それからの事は正直に言うと、よく覚えていない。太宰少年から後に聞いた話だが副校長は、今回の新庄達の処遇について「悪戯にしては流石に度が過ぎている」と、一週間の謹慎処分を下したらしい。その話を聞いただけで、私も太宰少年もすっかり学校に対しての信用を失ってしまった。

…人一人殺しかけておいて、一週間の謹慎程度で済ませるだなんて！

そして更に悪い事に、この話は森さんの耳にも届いた。これも太宰少年を通して聞いた話だが、校長と副校長、他にも佐々城先生やキップリング先生で森さんに平謝りしていたらしい。その時の森さんがどんな様子だったかは想像がつかないが、少年曰く「凄まじく怒っていた」らしい。彼もまた、今回の主犯達の処遇に不満を抱いているようだった。その話だけでもかなり私の心は救われた方だったが、少し考えてから森さんの怒りの原因がわかった。

…きっと森さんは、社員が使い物にならなくなったから怒っているんだ。それ以上でもそれ以下でもないに違いない。

前述したように私の顔は前歯も何本か抜けて、瞼も腫れ上がっていて、顔だけ切り取っても到底カメラの前に立てない有様だった。今月やる予定の仕事も幾つか入っていたから、それが怒りの原因なのだろう。
…更に森さんの怒りを助長させる要素があった。

　どういうわけかは知らないが、重傷の私に施そうとした治療の魔法〝すべて〟が私に効かなかったらしい。稀に体質に合わず治療魔法や魔法薬が効かない事もあるそうだが・・・そんな事ってある？魔法のくせに。
つくづく私は(魔法界においては)運がない。

　おかげで私はモデル業を身体が回復するまでの間、休業する事となった。ついでにこの重傷に託けて暫く学校を休めないかとも思ったが、それは得策ではないだろうと判断した。

　今の私の目標は一刻も早くこの学校から卒業する事だったからだ。

漸く太宰少年と意見が一致したのだ。私ももう、【一秒だってこの学び舎に立っていたくない】。学校をやめようかとも考えた。けれど、森さんに入学前に「良い結果を期待しているよ」などと云われたのを思い出すと、どうしてもその選択は憚られた。
私は薄情な人間だが、これでも多少森さんに対しては恩義を感じている。
彼の言うことはなるべく全部に従うし、彼からの期待には応えたいと思う。

　…だから、学校で執拗ないじめが始まっても、私はそれらすべてを受け入れて、耐えることにした。



　最初は登校中、列車の通路での事だった。
　私は先の暴動で負った怪我が原因で一本、松葉杖をついていた。もともと狭い通路だったし、自分で場所を取っている自覚はあった。けれども、前方から突進して来た大柄の上級生は明らかにわざと…私にぶつかって来たように思えた。「あい！」太宰少年が後ろで叫んだ。

「あぁ、ごめん。だって邪魔だったからさ」

謝罪にも聞こえない謝罪をして、上級生は行ってしまった。その態度が太宰少年の瞋恚を呼ばないわけがない。少年は目にも止まらぬ速さで懐から取り出し、魔法を放とうとする…のを、寸でのところで私が止めた。

「あい！でも・・・」

「駄目だよ治。列車内で杖を使っちゃ駄目だって、織田先生にも云われたでしょう」

残念ながら向こうは杖も出していない。反撃できないのは歯がゆいだろうが、今は堪えてもらうしかない。
　私たちはその後いつもの最後尾のコンパートメントへ向かったのだが、その道中でも良くない陰口は耳にした。

「見なよ、あいつ」「うわ、まだ来てたんだ」「あのまま落ちて死ねばよかったのに」

最後の方の発言が聞こえたあたりから、幾つかのコンパートメント内で何かが爆発するような音や女児の悲鳴が聞こえてきた。それが何を表すのか、もう私は十二分に理解していた。

「治！」

「いいじゃない。僕、〝杖は使ってない〟んだから」

また太宰少年だ。フンと鼻で笑って、コンパートメント内で騒いでる児童たちにざまあみろとでも言いたげな目を向けている。怖かったのは太宰少年ではない、彼の様子を見て同じくざまあみろと思ってしまった自分だった。


