fiction

*年齢操作



 一応軽くノックして、千尋の部屋の扉を開ける。そこから彼の名前を呼ぶ。

 千尋はラノベの新刊を読んでいて、今日はずっと部屋に缶詰めだ。どうも、追いかけているシリーズが、同時発売したらしい。

 今はもう深夜だけど、文章を読んでいて眠くなるなんてこともないらしく、ベッドの上で、彼は本を広げていた。

「んー?」

 なに、と言いたげな生返事が返ってくる。こういうとき、千尋はラノベに集中していて、オレの言葉はほとんど聞いていない。

「コンビニ行くけど」

 それだけ告げれば、千尋の視線が本から上がる。

「何買いに行くんだ」
「アイス。着いてく?」
「そうだな……。ちょうどキリいいとこまで読んだし、着いてく」

 ちょっと待ってろ、と言った千尋は、ラノベを置いて、パーカーを羽織る。

 女の子じゃないから、化粧がどうのみたいな工程もないし、簡単なものだ。





 家のカギを閉めて、スマホだけを持って歩く。財布はいらない。今の時代、スマホ決済が発達しているから、ほとんど身ひとつでいけて便利だ。

 ふたりで夜道を歩きながら、どうでもいいことばかり喋る。昨日の昼飯は何を食べたとか、火曜日の講義がだるいとか、アニメの話とか、そんなことばかり。

 普段、この時間にはあまり外に出ないからわからないけど、なんだか夜中に見る建物は、ずいぶんと背が高く見える。昼間見ると、そんなことはないのに不思議だなあって思う。

 なんだか物珍しくて、内心目を輝かせながら周囲を見てると、千尋がなあ、とつぶやいた。だからオレは、んー? と返す。

「アイス、……コンビニじゃなくて、スーパーで買わないか」
「スーパー? ああ、あそこね。いつでも開いてるから便利だけど。でもちょっと遠いよ?」

 千尋の言うスーパーは、近所の二十四時間営業の店のことだ。ただ、歩くと片道で十五分程度かかる。片道五分ですむコンビニと比べると、少し歩かなければならない。

 往復だと三十分、と考えると、途端に長い距離に思えてくる。

「いいだろ。たまには」

 そういうのも、という千尋は珍しい。珍しいなと思いつつ、彼の言葉にそうだね、と同意を示す。

「ま、たまには歩かないとね」
「健康維持のためにな」
「健康維持って。千尋はオレよりずっと、運動してるくせに」
「オレじゃなくて、おまえのためだよ」

 健康維持なんて、やけに年寄りくさいことを言うので、思わず笑いが込み上げてくる。

 そういえば、千尋がバスケをはじめたきっかけは、体力作りのためだったっけ? この時点でちょっとおかしい。

 きっかけは人それぞれだろうけど、大抵はテレビで試合を見て、バスケに興味持ったとか、女子にモテたくてスポーツをはじめたかったからとか、背が高くて向いてるって言われたとか、そういうもんじゃないのかなって思う。

 まあ、千尋らしいといえば千尋らしいけど。あの洛山で、変則的とはいえレギュラーにいたこともあってか、バスケは未だに好きらしい。

 バスケサークルに所属しているわけじゃないけど、千尋は時折、誰かを誘ってバスケをしている。オレもそれは知っている。

 オレは千尋とは付き合いこそ長いけど、バスケとは無縁の人生を送ってきたから、彼のバスケには付き合えない。そもそも、運動神経もあまり良くないし。

 そして千尋はそこをよくわかっているから、オレをバスケ含めた運動に誘うことは、基本的にない。

「……それに、今はバスケも趣味程度だぞ」
「わかってるけど」

 たまにやりに行ってるぐらいなのは知ってるよ、とつぶやくと、機嫌悪いのか? なんて言われた。

 別に機嫌は悪くない。ただ、オレの知らない千尋が間違いなくいて、そしてその知らないあれこれは、バスケの時間に関連するものなんだろうなって、そう思っただけ。

 今さらだけど、洛山にいたとき、オレもバスケ部に入っておけばよかったかな。選手じゃなくてマネージャーとしてでも。





 そのまま、ふたりで夜道を歩く。日付も変わった真夜中の道は、暗くて人通りも少なくて、でも街灯がぽつりぽつりとあるものだから、その光になんだか安心してしまう、そんな夜で。

