風間夢
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カコン、と心地良い音がしてサイダーが落ちてきた。取り出し口からサイダーを取ろうと手を伸ばすと、横からスッと私のサイダーが奪われた。
「ちょっと風間。私のサイダー取らないでよ」
「取るなんてとんでもない。君が僕のためにサイダーを買ってくれたんじゃないのかい」
「そんな訳ないでしょ。返し……あぁ、もう飲んでるし……」
まるでビールのCMのようにご満悦な顔をしながら風間はサイダーをごくごくと飲んでいる。
こんな暑い日に他人の金で飲むキンキンに冷えたサイダーはさぞかし美味しいだろうね、本当はそれは私の物だったんだぞ。
風間を睨みつけながら再び自販機に硬貨を入れ、サイダーのボタンを押す。
そして、またカコン、と音がしてサイダーが排出される。私は素早くサイダーを手に取ってフタを開けて口に注ぐ。口内にしゅわしゅわした冷たいサイダーが広がっていった。それをごくりと喉を鳴らして嚥下する。口内を通して涼が全身に行き渡っていく。待望の涼に全身が歓喜して震えていた。
「やっぱりサイダーはいいねぇ……」
先に飲み終えた風間がサイダーのラベルを見つめながらしみじみ呟く。しばらくじっと、見つめた後、風間はサイダーをゴミ箱に押し込んだ。
「なぁ、君に言わないといけないことがあるんだ」
そこまで言うと風間は目を伏せ、口を閉じてしまった。私は風間のその様子を見て少し驚いた。ペラペラと身勝手に喋るいつもの彼と対照的でなんだか変な感じだ。「なに?」と言って続きを促すも風間は口を開こうとしない。
その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。周りの生徒達は教室へ戻りつつあるが風間は口を噤んだまま突っ立っているだけで微動だにしない。風間の言葉の続きが気になるがそれは後に聞くとしよう。このままだと授業に遅れてしまう。
「ほら、風間。行こう」
「……あぁ、そうだね」
なんとも煮え切らない態度の風間を連れて私達は自分のクラスに戻ってきた。次の授業の準備を終え、ぼんやりと外を眺めていると隣の席にいる風間に話しかけられた。
「さっきのことなんだが……僕は星に帰ることになったんだ」
数多の生徒がいる教室の中だというのに風間は唐突にそんなことを言い出した。幸いにも風間の言葉は教室の雑踏に揉まれて私にしか届かなかったようだ。仮にあの言葉を誰かに聞かれたとしても冗談にしか聞こえないだろう。風間の正体を知っている私を除いて、だが。
「みんな静かに。授業を始めますよー」
ぱんぱんと二回手を叩きながら先生が教室に入ってきた。
風間は苦虫を噛み潰したような顔をするとすぐさま机に突っ伏してしまった。いつもなら風間を小突いて無理矢理にでも叩き起こすのだけれど、今日はそのままにしておくことにする。スースーと寝息を立て寝始めた風間を横目に私は教科書を開いた。
彼の正体を知ったあの日のことはよく覚えている。高校に入って最初のテストが間近に迫っていたあの日、私は図書室で勉強していた。私が座っていたその席は窓から温かな日が差し込むところで、身体が温かい光に包まれて次第に眠気が降りてくる。なんとか眠気に抗いつつ勉強していたけどもいつの間にか私は眠ってしまった。
誰かに身体を揺さぶられ目が覚めた。私の前には司書さんがいて、困ったように笑いながら図書室を閉める時間ですよと言う。私は何回も司書さんに謝ってすぐさま図書室から出た。
玄関を抜けて外に出るとそこには夕方のオレンジ色と夜の紺色が混じり合った空が広がっていた。
綺麗。安直な言葉だけどこの空を表現するにはそれしかあり得ないな、と思った。
ぼんやりと空を眺めていたら紺色の空の方に僅かに光る星々が見えた。これからあの星々が一斉に広がると思うとなんだかワクワクしてくる。最近あまり空を眺めていなかったからなんだか新鮮な気分。このまま空を眺めながら帰ろうと一歩足を踏み出したその時、背後から声がかかった。振り向くとそこには……風間がいた。
「やぁ、こんばんは」
風間は人懐っこい笑顔を浮かべて手を振っている。まさか風間がいると思わなくてびっくりしていたら、彼が私の元までやってきて隣に並んだ。
「こんな時間まで勉強かい? 君は真面目だねぇ」
「風間こそこんな時間まで何やっていたの」
「んー……ちょっとした用事だよ。そんなことより君は今から一人で帰るつもりかい」
「そうだけど」
「こんな時間に一人は危ないじゃないか。僕が家まで送ってあげるよ」
「何が目的? お金は持っていないし、こっくりさんにも付き合わないから。それとも何か儀式の生贄にでもするつもりなんでしょ」
「君は僕をなんだと思っているんだ。そんなことはしないよ。たぶん……って、おい。ちょっと待ってよ。今のは冗談だって。だから僕を置いて先に行くなよ!」
