fiction
軽い足音がして振り向くと、知らない少年が立っていた。
間違いなくオレより年下の子どもだ。背はそこそこ高いけど、オレよりは低い。中学生だろうか。
身長に合わせるようにして、手足も長いけれど、よく見れば顔はずいぶんと幼い。中学生じゃなくて、小学生か?
「何、きみ。中学生……? ううん、小学生かな。最近の子は手足長いね。でもここ、きみみたいな子が来るところじゃないよ」
オレは忠告代わりに、少年に声をかける。このあたりは治安の悪いところで、不良がたむろしているような場所だ。間違っても、小学生や、普通の中学生が来るところじゃない。
実際、今もオレは、不良集団をぶん殴っていたところだし。
「アンタ、」
「どうしたの? あ、そこのきみは邪魔だから沈んでて」
話しかけてくる少年に、なるべくやさしく応対しつつ、背後から殴りかかってくる雑魚を沈ませる。パンチ一発で沈むぐらいの弱さなのに、オレに仕掛けるとはいい度胸だ。
「オレにケンカ教えてくれ」
「え? ……ケンカ? うーん、ケンカは教えらんないかな。だってほら、」
辺りに鈍い音が響く。オレが手を出した音だ。また殴る。蹴る。沈める。それの繰り返し。そして、周囲にいた治安の悪い連中は、全員地面に沈んだ。
「オレがやってるの、ケンカじゃなくて、一方的な暴力だし」
だからオレには教えられないかな、と少年と視線を合わせるように、少しだけ屈む。
「じゃあ、一方的な暴力でもいい」
「えー……。そこで食い下がってくる? うーん、きみ、何年生?」
まあこの背丈だし、小学生とはいえ、五年生か六年生だろうけど、とアタリを付ける。
「六年生」
「そっか、六年生かあ。まあ小学生といえど思春期だし、ヤンチャしたい年頃ではあるよね」
まあケンカ慣れは間違いなくしてないんだろうけど、と目の前の少年を見る。
きらきらとした瞳で、オレを見つめないでほしい。別にオレ、教えるって言ってないから。
……でも、こんな目で見られるとつらい。オレはケンカのやり方なんて教えられないし、どうしようもない。
「オレ、舎弟とか作らない主義なんだけど……。仕方ないな。きみだけ特別ね」
オレがそういうと、少年が一気に、明るい表情になった。
「ああ、でもその前に。きみの名前、教えて」
いつまでも少年と呼ぶわけにもいかないし、名前を知ってないとやりづらい。
「虹村、……修造」
少年に名前を告げられて、ぶつぶつとつぶやく。なにか、呼びやすい名前はないだろうか。
「ん。しゅうぞう、シュウちゃん……。いや、なんか馴染み悪いな。にじむら……。虹ちゃんでいいかな」
よろしくね、虹ちゃん。でもオレ、ケンカなんて教えるの下手だよ、と彼に念押しした。
これがオレと虹ちゃんの、不思議な関係のはじまりだった。
七月も二十日を少しすぎて、夏休みになった。高校生のオレも、小学生の虹ちゃんも。
蝉の声がうるさいぐらい響いているような暑い中、影のあるところを探して、木陰で涼むと、なんともいえない、生ぬるい風が吹く。
そしてそこで、オレは虹ちゃんから、意外な言葉を聞いた。
「え、帝光中? 虹ちゃん、帝光行くの?」
「その、アンタも、帝光行ってたんだろ」
虹ちゃんは軽く目を逸らす。たしかに、オレは帝光の卒業生だけど。まさか、オレが行ってたから行きたい、とかか? ……いや、まさかな。
「そうだけど。でも、ブレザーが白だから、返り血で汚すと、大変だよ。虹ちゃんもケンカするつもりなら、気をつけなよ」
「ん、気をつける」
白ブレザーに、水色のカッターシャツ。黒いネクタイという制服は、その辺の学ランとは違う。
とにかくケンカには向いてない服だ。なにせ白のブレザーだ。血なんて浴びたら、おそろしく目立つ。
とはいえ、虹ちゃんのこの強さなら大丈夫だろう、と思いつつ「でも虹ちゃん、本当に強くなったね。正直オレより強くない?」とだけ告げる。
彼の強さの伸び代は、すごいものがあった。オレですら、目を見開くぐらいの成長スピードだ。
「んなわけねーだろ」
「これだけ強いってことは、もしかして、昔何かやってたりした? たとえば柔道とか」
「一応、空手はやってた」
「空手?」
へえ、意外だなと片眉を上げる。空手か。道着姿とか、けっこう似合ってそうだなと、道着姿の虹ちゃんを想像する。
「でもウザくて辞めた。道場の連中と折り合いが悪くなって」
はあ、とため息を吐く虹ちゃんに、そうだね、と同意する。それから、オレより低いところにある頭をくしゃっと撫でてやった。
