だらだら
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「ほんとうに何でも屋さんなのね」
嘆息する霧絵の膝の上には、まんまるな瞳を輝かせる一匹の柴犬がいた。もにもに、むにむにと頬の後ろの余った皮を揉む。あなた、ついこないだシャンプーしたのに、もうくちゃいですわよ。取り繕った喋り方に一郎は笑う。くつろいだ顔つきで彼女に甘えるその左目はわずかに濁り、目の下の皮膚は炎症を起こしていた。
牧野家には6歳になる一匹の柴犬がいる。茶色のつやつやの毛並みに黒いものが混じった胡麻模様で、マズルの短な、どちらかといえばタヌキ顔のメスである。2年前に目の病気で左目の視力を失い、以来治療として1日に数回、複数の目薬をさしている。そんな彼女が霧絵のアパートでふんすふんすと鼻息を荒くし、ボールを追いかけているのは、霧絵の両親が出張で不在だからである。
娘が学校やバイトで家にいない間、犬の面倒を見てほしい。具体的には、状態と時間に応じた薬の点眼、できれば散歩。詳しいことは娘が説明します。そう依頼を受けたとき、一郎は、似ているなぁと笑ったのだ。高校生のとき、霧絵が巻き込まれた一件から、シンジュクからイケブクロまでの送迎を頼まれたときからずっと、霧絵の父親は一郎によく仕事を頼んでいた。今回のような家庭内での困りごとだけでなく、彼が勤める会社から仕事を回されたことだってあった。彼だって、当時高校生だった霧絵が一郎を悪しからず思っていたこと、一郎が彼女に惹かれていたことは知っていた。しかしその頃から、彼は一郎の労働、依頼主への対応を評価し、萬屋としての一郎をビジネスパートナーとして捉えてくれるようになった。曲がりなりにも、娘の恋人に対して親が金を払い、仕事に巻き込むだなんて重荷になりかねないと、霧絵はやりにくそうであったが、まだ駆け出しの一郎にとって、教え導くような姿勢をもって関わってくれる大人の存在は貴重であった。
バイトを入れず、夕方には帰ってきた霧絵は、すっかり一郎に懐いた愛犬にほっとため息をこぼした。尻尾を振って駆け寄る愛犬をそっと撫でてやる姿は、もしかしたら高校生のとき、一郎が別れた後の日常だったのかもしれない。おかえり、といえば、ただいま、と返した。
「薬はばっちし。今日は調子いいみたいで、眼球の突出も控えめだ。散歩はさっき行ってきた。あとトイレも」
「ほんと、完璧だね」
「家犬ってすげぇな。ほんとに、部屋の中でトイレしないんだな」
「不思議よね。散歩に行けなかったときは、そこにトイレがあっても我慢するのよ」
「賢いなぁ」
「賢いですって。褒められたよ。ほらありがとうは?」
後ろから抱え、前足を掴み、ふりふりする。黒い肉球は猫とは違い、固いことを知った。ふわふわの額を撫でてやると、耳をパタリと倒すのがたいそうかわいらしかった。
霧絵と一郎、ふたりがどうしても都合が合わないときは山田家にて二郎と三郎が面倒を見た柴犬は、五日後、両親の迎えで牧野家に帰って行った。普段そう多く犬と接する機会のない兄弟たちは、はやる気持ちに任せて買った百均のおもちゃをみて、少し寂しそうにしている。ふたりのスマホには、ブレた犬の写真が何枚か保存されていた。
あいつら、寂しがってたよ。そういうと、誰より寂しそうにしている霧絵がふふ、と小さく笑った。
「また出張になったら、お願いするね」
「ご贔屓のほど、よろしくお願いいたします」
嘆息する霧絵の膝の上には、まんまるな瞳を輝かせる一匹の柴犬がいた。もにもに、むにむにと頬の後ろの余った皮を揉む。あなた、ついこないだシャンプーしたのに、もうくちゃいですわよ。取り繕った喋り方に一郎は笑う。くつろいだ顔つきで彼女に甘えるその左目はわずかに濁り、目の下の皮膚は炎症を起こしていた。
牧野家には6歳になる一匹の柴犬がいる。茶色のつやつやの毛並みに黒いものが混じった胡麻模様で、マズルの短な、どちらかといえばタヌキ顔のメスである。2年前に目の病気で左目の視力を失い、以来治療として1日に数回、複数の目薬をさしている。そんな彼女が霧絵のアパートでふんすふんすと鼻息を荒くし、ボールを追いかけているのは、霧絵の両親が出張で不在だからである。
娘が学校やバイトで家にいない間、犬の面倒を見てほしい。具体的には、状態と時間に応じた薬の点眼、できれば散歩。詳しいことは娘が説明します。そう依頼を受けたとき、一郎は、似ているなぁと笑ったのだ。高校生のとき、霧絵が巻き込まれた一件から、シンジュクからイケブクロまでの送迎を頼まれたときからずっと、霧絵の父親は一郎によく仕事を頼んでいた。今回のような家庭内での困りごとだけでなく、彼が勤める会社から仕事を回されたことだってあった。彼だって、当時高校生だった霧絵が一郎を悪しからず思っていたこと、一郎が彼女に惹かれていたことは知っていた。しかしその頃から、彼は一郎の労働、依頼主への対応を評価し、萬屋としての一郎をビジネスパートナーとして捉えてくれるようになった。曲がりなりにも、娘の恋人に対して親が金を払い、仕事に巻き込むだなんて重荷になりかねないと、霧絵はやりにくそうであったが、まだ駆け出しの一郎にとって、教え導くような姿勢をもって関わってくれる大人の存在は貴重であった。
バイトを入れず、夕方には帰ってきた霧絵は、すっかり一郎に懐いた愛犬にほっとため息をこぼした。尻尾を振って駆け寄る愛犬をそっと撫でてやる姿は、もしかしたら高校生のとき、一郎が別れた後の日常だったのかもしれない。おかえり、といえば、ただいま、と返した。
「薬はばっちし。今日は調子いいみたいで、眼球の突出も控えめだ。散歩はさっき行ってきた。あとトイレも」
「ほんと、完璧だね」
「家犬ってすげぇな。ほんとに、部屋の中でトイレしないんだな」
「不思議よね。散歩に行けなかったときは、そこにトイレがあっても我慢するのよ」
「賢いなぁ」
「賢いですって。褒められたよ。ほらありがとうは?」
後ろから抱え、前足を掴み、ふりふりする。黒い肉球は猫とは違い、固いことを知った。ふわふわの額を撫でてやると、耳をパタリと倒すのがたいそうかわいらしかった。
霧絵と一郎、ふたりがどうしても都合が合わないときは山田家にて二郎と三郎が面倒を見た柴犬は、五日後、両親の迎えで牧野家に帰って行った。普段そう多く犬と接する機会のない兄弟たちは、はやる気持ちに任せて買った百均のおもちゃをみて、少し寂しそうにしている。ふたりのスマホには、ブレた犬の写真が何枚か保存されていた。
あいつら、寂しがってたよ。そういうと、誰より寂しそうにしている霧絵がふふ、と小さく笑った。
「また出張になったら、お願いするね」
「ご贔屓のほど、よろしくお願いいたします」