何やらよからぬ予感がして風間から逃げるようにスタスタと早足で遠ざかる。しかし、すぐに風間に追いつかれてしまった。仕方なく私は彼と一緒に帰ることにしたのだ。
オレンジと紺色が混じっていた空は、今では墨を垂らしたかのような黒一色に染まっていた。周囲には家々が並んでいるというのに何故か人の気配が全くしない。まるで私と風間を残してみんな何処か遠くへ行ってしまったのか、とそんな想像をしてしまう。そんな想像を振り払い家路に急ぐ。
コツコツと靴音が静かな道に響く。それが、不意に止まった。
風間に名を呼ばれて振り向く。一緒に歩いていた彼がいつの間にか私の二、三歩後方にいてポツンと立っていた。チカチカと明滅する街灯の明かりが弱々しく風間の姿を照らしている。だが、彼の顔は伺えない。
「僕の正体は何だと思う?」
風間が唐突に変なことを言い出すのはいつもの事だ。でも、その言葉はいつものとは温度が違った。とても、冷え切っていた。
「正体って……風間は風間でしょ」
大きな重圧が彼から放たれている。私はそれに負けじと言い放った。
「たとえ僕が人間じゃなかったとしても、か」
明かりが激しく明滅すると同時に風間の姿が大きく揺れる。バチッと音がし、明かりが消えて、辺りは暗闇に包まれた。
コツ、コツと、ゆっくり歩く靴音が私に近づく。
ドクドクと私の心臓が早鐘を打つ。それは、私の目の前に闇から這い出るようにして現れた。
緑色に染まった頭部はアンモナイトのような形で口元には無数の触手がゆったりとうねうねしているのに対し、首から下は何処にでもいそうな学生服を着た男子生徒。
どう見てもそれは人間ではない、例えるのなら「宇宙人」としか言いようがない。でも、私はそれを「風間望」と認識していた。
「かざ、ま?」
彼の名を呼ぶと触手が大きくうねり、頭部がゆっくり上下に動いた。
「あぁ、そうだよ。本名はQ¥DNF%YP@って言うんだけどね」
本名だと言って聞き慣れない言葉を口にする。到底人間には発音が出来そうにない音の並びだった。
「これが僕の正体さ、驚いただろ?」
彼は映画に出てくる外国人がやるような仕草で肩をすくめた。
「すごく、おどろいたよ。は、ははっ……」
すごくなんてものじゃない、死ぬかと思うぐらい驚いた。でも、風間相手に死ぬほど驚いたなんて知られたくないから必死に冷静を装って、強がった笑顔を見せた。
「さっきのでわかっただろうけど、僕は人間じゃなくてスンバラリア星人なのさ」
「すんば……? 何それ」
「スンバラリア星。ここから何億光年も離れた場所にあり、高度な文明を持つ、何もかもが完璧で素晴らしい僕の故郷だよ。ん? なに、スンバラリア星のことが知りたいって? しょうがないねぇ、特別に聞かせてやろう。スンバラリア星はね……」
風間は聞いてもないことを一人でに勝手にペラペラと語り始めた。適当に相槌を打って風間の話を聞き流していると唐突に街灯の明かりがついた。先程の弱々しい光と違い、とても眩しい光が降り注いだ。
暗闇に慣れていた目は強い光に耐えきれずに瞑る。少し目を瞑り、光への耐性が出来たところで再び目を開けるとそこには、あの見慣れた顔があった。
「すぐにその姿に戻れるんだ……」
「実はこれはマスクなんだ。これを被るだけで一瞬でこのカッコマンになれるんだからスンバラリア星の技術は最高だよ」
ふと、周りを見渡すとチラホラと人の歩いている姿が見えて、家々からは家族団欒を過ごす声が聞こえたり、美味しそうな夕飯の匂いが漂っている。人の気配が戻ってきたのだ。
今の穏やかな雰囲気と先程の出来事のギャップが大きくてあの出来事が私の見た夢ではないかと思ってしまう。半信半疑で頬を引っ張るとヒリヒリした痛みを感じたのであれは夢なのではなく現実。事実は小説よりも奇なりとはまさにこのことだ。
「君は僕の正体を見ても逃げたり、避けようとはしなかったね」
「そりゃあ驚いたけど、どんな姿でも風間は風間なんだからそんなことはしないよ」
「……」
彼は拍子抜けしたようで間抜けな顔を晒しているかと思えば難易度の高い間違い探しの絵を見つめているような真面目な表情になった。顎に手をあてて、隅々まで見透かすような目が私を貫く。すると、今度は道で五百円を拾った後のような顔でニヤニヤと笑っている。表情がコロコロ変わり、一人百面相している風間に私は問いかけた。
「何で私に正体をバラしたの」
「……君を、驚かせたかったからかな」
たったそれだけの理由でわざわざとあんなことをするなんて、呆れた。私はため息を吐いた。
「そんな変な顔するなよ。地球人の中で一番君を信頼しているから、ああいうことしたんだぞ」
「……」
風間から信頼されていると聞いて嬉しいような嬉しくないような、なんとも言い難いむず痒い感情が体の内から湧き上がっては広がっていく。だが「一番」と言われるのは悪くは、ない。