　主犯の新庄がいなくとも、過酷ないじめは始まった。新庄や小久保だけでなく、全校生徒までもが私をいじめの標的にしたからである。【魔法を使える者は、魔法を使えない者を好きなだけ攻撃していい】という風潮はすっかり全校で広まっているらしかった。

或る時は廊下で、呪文の試し打ちの的になった。
或る時は教室で、私物が切り裂かれていたり燃やされていた。

他にも、云うのだって憚られるような仕打ちを沢山、されてきた。

　それでも努力した。魔法が使えなくたって、いじめに屈しないとする、強い心を持った。

　気の毒なのは太宰少年だった。私の兄だからという理由だけで、彼もいじめの標的にされた。彼の場合はすべて返り討ちにしていたようだったけれど。
けれど、私と一緒にいる事で彼に悪意が向けられる事も確かだった。
　太宰少年はいつも私を守ってくれた。私には守る価値もないというのに、それは健気に私の守護者であり続けてくれた。彼には感謝してもしきれなかった。
…同時に、恐ろしかった。

私が転生者であると知ったら、彼はどうするのだろう？

私は彼を本当の兄と見れないと知ったら・・・もう兄妹の縁を切ってくれと頼んでくるやもしれない。それが当然の反応だろうに、もしそう云われたらと想像すると、震えが止まらない。
　その恐怖を感じる度に、私もまた醜い人間の子なのだと実感せざるを得なくなる。私は衷心では太宰少年を自分に都合のいいボディーガードだとでも思っているのだ。だから彼が私を離れていったらいやなのだ。今よりもっと傷付くのが目に見えているから。
私もまた汚い人間なのだ・・・。

　考え事をしていたら、足を引っかけられた事に気付かず、思い切り蹴躓いてしまった。持っていた教本どころか松葉杖からも手を離してしまい、盛大な音が辺りに鳴り響いた。顔から思い切り床にぶつかってしまったため、私は喘ぎ声を口から漏らす。
…運の悪いことに、今日は太宰少年と一緒じゃない。

「エバネスコ！」

その呪文が頭上から降って来たと同時に、履いていた袴の肌触りがなくなった。嫌な予感がして下半身を見ると、先程まで身にまとっていた筈の袴がない。羽織と小袖と足袋だけ残して、私の素足が晒されていた。下着が見えなかったのは幸いだった。
また頭上から声が降ってくる。

「お前なあ、人間の方が消えちまったらどうすんだよ」

「別に〝出来損ない〟が消えたって誰も困りゃしねえだろ」

「それもそうか」

「なあ、今度は小袖消してやろうぜ！」

冗談じゃない、そんなことされたら今度こそ半裸になってしまうと、私は落とした物をかき集めると一目散にそこから逃げ出した。背後から下卑た嘲笑が聞こえてきたが最早捨て台詞を吐く余裕さえ今の私にはなかった。

(・・・替えの服、どうしよう)

人気のない廊下まで逃げて、とぼとぼと歩く。これからどうしようか、取り敢えず教室に戻ろうか、と考えていると、前方から話し声が聞こえてきた。この格好を見せるのは私の自尊心が許さなかったので何処かに身を隠そうとしたが、何やら声があまりに剣吞を含んだものだったので、私は思わずその会話に集中した。

「・・・とぼけるなよ」

驚いた。その声は聞き慣れた人物の声だったからだ。太宰少年のだ。

　けれど、今まで聞いた事もないような…怒涛を含んだ声だった。

「・・・何の話だよ」

こっちの声も聞いた事がある。まだ数える程しか聞いた事がなかった人の声。中原少年のものだ。

「噓はいけないんじゃない？」

太宰少年の声は極めて落ち着いたものだった。けれど、含まれた怒涛の比重は変わっていないようだった。
私はまだ二人の会話を聞き続けた。

　「あの夜、大広間の鍵を内部から開けたのは君だ。そうだろう？」

私は思わず息を吞む…心に無数の穴が空いて、そこから中身が溢れ出ているような気分だった。
私を置いてけぼりで会話は続けられる。中原少年も不気味な程落ち着いた声色で言葉を紡ぐ。