虹ちゃんは黙ったままで、オレのことを上目遣いで見ている。
「……虹ちゃん、もしかして、頭撫でられるの好き?」
聞くと、少し戸惑ったあと、ゆっくり虹ちゃんは頷く。
「そっか。じゃあ、もっと撫でてあげようね」
「ガキ扱いすんな」
一瞬だけ嬉しそうな顔をしたくせに、すぐにそんなことを言う。やだな、反抗期? いや、そういえば反抗期だったね。反抗期じゃなかったら、こんなオレみたいな不良とはつるまないか。
そして学年がひとつ上がる。オレは高二に、虹ちゃんは中一に。帝光には無事合格したらしく、まっさらな白ブレザーがずいぶんと似合っていた。
彼が帝光に入学してから、少しの間は、虹ちゃんが小学生のときと、変わらない生活をしていた。
放課後になったらふたりでつるんで、適当にかかってくるヤツを沈めていた。
とはいえ、オレと虹ちゃんの強さというか悪名も、この頃になればすっかり広まっていて、オレたちにかかってくるヤツなんて、本物のバカか、何も知らないモグリしかいなかったけど。
そんなある日、虹ちゃんが、気まずそうな顔をする。でもそのわりに、口を開かないから、何かあったのかなと思って、虹ちゃん? と言葉を促した。
それでようやく、彼の口から聞いたのは、もう頻繁には会えないということだった。
「どうして? もしかして、オレとの関係性で、誰かに何か言われたりした?」
オレとの関係が、親にでもバレたのかな、と考える。不良とつるむのをやめろ、と言ってもおかしくない。虹ちゃんが聞き入れるかは別として。
けど、どうも虹ちゃんの反応を見てると、そうじゃないみたいだ。
「……バスケ部に入ったんだよ」
言いづらそうにバスケ部、という単語を出した虹ちゃんに、オレは目を丸くする。
虹ちゃんがやってたのは空手だし、あと卓球も好きだとは聞いたけど、バスケ? バスケだなんて、彼の口からただの一回も、聞いたことがない。
「バスケ部? え、虹ちゃん、バスケにルーツなんてなかったよね?」
「白金監督に誘われて。そういうの、やってみるのもいいかもなって思ったから」
白金監督、と虹ちゃんから聞いて、あー、あの人かと納得する。やさしそうな顔に似合わず、鬼みたいな練習メニューを組むらしい監督。
中学時代、クラスのバスケ部のヤツが死にそうな顔で、そうボヤいていた記憶がある。
白金という苗字の監督が、何人も存在するわけないから、たぶん虹ちゃんの言う白金監督は、オレの知ってる白金監督だろう。
にしてもすごい。虹ちゃんの腕っぷしの強さは有名だし、その白金監督だって、虹ちゃんがケンカに明け暮れていることは知ってるだろうに、よくバスケ部に誘ったな。オレは内心驚いていた。
まあ虹ちゃんはケンカでの立ち回りからわかる通り、運動神経抜群だし、そういう人材を見抜くのも、監督の仕事ではあるんだろうけど。
「オレの虹ちゃん、見抜くなんてやるじゃん」
あの監督すごいね、と言えば、虹ちゃんに呆れられる。
「なんでアンタが誇らしげなんだよ」
「だって嬉しいから。ねえ虹ちゃん」
「?」
「大変なこともあるだろうけど、頑張りなよ」
「……うん、」
前みたいに頭を撫でると、今度は虹ちゃんは怒らなかった。ただ黙って、オレの手に撫でられていた。
こうして見ると、虹ちゃん、中学に入って、一気に身長伸びたなあ。一応オレの方が背が高いけれど、あまりオレと変わらない。
虹ちゃんが中二になった。月日の流れは早いもので、オレももう高三になった。
それだけ時間が経てば、ここ一帯の不良で、オレに仕掛けてくるヤツはもういなくなった。
みんな、オレの顔を見ると逃げる始末で、しばらくの期間、暴力沙汰からは遠ざかっている。最後に他人を沈めたの、いつだったっけな。
虹ちゃんはバスケ部を辞めることもなく、真面目に練習に励んでいるらしい。直接会うことはなくても、今はスマホでやりとりできるから、彼の近況はよく聞いていた。
そして、今日は久しぶりに虹ちゃんと会う日だった。なんでも、体育館の点検とかで、バスケ部の練習がオフになったらしい。
「久しぶりだね、虹ちゃん。どうしたの?」
「あー、その、部長を任されることになった」
「え、そうなの? すごいね」
「だろ?」
ニカッと笑うきみの頭を撫でてあげたいけれど、気付いたら、もう目線は同じだった。だから代わりに、ぎゅっと抱きついてすごいすごい、と褒める。