「君のことだから言わないことを信じているよ。もし、言ったら……そうだねぇ、スンバラリア博物館に展示でも」
「言いません! ぜっっったいに公言しませんから!」
青白く染まった私の顔を見た風間は肩を揺らしてやたら大きな声で笑っていた。
授業が終わると同時にぐっと身体を伸ばして、大きな欠伸をしながら風間は起きた。
「ふわぁ……よく眠れた」
「そりゃあよかったね」
風間は集中してぐっすりと眠れたようだが私はそうではなかった。先生が垂れ流す言葉と黒板に書く文字が呪文のようにしか認識出来なくなり、先生が「この範囲はテストで重要なところだから覚えておくように」と言ったところで、ようやくハッと意識が戻ったのだ。
授業に集中出来なかった原因は一つしかない「星に帰る」という発言だ。
それを話した時の風間の顔はあのふざけた顔ではなく真剣そのもので、とても嘘を言っているようには思えなかった。彼のその様子も相まって私はずっと悶々としていた。
風間には聞きたいことがたくさんある。何故帰るのか、いつ帰るのか、これからどうするのか、また会えるのか……最後のは別に聞かなくていいや。
「風間」
「分かってる。さっきのことだろう? いつものところで話そうじゃないか」
風間の言う「いつものところ」は学校から十分歩いた場所にある人気のない、色とりどりの花と緑が生い茂るひっそりとした公園のことだ。風間が学校をサボる時に使われるし、放課後私とお喋りする時にも使われるし、地球の調査をするときも使っている。用途は様々だ。
風間はここがお気に入りでよく訪れている。以前何故そこがお気に入りなのと聞いたところ「故郷と雰囲気が似ている」とのことだ。
あそこは何処にでもある普通の公園なのにえらく気に入る風間のことがよくわからない。いや、あいつは元々訳のわからない奴だけれども。
私達は椅子から立ち上がると中身の無い会話をしながらのんびりした足取りで「いつものところ」へ向った。
真夏の太陽の光を浴びた公園の植物達が青々と輝いている。植物達は太陽の光を浴びて喜んでいるようだが人間はそうでもない。ベンチに座っているだけで汗が勝手に流れ落ちてくる。どうやら隣にいる宇宙人も同じようで太陽を恨めしそうに睨みつけている。
「なんでこんなにも暑いのかな……この時期になると憂鬱で仕方ないよ。他の惑星はもっと過ごしやすかったぞ。全く……」
風間がぶつくさ文句を言っていると唐突に一陣の風がひゅーっと吹いてきた。それは夏の暑さによって熱った身体を冷ますのに充分な風だった。
「そうそう、こうすればいいんだよ」
風間は満足そうにうんうんと頷き、それからのんびりした口調で「食堂に現れるつまみ食い幽霊を知ってるかい」と語りだしたので風間の話を止めた。
「あのさ、さっき言っていた話をしてくれないかな」
「これから話そうとしていたんだ。話の腰を折るんじゃないよ。せっかちは嫌われるぞ」
食堂の幽霊と星に帰る話がどうやっても繋がる気がしないのだが、私は余計なことを言わず口を閉じることにした。
すると、風間は先程までのおちゃらけた雰囲気を潜めさせ、地面に目線を落としながらぽつぽつと語り始めた。
「昨日、他のスンバラリア星人からとある報告を受けたんだ。それは僕の故郷スンバラリア星が侵略されているってね。それを聞いて僕はまさかと思ったよ。だって、あのスンバラリア星だよ? どんな惑星にも劣らない技術力と高度な文明を持った宇宙一の素晴らしい惑星さ。そんな惑星が侵略を受けていると聞いて信じられるかい。僕は半信半疑で仲間から送られてきた映像を見たんだ。そこには……」
風間の声は震えていた。私の見間違いでは無ければ風間の目には透明な薄い膜が張っていた。私はそれを見て見ぬ振りをした。
「炎がぼうぼうと燃え広がる街。逃げ惑う人々。建物は半壊して大きい瓦礫がごろごろと転がっている。そんな風景が映っていたんだ。そこは僕の産まれた地区とは離れた場所なんだけどね。でも、このまま被害が広がれば僕の故郷は無くなってしまう。僕はスンバラリア星に戻って奴らと闘うことを決心したんだよ」
風間はそう言い切るとふぅ、と息を吐いた。
私は風間の話にどう反応をすればいいのか分からなかった。だって私は宇宙人ではなくただの何処にでもいる地球人で、故郷を侵略された経験なんてあるはずがないし、侵略者と闘う決心なんて持ったこともない。だから、風間の気持ちなんて私なんかが分かるはずもないのだ。私が何を言っても風間には届かないだろうし、今にでも崩れそうな透明な薄い膜を取り除く方法を持ち合わせていない。
……そういえばここに来る途中に自販機で飲み物を買ったことを思い出してカバンを覗いた。そこにはサイダーがあったので手に取った。サイダーはこの暑さのせいで少しぬるくなってしまっているがまだまだ美味しくいただける温度だ。
