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へし燭の日


先に弱音を吐いたのは、燭台切光忠の方だった。
「・・・・・・僕はもう、無理、だ」
顔を歪め、吐き出すようにそう言った姿は紛れもなく満身創痍といったものだろう。髪型は崩れ、衣服は乱れ、目を開けているのも精一杯といった様子だ。
「僕のことは諦めて、長谷部くん、君だけでも・・・・・・」
「馬鹿を言うな」
倒れ込んだ腕をつかんで引き上げながら、へし切長谷部は大きく首を振る。
「俺だけでどうする。おまえがいなければ、意味がないだろう」
そう語りかける長谷部も、決して楽な様子ではない。とうに白手袋を放り出した手はべったりと汚れ、顔には疲労と苦悩が張り付いている。だがそれでも、藤の色をした瞳に諦めの色はない。燭台切の隻眼を見つめ、また、大きく頷く。
「諦めなければ活路は開ける」
これを飲め、と、蓋を開けた瓶を燭台切の唇に寄せた。
「これは、例の・・・・・・んくっっ」
「主が持たせてくださったものだ。どうだ、少しは楽になるだろう」
「こんなの・・・・・・いけないよ・・・・・・」
必死に抵抗していた燭台切も、長谷部がその唇に瓶の中身を流し込めば、おとなしくそれを嚥下する。みるみる、とはいかないが、それでも幾分か活力がわいてきたように見える顔で、己の指先を見つめながら燭台切は首を振った。
「君のために用意してくれたものだろう」
「俺のものは、おまえのものも同然だ」
長谷部が微笑む。
「さあ、ゆくぞ燭台切」
「でも・・・・・・でも・・・・・・っ」
長谷部に引き起こされてなんとか座り直した燭台切が、伊達男らしからぬ情けない声を上げた。

「やっぱり無理だよ・・・・・・あと四日で二十ページなんて、無理に決まってる!」

「ええい往生際が悪いぞ燭台切! 同人誌なぞ無理を通して通りを引っ込めるところから始まるものだろう!」
燭台切に飲ませたものに続き、自身もユンケルをかっくらいながら、長谷部がくわっと両目を見開く。
「せっかくのへし燭オンリーに何もなく参加するつもりか!? 何事も為せば成る!」
アナログ派の長谷部の手はすでに鉛筆とインクで真っ黒だ。天井からつるした紐にはびっしりと同人誌の原稿がーーーへし切長谷部と燭台切光忠の胸キュンラブストーリー原稿がぶら下がっている。
一方の燭台切は根っからのデジタル派。液晶タブレットの画面に映し出されたページは半分くらいが黒くなっている。こちらも、長谷部と燭台切のラブストーリー。尤も、燭台切の得意は濃厚で濃密な成人向け漫画だ。
「諦めてサンプル展示だけにしようよぉ。それで夏コミ合わせにすれば三日は締め切りが延びるだろう」
「夏コミ合わせェ?」
はっ、と長谷部が鼻で笑った。
「貴様、夏コミはFC少年だろう」
「そうだけど・・・・・・」
ぐずぐずと鼻をすすりながらも手を動かす燭台切が弱音を吐く。
「僕のなんてどうせ情緒のないエロ本だし・・・・・・そもそもこれってエッチなのかどうかもわかんなくなってきたし・・・・・・僕の本なんかなくったって・・・・・・」
「馬鹿を言うな!」
ダン、と長谷部が力強く卓袱台をたたいた。
「燭台切、おまえの描くへし燭は最高だ。誰がなんと言おうと、間違いなく」
燭台切のよれたジャージの肩をがっしと掴みながら、長谷部が力強く言った。
「いいか、よく聞けよ。まず、お前が燭台切光忠だからこそ描ける燭台切光忠像が最高に伊達男だ。燭台切が理想とする燭台切だなんて、最高に決まっているだろう。豊満なボディやむっちりした身体、筋肉へのこだわりはもちろん、ヘアスタイルだってお前じゃなければあそこまで完璧に描き込めないだろう。そしてもっと素晴らしいのがおまえの描くへし切長谷部だ。ビジュアルについては少々夢見がちだが、それもいい。燭台切が考える燭台切光忠にとって最高にいい男のへし切長谷部だぞ。多少男前が過ぎても、なるほど恋仲の燭台切から見ればそう見えるのだなという納得もある。そんな二人が濃厚な一夜を過ごす本が、最高ではないわけがないだろう!」
「そ、それを言うなら君の描くへし燭だってたまらないよ!」
燭台切も負けじと言い返す。
「長谷部くんの描く燭台切光忠は、それはそれは愛らしくてたまらないんだ。長谷部くんから見たら燭台切光忠ってあんなにキュートだなんて、僕、君の本を読むまで知らなかったんだよ! それにね、やっぱり長谷部くんの描くへし切長谷部が本当に格好いいんだ。本もものの王子さまみたいに颯爽と現れたり、燭台切光忠を壁ドンしたり、ああっ、このまえの新刊の顎クイもたまらなかったよ・・・・・・やっぱり、格好いいへし切長谷部が描けるのは長谷部くんだけだよ!」
「当然だ」
興奮気味に話す燭台切を落ち着かせながら、長谷部がにんまりと笑った。
「俺は俺の考える、最高のへし燭を描いているからな」
「僕だって、僕の考える最高の・・・・・・!」
燭台切は言いかけ、そしてハッとした。
「そうか・・・・・・そうだね、僕の考える最高のへし燭は、僕にしか描けないんだ!」
「わかったか、燭台切」
何度も頷きながら長谷部が言った。燭台切も頷く。
その表情に、迷いはなかった。
「いいか、締め切りまであと四日・・・・・・合い言葉は」
「為せば成る!」
「よし、描くぞ!」
二人はがっしりと肩を抱き合い、そしてペンを握り、机に向かったのだった。


