うだるような夏の日に
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盂蘭盆も過ぎたというのに、うだるような暑さの夏の日だった。いつもの勤行、いつものサボり。いつもの言い争い。その中にぽつりと、蜃気楼のように、女が浮かんだ。
「もし」
か細い声だった。にもかかわらず、あたりのしじまを全て引き寄せ、ぶつけてきたかのごとく、空却と灼空の耳を引きつけた。境内に立った少女は、心細そうに瞳を揺らしていた。
黒い日傘、白い半袖のセーラー服、病的なまでに白い肌に、あちこちに巻きつけられた包帯とギブス。血のように赤い唇が細い声を紡ぐ。
「あの、ご相談したいことがありまして。……親族が亡くなったのですが、どうすればよろしいでしょうか」
涼やかな、グラスと氷がぶつかる音がする。小さなアパートの一室、空却を出迎えた藤花は、空却が読経を終えるまで、まるで存在を消すかのようにひっそりと隅に座っていた。キャビネットに乗せられた位牌は彼女の母親のものである。去年の夏に起きた、親子ふたりを巻き込んだ交通事故。母親は即死だったという。娘の方は全身のあちこちを折って、引攣らせて、一時期は歩くことすらままならなかったという。そんな傷も、時とともに塞がっていく。治ってしまう。藤花は体に心が追いつかない、とでも言わんばかりにぼんやりとしていた。ひとつひとつの対応はしっかりしているのだが、そこに感情は伴わない。大きな瞳はここではないどこかを眺めるかのようだった。
布施を受け取り、用意された麦茶を呷る。狭い1DKは空気が籠っている。懸命に首を振る扇風機の風が、はらはらとふたりの髪を揺らした。
「いつも、ありがとうございます」
ぽつりとこぼされた言葉は、おきまりのものだった。檀家である彼女のもとへ経を唱えに赴くのは毎年のことだった。去年までは、よく似た母親とふたりで空却を迎えてくれていた。唯一の肉親を亡くした彼女はもう、今年から、一人で盂蘭盆を迎えるのかと思うと、なんとも言えない心地がした。
半袖のセーラー服からは、折れてしまいそうなほど細い首が覗く。
「てめぇ、飯は食えてんのか」
言葉はぽつりと溢れた。突然の質問に、藤花は初めて、感情らしい感情を見せた。困惑だ。戸惑ったように瞳を揺らし、小さく首をかしげる。
「……え、と。はい。食べています」
「夜は?眠れてんのか?」
「……はい」
「体調は」
「……まだ、傷が痛むこともありますが、それも随分と良くなりました」
それがどうかしたのか、と言いたげな瞳だ。空却はため息をついて立ち上がる。戸惑いながらも藤花は立ち上がり、玄関へと向かった空却を見送るべくついてくる。出船に揃えた履物をつっかけて、ここまででいい、と制する。
「……事故には気をつけろよ」
「え?」
「階段降りるときは手摺使え。道歩くときは車道から遠いところにしろ。人通りの多いところ歩け。ダチだろうが彼氏だろうが誰でもいいから、あんま一人でうろつくな」
それだけ言って、重い玄関扉をくぐる。夏の、うだるような熱気と、肌に張り付く湿気が一気に全身を包む。それでも、あの狭苦しいアパートの一室よりはずっと息がしやすかった。扉が閉まる前、垣間見えた薄暗い玄関の中、困ったように眉尻を下げる藤花の顔が見えた。人形のような女だ。決まった表情以外を持ち合わせていないくせに、それがやけに似合う女だった。
「もし」
か細い声だった。にもかかわらず、あたりのしじまを全て引き寄せ、ぶつけてきたかのごとく、空却と灼空の耳を引きつけた。境内に立った少女は、心細そうに瞳を揺らしていた。
黒い日傘、白い半袖のセーラー服、病的なまでに白い肌に、あちこちに巻きつけられた包帯とギブス。血のように赤い唇が細い声を紡ぐ。
「あの、ご相談したいことがありまして。……親族が亡くなったのですが、どうすればよろしいでしょうか」
涼やかな、グラスと氷がぶつかる音がする。小さなアパートの一室、空却を出迎えた藤花は、空却が読経を終えるまで、まるで存在を消すかのようにひっそりと隅に座っていた。キャビネットに乗せられた位牌は彼女の母親のものである。去年の夏に起きた、親子ふたりを巻き込んだ交通事故。母親は即死だったという。娘の方は全身のあちこちを折って、引攣らせて、一時期は歩くことすらままならなかったという。そんな傷も、時とともに塞がっていく。治ってしまう。藤花は体に心が追いつかない、とでも言わんばかりにぼんやりとしていた。ひとつひとつの対応はしっかりしているのだが、そこに感情は伴わない。大きな瞳はここではないどこかを眺めるかのようだった。
布施を受け取り、用意された麦茶を呷る。狭い1DKは空気が籠っている。懸命に首を振る扇風機の風が、はらはらとふたりの髪を揺らした。
「いつも、ありがとうございます」
ぽつりとこぼされた言葉は、おきまりのものだった。檀家である彼女のもとへ経を唱えに赴くのは毎年のことだった。去年までは、よく似た母親とふたりで空却を迎えてくれていた。唯一の肉親を亡くした彼女はもう、今年から、一人で盂蘭盆を迎えるのかと思うと、なんとも言えない心地がした。
半袖のセーラー服からは、折れてしまいそうなほど細い首が覗く。
「てめぇ、飯は食えてんのか」
言葉はぽつりと溢れた。突然の質問に、藤花は初めて、感情らしい感情を見せた。困惑だ。戸惑ったように瞳を揺らし、小さく首をかしげる。
「……え、と。はい。食べています」
「夜は?眠れてんのか?」
「……はい」
「体調は」
「……まだ、傷が痛むこともありますが、それも随分と良くなりました」
それがどうかしたのか、と言いたげな瞳だ。空却はため息をついて立ち上がる。戸惑いながらも藤花は立ち上がり、玄関へと向かった空却を見送るべくついてくる。出船に揃えた履物をつっかけて、ここまででいい、と制する。
「……事故には気をつけろよ」
「え?」
「階段降りるときは手摺使え。道歩くときは車道から遠いところにしろ。人通りの多いところ歩け。ダチだろうが彼氏だろうが誰でもいいから、あんま一人でうろつくな」
それだけ言って、重い玄関扉をくぐる。夏の、うだるような熱気と、肌に張り付く湿気が一気に全身を包む。それでも、あの狭苦しいアパートの一室よりはずっと息がしやすかった。扉が閉まる前、垣間見えた薄暗い玄関の中、困ったように眉尻を下げる藤花の顔が見えた。人形のような女だ。決まった表情以外を持ち合わせていないくせに、それがやけに似合う女だった。
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