私はそれを風間に差し出した。風間は無言でそれを受け取るとフタを開けて飲み始める。しばらくしてサイダーを飲み終えた風間が「ぷはぁー」と居酒屋にいるおじさんみたいな気の抜けた声を出したので私は思わず笑ってしまった。
「何笑ってるんだい」
「だって……風間がおじさんみたいだったから。んふふっ……」
「この僕がおじさんだって? 失礼だな君は。あーあー。僕傷ついたなー。これは慰謝料として五百円貰わないとこの傷は治らないなー」
「……はい。五百円」
「えっ! 本当にくれるのかい? やったー!!」
風間は歓喜の声を上げて飛び跳ねている。そんな風間を見てこのくらいのことで喜ぶなんて本当に単純な奴だなぁと思った。
「あ、そういえば。昨日購買のカレーパンを買おうとして列に並んでいたら僕の目の前で売り切れたんだよ。酷いと思わないかい? 僕はこのことで深く心を痛めてね……そう、五百円があればこの傷なんて一瞬で修復できるんだよ。だから」
「これ以上あげないから!」
じりじりと詰め寄ってくる風間を突き放し、私はため息を吐いた。ちょっと優しくしたらこうやってつけ上がるんだからなコイツは。
さりげなく風間の目を見てみるとあの透明な薄い膜はいつの間にか無くなっている。それを見て少し安心した。
「それで、いつスンバラリア星に帰るの?」
「今週の金曜にスンバラリア星に帰るよ。今日は月曜だから今日を含めて五日間は地球にいるよ」
「その間何するの?」
「次いつ地球に来られるか分からないから今出来る限りの調査するよ。君は現地協力民としてもちろん力を貸してくれるよね」
「するけどさ。……ねぇ」
また、会えるよね。という言葉は風間の声と重なり、彼に届くことはなかった。
無意識のうちに質問する予定のなかったものが飛び出していたことに驚いた。幸いにも風間には届いてなかったことに安心した。
「よぉし、これから目一杯遊びまくるとしようじゃないか!」
「調査をサボって遊んでていいの?」
「ちっちっ。分からないのかい? 無知な君のためにこの僕が教えるとしよう。遊びも調査の大事な大事な一つだよ、寧ろ遊びこそが調査の秘訣ってね! あーはっはっはっ……」
意味不明なことを言って風間は高笑いをしている。なんだかよく分からないけど機嫌が良さそうだ。機嫌が良い風間は絶対に何かをやらかすから巻き込まれる前にここから撤退しよう。私はそっーと立ち上がる。
「そうと決まれば映画を見に行こうじゃないか」
そそくさと逃亡しようとした瞬間、風間は私の腕を掴んだ。しまった。ヤツの方が一足早かったようだ。
「どこに行こうとしていたんだ? もしかして映画館? 相変わらず君はせっかちさんだな。それに映画館はそっちじゃなくてあっちだろう」
人を小馬鹿にするような顔をしながら風間は映画館の方向へ指を向ける。そんなことしなくても場所はわかっているんだけどなぁ!
彼は私をずるずる引きずりながら映画館の方向へ進んでいる。私は必死に抵抗して風間の足取りを止めた。
「ちょっと! 映画なんて一人で見ればいいのに何で私も連れていくのかなぁ!?」
前を向いていた風間の顔が私に向けられた。唇を少し噛み、何か言いたげな目でじっと私を見ている。
何故か風間の様子が小学校の頃にクラスの輪から外れて教室の隅にひとりぼっちで本を読んでいたあの子と重なって見えた。そういえば、あの子の目はとても寂しそうだった。私は仲良くしたかったのにあの子は何も言わずに転校しちゃったんだよなぁ。ふと、そんな思い出を唐突に思い出してしまった。
「わかったよ。私も一緒に行く」
そう言って私は風間に微笑んだ。すると、風間の様子が変わった。目を見開き口を大きく開けて嬉しそうに笑う。やっぱり風間って感情の変化が本当にわかりやすい奴だ。
「やっぱり君も映画館に行きたかったんだね! このこのぉ〜素直じゃないんだからっ」
「ほら、さっさと行くよ!」
掴まれていた手を剥がし、前にいた風間を通り越して映画館へ早足で向かう。身長の高い風間は私の歩く速度に簡単に追いついてしまう。隣に並んだ風間が私の顔を覗いて口を開いた。
「ところでさっき君は何か言いかけたけど僕の声と重なってしまったようだね。何を言いたかったんだい?」
心臓がドッと跳ね上がる。何でさっきはスルーしたのに今更そんなこと聞いてくるかなぁ。
「また会えるの」なんて……こんなこと聞けないよ。
私は喉元まで出てきている言葉を無理矢理飲み干し「何でもないよ」と、答えた。
風間の見たかった映画とは「アンモナイト星人VSシャークゾンビ」というSFホラー映画。パンフレットとポスターを見たところよくあるB級映画だろうと高を括っていたのだけれど、これが意外と面白かったのだ。
上映が終わり、興奮が冷めない内に風間と存分に感想を語ろうかとワクワクしながら隣を見た。風間は私の肩にいつの間にか寄りかかっていて、スヤスヤと気持ち良さそうに寝ていたのだ。