虹ちゃんはオレの腕を振り払うことはせず、ただされるがままになっていた。
まあ、彼の場合、オレの強さも知っているから、下手に動けなかった、という方が正しいのかもしれないけど。
正直、この状態でも、虹ちゃんの骨とか折れそうな気さえするし。
「うん、すごいすごい! でも、あの虹ちゃんがねえ……」
帝光のバスケ部といえば、部員百人を越えるような大所帯の強豪校で、そこの部長だなんて、考えただけでもすごい。
虹ちゃんは弟と妹がいることもあってか、年下に対する面倒見もいいみたいだし、きっと後輩にも慕われることだろう。オレには初対面のときの印象が強いからか、妙に甘えただけど。
ま、家じゃ長男だし、部活じゃ部長だしとなれば、きっと誰にも甘えられないんだろうから、せめてオレぐらいは甘やかしてあげないと。
「オレ、本当に嬉しいよ。すごいね虹ちゃん」
「うん、」
「虹ちゃん、……虹ちゃん?」
「……悪い。このまま、」
「んー?」
「このまま、オレのこと、ぎゅってしといて」
「わかったよ」
虹ちゃんの様子は、よく考えると少しおかしかった。でも虹ちゃんは、今まで会った中でも、唐突に甘えてくるときがあったから、今回もそれかなと思って、オレは深く考えずに流した。
まさかオレの知らないところで、あんなことになっているとは知らずに。
時間が流れて、虹ちゃんもいよいよ最終学年になった。オレはというと、近所の大学に通っている。
大学デビューってわけじゃないけど、髪型や髪色を変えて、適当な私服を着ていれば、大学で知り合った人間は、オレが治安の悪い人間だと、誰も気が付いていなかった。
そして虹ちゃんの口から出る衝撃的な言葉。アメリカ、という単語。
「――え、アメリカに行く?」
「しばらく会えねえ。悪い」
「そりゃアメリカ行くんならそうだろうけど、なんで急にまた」
アメリカに自分の子どもを留学させて、本場の英語を学ばせよう、みたいな、そういう感じの家じゃなかったはずだ、虹ちゃん家は。
そもそも、虹ちゃんは私立の帝光に通っているとはいえ、飛び抜けて裕福な家でもなかったはずだし。
「親父の病気の件だ」
「……親父の病気?」
「へ? あれ、オレ、アンタに話してなかったか」
「ごめん、知らないや」
家族の話をすることはあっても、大抵は年の離れた弟や妹のことばかりで、父親の話なんて、彼の口からほとんど聞いたことがなかった。
ってことは、お父さんの病気を治すために、家族そろって渡米するってことかな、と考える。
「とにかく、親父の病気の治療のために渡米するんだ」
「そっか。お父さん、良くなるといいけど、」
渡米しなきゃいけないぐらい、重い病気ってことかなと思ってしまえば、どういう病気なのかとか、アメリカに行って、治る確率はどのくらいなのかとか、そういうのはとてもじゃないけど、聞けない。
「だな。あと、ひとつ、……」
「虹ちゃん? あとひとつ……。何?」
あとひとつ、と言った虹ちゃんは、そこで言葉を切って、言い淀む。そんな言い方されたら、どうしても気になってしまう。
「いや、今はいい。オレがアメリカから帰ってきたら、言いたいことがあるから」
「へ?」
「覚悟しとけ」
「……覚悟?」
覚悟って何? ヤキを入れられるとか? 下克上ってこと? いやでも、オレ、虹ちゃんにはかなりやさしく、甘ーく対応してたし。そんなことされる心当たりはない。
オレが沈めた不良たちが、信じられないものを見る目で、オレと虹ちゃんの関係を見ていたのを、オレは忘れていない。
でも、自覚のないところで、虹ちゃんの怒りを買っていた可能性はある。まずいな、なんだろ。
出会った当初に、彼の食べかけのアイスを奪って食べたことの恨みか? 食べ物の恨みはおそろしいって言うし……。
考えても仕方ないまま、そして虹ちゃんもその覚悟とやらが何なのか教えてくれないまま、時間が経って行く。
虹ちゃんが帰ってきた。彼の父の手術は、アメリカで無事成功したらしい。しばらく会ってなかったけれど、もうとっくに身長は抜かされていた。
彼が小学生のときは、オレがきみを見下ろしていたのに、今度はオレが見下ろされる側になった。
日本には戻ってきたものの、今はバスケ部に入るということはしていないらしい。ただ、後輩を呼んで、よくストバスはしてるらしいけど。
でも彼の後輩って、たしかあの、キセキの世代だっけ? オレはバスケに詳しくないけど、なんかすごい、チート級のメンツって話は聞いた。
