陽が落ち、影を落とす室内にパチパチとキーボードを叩く音だけが響く。
　パチパチ、パチパチ。
　パソコンと対面し、長時間も同じ体勢で同じ音を聞き続けているチリは限界が来たみたいだ。呻き声を上げてぐてんと体勢崩す。
　チリの視界に彼女と同じように長時間も仕事をこなしているアオキの姿が目に入った。
　何の気なしにアオキの姿をぼんやりと見つめているとチリはとあることに気がついた。　　
　愛妻家であるアオキが何故結婚の証である指輪をしていないのかと。気になった彼女はすぐさまアオキに質問を投げかける。
「そういやなんでアオキさんって結婚指輪してへんの？」
　アオキはパソコンから目を離さず彼女の質問に答えた。
「……結婚指輪をつけていると見つかってプライベートの話になるじゃないですか。それが嫌なんです」
「確かにアオキさんそういうの嫌なタイプやもんな」
　あまり人と付き合いたがらないアオキらしい回答に彼女は納得した。気分転換ができたチリは大きな欠伸し、体を伸ばす。そして、再びパソコンに相見える。
「それに」
　ボソリとアオキが呟く。あれで回答が終わりだと思っていたが続きがあるらしい。チリは小さい彼の声を聞き逃しまいと、聞き耳を立てる。
「その流れで奥さんどんなお顔しているんですかって聞かれますよね。……何処ぞの馬の骨に自分の伴侶を見せたく無いのが一番の理由ですかね」
　パチパチとキーボードを打つチリの手が止まった。辺りに静寂が訪れ、カチカチと時計の秒針が動く音だけが響く。秒針を動かしている時計の短針は定時を過ぎた頃合いを指している。
　アオキはパソコンを閉じ、そそくさとと帰る支度を終えて椅子から立ち上がった。
「それでは定時なので帰ります。お疲れ様でした」
「もう帰るんや。まぁまぁ仕事残っとるけど大丈夫なんか？」
「残りは家でこなします。早く妻のいる家に帰りたいので」
「……そうなんやな、アオキさんお疲れ様」
　ぺこりとチリに会釈したアオキは早足で室内から出て行く。
（アオキさんって意外と独占欲が強いんや、めっちゃ驚いたわ。今後奥さんの話はせえへんがええな。……チリちゃん奥さんに一回会うてみたいなぁって言ったらアオキさん怒るやろなぁ）
　自分がアオキに怒られる姿を想像して苦笑いを浮かべる。一刻も家に帰りたいと溜息を吐いたチリは再び手を動かし始めた。
　リーグから出た彼の背中に落ちかけの太陽が降り注ぐ。まるでそれは、愛おしい彼の妻が待っている家に一分一秒でも帰りたがっているアオキの背中を押しているようだった。