自分から誘っておいて何で寝ちゃうのかなぁ。私は大きなため息を吐いて風間の額にデコピンをした。
風間望がいなくなるまであと四日。
「ちょっと風間。私のサイダー取らないでよ」
「取るなんてとんでもない。君が僕のためにサイダーを買ってくれたんじゃないのかい」
「そんな訳ないでしょ。返し……あぁ、もう飲んでるし……」
まるでビールのCMのようにご満悦な顔をしながら風間はサイダーをごくごくと飲んでいる。
こんな暑い日に他人の金で飲むキンキンに冷えたサイダーはさぞかし美味しいだろうね、本当はそれは私の物だったんだぞ。
風間を睨みつけながら再び自販機に硬貨を入れ、サイダーのボタンを押す。
そして、またカコン、と音がしてサイダーが排出される。私は素早くサイダーを手に取ってフタを開けて口に注ぐ。口内にしゅわしゅわした冷たいサイダーが広がっていった。それをごくりと喉を鳴らして嚥下する。口内を通して涼が全身に行き渡っていく。待望の涼に全身が歓喜して震えていた。
「やっぱりサイダーはいいねぇ……」
先に飲み終えた風間がサイダーのラベルを見つめながらしみじみ呟く。しばらくじっと、見つめた後、風間はサイダーをゴミ箱に押し込んだ。
「なぁ、君に言わないといけないことがあるんだ」
そこまで言うと風間は目を伏せ、口を閉じてしまった。私は風間のその様子を見て少し驚いた。ペラペラと身勝手に喋るいつもの彼と対照的でなんだか変な感じだ。「なに?」と言って続きを促すも風間は口を開こうとしない。
その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。周りの生徒達は教室へ戻りつつあるが風間は口を噤んだまま突っ立っているだけで微動だにしない。風間の言葉の続きが気になるがそれは後に聞くとしよう。このままだと授業に遅れてしまう。
「ほら、風間。行こう」
「……あぁ、そうだね」
なんとも煮え切らない態度の風間を連れて私達は自分のクラスに戻ってきた。次の授業の準備を終え、ぼんやりと外を眺めていると隣の席にいる風間に話しかけられた。
「さっきのことなんだが……僕は星に帰ることになったんだ」
数多の生徒がいる教室の中だというのに風間は唐突にそんなことを言い出した。幸いにも風間の言葉は教室の雑踏に揉まれて私にしか届かなかったようだ。仮にあの言葉を誰かに聞かれたとしても冗談にしか聞こえないだろう。風間の正体を知っている私を除いて、だが。
「みんな静かに。授業を始めますよー」
ぱんぱんと二回手を叩きながら先生が教室に入ってきた。
風間は苦虫を噛み潰したような顔をするとすぐさま机に突っ伏してしまった。いつもなら風間を小突いて無理矢理にでも叩き起こすのだけれど、今日はそのままにしておくことにする。スースーと寝息を立て寝始めた風間を横目に私は教科書を開いた。
彼の正体を知ったあの日のことはよく覚えている。高校に入って最初のテストが間近に迫っていたあの日、私は図書室で勉強していた。私が座っていたその席は窓から温かな日が差し込むところで、身体が温かい光に包まれて次第に眠気が降りてくる。なんとか眠気に抗いつつ勉強していたけどもいつの間にか私は眠ってしまった。
誰かに身体を揺さぶられ目が覚めた。私の前には司書さんがいて、困ったように笑いながら図書室を閉める時間ですよと言う。私は何回も司書さんに謝ってすぐさま図書室から出た。
玄関を抜けて外に出るとそこには夕方のオレンジ色と夜の紺色が混じり合った空が広がっていた。
綺麗。安直な言葉だけどこの空を表現するにはそれしかあり得ないな、と思った。
ぼんやりと空を眺めていたら紺色の空の方に僅かに光る星々が見えた。これからあの星々が一斉に広がると思うとなんだかワクワクしてくる。最近あまり空を眺めていなかったからなんだか新鮮な気分。このまま空を眺めながら帰ろうと一歩足を踏み出したその時、背後から声がかかった。振り向くとそこには……風間がいた。
「やぁ、こんばんは」
風間は人懐っこい笑顔を浮かべて手を振っている。まさか風間がいると思わなくてびっくりしていたら、彼が私の元までやってきて隣に並んだ。
「こんな時間まで勉強かい? 君は真面目だねぇ」
「風間こそこんな時間まで何やっていたの」
「んー……ちょっとした用事だよ。そんなことより君は今から一人で帰るつもりかい」
「そうだけど」
「こんな時間に一人は危ないじゃないか。僕が家まで送ってあげるよ」
「何が目的? お金は持っていないし、こっくりさんにも付き合わないから。それとも何か儀式の生贄にでもするつもりなんでしょ」
「君は僕をなんだと思っているんだ。そんなことはしないよ。たぶん……って、おい。ちょっと待ってよ。今のは冗談だって。だから僕を置いて先に行くなよ!」
何やらよからぬ予感がして風間から逃げるようにスタスタと早足で遠ざかる。しかし、すぐに風間に追いつかれてしまった。仕方なく私は彼と一緒に帰ることにしたのだ。