それを相手にして、勝負になるんだから、虹ちゃんはやっぱりすごい。
まあそれは置いといて。日本に帰ってきた虹ちゃんは、オレがひとり暮らしをするようになったのを知ってから、よくオレの家に入り浸るようになった。
ルームシェアをしているわけでもないのに、気付けば虹ちゃんの着替えとか、虹ちゃん用の食器とかコップとか、歯ブラシとか、そういうものが部屋に増えている。
家族と上手くいってないのか? だからここによく来るのか? と少し探りを入れてみたものの、父親の病気が完治したことで、家族仲は良好以外の何物でもないみたいだった。
ソファに座って、ふたりでテレビを眺めていた。どのチャンネルも面白いものはやってなかったから、配信に変えて、適当なアニメを入れていた。
エンディングが流れたと思えば、虹ちゃんが一時停止のボタンを押す。テレビを眺めていた目が、オレに向く。
「今だから言えるけど、」
「ん、どうしたの、虹ちゃん?」
「オレの初恋はアンタだからな」
虹ちゃんはそれだけ告げた。
オレ。初恋。アンタ。
その言葉が指すのは、どう解釈しても、虹ちゃんの初恋が、オレのことだという意味で。
「え、オレ? うそでしょー」
でも、彼のことだ。タチの悪い冗談の可能性もある。そこまで考えたところで、オレは軽く笑った。
けど、虹ちゃんは無言で、オレを見るだけ。彼の手は、オレの服の裾を掴んでるけど、その手がわずかに震えていることに、オレはようやく気がついた。
「……ホントなの?」
「本当じゃなかったら、この歳になってまで、アンタのこと追っかけてねえ」
だいたい、身内でもなんでもねえ男の家になんて、入り浸らねえよ、と言われて、顔を逸らされる。
「ええ……」
待って。これ。ガチじゃん。本当に虹ちゃん、オレのこと好きだったわけ?
だいたい、虹ちゃんとの出会いなんて、虹ちゃんがオレのうわさを聞きつけて、オレに会いにきて、そのタイミングで、オレはケンカ売ってきた不良をボコってただけ。
そこに憧れがあったとしても、決して恋愛的な目線にはならないと思うんだけど……。
でもオレはそう思うけど、虹ちゃんも同じ思考とは限らないか。
ただ、なんだかこのままの体勢だと、ヤバい気がするとだけ、勘がささやいている。
オレの服の裾を掴む、虹ちゃんの手を軽く振り払って、オレはソファから立ち上がろうとした。
なんとなく、今この瞬間、虹ちゃんから離れないとまずい気がして。
けど、どうもそんなに上手くはいかなかったみたいだ。
虹ちゃんにソファの上に押し倒されて、腕を押さえ込まれる。おかしい。虹ちゃんの腕を振り払えない。
しばらく暴力沙汰からは遠ざかっていたとはいえ、オレは複数人相手でも、自分は怪我ひとつなく、相手だけを沈められるぐらいに、そういうのが得意だったはずなのに。
どうして虹ちゃんの手ひとつぐらい、簡単に避けられないんだ?
「おい、逃げんじゃねえよ。……捕まえた」
ずっとこうしてやりたかった、という虹ちゃんの言葉は、決してその初恋とやらが、過去の終わった話でないことを証明してくれる。
まあオレも、今さら誰かとケンカしたいわけでもないし、ていうか相手が虹ちゃんだし。
特に暴れることもなく、押さえ込まれたまま、手に入れていた力を抜く。
「捕まっちゃったなあ。でもさ虹ちゃん。今だから言えること、オレもあるよ」
「?」
目を見開くきみの、首の後ろに手を回して「きみはオレのこと、いつか捕まえにくるんだろうなって、ずっと思ってた」とだけ告げる。
「は?」
「だから、きみに捕まってあげる」
「は!?」
「オレもきみのこと好きだから」
「はあ!?」
やばい。虹ちゃん、さっきから、ずっと同じことしか言ってない。「は?」って単語しか、彼の喉からは出ていない。
「……虹ちゃん、さっきから同じことしか言ってないけど、大丈夫?」
「大丈夫じゃねえよ。さらっと衝撃的な事実を言うな」
「そ? じゃあ、もっかい言ってあげようか? オレもきみのこと――」
もういい! いいから! というきみの顔は真っ赤だ。
きみと同じ熱量の、好きを返せるかは疑問だけど。でも、きみのことはけっこう好きだし、そういうのもいいかなって。
▽
虹村と治安の悪いお兄さん // 20260329
間違いなくオレより年下の子どもだ。背はそこそこ高いけど、オレよりは低い。中学生だろうか。
身長に合わせるようにして、手足も長いけれど、よく見れば顔はずいぶんと幼い。中学生じゃなくて、小学生か?