「ねえ千尋」
「どうした」

 じっ、と彼の顔を見る。と言っても、暗いせいで、しっかりはみえないけど、オレに視線を向けてくれているのだろうということだけはわかる。

「ん」
「……はいはい」

 手を差し出すと、やれやれといいたげな返事をされる。オレがやりたいことも、してほしいことも、たぶん千尋はわかってる。

 きっと内心呆れてるだろうに、でも、それでも、オレの手を指を、ちゃんと握ってくれるきみのことが、オレは本当に好きだ。

「アイス買おうと思ってたけどさ」
「ん?」
「歩いて帰ってる最中に、溶けちゃうんじゃない?」

 アイスは案外、溶けるのが早い。この間、ソフトクリームを頼んだときに、少し目を離すとすぐに溶けだしてきて、かなり焦って食べる羽目になった。

 まあそのときは外の日中だったから、今とは状況が違うけど。

「大丈夫だろ、今は夜だし」
「そう?」
「気になるなら、食べながら帰ればいいだろ」

 買い食いして帰ったって、誰にも怒られねえよ、中学生じゃあるまいし、と千尋に鼻で笑われる。

 そんなことを言うものだから、つい中学生のときを思い出してしまった。あんまりいい思い出はないのに、嫌なことばかり覚えてるもんだ。

 でも言われてみればあったな、登下校中の買い食いは禁止、みたいな校則。実際は守ってるヤツ、というか買い食い自体に興味のないヤツと、守ってないヤツに別れるんだけど。

「それもそうだね。ならアイスだけじゃなくて、お菓子も買っちゃおうかな」
「またグミ生活でもする気か? 不健康だぞ」

 おまえガリガリだろ、適度な細さは美しいかもしれねえが、極度のガリガリはどうかと思うぜ、なんて言って、千尋は繋いでいた手をぱっと離す。それから、オレの手首をぎゅっと掴む。

「ほら、手首なんか折れそうだ」

 ぽき、ってうっかり折れねーか、オレはたまに心配になる、なんて千尋はのたまう。

 そんなこと、思ってもないくせに。オレの扱いにいちばん慣れてるって自負もあるくせに。

 今さらきみが、少々力加減を間違ったところで、オレは怪我ひとつしないよ。だってきみは、オレにひどくやさしいから。

「手首が折れそうって、ラノベ読みたさにごはん抜く千尋に言われたくないな。千尋だって痩せたでしょ」

 ラノベを優先して、オレのごはんいらないって拒否るくせに、とぼやけば、千尋はわざとらしく笑う。

「おまえ、痛いところを突くな。はは」
「その乾いた笑いやめろよ! わざとらしい! ていうかなんかうさんくさい!」
「悪い。……って、もう着くぞ」
「だね」

 わけのわからない会話を繰り広げて、手を繋いで歩いていれば。片道十五分の道のりなんて、本当にあっという間だ。もう目の前にはスーパーがある。

 こんな深夜に、不自然なほどひどく活気のある明るいスーパーは、違和感のかたまりといってもおかしくない。でもオレはこういうのが好きだ。

 この歳になっても、深夜のスーパーに少しだけわくわくするなんて、本当にオレは小学生のときから変わってないな。

「なんかさ、深夜のスーパーって特別な感じするよね」
「はあ? いつもと変わんねーだろ」
「えー……。そう?」

 千尋は昔からどこか冷めてるから、オレみたいに、この歳でスーパーごときではしゃがない。たぶん、今この瞬間も、オレのことを心底馬鹿だと思ってる。

 オレもいい加減、千尋の半分ぐらいでいいから落ち着かないととは思ってるんだけど、なかなか上手くできないんだよねえ。

「たしかに、夕方に行くより人は少ねーけど」
「それもそうなんだけど、そうじゃなくてさ」
「? おまえ、何が言いたいんだ」
「うーん、何がって言われると、難しいけど」

