教師のいない授業
名前を、暮羽といった。
当時、中学生にしては大人らしいその言動に、まだ幼さの残る同級生たちは、なにか個人的な問題が発生する毎に、彼女を頼った。
彼女は大概、なんでも出来た。
勉強は、学年でも半ばほどだったにも関わらず、それを尋ねる同級生は多かった。
恋愛の相談にも、度々応じていた。
それから、友達関係で悩みを抱える同級生たちを、頻繁に気にする様子も見せた。
わたしは彼女の存在を知っていた。けれど、時折挨拶を交わす程度だった。
同じ小学校の出身ではなかったし、二年間、同じ学級になることもなかったからだ。一年生のときの友人の友人というだけで、そして、それだけだった。
それがある日、とても唐突に、時間を共有したことがあった。
ほんの一分ほどの出来事だったにも関わらず、どうして、これほど鮮明に覚えているのか。
答えは簡単だった。それほど衝撃的で、体験したことのない感覚がわたしに迫ってきたからだ。
ただすれ違うはずだったと思っていたその関係が、大きく交わった瞬間だった。
それは、ある、二年生の放課後のことだった。
部活動のない日で、季節は──冬服を着ていたが──それほど寒い時期ではなかった。
わたしは、所属と違う美術部の友達と、昇降口から離れた植木で立ち話をしていた。ふと昇降口の方向へ目をやれば、女子生徒がひとり、うつむいて歩いている。
それが、暮羽だった。
いつも明るく見える彼女が、どうしたのだろう。そう思いはしたものの、仲がいいと呼ばれる関係ではないから、話し掛けることはない。美術部の友達と会話をしながら、わたしはそれだけ思っていた。
歩き続ける彼女とわたしの距離が、短くなる。
そして、目があった。
「……どうしたの、なにかあったの?」
それは、ごく自然な流れだった。
自然すぎて、わたしたちはもともと仲がよかったんじゃないかと、疑える程だった。
わたしの問い掛けに、返事はない。けれどその変わりに、困った笑顔と、わたしに伸びる彼女の両腕が見えた。
わたしは驚きながらも、そのままわたしに向かってくる彼女を、自分の肩で受け止めた。ぶつかったと認識できる衝撃は、ないに等しかった。痛んでいるのか、少し茶色掛かった髪が、わたしの頬に当たっている。
けれど、わたしには到底理解できなかった。
暮羽がどうして、わたしの肩に居るのか。
だれかに頼りたかったのかも知れない。そして、たまたまそこに、顔を知っているのがわたししか居なかったのかも知れない。
それにしても、おかしいと思った。
彼女は学年では顔が広く、わたしは正反対に狭い。彼女は見た目に明るく、わたしは教室ではあまり笑わない。
なにより、休み時間のうちの一分ですら、共に過ごしたことはない。
グスッと、鼻をすする音がきこえた。さっきの様子からして、彼女は泣いているのだろう。
「どうしたの、大丈夫?」
わたしはもう一度、聞いたところで解決しないような質問をした。それがどれだけ簡単な答えだとしても、あっという間に全貌が見えることはない。片鱗すら、見えないだろう。わたしたちはお互いを知らなすぎる。
それでもそういったのは、こういうときはそういっておくのが、一番無難だと思ったからだった。
彼女は、顔を上げた。
「……大丈夫、ありがとう」
首を傾げていったその表情は、弱々しく思えた。
そして彼女は、わたしの肩から居なくなった。会話するのに丁度いい距離までさがって、困った笑顔を作る。
「そう……」
わたしには、それだけしかいえなかった。いや、いわなかった。到底”大丈夫”には見えないけれど、そこへ踏み込む気など、わたしには更々なかったのだ。
あくまでも、彼女はただの”同級生”だ。クラスメイトですらない。
冷たいといわれようがそれが事実で、それにわたしは、人がよすぎるような彼女に、嫌いではなかったにせよ少しの嫌悪すら、抱いていた。
「じゃあね」
「うん、バイバイ……」
わたしのそれより白い手を振られ、わたしも振り返す。
暮羽はそれから、長い紺色のスカートを揺らして、裏門へ歩いていった。
わたしは少しの間、そのリュックに隠れた背中を見つめていた。
