がり、血しぶきが輝いているその陰鬱さは渇きを癒すにふさわしいものではない。
すぐに配下の不死者たちに号令をして、せめて『渇き』という答えを提示してくれた礼にこの町の凌辱を止めなければと思ったのだ。

 不満げな顔で引き下がっていく不死者どもの殿で乾ききった音をたてながら、音にはせずとも礼と謝罪を繰り返しバルトスは歩いていた。
その体を、外から震わせる、ほかの音がするではないか。

 恐ろしいほどに、生に満ちた喚き声が。

 瓦礫に埋もれていながらもほんの少し、奇跡のように出来上がったがらんどうの中、人間の赤ん坊が張り裂けんばかりに泣いていた。
バルトスは瓦礫が赤ん坊を潰してしまわないように慎重に避けて赤ん坊を抱き上げた。
「……親に捨てられたか……哀れな……」
 持ち上げた命のあまりの軽さに驚き、その不可思議な感触にも恐れるほどの感動を覚えた。
温かく、とろけるように滑らかだというのにむにむにと弾力があるではないか。
「なんと……これが、命か」
 ただ抱き上げただけだというのに、渇いた腕を伝って潤った何かがバルトスの肉体を満たしていくではないか。
この子を傍に置いていれば、魔物たちの『渇き』を満たす何かが見つかるのではないだろうかとバルトスは思った。
 この子に、自分のもう一つ明確な『渇き』を託そう。
もしも自分の在った時の中に彼が存在したのであればたとえ敗れ去ろうとも挑戦をしたかった強者の名を。

「……おまえをヒュンケルと名付けよう」

(終)
1/1ページ
スキ