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一年前、私は公園で怪我をしていた猫を保護した。そのコを病院へ連れていき、家で世話をするようになった。その後から、次々と猫たちが集まってきて、家が一気に賑やかになった。
一人で住むには無駄に大きすぎる一軒家で、私はとても久しぶりに、自分以外の体温に触れていた。みんなと過ごしている時間が楽しくて、みんながいてくれることが嬉しくて。この一年、今までにないほど笑っていた。それ以前は、少し乱暴な言い方かもしれないけど、仕事の時以外はその為に表情筋なんて動きやしなかったもの。食材や日用品を買いに出かける以外はほとんど家に籠りっぱなしだったし。すごい進歩だと思う。
みんなが来てくれたおかげで、私の生活は一変した。こんなに毎日が充実していたのは生まれて初めてかもしれない。
そしてきっと、それはこれからも変わらないだろう。みんなは『ただの猫』ではなかったけど。一般的常識には収まらない事情があったけど。もう、私にとっては大切な“家族”なんだもの。『普通』じゃないからって、別にどうってことない。
みんなと一緒に居られるなら、これ以上嬉しいことはない。みんながいてくれるなら、もう、孤独に怯える必要はなくなる。
私には、両親がいない。いや、この言い方は正しくないな。
正確には、近くに居ない。二人共どこかで元気にしているそうだ。二人がどんな仕事をしていたのか、あるいはいるのかを私は知らない。ただ、留守がちだったことは覚えている。
私が学校に上がる頃は、何故か多くて年に数回、悪ければ数年に一回しか帰ってこなかった。それも不定期に。
勿論、反抗や反発をしなかったわけではない。髪や目の色が二人とは違ったことから、本当の子供じゃないのではないか、だから帰ってこないんじゃないか。そんなことを考えて荒んでいたこともある。悲しくて悔しくて寂しくて。でも嫌いになんてなれなくて。
不安定で矛盾した感情をこじらせて、妙な症状が現れたのもその頃だった。一人で居る時間が長すぎて、孤独と痛感すると体調を崩すようになった。一人で居ることが、堪らなく不安で寂しい。心がそれに耐えられなくなった時、身体も悲鳴を上げる。だからその前に、木立先生のところに行く。そうすればとりあえず倒れても大丈夫だから。
けれど根本は、私の心の問題だから、それが変わらない限り解決しない。会えない両親に焦がれて、思い詰めている限り、発作は治らない。先生はそう言っていた。
でも、ずっとずっと抱え続けたその発作とも、もうおさらば出来るかもしれない。みんなが来てから、『寂しい』なんて思う回数は格段に減った。一度発作を起こしたことはあったけど、それ以降は一度もない。『一人きり』じゃないんだと、思えるようになったからだろう。
両親の『代わり』だなんて思ってない。ただ、私はきっと『家族』を欲していたんだと思う。そう考えると、妙に納得できる。
本当に、みんなが来てくれたことには感謝してもしきれないくらいだ。私は、これからもみんなと一緒に笑っていられたらいいなぁと、心からそう思う。
この先一体いつになるかは分からないけど、両親がまた帰ってきた時には、真っ先にみんなを紹介しよう。そうしたらきっと、私が幸せだって伝わるだろうから。それに、二人が帰ってきた時には胸を張って『おかえり』って言いたいもの。
片腕を吊るほどの怪我をしていることを忘れて笑えるのは、悪いことじゃないよね?
一人で住むには無駄に大きすぎる一軒家で、私はとても久しぶりに、自分以外の体温に触れていた。みんなと過ごしている時間が楽しくて、みんながいてくれることが嬉しくて。この一年、今までにないほど笑っていた。それ以前は、少し乱暴な言い方かもしれないけど、仕事の時以外はその為に表情筋なんて動きやしなかったもの。食材や日用品を買いに出かける以外はほとんど家に籠りっぱなしだったし。すごい進歩だと思う。
みんなが来てくれたおかげで、私の生活は一変した。こんなに毎日が充実していたのは生まれて初めてかもしれない。
そしてきっと、それはこれからも変わらないだろう。みんなは『ただの猫』ではなかったけど。一般的常識には収まらない事情があったけど。もう、私にとっては大切な“家族”なんだもの。『普通』じゃないからって、別にどうってことない。
みんなと一緒に居られるなら、これ以上嬉しいことはない。みんながいてくれるなら、もう、孤独に怯える必要はなくなる。
私には、両親がいない。いや、この言い方は正しくないな。
正確には、近くに居ない。二人共どこかで元気にしているそうだ。二人がどんな仕事をしていたのか、あるいはいるのかを私は知らない。ただ、留守がちだったことは覚えている。
私が学校に上がる頃は、何故か多くて年に数回、悪ければ数年に一回しか帰ってこなかった。それも不定期に。
勿論、反抗や反発をしなかったわけではない。髪や目の色が二人とは違ったことから、本当の子供じゃないのではないか、だから帰ってこないんじゃないか。そんなことを考えて荒んでいたこともある。悲しくて悔しくて寂しくて。でも嫌いになんてなれなくて。
不安定で矛盾した感情をこじらせて、妙な症状が現れたのもその頃だった。一人で居る時間が長すぎて、孤独と痛感すると体調を崩すようになった。一人で居ることが、堪らなく不安で寂しい。心がそれに耐えられなくなった時、身体も悲鳴を上げる。だからその前に、木立先生のところに行く。そうすればとりあえず倒れても大丈夫だから。
けれど根本は、私の心の問題だから、それが変わらない限り解決しない。会えない両親に焦がれて、思い詰めている限り、発作は治らない。先生はそう言っていた。
でも、ずっとずっと抱え続けたその発作とも、もうおさらば出来るかもしれない。みんなが来てから、『寂しい』なんて思う回数は格段に減った。一度発作を起こしたことはあったけど、それ以降は一度もない。『一人きり』じゃないんだと、思えるようになったからだろう。
両親の『代わり』だなんて思ってない。ただ、私はきっと『家族』を欲していたんだと思う。そう考えると、妙に納得できる。
本当に、みんなが来てくれたことには感謝してもしきれないくらいだ。私は、これからもみんなと一緒に笑っていられたらいいなぁと、心からそう思う。
この先一体いつになるかは分からないけど、両親がまた帰ってきた時には、真っ先にみんなを紹介しよう。そうしたらきっと、私が幸せだって伝わるだろうから。それに、二人が帰ってきた時には胸を張って『おかえり』って言いたいもの。
片腕を吊るほどの怪我をしていることを忘れて笑えるのは、悪いことじゃないよね?