珍しく定時で帰ってきたアオキさんに豪勢な夕食を作りたい一心で、ソファーでネクタイを解きながらぐったりしている彼に「今日は何が食べたいですか？」と聞いてからかなりの時間が経った。
　いつもの長考癖はもう慣れきっているけれども、今日は流石に時間が長過ぎる。
　アオキさんの目の前に立ち、声をかけるも、上の空だ。手を振っても、肩を叩いても体を揺さぶっても、反応無し。
　もうそろそろ夕食を作らなければならない時間なので、答えを出してくれないと困るなぁ……。
　どうしたものかと悩んでいると、目線の先に雑誌があることに気がついた。その雑誌に書かれているとある文字を読んでアイデアがピンと閃いた。
　これをするのにちょっと勇気がいることだし、恥ずかしいけども、いつまでも反応しないアオキさんにちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、いたずらごころが湧いてしまったのだ。
　彼との距離を詰め、名を呼んだ。これで反応しなければアレをするつもりだ。
「……」
　だが、いくら待ってもアオキさんの反応は無かった。
　ドクドクと心臓の鼓動が早くなり、顔に熱が集まってきている。やっぱりやめようかと思ったけども「たまにはこういうのも良いんじゃない？」という心の声に従った。
　更に距離を詰めて、目をぎゅっと瞑り、彼のスーツの裾を握りしめる。
　アオキさんの温かい唇に一瞬だけ触れて、離れた。
　彼の反応が見たくて恐る恐る目を開く。目の前にはポカンと鳥ポケモンが豆鉄砲食らったような顔をしているアオキさんがいた。
　滅多に無いアオキさんの珍しい表情を見ておもわず笑みが溢れてしまう。その顔が見られてとても満足だ。
「あの、これはいったい……？」
「たまにはこういうのも良いじゃないですか！　それでご飯何にします？」
　アオキさんは一瞬だけ目線を明後日の方向へ向けたかと思うと、視線を戻した。
「……あなたがいいです」
「ん？」
　あなたって何？　そんな食べ物あったっけ......？
　どんなものが来るのかアレコレ予想をしていたが、聞き馴染みの無い言葉が来て思考が停止した。
　アナタ、あなた、貴女？　あなたってことは私を……？
「ええっ！？！？」
　ようやく思考回路が戻ってきて、その言葉の意味を理解してしまった。心臓がドクリと跳ね上がり、汗がたらりと流れ落ちる。
　いやいや。ま、まさかそんな筈は……。でも、最近ご無沙汰だったし、アオキさんだって男性だからそういう時もあるのかもしれない。愛する夫に求められたら応えるのが妻というものだ。観念するしかない。でも、私の覚悟が決まってない。ど、ど、どうしよう！
「まっ、まってください……。こ、こころのじゅんびが……」
　あたふたする私を見てアオキさんは柔らかな笑みを浮かべた。
「冗談です」
「えっ」
「まさかあんなことをされるなんて驚きました。ので、仕返しです」
「そ、そうなんですね。あははは……」
　彼の言葉を聞いて心底安心した。アオキさんが冗談を言うなんて珍しいこともあるものだ。
「今日の夕食は……」
　アオキさんは本当に食べたいものをちゃんと言い残した後、リビングから去った。
　気のせいだろうと思うけど、リビングから去るアオキさんの後ろ姿から伺える耳は真っ赤になっているように見えた。