当時、中学生にしては大人らしいその言動に、まだ幼さの残る同級生たちは、なにか個人的な問題が発生する毎に、彼女を頼った。
彼女は大概、なんでも出来た。
勉強は、学年でも半ばほどだったにも関わらず、それを尋ねる同級生は多かった。
恋愛の相談にも、度々応じていた。
それから、友達関係で悩みを抱える同級生たちを、頻繁に気にする様子も見せた。
わたしは彼女の存在を知っていた。けれど、時折挨拶を交わす程度だった。
同じ小学校の出身ではなかったし、二年間、同じ学級になることもなかったからだ。一年生のときの友人の友人というだけで、そして、それだけだった。
それがある日、とても唐突に、時間を共有したことがあった。
ほんの一分ほどの出来事だったにも関わらず、どうして、これほど鮮明に覚えているのか。
答えは簡単だった。それほど衝撃的で、体験したことのない感覚がわたしに迫ってきたからだ。
ただすれ違うはずだったと思っていたその関係が、大きく交わった瞬間だった。
それは、ある、二年生の放課後のことだった。
部活動のない日で、季節は──冬服を着ていたが──それほど寒い時期ではなかった。
わたしは、所属と違う美術部の友達と、昇降口から離れた植木で立ち話をしていた。ふと昇降口の方向へ目をやれば、女子生徒がひとり、うつむいて歩いている。
それが、暮羽だった。
いつも明るく見える彼女が、どうしたのだろう。そう思いはしたものの、仲がいいと呼ばれる関係ではないから、話し掛けることはない。美術部の友達と会話をしながら、わたしはそれだけ思っていた。
歩き続ける彼女とわたしの距離が、短くなる。
そして、目があった。
「……どうしたの、なにかあったの?」
それは、ごく自然な流れだった。
自然すぎて、わたしたちはもともと仲がよかったんじゃないかと、疑える程だった。
わたしの問い掛けに、返事はない。けれどその変わりに、困った笑顔と、わたしに伸びる彼女の両腕が見えた。
わたしは驚きながらも、そのままわたしに向かってくる彼女を、自分の肩で受け止めた。ぶつかったと認識できる衝撃は、ないに等しかった。痛んでいるのか、少し茶色掛かった髪が、わたしの頬に当たっている。
けれど、わたしには到底理解できなかった。
暮羽がどうして、わたしの肩に居るのか。
だれかに頼りたかったのかも知れない。そして、たまたまそこに、顔を知っているのがわたししか居なかったのかも知れない。
それにしても、おかしいと思った。
彼女は学年では顔が広く、わたしは正反対に狭い。彼女は見た目に明るく、わたしは教室ではあまり笑わない。
なにより、休み時間のうちの一分ですら、共に過ごしたことはない。
グスッと、鼻をすする音がきこえた。さっきの様子からして、彼女は泣いているのだろう。
「どうしたの、大丈夫?」
わたしはもう一度、聞いたところで解決しないような質問をした。それがどれだけ簡単な答えだとしても、あっという間に全貌が見えることはない。片鱗すら、見えないだろう。わたしたちはお互いを知らなすぎる。
それでもそういったのは、こういうときはそういっておくのが、一番無難だと思ったからだった。
彼女は、顔を上げた。
「……大丈夫、ありがとう」
首を傾げていったその表情は、弱々しく思えた。
そして彼女は、わたしの肩から居なくなった。会話するのに丁度いい距離までさがって、困った笑顔を作る。
「そう……」
わたしには、それだけしかいえなかった。いや、いわなかった。到底”大丈夫”には見えないけれど、そこへ踏み込む気など、わたしには更々なかったのだ。
あくまでも、彼女はただの”同級生”だ。クラスメイトですらない。
冷たいといわれようがそれが事実で、それにわたしは、人がよすぎるような彼女に、嫌いではなかったにせよ少しの嫌悪すら、抱いていた。
「じゃあね」
「うん、バイバイ……」
わたしのそれより白い手を振られ、わたしも振り返す。
暮羽はそれから、長い紺色のスカートを揺らして、裏門へ歩いていった。
わたしは少しの間、そのリュックに隠れた背中を見つめていた。