オレンジと紺色が混じっていた空は、今では墨を垂らしたかのような黒一色に染まっていた。周囲には家々が並んでいるというのに何故か人の気配が全くしない。まるで私と風間を残してみんな何処か遠くへ行ってしまったのか、とそんな想像をしてしまう。そんな想像を振り払い家路に急ぐ。
コツコツと靴音が静かな道に響く。それが、不意に止まった。
風間に名を呼ばれて振り向く。一緒に歩いていた彼がいつの間にか私の二、三歩後方にいてポツンと立っていた。チカチカと明滅する街灯の明かりが弱々しく風間の姿を照らしている。だが、彼の顔は伺えない。
「僕の正体は何だと思う?」
風間が唐突に変なことを言い出すのはいつもの事だ。でも、その言葉はいつものとは温度が違った。とても、冷え切っていた。
「正体って……風間は風間でしょ」
大きな重圧が彼から放たれている。私はそれに負けじと言い放った。
「たとえ僕が人間じゃなかったとしても、か」
明かりが激しく明滅すると同時に風間の姿が大きく揺れる。バチッと音がし、明かりが消えて、辺りは暗闇に包まれた。
コツ、コツと、ゆっくり歩く靴音が私に近づく。
ドクドクと私の心臓が早鐘を打つ。それは、私の目の前に闇から這い出るようにして現れた。
緑色に染まった頭部はアンモナイトのような形で口元には無数の触手がゆったりとうねうねしているのに対し、首から下は何処にでもいそうな学生服を着た男子生徒。
どう見てもそれは人間ではない、例えるのなら「宇宙人」としか言いようがない。でも、私はそれを「風間望」と認識していた。
「かざ、ま?」
彼の名を呼ぶと触手が大きくうねり、頭部がゆっくり上下に動いた。
「あぁ、そうだよ。本名はQ¥DNF%YP@って言うんだけどね」
本名だと言って聞き慣れない言葉を口にする。到底人間には発音が出来そうにない音の並びだった。
「これが僕の正体さ、驚いただろ?」
彼は映画に出てくる外国人がやるような仕草で肩をすくめた。
「すごく、おどろいたよ。は、ははっ……」
すごくなんてものじゃない、死ぬかと思うぐらい驚いた。でも、風間相手に死ぬほど驚いたなんて知られたくないから必死に冷静を装って、強がった笑顔を見せた。
「さっきのでわかっただろうけど、僕は人間じゃなくてスンバラリア星人なのさ」
「すんば……? 何それ」
「スンバラリア星。ここから何億光年も離れた場所にあり、高度な文明を持つ、何もかもが完璧で素晴らしい僕の故郷だよ。ん? なに、スンバラリア星のことが知りたいって? しょうがないねぇ、特別に聞かせてやろう。スンバラリア星はね……」
風間は聞いてもないことを一人でに勝手にペラペラと語り始めた。適当に相槌を打って風間の話を聞き流していると唐突に街灯の明かりがついた。先程の弱々しい光と違い、とても眩しい光が降り注いだ。
暗闇に慣れていた目は強い光に耐えきれずに瞑る。少し目を瞑り、光への耐性が出来たところで再び目を開けるとそこには、あの見慣れた顔があった。
「すぐにその姿に戻れるんだ……」
「実はこれはマスクなんだ。これを被るだけで一瞬でこのカッコマンになれるんだからスンバラリア星の技術は最高だよ」
ふと、周りを見渡すとチラホラと人の歩いている姿が見えて、家々からは家族団欒を過ごす声が聞こえたり、美味しそうな夕飯の匂いが漂っている。人の気配が戻ってきたのだ。
今の穏やかな雰囲気と先程の出来事のギャップが大きくてあの出来事が私の見た夢ではないかと思ってしまう。半信半疑で頬を引っ張るとヒリヒリした痛みを感じたのであれは夢なのではなく現実。事実は小説よりも奇なりとはまさにこのことだ。
「君は僕の正体を見ても逃げたり、避けようとはしなかったね」
「そりゃあ驚いたけど、どんな姿でも風間は風間なんだからそんなことはしないよ」
「……」
彼は拍子抜けしたようで間抜けな顔を晒しているかと思えば難易度の高い間違い探しの絵を見つめているような真面目な表情になった。顎に手をあてて、隅々まで見透かすような目が私を貫く。すると、今度は道で五百円を拾った後のような顔でニヤニヤと笑っている。表情がコロコロ変わり、一人百面相している風間に私は問いかけた。
「何で私に正体をバラしたの」
「……君を、驚かせたかったからかな」
たったそれだけの理由でわざわざとあんなことをするなんて、呆れた。私はため息を吐いた。
「そんな変な顔するなよ。地球人の中で一番君を信頼しているから、ああいうことしたんだぞ」
「……」
風間から信頼されていると聞いて嬉しいような嬉しくないような、なんとも言い難いむず痒い感情が体の内から湧き上がっては広がっていく。だが「一番」と言われるのは悪くは、ない。
「君のことだから言わないことを信じているよ。もし、言ったら……そうだねぇ、スンバラリア博物館に展示でも」