「・・・随分と自信に満ち溢れた推理じゃねえか。証拠はあんのかよ」

「新庄や小久保の協力者として浮かび上がる初等部の生徒は今のところ君しかいないからね。ほら、君っていっつもあいつらの後ろを金魚の糞みたくっついて歩いてるじゃない」

最後の方は完全に挑発の色がにじみ出ていた。物陰に身を隠していたから中原少年の様子はよく見えなかったが、その挑発に当てられてしまったらしい、怒っているような空気がこちらにもやって来た。

「・・・」けれど、中原少年は口を閉ざしたまま。その反応に私はやきもきした。太宰少年もそうだったらしい。
衣擦れの音がした。嫌な予感がして、私は物陰から躍り出る。予想した通り、そこには怒涛の表情で中原少年の胸倉を掴む太宰少年がいた。

「治！」私は制止の声を上げていた。

「あい、どうして、」

太宰少年も中原少年も一瞬バツが悪そうな顔をした。けれど、すぐさま袴を履いていない私の姿に目を丸くした。今はそこに触れないでほしかった。

　私は中原少年の胸倉を掴む太宰少年の手を半端無理やり離す。こんな現場を教師に抑えられでもしたら、罰則の対象になるのは間違いなく太宰少年だからだ。
　中原少年は太宰少年に解放されると、もう用は済んだと言わんばかりにその場から立ち去ろうとした。

「待って！」私は思わずそんな彼を呼び止めていた。

それは、私も知りたかったからだ。

本当に彼は…大広間の鍵を開けたのか？

「…貴方と話がしたいの」

どうしてあれから…私を避けるのか？

彼とは話したい事が沢山あった。

けれど。


　「・・・鍵を開けたのは、俺だ」

どうして。私は言葉を失った。

「これでもういいだろ。もう俺には話しかけてくんなよ、〝出来損ない〟」

少年はそれだけ言い残し、去っていった。


　…膝が地面に崩れ落ちる音がした。

私は、泣いていた。


　以前より、廊下を歩くのが怖くなった。私は松葉杖をつく度に大きな音をさせていたので、児童達は逸早く私の存在に気が付いた。すぐに私はいじめの的となる。
　以前より、授業を受けるのが怖くなった。中原少年と同じ部屋で息を吸っていると思うと、胸が苦しかった。あれから中原少年とは言葉すら交わしてない。当然だ。私は彼から突き放されたのだから。彼の方からも私に近づく事はなかった。
　太宰少年はあれから、少しでも私に近づく影があれば過敏に反応した。私に攻撃しようとした下級生の殆どが彼の返り討ちに遭った。本来なら教師からお咎めをもらいそうな仕返しでも、彼はそのあたり抜け目なく＿証拠を残さずに往復に走った。一度、私に廊下で失神呪文を喰らわせて来た上級生を倍返しにしてやった時に小栗と出くわした事があったが、少年はその時杖さえ持っていなかったので＿小栗は彼に退学処分を処する事が出来なかった。小栗にとっては一生の不覚だったろう。
　だから私がいじめに遭う時は専ら一人の時だった。前述したように非魔法使いの私が受けられない授業もあったし、そういった時に私は太宰少年の庇護下を離れる事となる。教室に閉じ籠っていても、連中はわざわざ教室まで出向いて私を攻撃して来た。
　私に安心出来る場所はもうなかった。毎日が怖くて不安で。日々を、校内を駆け回って過ごした。人の視線に敏感に反応して、逃げ回った。


　二〇一八年六月十九日火曜日。私はまた不安と共に目を覚ました。最近は悪夢だけしか枕元に立たない。それまでは太宰少年が私の部屋に押しかける事はあっても、近頃は私が少年の部屋に訪ねて一緒に寝る事が多くなった。彼は文句の一つも云わず、私が隣に寝る事を許してくれる。【太宰あい】は本当に佳い兄に恵まれた。それとも、彼女がとりわけ恵まれなかっただけなのか。否、彼女は気の毒だった。

　【私】という人格に蝕まれて、この世に生まれなかった。【私】より悲劇に見舞われた哀れな少女だ。
今日だって、本当は彼女の誕生日の筈だった。そう思うと、今一気乗りせず、朝一番に祝福の言葉を贈ってくれたロビンに対しても素っ気ない返事しか出来なかった。
　朝食の席でも私の機嫌は変わらない。

