うだるような夏の日に
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渋々と始めた掃除にも飽き飽きし、そろそろ逃げ出そうかと画策していたときのことだ。遠くに、白いセーラー服を着た女の姿を認めた。黒い日傘をさして、腕には菊の花が抱えられている。急勾配の坂を登るその途中で、はふ、と深呼吸をして立ち止まる。苦しげな表情は、まだ傷が癒えていないからか、それとも。どちらにせよ空却はため息をついて、手にしていた竹箒を放った。とんとんと階段を降り、藤花のもとへと向かう。空却の姿をみとめた藤花はふ、と微笑んだ。その顔は相変わらず生っ白くて、生気がない。そのくせ玉のような汗が浮かんでいるのが、彼女を人間らしく見せた。
「おふくろさんたちのとこか?」
「それもありますが、今日は、あの人の月命日ですので」
あの人、というのは、亡くなった彼女の幼馴染だ。毎月律儀に、手を合わせに来ていることは、空却がナゴヤを出る前からの習慣らしかった。付き合ってもいなかったのに、まるで未亡人のようだ。空却は笑って、柄杓と手桶を取ってきてやった。藤花はありがとうございます、と微笑んだ。
もう九月だというのに、暑い日が続く。遠くには陽炎さえ浮かんでみえた。藤花が熱心に家族の墓を磨き、花と線香を供えて手を合わせるまで、そして、幼馴染の墓に移動し、同じように手を合わせる様を、空却は黙って見ていた。墓の手入れも、供え方も、妙に手慣れているのがなんとも言えない気持ちにさせる。花立にはすでに、別の仏花が備えられていた。家族のものなのだろう。藤花はしゃがみ込んだままぼんやりと、華やかな供物たちを眺めて、呟いた。
「空却さん」
「おう」
「幽霊って、いるのでしょうか」
「…仏教では、諸行無常、無我を説く。死したあとの霊魂が、生前と同じ姿や心を持つとは、考えねぇな」
「……」
「幽霊っつーもんは、生きた人間の心が生み出すもんだ。自分の中にある思いを昇華するために、死んだ人間の姿と心を借りるんだよ」
「…………そう、ですか」
それきり藤花は黙り込んで、しばらくの間、言葉に迷っていたようだった。ややあって、スカートの裾を払い、立ち上がる。長い時間しゃがんでいたせいか、くらりとめまいを起こす。ふらついた体を空却は受け止める。薄っぺらな体はどくどくと懸命に血を回し、彼女を生かしている。
「体、本調子じゃねぇんだろ」
「すみ、ません」
「いいから、しばらく休んでいけ」
華奢な体を横抱きにする。途端に藤花は悲鳴をあげて空却に抱きついた。下ろしてください、とか細い声が訴える。気にせずぐぃぐぃと坂道を進む。彼女の心臓はどくどくどく、とせわしなく早鐘を打つ。死んでしまうのではないか、とさえ思った。
やがて抵抗を諦めたらしい藤花はくったりと力を抜いて、空却に体を預けた。汗に張り付く制服の向こう、うっすらと、肌着の色が透けて見える。柔らかな線を描く体つきは、ナゴヤを出る前、最後に見た姿とは随分違う。大人になっているのだと、否が応でも気づかされる。
裏口から入り、客間に転がす頃には、藤花は身体中に玉のような汗を浮かべて、まぶたを伏せていた。無防備な姿だ。危機感がないのか、あるいは、それまで気を張り詰めすぎていたのか。汗に張り付く前髪を撫ぜ、避けてやる。吸い寄せられるようにして、その丸い額にぷつりと、唇を乗せた。
「おふくろさんたちのとこか?」
「それもありますが、今日は、あの人の月命日ですので」
あの人、というのは、亡くなった彼女の幼馴染だ。毎月律儀に、手を合わせに来ていることは、空却がナゴヤを出る前からの習慣らしかった。付き合ってもいなかったのに、まるで未亡人のようだ。空却は笑って、柄杓と手桶を取ってきてやった。藤花はありがとうございます、と微笑んだ。
もう九月だというのに、暑い日が続く。遠くには陽炎さえ浮かんでみえた。藤花が熱心に家族の墓を磨き、花と線香を供えて手を合わせるまで、そして、幼馴染の墓に移動し、同じように手を合わせる様を、空却は黙って見ていた。墓の手入れも、供え方も、妙に手慣れているのがなんとも言えない気持ちにさせる。花立にはすでに、別の仏花が備えられていた。家族のものなのだろう。藤花はしゃがみ込んだままぼんやりと、華やかな供物たちを眺めて、呟いた。
「空却さん」
「おう」
「幽霊って、いるのでしょうか」
「…仏教では、諸行無常、無我を説く。死したあとの霊魂が、生前と同じ姿や心を持つとは、考えねぇな」
「……」
「幽霊っつーもんは、生きた人間の心が生み出すもんだ。自分の中にある思いを昇華するために、死んだ人間の姿と心を借りるんだよ」
「…………そう、ですか」
それきり藤花は黙り込んで、しばらくの間、言葉に迷っていたようだった。ややあって、スカートの裾を払い、立ち上がる。長い時間しゃがんでいたせいか、くらりとめまいを起こす。ふらついた体を空却は受け止める。薄っぺらな体はどくどくと懸命に血を回し、彼女を生かしている。
「体、本調子じゃねぇんだろ」
「すみ、ません」
「いいから、しばらく休んでいけ」
華奢な体を横抱きにする。途端に藤花は悲鳴をあげて空却に抱きついた。下ろしてください、とか細い声が訴える。気にせずぐぃぐぃと坂道を進む。彼女の心臓はどくどくどく、とせわしなく早鐘を打つ。死んでしまうのではないか、とさえ思った。
やがて抵抗を諦めたらしい藤花はくったりと力を抜いて、空却に体を預けた。汗に張り付く制服の向こう、うっすらと、肌着の色が透けて見える。柔らかな線を描く体つきは、ナゴヤを出る前、最後に見た姿とは随分違う。大人になっているのだと、否が応でも気づかされる。
裏口から入り、客間に転がす頃には、藤花は身体中に玉のような汗を浮かべて、まぶたを伏せていた。無防備な姿だ。危機感がないのか、あるいは、それまで気を張り詰めすぎていたのか。汗に張り付く前髪を撫ぜ、避けてやる。吸い寄せられるようにして、その丸い額にぷつりと、唇を乗せた。