 首をかしげられて、オレの返事も曖昧になる。

 言語化って本当に難しいんだよね。深夜のスーパーってなんか特別な感じがして、それでそこに、きみと一緒にいるのがもっと特別な気がする、なんて。

 そんな説明をしたって、わかってもらえるとは思えないし。というか、何言ってるんだ、って言われそうだし。

 オレの様子を見て、千尋が「美大生のくせに、言語化が苦手なのか」なんて言う。

「いや、オレが得意なのはデザインだし。文学部の人に怒られるよ」

 言語化は作品制作において、必要な技術ではある。当然オレも、上手ではなくても、そこそこはできる。けど、それはあくまで作品に関することで、普段の日常に応用できるかというと、微妙なところだ。

 もしそういうのが得意なら、きっと今だって、気の利いたうつくしい日本語を、千尋に伝えられていたんだろうなって、思うぐらいには。

 ま、千尋も今の言葉には、深い意味を持たせていたわけじゃなかったみたいで「そうか?」「そうだよ」なんて相槌で、その話は終わる。

 スーパーの中に入って、とりあえずでカゴを持つ。カートがいるほどの買い物はしないから、カゴはいいかなとそこを通り過ぎた。

 オレの横に立つ千尋が「先にお菓子見るか? アイス、溶けたら困るもんな」と問いかけてくるから、頷いて肯定を示す。

 ふたりで仲良くお菓子売り場に行って、オレはグミの売り場を見る。このスーパーは、グミのコーナーが充実していて嬉しい。有名なものからあまり見かけないものまで、様々なグミが並んでいる。

「どうしようかな。うーん、んー……。これにしようかな。あと、インスタントのみそ汁とバナナ、買っとこうかな」

 みかん味とぶどう味のグミを手に取って、カゴに入れると、千尋がオレに声をかけてくる。

「オレはバナナ選んでくるから、おまえはみそ汁見とけ」
「うん。千尋は? なにかいらない?」
「あー……。コンソメスープ」
「わかった」

 コンソメスープは、みそ汁と同じく、インスタントの売り場で固められているから、スーパー内をうろちょろしなくていいから助かる。

 このスーパーは広いから、一周するだけでも少し疲れる、とはさすがに千尋には言ってないんだけど。どれだけ体力ないんだよ……。ってきみの呆れる顔が目に浮かぶから。

 みそ汁とコンソメスープを手に取って、それからオレは果物コーナーに向かう。

 下手に広いせいで、お互いが動き回ると、店内でなかなか出会えない、という事態にもなりかねない。

 というか、以前それで痛い目を見た。あのときは、オレと千尋の気の合わなさに驚いたんだよね。

 そういうわけで、千尋はたぶん、果物コーナーから動いてないはず。以前のことを覚えてたら。

 果物コーナーに行くと、千尋がふたつのメーカーのバナナを手に取って、顔をしかめていた。

「千尋? どうしたの?」
「いや、安い方がいいか、それともこっちの高い方がいいか、悩んでるとこ」
「あー……。どっちでもいいよ? 安い方もじゅうぶん美味しいし」
「じゃあ安い方で」