「って感じなんだけどさあ、どうしてあの二振りは付き合ってないんだと思う?」
ふすまを一枚隔てた向こうで必死にアップルペンを滑らせながらそう言う審神者に、べた塗りを続ける山姥切もトーン処理を続ける長義も返事をしない。
「マジでさあ~なんでこんなへし燭推し審神者でへし燭推しへしと燭がいるのにうちのへしと燭はへし燭じゃないのぉ?」
「主、手が止まってるぞ」
「偽物くん、君もな」
ちなみに審神者も締め切りに向けてラストスパート真っ最中であり、W山姥切はおやつのどら焼きで買収されて絶賛アシスタント中である。
「推しと恋愛は別物なんだろう。主、あと何ページで終わりだ」
「あと2ページと表紙のロゴの塗りかな。うーん、せっかく自分がへしと燭なのに、もったいないよお」
「ロゴが終わっていないのは大問題だぞ。データはあるのか」
「あります、あります、脳内に!」
「最悪だ・・・・・・」
長義が頭を抱える。布の方が肩をすくめる。
それから二振りは、ちら、と目を合わせ、小さく首を振り合った。
実はずいぶん前から本丸の長谷部と燭台切が恋仲であることは、本丸の刀であれば誰でも知ることであった。が、当人たちの強い希望で、主である審神者には隠し立てしているのである。
「主を驚かせたいから、正式に婚約するまでは黙っていてほしい」というのが当人たちのねがいである。だがまあ、W山姥切の見立てでは、それはそう遠くない話だと思われる。
「はーあー、へし燭の結婚式してえなあ」
疲れた審神者の口癖はいつもこれだ。
「でっかいホテルの宴会場借りて、紋付きとスーツと白無垢とドレス、着たいのぜーんぶ着せて、アホみたいにでっかいケーキ切って、余興で粟田口坂46とかやってほしー」
それは結婚式ではなく披露宴だ、というツッコミを先に諦めたのは長義の方だ。社会生活に乏しい主の想像する結婚式などそんな程度なのだろう。
「本科ちゃん、ちょっと結婚するように言ってきてよ」
「お断りだ」
「布ちゃーん」
「そんな暇があったら原稿を進めるべきではないのか?」
本日四個目のどら焼きをかじりながら、写しが正論を吐く。
「締め切りまでまだ四日、あと四日だぞ」
それで新刊を落としては笑いものにもならないだろう、と言う山姥切に、審神者はしぶしぶ画面に向き直る。
「あーーーーー へし燭の結婚式やりてーーーーー!!」

それが実現したとき、審神者は泡を吹いて倒れ、それからこんどは「結婚資金に・・・・・・」と差し出した通帳の額を見てなぜか博多が泡を吹いて倒れるのだが。
その話は、またいずれ。



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