「何、きみ。中学生……? ううん、小学生かな。最近の子は手足長いね。でもここ、きみみたいな子が来るところじゃないよ」
オレは忠告代わりに、少年に声をかける。このあたりは治安の悪いところで、不良がたむろしているような場所だ。間違っても、小学生や、普通の中学生が来るところじゃない。
実際、今もオレは、不良集団をぶん殴っていたところだし。
「アンタ、」
「どうしたの? あ、そこのきみは邪魔だから沈んでて」
話しかけてくる少年に、なるべくやさしく応対しつつ、背後から殴りかかってくる雑魚を沈ませる。パンチ一発で沈むぐらいの弱さなのに、オレに仕掛けるとはいい度胸だ。
「オレにケンカ教えてくれ」
「え? ……ケンカ? うーん、ケンカは教えらんないかな。だってほら、」
辺りに鈍い音が響く。オレが手を出した音だ。また殴る。蹴る。沈める。それの繰り返し。そして、周囲にいた治安の悪い連中は、全員地面に沈んだ。
「オレがやってるの、ケンカじゃなくて、一方的な暴力だし」
だからオレには教えられないかな、と少年と視線を合わせるように、少しだけ屈む。
「じゃあ、一方的な暴力でもいい」
「えー……。そこで食い下がってくる? うーん、きみ、何年生?」
まあこの背丈だし、小学生とはいえ、五年生か六年生だろうけど、とアタリを付ける。
「六年生」
「そっか、六年生かあ。まあ小学生といえど思春期だし、ヤンチャしたい年頃ではあるよね」
まあケンカ慣れは間違いなくしてないんだろうけど、と目の前の少年を見る。
きらきらとした瞳で、オレを見つめないでほしい。別にオレ、教えるって言ってないから。
……でも、こんな目で見られるとつらい。オレはケンカのやり方なんて教えられないし、どうしようもない。
「オレ、舎弟とか作らない主義なんだけど……。仕方ないな。きみだけ特別ね」
オレがそういうと、少年が一気に、明るい表情になった。
「ああ、でもその前に。きみの名前、教えて」
いつまでも少年と呼ぶわけにもいかないし、名前を知ってないとやりづらい。
「虹村、……修造」
少年に名前を告げられて、ぶつぶつとつぶやく。なにか、呼びやすい名前はないだろうか。
「ん。しゅうぞう、シュウちゃん……。いや、なんか馴染み悪いな。にじむら……。虹ちゃんでいいかな」
よろしくね、虹ちゃん。でもオレ、ケンカなんて教えるの下手だよ、と彼に念押しした。
これがオレと虹ちゃんの、不思議な関係のはじまりだった。
七月も二十日を少しすぎて、夏休みになった。高校生のオレも、小学生の虹ちゃんも。
蝉の声がうるさいぐらい響いているような暑い中、影のあるところを探して、木陰で涼むと、なんともいえない、生ぬるい風が吹く。
そしてそこで、オレは虹ちゃんから、意外な言葉を聞いた。
「え、帝光中? 虹ちゃん、帝光行くの?」
「その、アンタも、帝光行ってたんだろ」
虹ちゃんは軽く目を逸らす。たしかに、オレは帝光の卒業生だけど。まさか、オレが行ってたから行きたい、とかか? ……いや、まさかな。
「そうだけど。でも、ブレザーが白だから、返り血で汚すと、大変だよ。虹ちゃんもケンカするつもりなら、気をつけなよ」
「ん、気をつける」
白ブレザーに、水色のカッターシャツ。黒いネクタイという制服は、その辺の学ランとは違う。
とにかくケンカには向いてない服だ。なにせ白のブレザーだ。血なんて浴びたら、おそろしく目立つ。
とはいえ、虹ちゃんのこの強さなら大丈夫だろう、と思いつつ「でも虹ちゃん、本当に強くなったね。正直オレより強くない?」とだけ告げる。
彼の強さの伸び代は、すごいものがあった。オレですら、目を見開くぐらいの成長スピードだ。
「んなわけねーだろ」
「これだけ強いってことは、もしかして、昔何かやってたりした? たとえば柔道とか」
「一応、空手はやってた」
「空手?」
へえ、意外だなと片眉を上げる。空手か。道着姿とか、けっこう似合ってそうだなと、道着姿の虹ちゃんを想像する。
「でもウザくて辞めた。道場の連中と折り合いが悪くなって」
はあ、とため息を吐く虹ちゃんに、そうだね、と同意する。それから、オレより低いところにある頭をくしゃっと撫でてやった。
虹ちゃんは黙ったままで、オレのことを上目遣いで見ている。
「……虹ちゃん、もしかして、頭撫でられるの好き?」
