ケモヒト1周年記念

娘が夫を連れて帰ってきてから早一年が経った。十数年ぶりに見る我が夫の顔は、驚く気も湧いてこないくらいに、何も変わっていなかった。若々しく引き締まったその体型も、特徴的につり上がった瞳も、瑞々しい肌も、声質も、気を許した相手にしか見せない、気が緩んだ時にふと微笑を浮かべるその癖も。彼を構成する全てが、この十数年ずっと彼にしがみついて離れなかったのだ。私が他に目移りせずずっと彼だけを想い続けていた様に、彼自身も、何も変わってはいなかった。

そりゃ見た目が変わらないのは当たり前だ。だって彼は人間ではなくてモンスターなのだから。どんなに月日が経とうとも、これからもずっと彼の姿が変わることはない。人間である私と違って、伝説として今まで語り継がれてきた存在である彼に、寿命や、老化という概念は存在しないのだ。どんなに姿形が私達と同じであろうと、そこには圧倒的な違いがある。そう、圧倒的な。

⋯それでも、私にあの子を託して、勝手に1人で出ていったことへの罪悪感やストレスで、ほんの少しでも見た目が老け込んでいると思っていた。いや、そうであってほしかった。私はこの十数年ものあいだ、貴方との繋がりを、時たま振り込まれてくるお金でしか確認できなかったと言うのに。女手一つで子育てをするという精神的な負担も抱え込んで、やっと手に入れられたチャンピオンという地位も自ら捨てて、ずっと貴方を待っていたのに。どうして貴方は何も変わらないの?私と娘を置いていった時と同じ見た目のままで私達を抱きしめた時。その時、罪悪感は抱かなかった?

「サンダー」

「ん、何だ」

日も殆ど沈み始めた夕暮れ時。私はアッサムの入ったティーカップに白い手を添えて、向かい合わせに座ってテレビを見ていた愛しい夫の名を呼んだ。彼と結婚し子を成したせいか、私まで見た目が老いてゆく速度が遅くなった様に感じる。周りの昔馴染みと比べて大分若く見られる事が増えたのも、あながちお世辞ではなく本当の事なのかもしれない。そういえば娘も、よく「周りの子より年下に見られる事が多い」と私に不満を吐いていた。伝説のポケモンと深い関係の者は、少なからずその影響を受けてしまうのだろうか。

夫は私の声を聞いた途端、テレビの画面から目を離し、いつもと同じ様に口元を軽く緩めて「どうした?」と、壊れ物にでも触れるかのように優しく私の頬に手を添え、そっと返事を返した。元から一途な性質だったとは言え、十数年離れていた妻に、まだ彼は愛情を与えてくれるのか。

「戻ってきてくれて、ありがとう」

目線を彼の瞳から床へとそっとずらして、そんな言葉を伝える。色々と思うところはあれど、これが私の、母親ではなく、女としての本音だ。彼が出ていった理由は、ひとえに私たちを守る為であったと分かっている。自分の存在のせいで娘と妻の安全が脅かされないよう、幸せを捨て、身を呈して、彼はこの十数年間私達を守ってくれていたのだ。それは重々承知している。

でも私は、普通の幸せをあなたと二人で築きたかった。二人で娘に目一杯の愛情を注ぎ、パパかママどっちを先に呼んでくれるか競い合ったり、休日は3人で出掛けたり、反抗期が来た時は、驚きながらもその成長に感慨深くなったり…そういった小さな幸せを、あなたと一緒に味わいたかった。

「お前こそずっと俺を待っててくれたし、娘をあんなに立派に育ててくれたじゃねえか。感謝するのは俺の方だろ」

「サンダー…」

彼の言葉を脳に刻み込みながら、そっと頬に当てられている彼の手を上から包む。その温もりを肌で感じた時、瞳の奥から熱い波が押し寄せて来るのが分かったが、私はそれを止めなかった。
瞳から溢れた雫に驚いた様子の彼が、急いでティッシュを私に差し出す。私はそれをそっと押し返し、代わりに彼を静かに抱きしめた。

「お、おい…!どうしたんだよ突然泣いて…俺なんかしたか?」

「ちがう…いいからここにいて……お願い」

どうしたって貴方が愛しい。もう二度と離れて行かないで、私の大切なひと。そんな事を願いながら、私は慌てふためく彼の身体を、ずっと腕の中に閉じ込めていた。