「おはよう、二人とも。今日は特別な日になるといいね」森さんは優しく笑ってそう云ってくれた。その時私は何と返事したのか覚えていない。「ありがとうございます」とか「そうですね」とか、兎に角その旨の言葉をぶっきらぼうに返したのだろう。

今日が特別な日になんてなるわけがなかったから。どうせ今日も行き交う人の視線に怯えるだけの日になるに違いなかったから。

その後は森さんも太宰少年も使用人の妖精たちも私に使う必要のない気遣いをしていたようだった。特に太宰少年は珍しく私に一言も声をかけないままだった。私は愚かにもその事に気付かぬまま、今日も学校へ向かった。もう学校へ行く意味などないのかもしれないけれど。


　私は二限目の終了を告げる鐘が鳴ると直ぐに教室から駆け出した。昨日やっと松葉杖を手放せたから、今日の逃足は速い。次の三限は私の参加出来ない〝飛行訓練〟の授業なので、守ってくれる太宰少年がいないから、私は逃げに転じるしかないのだ。皆が後ろ指で私を笑おうと構わない。
今の私は出来る限り平穏に暮らしたい…それだけなのだから。

「よう、スクイブ！」「よっ、出来損ない！」

聞き慣れた挨拶や悪戯呪文を時には受け流し時には躱し、私は逃げる逃げる。しかし暫く行った所の廊下で…私は方向転換した。

(何で〝あいつ〟が此処にいるのよ！)

新庄だ。諸悪の根源である男が、何故か初等部の棟である前方の廊下を歩いていた。一体どうして…きっとまた私をいじめに来たんだ！出くわせば何をされるかわかったもんじゃない。やっと怪我も治りかけているところなのに。
　私は我武者羅に廊下を駆け回って、適当な扉を開いた。その部屋がどういった所なのかもまるで考えていなかった。この時の私は兎に角、新庄の目を欺けるなら何がどうなっても良かったからだ。

　けれどこの扉が…中原少年の開いた扉に次いで、私の運命を決める扉になる。

それは私ですらまだ知らない事だった。


　真っ先に目に入ったのは、綺麗に並べられた立派な無数の事務机と、壁一面に並べられた本棚。唯一正面の壁だけは窓硝子がはめ込まれていて、空と海、硫黄島の森林、特急駅が見渡せる。正直に云うと、副校長室から見た景色よりも綺麗だと思ってしまった。そして頭に浮かんだ疑問はただ一つだった。

(此処は何の部屋なんだろう)

職員室は前に来たから違う。では校長室だろうか？だとしたら我が校に校長は何人いるのだという話になってしまう。

　考えを巡らせていると、後ろの扉がバァン！と勢いよく開いた。私はそれにつられて思わず身構える・・・。

　「やあやあ、諸君おはよう！」

入って来た人物＿私より僅かに年上に見える少年は元気よく挨拶し。しかし予期せぬ不法侵入者の姿(つまり私だ)を見て、警戒心を露わに・・・

「・・・ってあれ、与謝野さんも花袋もまだ来てないじゃないか。まったく、この僕よりも遅れてやって来るとは、全くもってなってない！・・・君もそう思わないかい？」

しなかった。

「・・・はあ」私はついそんなお間抜けな返事しか出来なかった。しかし少年はそんな事構いもせず、中央のとりわけ立派な事務机に向かう。その机上から数部の紙の束を取り上げ、流し見し＿盛大な溜息を吐いた。私はその一連の動作を見て、目を丸くするしかできなかった。

「まったく、退屈な事ばっかりだよね。この前は中等部の生徒が初等部の児童に対して障害事件並の問題をやらかして、今度は教師の不祥事だよ。お陰でこっちは跡始末の山！僕の千里眼が役に立つ機会なんて来やしない！」

中等部の生徒が初等部の児童に云々・・・私のことだろうか。あの事件はこの人の中で【退屈】の一言で済まされているのか・・・そう思うと、元から折れている心が更に違う方向に折られた気分だった。
　私がショックを受けているのもこれまたお構いなしに、少年は持っていた紙の山を私に押し付けた。私も思わずそれを抱えてしまう。