「言いません! ぜっっったいに公言しませんから!」
青白く染まった私の顔を見た風間は肩を揺らしてやたら大きな声で笑っていた。
授業が終わると同時にぐっと身体を伸ばして、大きな欠伸をしながら風間は起きた。
「ふわぁ……よく眠れた」
「そりゃあよかったね」
風間は集中してぐっすりと眠れたようだが私はそうではなかった。先生が垂れ流す言葉と黒板に書く文字が呪文のようにしか認識出来なくなり、先生が「この範囲はテストで重要なところだから覚えておくように」と言ったところで、ようやくハッと意識が戻ったのだ。
授業に集中出来なかった原因は一つしかない「星に帰る」という発言だ。
それを話した時の風間の顔はあのふざけた顔ではなく真剣そのもので、とても嘘を言っているようには思えなかった。彼のその様子も相まって私はずっと悶々としていた。
風間には聞きたいことがたくさんある。何故帰るのか、いつ帰るのか、これからどうするのか、また会えるのか……最後のは別に聞かなくていいや。
「風間」
「分かってる。さっきのことだろう? いつものところで話そうじゃないか」
風間の言う「いつものところ」は学校から十分歩いた場所にある人気のない、色とりどりの花と緑が生い茂るひっそりとした公園のことだ。風間が学校をサボる時に使われるし、放課後私とお喋りする時にも使われるし、地球の調査をするときも使っている。用途は様々だ。
風間はここがお気に入りでよく訪れている。以前何故そこがお気に入りなのと聞いたところ「故郷と雰囲気が似ている」とのことだ。
あそこは何処にでもある普通の公園なのにえらく気に入る風間のことがよくわからない。いや、あいつは元々訳のわからない奴だけれども。
私達は椅子から立ち上がると中身の無い会話をしながらのんびりした足取りで「いつものところ」へ向った。
真夏の太陽の光を浴びた公園の植物達が青々と輝いている。植物達は太陽の光を浴びて喜んでいるようだが人間はそうでもない。ベンチに座っているだけで汗が勝手に流れ落ちてくる。どうやら隣にいる宇宙人も同じようで太陽を恨めしそうに睨みつけている。
「なんでこんなにも暑いのかな……この時期になると憂鬱で仕方ないよ。他の惑星はもっと過ごしやすかったぞ。全く……」
風間がぶつくさ文句を言っていると唐突に一陣の風がひゅーっと吹いてきた。それは夏の暑さによって熱った身体を冷ますのに充分な風だった。
「そうそう、こうすればいいんだよ」
風間は満足そうにうんうんと頷き、それからのんびりした口調で「食堂に現れるつまみ食い幽霊を知ってるかい」と語りだしたので風間の話を止めた。
「あのさ、さっき言っていた話をしてくれないかな」
「これから話そうとしていたんだ。話の腰を折るんじゃないよ。せっかちは嫌われるぞ」
食堂の幽霊と星に帰る話がどうやっても繋がる気がしないのだが、私は余計なことを言わず口を閉じることにした。
すると、風間は先程までのおちゃらけた雰囲気を潜めさせ、地面に目線を落としながらぽつぽつと語り始めた。
「昨日、他のスンバラリア星人からとある報告を受けたんだ。それは僕の故郷スンバラリア星が侵略されているってね。それを聞いて僕はまさかと思ったよ。だって、あのスンバラリア星だよ? どんな惑星にも劣らない技術力と高度な文明を持った宇宙一の素晴らしい惑星さ。そんな惑星が侵略を受けていると聞いて信じられるかい。僕は半信半疑で仲間から送られてきた映像を見たんだ。そこには……」
風間の声は震えていた。私の見間違いでは無ければ風間の目には透明な薄い膜が張っていた。私はそれを見て見ぬ振りをした。
「炎がぼうぼうと燃え広がる街。逃げ惑う人々。建物は半壊して大きい瓦礫がごろごろと転がっている。そんな風景が映っていたんだ。そこは僕の産まれた地区とは離れた場所なんだけどね。でも、このまま被害が広がれば僕の故郷は無くなってしまう。僕はスンバラリア星に戻って奴らと闘うことを決心したんだよ」
風間はそう言い切るとふぅ、と息を吐いた。
私は風間の話にどう反応をすればいいのか分からなかった。だって私は宇宙人ではなくただの何処にでもいる地球人で、故郷を侵略された経験なんてあるはずがないし、侵略者と闘う決心なんて持ったこともない。だから、風間の気持ちなんて私なんかが分かるはずもないのだ。私が何を言っても風間には届かないだろうし、今にでも崩れそうな透明な薄い膜を取り除く方法を持ち合わせていない。
……そういえばここに来る途中に自販機で飲み物を買ったことを思い出してカバンを覗いた。そこにはサイダーがあったので手に取った。サイダーはこの暑さのせいで少しぬるくなってしまっているがまだまだ美味しくいただける温度だ。
私はそれを風間に差し出した。風間は無言でそれを受け取るとフタを開けて飲み始める。しばらくしてサイダーを飲み終えた風間が「ぷはぁー」と居酒屋にいるおじさんみたいな気の抜けた声を出したので私は思わず笑ってしまった。
