人間にとっての不幸の形は様々だと思う。例えば友人と喧嘩しただとか親が病気に掛かっただとか、恋人と別れただとか。どんな形であれ人間は自分が不幸になる事を嫌うものだ。勿論私も長年知識の神として父上に創造されてからというもの、そういった人間を飽きる程沢山見てきた。

ある人間は周囲の人間に悪意を持った根も葉もない噂を流され、居場所を無くして崖の上から高飛びをした。

また、ある人間は善意から身内の借金の連帯保証人になったは良いが結局その身内には逃げられ、返す金も無く自己破産を選んだ結果頼る宛も無く借金取りに追いかけ回され、縄で首を括ってしまった。

全て私にとって大切な人間達だった。彼らは清い心を生まれながらにして持ち合わせていた。他人の為に善意を持って動けるような純粋な人間。勿論そんな人間は稀にしか見つける事は出来ないから、私はそういった人間を見つけては大切に大切に神として彼らに寄り添っていたつもりだった。だが結局そういった純粋な人間が悪意を持った人間に善意を搾り取られ消されてしまう。

だからこそ私はあなたを救いたいのです、ナマエ。

「ねえユクシー、お願いよ。今ここで私の前で眼を開けて。私の記憶を消して。もうこんな人生嫌なの。」

「…ナマエ、もしも私がそれを拒否した場合、あなたはどうするのです。私が開眼すれば確かにあなたの記憶は消える。今の辛く苦しい現状から逃げる事は出来ます。ですが本当にそれで良いのですか」

「その時は自分でこんな糞みたいな人生終わらせてやるわよ。でも記憶を消して新しい人生歩んだ方が合理的だと思ったから今こうして貴方に頼んでるだけ。貴方が私の記憶を消してくれないなら自分でこんな人生やめてやるわ。」

私はそんなナマエの言葉を聞いて毒気に当てられたかの様に唖然としてしまった。目を閉じていても感じるナマエの苦渋に満ちた表情。何が彼女をここまで絶望させているのか、何が彼女の自殺願望をここまで突き動かすのか。

私は確かに彼女のポケモンだ。知識の神として、またパートナーとして彼女の成長を見守ってきた。でも気づいた時には彼女はここまで人生に絶望してしまっていた。それはきっと、周囲の人間たちからの重圧とプレッシャー。それが蓄積された結果彼女は押し潰されてしまったのだ。


「きっと、あなたがそんなに苦しんでいるのには、あなたがそこまで思い詰めている事に気が付かなかった不甲斐ない私の責任でもあるのでしょう。ですが申し訳ありません。その願いは承諾致し兼ねます。」

「何でよ！…じゃあ良いわよ。縄も椅子も薬も全部用意してあるから。今ここで逃げてやるから！」

声を震わせて強気でそう捲し立てる彼女の頬を両手で包んでやると、掌が濡れる感覚がした。目を閉じていても私はそれが彼女の涙だと理解するに容易かった。彼女は私に涙を流している事を勘づかれた事に気が付いたのか、鼻を啜りながら私にこう訴える。

「お願い。私を救ってよ。お願いだから…」

絞り出された彼女の心からの叫びが私の心に刺さる。神である私には人間の心の機微など理解出来ないと思っていた。それは今でも変わらない筈だ。でも今の彼女を見て私は胸が締め付けられる感覚を覚えた事。それは紛れもない事実だ。

「あなたが苦しむ必要なんて何処にもありません。あなたを苦しめる人間なんて全て私が消してやりますから…ですから、記憶を消してだとか、人生を終わらせてやるだとか、そんな事言わないで…お願いですからそんな事言わないでください。」

私が彼女をここまで死なせたくないと思う理由は、神としての人間に対する慈しみなのか彼女のパートナーとしての感情なのかは自分でも分からない。

きっとこれは私の我儘なのだろう。大切な大切な人間達を助ける事も出来ずに見殺しにしてしまったトラウマから抜け出す為の我儘に彼女を付き合わせているだけなのだ。

あなたを救う事も見殺しにする事も出来ない愚かな神を、あなたは許してくれるでしょうか。