「それ片付けといてよ。他の皆はいないみたいだし」

「え、ど、どうして」私はすぐに抗議の声を上げた。が。

「何って・・・書類の整理は会長の仕事じゃないもん」

・・・！？
私の脳の機能凡てが停止したのは言うまでもなく。固まっている私をこんな竜巻のような少年が気に掛ける筈もなく。「またね～」と少年は手を振って部屋から出て行ってしまった。

　「・・・」

私は暫く動けず仕舞いだったが、やがてハッとして我に返った。

(どうしよう、これ)

腕の中に積まれた紙の山。よくよく目を通すと、本校の予算案、来年の行事予定諸々が記されている。室内にあった二十四の数字まで刻まれている時計を確認する。明らかに魔法でも使わねばこの量の資料は纏められないだろう。元あった場所に返してしまおうか。でもそうしたら・・・。私の頭は嫌な想像しか浮かばせてくれなかった。

書類の整理をしなかったのを理由に、あの少年からもいじめられるようになったらどうしよう。そもそも此処に入る事自体が駄目だったのなら・・・非があるのは間違いなく私の方じゃないか。

　私は諦めて、万年筆を手に取った。

　紙面に書かれている文は明らかに一介の児童が目にしてはならない情報だ。だから私はなるべく【書類を纏める】という一点のみにおいて意識を集中させた。そうする事で、情報が頭に入らないようにした。これは意外にも効果があった。おかげで予想よりも早く書類を纏める事が出来た。我ながら、今月一番の功績ではなかろうか。よし、これで誰も来ないうちに退散すれば・・・「…乱歩さんの間違いじゃないかい？新人なんて聞いてないよ」

「そんな筈はないよ、だって彼女は生徒会室にいたんだから！」

「それはおかしな話・・・ん？」

出来なかった。扉からは三人の子供が入って来た。その内一人は先程の糸目の少年。後は野暮ったい丸眼鏡をかけた少年と・・・こちらは以前にも会った事がある。生徒会副会長にして保健委員の与謝野先輩だ。神様は大分私のことが嫌いらしい。私は逃げようと一歩踏み出した足をそのまま元に戻した。

「あー…えーと…先刻ぶりですね…あはは…」

私の大してごまかせてもいない誤魔化しは効かなかった。


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「あまりに軽率な行いです！！」

数分後、私はその場で正座させられ、その部屋にいらっしゃつた副校長からのお𠮟りを受けていた。どうやらこの部屋は生徒会室で、あの書類は本当に大事な書類だったらしく、私の予想通り本当に一児童が目にしてはいけない代物だったらしい。
しかもその怒鳴り声で廊下を漂っていた幽霊の小野篁先生もやって来てしまい、事態は更に厄介なものとなってしまった。

「大体、江戸川君も江戸川君です！部外者に生徒会内の情報を見せるなど、前代未聞の過失！間抜けとしか言いようがありませんよ！」

「だ、だって、仕方ないじゃない。その子は〝ちゃんと部屋にいた〟んだもの・・・役員と間違えてもおかしくなかったよ」

「それはそれ、これはこれです！相当の罰則を期待なさい！」

そのやり取りを見ていたら、江戸川君とやらが私を恨みがましい目つきを私に向けた。当然の反応だろう。そもそもは私がこの部屋に入って来たのがいけなかったのだし。

「本当にごめんなさい・・・」

「・・・」江戸川少年は何も云わなかったがその目は明らかに「お前のせいだ」と責めていた。

また新たな敵、しかも生徒のトップを敵に回してしまった事に私は涙が止まらなかった。本当に退学した方がいいのかも…これで私も一巻の終わりだ。

　私は覚悟して副校長の次の科白を待った。

　「まあまあ、副校長も少し落ち着いてくださいな」

ハハハ…と、軽やかに笑う者が一人。おそらくこの中では一番の年長者であろう、小野先生だ。五十一で死んだというから外見からしてもこの中では最年長だった。口調に時代を感じさせないのは、本人が時代の流行りに合わせて口調を変えているからだという。変なところで頭を使う人だ。確かに少々変わり者であるという話は聞いた事はあったが…。

