沈むような恋を
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殴りぬけば、無様に地面に転がった男は、あいつの父親だった。
かしゃん、と夜の住宅街のアスファルトを跳ねたパスケースを拾う。定期を一枚抜き取れば、すぐに飛び込んできたのがいびつなコラージュ写真だ。体格の良い体に紋付羽織袴を纏っているのだが、その首から上に据えられたあの男は、空却も知る学生時代の、まだ幼さの残る笑顔を見せていた。その隣で白無垢を着る女は、角隠しにいびつに切り取られているものの、いまの藤花が寂しげに微笑んでいる。試しにそれを抜き取れば、今度は洋装の男女のコラージュ。ウェディングドレスをまとった女に据えられた藤花の表情は、決して明るくはない。そんなものが、何枚も出てくる。
「あの子は、彼女のことがずっと好きだった」
顔を歪めながら、父親は唸った。
「小学生の時に、二人の結婚式の絵を描いていた。その頃にはもうあの子は、18まで生きられるかもわからないような状態だった。なのに、世界一素敵なお嫁さんになってもらえるように頑張る、なんて話していたんだ。私は、あの子の夢を叶えてやりたかった。冥婚なんて話は世界中のあちこちにある。だから、こうして、夢を叶えてやろうと」
「それで、あいつをストーキングして、盗撮して、妙な妄想語って脅そうって?」
藤花の家の周り、そして空厳寺をうろついている男の話は、ちょっと聞き込めばすぐに特定できた。あとは藤花の周りを張り込んで、怪しげな動きをしたところを掴みかかればいい。男の鞄からは、何枚もの婚姻届がこぼれ落ちてきた。空却がとらえたのは、藤花の家のポストにがこん、と婚姻届を詰め込んでいるところだった。
「本当はふたりが結婚できる年齢になってすぐにでも、向こうに連れて行ってあげようかと思ったんだが、うまくいかないものだね。身内が死んで、ひとりになっても、あの子は死ななかった」
「…まさかてめぇ、あいつの両親が死んだのも」
「どうだろうね。だが、ご挨拶しやすくなっていいな、とは思ったよ」
脳の回路が焼き切れる音がした。拳を握り、男に馬乗りになって頬を殴りぬく。手の感覚さえ鈍くなる。男のうめき声さえ遠く感じる。体が勝手に動く。そのくせ、その声だけは確かに、はっきりと耳が拾った。
「空却くん!!」
悲鳴のような、藤花の呼び声。制服姿で駆けてくる藤花をみとめたとき、空却の体は止まった。その隙を男は逃さない。それまで無抵抗で殴られていたのが嘘のように跳ね起き、カバンをひっつかむ。中から研がれた包丁が現れて、何かの光を集めてきらりと煌めく。藤花に向かって男は走る。空却が追いつくのが先か、藤花が逃げるのが先か、その切っ先が、藤花に届くのが先か。
世界が明滅した。藤花の後ろから、ハイビームで走行する普通車が現れる。男は一瞬目を焼かれ、動きが鈍る。リハビリのすえ、ようやく歩けるようになった藤花が、急に激しい運動ができるようになるわけでもなく、派手に転ぶ。車の運転手は包丁を振り上げる不審者の姿に驚き、急ブレーキをかける。空却はとっさに飛び退いた。止まれなかった車が、男と藤花の間に突っ込んだ。
派手な音ののち、世界は静寂に包まれる。一番に動き始めたのは空却だった。男を蹴り飛ばし、凶器を奪う。再度顔面を殴ればようやっと意識を飛ばした。そのまま車の運転手に向かって「さっさとサツ呼べや!」と怒鳴る。運転手は慌てて携帯を取り出した。ため息をつき、手持ちの道具を使って男の腕を拘束する。その頃には、運転手が座り込んだままの藤花を介抱していた。空却が歩み寄ると、顔をくしゃりと歪めて、縋り付いてきた。体は細かく震えて、服越しに生暖かく湿った感触が染み渡った。
「よかった」
声は涙に滲んでいた。
「空却くんが、無事でよかった」