「何笑ってるんだい」
「だって……風間がおじさんみたいだったから。んふふっ……」
「この僕がおじさんだって? 失礼だな君は。あーあー。僕傷ついたなー。これは慰謝料として五百円貰わないとこの傷は治らないなー」
「……はい。五百円」
「えっ! 本当にくれるのかい? やったー!!」
風間は歓喜の声を上げて飛び跳ねている。そんな風間を見てこのくらいのことで喜ぶなんて本当に単純な奴だなぁと思った。
「あ、そういえば。昨日購買のカレーパンを買おうとして列に並んでいたら僕の目の前で売り切れたんだよ。酷いと思わないかい? 僕はこのことで深く心を痛めてね……そう、五百円があればこの傷なんて一瞬で修復できるんだよ。だから」
「これ以上あげないから!」
じりじりと詰め寄ってくる風間を突き放し、私はため息を吐いた。ちょっと優しくしたらこうやってつけ上がるんだからなコイツは。
さりげなく風間の目を見てみるとあの透明な薄い膜はいつの間にか無くなっている。それを見て少し安心した。
「それで、いつスンバラリア星に帰るの?」
「今週の金曜にスンバラリア星に帰るよ。今日は月曜だから今日を含めて五日間は地球にいるよ」
「その間何するの?」
「次いつ地球に来られるか分からないから今出来る限りの調査するよ。君は現地協力民としてもちろん力を貸してくれるよね」
「するけどさ。……ねぇ」
また、会えるよね。という言葉は風間の声と重なり、彼に届くことはなかった。
無意識のうちに質問する予定のなかったものが飛び出していたことに驚いた。幸いにも風間には届いてなかったことに安心した。
「よぉし、これから目一杯遊びまくるとしようじゃないか!」
「調査をサボって遊んでていいの?」
「ちっちっ。分からないのかい? 無知な君のためにこの僕が教えるとしよう。遊びも調査の大事な大事な一つだよ、寧ろ遊びこそが調査の秘訣ってね! あーはっはっはっ……」
意味不明なことを言って風間は高笑いをしている。なんだかよく分からないけど機嫌が良さそうだ。機嫌が良い風間は絶対に何かをやらかすから巻き込まれる前にここから撤退しよう。私はそっーと立ち上がる。
「そうと決まれば映画を見に行こうじゃないか」
そそくさと逃亡しようとした瞬間、風間は私の腕を掴んだ。しまった。ヤツの方が一足早かったようだ。
「どこに行こうとしていたんだ? もしかして映画館? 相変わらず君はせっかちさんだな。それに映画館はそっちじゃなくてあっちだろう」
人を小馬鹿にするような顔をしながら風間は映画館の方向へ指を向ける。そんなことしなくても場所はわかっているんだけどなぁ!
彼は私をずるずる引きずりながら映画館の方向へ進んでいる。私は必死に抵抗して風間の足取りを止めた。
「ちょっと! 映画なんて一人で見ればいいのに何で私も連れていくのかなぁ!?」
前を向いていた風間の顔が私に向けられた。唇を少し噛み、何か言いたげな目でじっと私を見ている。
何故か風間の様子が小学校の頃にクラスの輪から外れて教室の隅にひとりぼっちで本を読んでいたあの子と重なって見えた。そういえば、あの子の目はとても寂しそうだった。私は仲良くしたかったのにあの子は何も言わずに転校しちゃったんだよなぁ。ふと、そんな思い出を唐突に思い出してしまった。
「わかったよ。私も一緒に行く」
そう言って私は風間に微笑んだ。すると、風間の様子が変わった。目を見開き口を大きく開けて嬉しそうに笑う。やっぱり風間って感情の変化が本当にわかりやすい奴だ。
「やっぱり君も映画館に行きたかったんだね! このこのぉ〜素直じゃないんだからっ」
「ほら、さっさと行くよ!」
掴まれていた手を剥がし、前にいた風間を通り越して映画館へ早足で向かう。身長の高い風間は私の歩く速度に簡単に追いついてしまう。隣に並んだ風間が私の顔を覗いて口を開いた。
「ところでさっき君は何か言いかけたけど僕の声と重なってしまったようだね。何を言いたかったんだい?」
心臓がドッと跳ね上がる。何でさっきはスルーしたのに今更そんなこと聞いてくるかなぁ。
「また会えるの」なんて……こんなこと聞けないよ。
私は喉元まで出てきている言葉を無理矢理飲み干し「何でもないよ」と、答えた。
風間の見たかった映画とは「アンモナイト星人VSシャークゾンビ」というSFホラー映画。パンフレットとポスターを見たところよくあるB級映画だろうと高を括っていたのだけれど、これが意外と面白かったのだ。
上映が終わり、興奮が冷めない内に風間と存分に感想を語ろうかとワクワクしながら隣を見た。風間は私の肩にいつの間にか寄りかかっていて、スヤスヤと気持ち良さそうに寝ていたのだ。
自分から誘っておいて何で寝ちゃうのかなぁ。私は大きなため息を吐いて風間の額にデコピンをした。
風間望がいなくなるまであと四日。