逢瀬
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太陽と代わりばんこに月が顔を出し始めて暫く経った頃。ナマエがエイチ湖のほとりでぼーっとユクシーの肩にもたれかかりながら考え事をしていると、不意にユクシーがナマエの手をきゅっと掴んだ。その冷たさに驚いたのか、ナマエが肩を跳ねさせてパッとユクシーの方に目を向ける。
「どうしたの」
「ご両親に猫を被り続ける自分が嫌い。そう貴女は先程仰っていましたね」
「...そうね、それがどうかしたの」
「例えば水を沸騰させてお湯に変えたとして、それを冷ましても水には戻りません。そこにあるのは水ではなく、冷めたお湯です」
「へぇ...そうなんだ。物知りね」
つまり何が言いたいんだこいつ、とでも言いたげにナマエは訝しげにそう返事を返した。それが''私の嫌いなわたし''と一体何の関係があるのだろう。知識の神様として長い時を生きてきた彼の思考回路は、平凡で月並みな考えしか持った事の無いナマエにとって、些か理解し難いものの方が多い。そんなナマエに対し、ユクシーはまた話を続ける。
「つまり、独り立ちした貴女が猫を被る事をやめたとして、そこに居るのは''以前の素の貴女''では無く、''猫を被るのをやめた貴女''だと言う事。私が言いたいのはそういう事です」
「随分酷い事言うのね貴方」
つまり、私は一生嫌いな自分に縛られながら生きていくしかないという事なのか。とナマエは愕然とした表情でユクシーを見つめた。だが惚れた女にそんな顔で見つめられても、ユクシーは未だ涼しい顔で話を続けている。
「ふふ、酷いと感じたならごめんなさい。ですが私はただ貴方に酷い事を言いたい訳ではありません」
「なら、なんでさっきあんな事言ったの。意地悪」
「...私は、貴女が猫を被った自分と完全に決別出来る方法を一つ知っています」
「お湯を、冷めたお湯にするんじゃなくて、水に戻す方法を知ってるって事?」
そうすれば私は、猫を被り続ける自己欺瞞者から、普通の女の子に戻れる。ユクシーから発されたその言葉を聞いて、ナマエが目の色を変えた。それは普段通りの真っ直ぐで芯を持った彼女の瞳では無く、醜い欲求を携えている下卑た瞳の色だ。普段通り柔和で己の考えをしっかり持っている彼女ならば絶対にしない筈のその目は、暗闇の中に居るというのに爛々と熱を灯している。だがユクシーはそんな惚れた女の醜い側面を目の当たりにしても、涼しい表情をミリも崩さず、未だナマエに向かって微笑み続けるのをやめない。
「ねえ、どうやるのそれ。どうしたら、私は普通の女の子に戻れる?どうすれば両親の前で、ありのままの子供になる事が出来る?」
「それは簡単な事です」
そう言ったと同時、ユクシーはナマエの後頭部を自身の細身な体格に見合わない強い力で押さえつけた。ナマエの頭皮に彼の細い指先がギリギリとめり込み、それが何と痛い事か。ナマエが「急に何なの!やめて...!」と痛さに耐えながら叫ぶも、今の彼にそんな彼女の叫びなんて届かない。
爪が頭皮に長時間食い込んでいるせいで彼女の頭皮から血が流れ、それが垂れて地面の一箇所を赤く染める。そんな彼女の痛みなんぞつゆ知らず、ナマエの頭部を鷲掴みにして離す素振りを見せないユクシーは、すっかり恐怖に支配されてガタガタと震えている様子のナマエの顔に自身のピッタリ閉じられた瞼を近づけると、それを焦らす様にゆっくりと開いた。
「あ...」
言葉に表せない程恐ろしい物を目の当たりにした事で、か細い声がナマエの口から漏れる。それと同時に、口端からだらしのない涎が一滴流れ落ちた。それを見てようやく彼女が怖がっている事に気づいたのか、ユクシーはいつもの様に瞼をピッタリ閉じてまた優雅に微笑むが、ナマエの恐怖が消え去る事はない。