「確かに太宰さんが生徒会室に無断で入ったのは褒められた事ではないでしょう。けれど彼女が【生徒会室にいる事】もまた事実。つまりこれは〝魔法処が彼女を認めた〟という事。それに彼女が纏めたという資料を拝見しましたが・・・これは凄いですよ。まだまだ荒削りな部分はありますが磨いたら確実に光る人になるでしょう。彼女は逸材ですよ」

・・・最初は彼が何を仰っているのかわからなかったが、最後の方は私の聞き間違いでなければ、私はあの小野篁に・・・・褒められている。篁と云えば、文才においては天下無双、定評のある御仁だ。そんな彼が高が一児童をこんなにも評価している。その事実が私にはどうも信じられなかった。試しに頬を抓った。痛かった。
　副校長は少し考える素振りを見せた後、長い長い溜息を一つ吐いた。彼女のその仕草が、小野先生の発言力がどれ程のものかをよく表していた(と思う)。

「あ、あの、つまりどういう事でしょう？」

私は何となく、その時質問をする権利を得たような気がして、科白を喉につっかえさせながらも尋ねた。

副校長も眉間に寄せていた皺をやっと伸ばして、口を開いた。「・・・つまり、ですね。貴方は生徒会に入会する機会を得た、という事ですよ、太宰さん」

「は、」

はい？
私も思わず紡ぐ言葉を失った。私の反応を見て、小野先生と与謝野先輩が面白おかしそうに笑っている…よっぽど私の顔が間抜けなのだろうか。
　副校長が続けた。

「話が見えて来ないでしょう。無理もありません。そもそも、これ自体話せば長くなる話なのです。取り敢えず、一旦座りましょうか」

私はそれまでずっと冷たい床に正座していたわけだが、やっと椅子に座る権利を得たらしかった。私は痺れた脚に何とか鞭打ち立ち上がらせる。その様子を見ていた副校長が突然ニコリと笑った。私の無様がよっぽど面白かったのか…今回は違うようだ。

「私もこの件に関しては嬉しいのですよ、太宰さん。これがどんなに名誉な事なのか、貴女にもいずれ判りますよ」


　「そもそも生徒会室に入る事自体が、選ばれた児童生徒にしか出来ない事なのです」

…あれから私は、生徒会室に設置してあった応接用のソファの内一つに座らせてもらった。その向かいに副校長が座り、生徒会役員の三人はそれぞれの事務机に座っている。幽霊の小野先生はソファの周りをふわふわと浮いていた。

「ええと、つまり・・・部屋が生徒会役員になる児童生徒を選んでるって事ですか？」

そんな話、此処が魔法界じゃなきゃ誰も信じないだろうな・・・と思っていたら、副校長が「話が早くて助かります」と頷いた。副校長はどこまでも冷徹な態度を貫いていた。

「毎年何人もの児童生徒が役員になりたいと生徒会室の戸を叩こうとしますが、その言葉の如く戸を叩く事も出来ない者が殆どなのです。云ってしまえば魔法処の敷居を跨いだ時点で篩にかけられていると言っても過言ではない・・・生徒会が狭き門と云われる所以にもなっているのです」

なるほど。私も思わず頷いてしまった。しかしそこで疑問が生まれる。

「その、生徒会に入れる資格はどうやって得るんですか？私は何も特別な事をした覚えは・・・」

副校長は答える。「我が校のために、児童生徒のために心身を尽くせる生徒がその資格を得ます。それこそ〝魔法処〟が役員になるべき児童生徒を選ぶのです。創始者か、嘗ての生徒か・・・誰がどんな魔法をかけたのかは定かではありませんが、学校はその力を備えているのです」

「・・・」

私は思わず言葉を失った。

　つまり、私は選ばれたのだ。魔法処という、魔法の学校に。太宰少年でもなく、他の誰でもない、【私】が。

胸から湧き上がる〝何か〟を、抑えきれなかった。

　「・・・太宰さん、選ぶのは〝貴女〟です。優秀な人材を手放すのは惜しいですが、辞退をするのも貴女の自由。選択は一任します」

その場にいる全員の視線が、私に集中した。


　「…ます」

言葉がなかなか上手く出てこなかった。

・・・今更、何を怖気付く必要があるというのか。云え！今こそ自分の本心をぶちまける時だろう！

私は大きく深呼吸して、思い切り云った。云ってやった。

「…生徒会、入らせていただきます！」