殺されかけたやつが、それをボコしたやつにかける言葉じゃない。けれど藤花は本気でそう思っているようだった。一瞬だけ躊躇ったのち、肩を抱く。心配になる程薄い体だった。
かしゃん、と夜の住宅街のアスファルトを跳ねたパスケースを拾う。定期を一枚抜き取れば、すぐに飛び込んできたのがいびつなコラージュ写真だ。体格の良い体に紋付羽織袴を纏っているのだが、その首から上に据えられたあの男は、空却も知る学生時代の、まだ幼さの残る笑顔を見せていた。その隣で白無垢を着る女は、角隠しにいびつに切り取られているものの、いまの藤花が寂しげに微笑んでいる。試しにそれを抜き取れば、今度は洋装の男女のコラージュ。ウェディングドレスをまとった女に据えられた藤花の表情は、決して明るくはない。そんなものが、何枚も出てくる。
「あの子は、彼女のことがずっと好きだった」
顔を歪めながら、父親は唸った。
「小学生の時に、二人の結婚式の絵を描いていた。その頃にはもうあの子は、18まで生きられるかもわからないような状態だった。なのに、世界一素敵なお嫁さんになってもらえるように頑張る、なんて話していたんだ。私は、あの子の夢を叶えてやりたかった。冥婚なんて話は世界中のあちこちにある。だから、こうして、夢を叶えてやろうと」
「それで、あいつをストーキングして、盗撮して、妙な妄想語って脅そうって?」
藤花の家の周り、そして空厳寺をうろついている男の話は、ちょっと聞き込めばすぐに特定できた。あとは藤花の周りを張り込んで、怪しげな動きをしたところを掴みかかればいい。男の鞄からは、何枚もの婚姻届がこぼれ落ちてきた。空却がとらえたのは、藤花の家のポストにがこん、と婚姻届を詰め込んでいるところだった。
「本当はふたりが結婚できる年齢になってすぐにでも、向こうに連れて行ってあげようかと思ったんだが、うまくいかないものだね。身内が死んで、ひとりになっても、あの子は死ななかった」
「…まさかてめぇ、あいつの両親が死んだのも」
「どうだろうね。だが、ご挨拶しやすくなっていいな、とは思ったよ」
脳の回路が焼き切れる音がした。拳を握り、男に馬乗りになって頬を殴りぬく。手の感覚さえ鈍くなる。男のうめき声さえ遠く感じる。体が勝手に動く。そのくせ、その声だけは確かに、はっきりと耳が拾った。
「空却くん!!」
悲鳴のような、藤花の呼び声。制服姿で駆けてくる藤花をみとめたとき、空却の体は止まった。その隙を男は逃さない。それまで無抵抗で殴られていたのが嘘のように跳ね起き、カバンをひっつかむ。中から研がれた包丁が現れて、何かの光を集めてきらりと煌めく。藤花に向かって男は走る。空却が追いつくのが先か、藤花が逃げるのが先か、その切っ先が、藤花に届くのが先か。
世界が明滅した。藤花の後ろから、ハイビームで走行する普通車が現れる。男は一瞬目を焼かれ、動きが鈍る。リハビリのすえ、ようやく歩けるようになった藤花が、急に激しい運動ができるようになるわけでもなく、派手に転ぶ。車の運転手は包丁を振り上げる不審者の姿に驚き、急ブレーキをかける。空却はとっさに飛び退いた。止まれなかった車が、男と藤花の間に突っ込んだ。
派手な音ののち、世界は静寂に包まれる。一番に動き始めたのは空却だった。男を蹴り飛ばし、凶器を奪う。再度顔面を殴ればようやっと意識を飛ばした。そのまま車の運転手に向かって「さっさとサツ呼べや!」と怒鳴る。運転手は慌てて携帯を取り出した。ため息をつき、手持ちの道具を使って男の腕を拘束する。その頃には、運転手が座り込んだままの藤花を介抱していた。空却が歩み寄ると、顔をくしゃりと歪めて、縋り付いてきた。体は細かく震えて、服越しに生暖かく湿った感触が染み渡った。
「よかった」
声は涙に滲んでいた。
「空却くんが、無事でよかった」
殺されかけたやつが、それをボコしたやつにかける言葉じゃない。けれど藤花は本気でそう思っているようだった。一瞬だけ躊躇ったのち、肩を抱く。心配になる程薄い体だった。