聞くと、少し戸惑ったあと、ゆっくり虹ちゃんは頷く。
「そっか。じゃあ、もっと撫でてあげようね」
「ガキ扱いすんな」
一瞬だけ嬉しそうな顔をしたくせに、すぐにそんなことを言う。やだな、反抗期? いや、そういえば反抗期だったね。反抗期じゃなかったら、こんなオレみたいな不良とはつるまないか。
そして学年がひとつ上がる。オレは高二に、虹ちゃんは中一に。帝光には無事合格したらしく、まっさらな白ブレザーがずいぶんと似合っていた。
彼が帝光に入学してから、少しの間は、虹ちゃんが小学生のときと、変わらない生活をしていた。
放課後になったらふたりでつるんで、適当にかかってくるヤツを沈めていた。
とはいえ、オレと虹ちゃんの強さというか悪名も、この頃になればすっかり広まっていて、オレたちにかかってくるヤツなんて、本物のバカか、何も知らないモグリしかいなかったけど。
そんなある日、虹ちゃんが、気まずそうな顔をする。でもそのわりに、口を開かないから、何かあったのかなと思って、虹ちゃん? と言葉を促した。
それでようやく、彼の口から聞いたのは、もう頻繁には会えないということだった。
「どうして? もしかして、オレとの関係性で、誰かに何か言われたりした?」
オレとの関係が、親にでもバレたのかな、と考える。不良とつるむのをやめろ、と言ってもおかしくない。虹ちゃんが聞き入れるかは別として。
けど、どうも虹ちゃんの反応を見てると、そうじゃないみたいだ。
「……バスケ部に入ったんだよ」
言いづらそうにバスケ部、という単語を出した虹ちゃんに、オレは目を丸くする。
虹ちゃんがやってたのは空手だし、あと卓球も好きだとは聞いたけど、バスケ? バスケだなんて、彼の口からただの一回も、聞いたことがない。
「バスケ部? え、虹ちゃん、バスケにルーツなんてなかったよね?」
「白金監督に誘われて。そういうの、やってみるのもいいかもなって思ったから」
白金監督、と虹ちゃんから聞いて、あー、あの人かと納得する。やさしそうな顔に似合わず、鬼みたいな練習メニューを組むらしい監督。
中学時代、クラスのバスケ部のヤツが死にそうな顔で、そうボヤいていた記憶がある。
白金という苗字の監督が、何人も存在するわけないから、たぶん虹ちゃんの言う白金監督は、オレの知ってる白金監督だろう。
にしてもすごい。虹ちゃんの腕っぷしの強さは有名だし、その白金監督だって、虹ちゃんがケンカに明け暮れていることは知ってるだろうに、よくバスケ部に誘ったな。オレは内心驚いていた。
まあ虹ちゃんはケンカでの立ち回りからわかる通り、運動神経抜群だし、そういう人材を見抜くのも、監督の仕事ではあるんだろうけど。
「オレの虹ちゃん、見抜くなんてやるじゃん」
あの監督すごいね、と言えば、虹ちゃんに呆れられる。
「なんでアンタが誇らしげなんだよ」
「だって嬉しいから。ねえ虹ちゃん」
「?」
「大変なこともあるだろうけど、頑張りなよ」
「……うん、」
前みたいに頭を撫でると、今度は虹ちゃんは怒らなかった。ただ黙って、オレの手に撫でられていた。
こうして見ると、虹ちゃん、中学に入って、一気に身長伸びたなあ。一応オレの方が背が高いけれど、あまりオレと変わらない。
虹ちゃんが中二になった。月日の流れは早いもので、オレももう高三になった。
それだけ時間が経てば、ここ一帯の不良で、オレに仕掛けてくるヤツはもういなくなった。
みんな、オレの顔を見ると逃げる始末で、しばらくの期間、暴力沙汰からは遠ざかっている。最後に他人を沈めたの、いつだったっけな。
虹ちゃんはバスケ部を辞めることもなく、真面目に練習に励んでいるらしい。直接会うことはなくても、今はスマホでやりとりできるから、彼の近況はよく聞いていた。
そして、今日は久しぶりに虹ちゃんと会う日だった。なんでも、体育館の点検とかで、バスケ部の練習がオフになったらしい。
「久しぶりだね、虹ちゃん。どうしたの?」
「あー、その、部長を任されることになった」
「え、そうなの? すごいね」
「だろ?」
ニカッと笑うきみの頭を撫でてあげたいけれど、気付いたら、もう目線は同じだった。だから代わりに、ぎゅっと抱きついてすごいすごい、と褒める。
虹ちゃんはオレの腕を振り払うことはせず、ただされるがままになっていた。