''一瞬にして記憶がなくなり、帰る事が出来なくなる。''あの時エムリットに見せられた紙に書かれていた事を思い出し、ナマエは青ざめた顔で必死に自分自身の情報を思い起こした。住んでいる場所、家族構成、年齢性別etc...然し、ユクシーの瞳を先程バッチリ見てしまったと言うのに、己の記憶は全く消えていない。その混乱と恐怖によって浅い呼吸を繰り返しながらユクシーを見ると、ユクシーは絹の様に艶やかな髪を風に揺らしながら、ナマエの頬をまた撫でた。
「少し怖がらせ過ぎましたか」
「な、何したの!」
「''お湯を水に戻す方法''ですよ」
「え...?」
彼の言っていることがナマエには全くもって理解できなかった。彼の瞳を見ても尚己の記憶が何一つ消えていない事も、なぜ急にあんな乱暴な事をしたのかという理由も。エムリットがあの時忠告してくれた通り、本当に彼は何もかもが異質である。存在も言動も何もかも。
「ご両親に猫を被り続けていた…という情報を、貴女の記憶から消させて頂きました。まあ、もう忘れてしまっていると思うので私が今何を言っているのか理解出来ないでしょうけどね」
その言葉の通り、ナマエはユクシーが何を言っているのか何も分かっていない様子でカタカタと震えているだけだ。その手負いの獣の様な挙動のナマエがやけに愛おしく思えて、ユクシーは「良い時間ですしもう寝ましょうか」とナマエの震える身体を抱き寄せると先程傷付けてしまった頭皮に優しく唇を落とす。
抵抗する間もなく身体を抱き寄せられ、ナマエの脳内に未だ残留していた先程の恐ろしい情景がまた彼女を支配し始めるが、彼女にはもう叫ぶ気力も震える体力も残っていない。
その恐怖によって遂に意識を失ってしまったナマエをユクシーは宝物に対する様にひたすら愛おしそうな目で見つめると、今度はその恐怖によって血色を失った唇に、己のそれを静かに合わせた。
「どうしたの」
「ご両親に猫を被り続ける自分が嫌い。そう貴女は先程仰っていましたね」
「...そうね、それがどうかしたの」
「例えば水を沸騰させてお湯に変えたとして、それを冷ましても水には戻りません。そこにあるのは水ではなく、冷めたお湯です」
「へぇ...そうなんだ。物知りね」
つまり何が言いたいんだこいつ、とでも言いたげにナマエは訝しげにそう返事を返した。それが''私の嫌いなわたし''と一体何の関係があるのだろう。知識の神様として長い時を生きてきた彼の思考回路は、平凡で月並みな考えしか持った事の無いナマエにとって、些か理解し難いものの方が多い。そんなナマエに対し、ユクシーはまた話を続ける。
「つまり、独り立ちした貴女が猫を被る事をやめたとして、そこに居るのは''以前の素の貴女''では無く、''猫を被るのをやめた貴女''だと言う事。私が言いたいのはそういう事です」
「随分酷い事言うのね貴方」
つまり、私は一生嫌いな自分に縛られながら生きていくしかないという事なのか。とナマエは愕然とした表情でユクシーを見つめた。だが惚れた女にそんな顔で見つめられても、ユクシーは未だ涼しい顔で話を続けている。
「ふふ、酷いと感じたならごめんなさい。ですが私はただ貴方に酷い事を言いたい訳ではありません」
「なら、なんでさっきあんな事言ったの。意地悪」
「...私は、貴女が猫を被った自分と完全に決別出来る方法を一つ知っています」
「お湯を、冷めたお湯にするんじゃなくて、水に戻す方法を知ってるって事?」