 はい、と言って、サッとバナナをカゴに入れられる。「あとはアイスだな」と千尋がつぶやいて、オレたちはふたりで、アイスコーナーに向かった。

 アイスコーナーは冷凍食品とかのコーナーと近くて、ここは体感ひんやりしている気がする。この時期だから嬉しいけど、真冬にはあまり近付きたくない場所だ。

「どれにする? オレ、これがいいなあ」

 オレが千尋に見せたのは、ぶどう味のアイスだ。グミといい、オレはみかん味とか、ぶどう味とか、そういうのばかり選んでしまう。

「フルーツのやつか。オレはチョコアイスのがいい」
「ん。これでしょ」

 千尋が好きなチョコアイスは、なんて考えて、棚からアイスを選ぶ。チョコ系のアイスは人気があるから、たくさんの種類が置いてあるけれど、千尋が好きなのはこれのはず。

「よくわかってんな」

 オレが選んだアイスを見て、千尋は目を丸くしてそんなことを言う。なんだかんだで、一緒に過ごしている期間はそこそこ長いから。

「千尋、いつも同じのしか食べないじゃん」
「まあな」

 オレはお気に入りを擦り倒したいタイプなんだよ、と千尋は言う。よかった、ちゃんと正解のアイスを選べて。

 アイスも選んだことだし、レジを通して、スーパーを後にする。千尋にアイスを渡して、早く食べよ、と話しかける。

「溶けたら困るし」
「だな」

 にしても蒸し暑い、と言う今夜は、もしかしたら熱帯夜かもしれない。最近は夜でも暑い日が多いし。

 京都は本当に、そういうところが困る。夏は暑いし冬は寒い。おまけに観光客が多いせいで、どこに行っても人だらけ。

 それでも、オレは生まれ育ったここが好きだから。そのうち就職しても、オレは京都を離れるつもりはない。

 ……でも、千尋はどうなんだろう。就職を機に、東京に出たりするのかな。そうなったら、このルームシェアも解消か、と思うと、どうにも暗くなってしまう。

 ああやだな、まだわからない先のことなんて、考えるだけ無駄だ、と思って、その思考を消す。

「ねえ千尋、それ、ちょっとちょうだい」

 食べたい、と甘えれば、やれやれと言いたげな顔をされる。そう言葉に出してなくても、顔が言っていた。

「おまえなあ。……ほら、食え。そのかわり、おまえのも寄越せ」

 ひとくちだけ、彼のチョコアイスをもらう。甘ったるくて美味しい。

 ずい、とアイスに顔を近づける千尋の口元に、オレのアイスを差しだす。千尋は無言でぶどうアイスを食べていた。

「ね、チョコのあとにぶどう味食べるの、気持ち悪くない?」
「……それ、ぶどう味の後に、チョコアイス食ってるおまえが言うのか?」

 それもそうだ。千尋の反論はもっともだろう。ただ、オレはそういうのは平気だ。味が混ざって若干アレだけど、でも美味しいから大丈夫! くらいの気持ちでいる。

「オレはそういうの平気だから。あと、こういうのも」
「……こういうの?」

 何のことだ? と千尋が続けるから、少しだけ言い淀んで「あー、関節キス?」と返した。

 一緒に住んでるけど、別にそういうことを意識するような関係でもない。大学も違うから、普段からずっとべったりでもないし。

 オレは千尋のことが好きだし、千尋もオレのこと、嫌いではないと思うけど、恋愛の色があるかって言われるとかなり疑問だ。

「関節キスて。まあそうだけど。でもおまえ、色気とは無縁だな」
「そりゃそうでしょ。オレと千尋だし」

 色気よりもラノベやアニメ、絵や芸術を優先するオレたちに、そういうのは似合わない。

 それは千尋が、いちばんよくわかってるくせに。ちょっとは意識してほしい、なんてそんな気持ちもない。

 オレはこれでいい。こんなきみとの関係が、ずっと続けばいいって、そう思ってる。

「だな。オレらはそういうの、似合わねえよ」
「うん。ふたりでラノベ読んだり、配信で映画見て、これひどいクソ映画だなって笑ってたりする方が、よっぽどオレたちらしいよ」

 ね? と問いかければ、言えてる、と笑われた。

「お、もうちょいで家だぞ」

 千尋の顔ばかり見ていたけど、気付けばもう家も近い。夜の散歩ももう終わりだ。片道十五分、合計三十分の道のりも、きみと喋っていればひどく短い。

 玄関でただいまー、なんて、間の抜けた声を出すと、そばにいるきみが、おかえり、と言ってくれる。

 隣にいるきみに言われるのは、なんだか変な感じだな、と思いながら、オレはカギを閉めた。




黛と夜中のアイス // 20260320
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