まあ、彼の場合、オレの強さも知っているから、下手に動けなかった、という方が正しいのかもしれないけど。
正直、この状態でも、虹ちゃんの骨とか折れそうな気さえするし。
「うん、すごいすごい! でも、あの虹ちゃんがねえ……」
帝光のバスケ部といえば、部員百人を越えるような大所帯の強豪校で、そこの部長だなんて、考えただけでもすごい。
虹ちゃんは弟と妹がいることもあってか、年下に対する面倒見もいいみたいだし、きっと後輩にも慕われることだろう。オレには初対面のときの印象が強いからか、妙に甘えただけど。
ま、家じゃ長男だし、部活じゃ部長だしとなれば、きっと誰にも甘えられないんだろうから、せめてオレぐらいは甘やかしてあげないと。
「オレ、本当に嬉しいよ。すごいね虹ちゃん」
「うん、」
「虹ちゃん、……虹ちゃん?」
「……悪い。このまま、」
「んー?」
「このまま、オレのこと、ぎゅってしといて」
「わかったよ」
虹ちゃんの様子は、よく考えると少しおかしかった。でも虹ちゃんは、今まで会った中でも、唐突に甘えてくるときがあったから、今回もそれかなと思って、オレは深く考えずに流した。
まさかオレの知らないところで、あんなことになっているとは知らずに。
時間が流れて、虹ちゃんもいよいよ最終学年になった。オレはというと、近所の大学に通っている。
大学デビューってわけじゃないけど、髪型や髪色を変えて、適当な私服を着ていれば、大学で知り合った人間は、オレが治安の悪い人間だと、誰も気が付いていなかった。
そして虹ちゃんの口から出る衝撃的な言葉。アメリカ、という単語。
「――え、アメリカに行く?」
「しばらく会えねえ。悪い」
「そりゃアメリカ行くんならそうだろうけど、なんで急にまた」
アメリカに自分の子どもを留学させて、本場の英語を学ばせよう、みたいな、そういう感じの家じゃなかったはずだ、虹ちゃん家は。
そもそも、虹ちゃんは私立の帝光に通っているとはいえ、飛び抜けて裕福な家でもなかったはずだし。
「親父の病気の件だ」
「……親父の病気?」
「へ? あれ、オレ、アンタに話してなかったか」
「ごめん、知らないや」
家族の話をすることはあっても、大抵は年の離れた弟や妹のことばかりで、父親の話なんて、彼の口からほとんど聞いたことがなかった。
ってことは、お父さんの病気を治すために、家族そろって渡米するってことかな、と考える。
「とにかく、親父の病気の治療のために渡米するんだ」
「そっか。お父さん、良くなるといいけど、」
渡米しなきゃいけないぐらい、重い病気ってことかなと思ってしまえば、どういう病気なのかとか、アメリカに行って、治る確率はどのくらいなのかとか、そういうのはとてもじゃないけど、聞けない。
「だな。あと、ひとつ、……」
「虹ちゃん? あとひとつ……。何?」
あとひとつ、と言った虹ちゃんは、そこで言葉を切って、言い淀む。そんな言い方されたら、どうしても気になってしまう。
「いや、今はいい。オレがアメリカから帰ってきたら、言いたいことがあるから」
「へ?」
「覚悟しとけ」
「……覚悟?」
覚悟って何? ヤキを入れられるとか? 下克上ってこと? いやでも、オレ、虹ちゃんにはかなりやさしく、甘ーく対応してたし。そんなことされる心当たりはない。
オレが沈めた不良たちが、信じられないものを見る目で、オレと虹ちゃんの関係を見ていたのを、オレは忘れていない。
でも、自覚のないところで、虹ちゃんの怒りを買っていた可能性はある。まずいな、なんだろ。
出会った当初に、彼の食べかけのアイスを奪って食べたことの恨みか? 食べ物の恨みはおそろしいって言うし……。
考えても仕方ないまま、そして虹ちゃんもその覚悟とやらが何なのか教えてくれないまま、時間が経って行く。
虹ちゃんが帰ってきた。彼の父の手術は、アメリカで無事成功したらしい。しばらく会ってなかったけれど、もうとっくに身長は抜かされていた。
彼が小学生のときは、オレがきみを見下ろしていたのに、今度はオレが見下ろされる側になった。
日本には戻ってきたものの、今はバスケ部に入るということはしていないらしい。ただ、後輩を呼んで、よくストバスはしてるらしいけど。
でも彼の後輩って、たしかあの、キセキの世代だっけ? オレはバスケに詳しくないけど、なんかすごい、チート級のメンツって話は聞いた。