そうすれば私は、猫を被り続ける自己欺瞞者から、普通の女の子に戻れる。ユクシーから発されたその言葉を聞いて、ナマエが目の色を変えた。それは普段通りの真っ直ぐで芯を持った彼女の瞳では無く、醜い欲求を携えている下卑た瞳の色だ。普段通り柔和で己の考えをしっかり持っている彼女ならば絶対にしない筈のその目は、暗闇の中に居るというのに爛々と熱を灯している。だがユクシーはそんな惚れた女の醜い側面を目の当たりにしても、涼しい表情をミリも崩さず、未だナマエに向かって微笑み続けるのをやめない。
「ねえ、どうやるのそれ。どうしたら、私は普通の女の子に戻れる?どうすれば両親の前で、ありのままの子供になる事が出来る?」
「それは簡単な事です」
そう言ったと同時、ユクシーはナマエの後頭部を自身の細身な体格に見合わない強い力で押さえつけた。ナマエの頭皮に彼の細い指先がギリギリとめり込み、それが何と痛い事か。ナマエが「急に何なの!やめて...!」と痛さに耐えながら叫ぶも、今の彼にそんな彼女の叫びなんて届かない。
爪が頭皮に長時間食い込んでいるせいで彼女の頭皮から血が流れ、それが垂れて地面の一箇所を赤く染める。そんな彼女の痛みなんぞつゆ知らず、ナマエの頭部を鷲掴みにして離す素振りを見せないユクシーは、すっかり恐怖に支配されてガタガタと震えている様子のナマエの顔に自身のピッタリ閉じられた瞼を近づけると、それを焦らす様にゆっくりと開いた。
「あ...」
言葉に表せない程恐ろしい物を目の当たりにした事で、か細い声がナマエの口から漏れる。それと同時に、口端からだらしのない涎が一滴流れ落ちた。それを見てようやく彼女が怖がっている事に気づいたのか、ユクシーはいつもの様に瞼をピッタリ閉じてまた優雅に微笑むが、ナマエの恐怖が消え去る事はない。
''一瞬にして記憶がなくなり、帰る事が出来なくなる。''あの時エムリットに見せられた紙に書かれていた事を思い出し、ナマエは青ざめた顔で必死に自分自身の情報を思い起こした。住んでいる場所、家族構成、年齢性別etc...然し、ユクシーの瞳を先程バッチリ見てしまったと言うのに、己の記憶は全く消えていない。その混乱と恐怖によって浅い呼吸を繰り返しながらユクシーを見ると、ユクシーは絹の様に艶やかな髪を風に揺らしながら、ナマエの頬をまた撫でた。
「少し怖がらせ過ぎましたか」
「な、何したの!」
「''お湯を水に戻す方法''ですよ」
「え...?」
彼の言っていることがナマエには全くもって理解できなかった。彼の瞳を見ても尚己の記憶が何一つ消えていない事も、なぜ急にあんな乱暴な事をしたのかという理由も。エムリットがあの時忠告してくれた通り、本当に彼は何もかもが異質である。存在も言動も何もかも。
「ご両親に猫を被り続けていた…という情報を、貴女の記憶から消させて頂きました。まあ、もう忘れてしまっていると思うので私が今何を言っているのか理解出来ないでしょうけどね」
その言葉の通り、ナマエはユクシーが何を言っているのか何も分かっていない様子でカタカタと震えているだけだ。その手負いの獣の様な挙動のナマエがやけに愛おしく思えて、ユクシーは「良い時間ですしもう寝ましょうか」とナマエの震える身体を抱き寄せると先程傷付けてしまった頭皮に優しく唇を落とす。
抵抗する間もなく身体を抱き寄せられ、ナマエの脳内に未だ残留していた先程の恐ろしい情景がまた彼女を支配し始めるが、彼女にはもう叫ぶ気力も震える体力も残っていない。
その恐怖によって遂に意識を失ってしまったナマエをユクシーは宝物に対する様にひたすら愛おしそうな目で見つめると、今度はその恐怖によって血色を失った唇に、己のそれを静かに合わせた。