それを相手にして、勝負になるんだから、虹ちゃんはやっぱりすごい。
まあそれは置いといて。日本に帰ってきた虹ちゃんは、オレがひとり暮らしをするようになったのを知ってから、よくオレの家に入り浸るようになった。
ルームシェアをしているわけでもないのに、気付けば虹ちゃんの着替えとか、虹ちゃん用の食器とかコップとか、歯ブラシとか、そういうものが部屋に増えている。
家族と上手くいってないのか? だからここによく来るのか? と少し探りを入れてみたものの、父親の病気が完治したことで、家族仲は良好以外の何物でもないみたいだった。
ソファに座って、ふたりでテレビを眺めていた。どのチャンネルも面白いものはやってなかったから、配信に変えて、適当なアニメを入れていた。
エンディングが流れたと思えば、虹ちゃんが一時停止のボタンを押す。テレビを眺めていた目が、オレに向く。
「今だから言えるけど、」
「ん、どうしたの、虹ちゃん?」
「オレの初恋はアンタだからな」
虹ちゃんはそれだけ告げた。
オレ。初恋。アンタ。
その言葉が指すのは、どう解釈しても、虹ちゃんの初恋が、オレのことだという意味で。
「え、オレ? うそでしょー」
でも、彼のことだ。タチの悪い冗談の可能性もある。そこまで考えたところで、オレは軽く笑った。
けど、虹ちゃんは無言で、オレを見るだけ。彼の手は、オレの服の裾を掴んでるけど、その手がわずかに震えていることに、オレはようやく気がついた。
「……ホントなの?」
「本当じゃなかったら、この歳になってまで、アンタのこと追っかけてねえ」
だいたい、身内でもなんでもねえ男の家になんて、入り浸らねえよ、と言われて、顔を逸らされる。
「ええ……」
待って。これ。ガチじゃん。本当に虹ちゃん、オレのこと好きだったわけ?
だいたい、虹ちゃんとの出会いなんて、虹ちゃんがオレのうわさを聞きつけて、オレに会いにきて、そのタイミングで、オレはケンカ売ってきた不良をボコってただけ。
そこに憧れがあったとしても、決して恋愛的な目線にはならないと思うんだけど……。
でもオレはそう思うけど、虹ちゃんも同じ思考とは限らないか。
ただ、なんだかこのままの体勢だと、ヤバい気がするとだけ、勘がささやいている。
オレの服の裾を掴む、虹ちゃんの手を軽く振り払って、オレはソファから立ち上がろうとした。
なんとなく、今この瞬間、虹ちゃんから離れないとまずい気がして。
けど、どうもそんなに上手くはいかなかったみたいだ。
虹ちゃんにソファの上に押し倒されて、腕を押さえ込まれる。おかしい。虹ちゃんの腕を振り払えない。
しばらく暴力沙汰からは遠ざかっていたとはいえ、オレは複数人相手でも、自分は怪我ひとつなく、相手だけを沈められるぐらいに、そういうのが得意だったはずなのに。
どうして虹ちゃんの手ひとつぐらい、簡単に避けられないんだ?
「おい、逃げんじゃねえよ。……捕まえた」
ずっとこうしてやりたかった、という虹ちゃんの言葉は、決してその初恋とやらが、過去の終わった話でないことを証明してくれる。
まあオレも、今さら誰かとケンカしたいわけでもないし、ていうか相手が虹ちゃんだし。
特に暴れることもなく、押さえ込まれたまま、手に入れていた力を抜く。
「捕まっちゃったなあ。でもさ虹ちゃん。今だから言えること、オレもあるよ」
「?」
目を見開くきみの、首の後ろに手を回して「きみはオレのこと、いつか捕まえにくるんだろうなって、ずっと思ってた」とだけ告げる。
「は?」
「だから、きみに捕まってあげる」
「は!?」
「オレもきみのこと好きだから」
「はあ!?」
やばい。虹ちゃん、さっきから、ずっと同じことしか言ってない。「は?」って単語しか、彼の喉からは出ていない。
「……虹ちゃん、さっきから同じことしか言ってないけど、大丈夫?」
「大丈夫じゃねえよ。さらっと衝撃的な事実を言うな」
「そ? じゃあ、もっかい言ってあげようか? オレもきみのこと――」
もういい! いいから! というきみの顔は真っ赤だ。
きみと同じ熱量の、好きを返せるかは疑問だけど。でも、きみのことはけっこう好きだし、そういうのもいいかなって。
▽
虹村と治安の悪いお兄さん // 20260329
4/4ページ