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教師のいない授業

「アヤ。一緒に遊ばないなら、親友やめるよ」
 今でもよく覚えているのが不思議なくらい、それは印象的な言葉だったのだと思う。その記憶は、小学生に入って間もないときのものだ。
 口にも顔にも出さなかったが、「親友というえにしは、一緒に遊ばないだけで解消されるものなのか」とぼんやり驚いた。
 そして、たぶんこの時に『友達』と『親友』の区別が分からなくなったのだと思う。
 中学二年の時、知佳ちかと休み時間を一緒に過ごしていると、クラスメートが云った。
「二人は親友なの?」
 わたしの中の答えはノーだった。放課後や休日も一緒に遊びはするが、好きなことをするばかりで、なにか相談するようなことは一度もなかったからだ。
 でももし知佳の中の答えがイエスだったら、と思うと、少しためらった。ノーである可能性は、高いと思っていた。
「違うよ」
 知佳はそう云った。やっぱり、わたしたちは親友ではなかった。わたしも彼女も、好きなことを話すばかりで、もっと深い人間的なところに、踏み込むことは結局なかったのだ。
 一緒に遊んでいるだけでは、親友にはなれないのだと分かった。
「自称親友がねーー」
 暮羽は、度々口にした。
 四、五人いるらしい彼女の自称親友とは、相手のほうが勝手に『親友』と云っているのだと、彼女は説明する。それでも、『親友』と自称されるだけの関係の人がいるのだと思うと、いささか羨ましくも感じた。
 ところが、暮羽は『自称親友』をうっとうしいと思っているように見えた。『自称』とわざわざ付けて呼ぶのだから、そういうことなのだろう。
 『親友』とは、片方が自称するだけでは成り立たないのだと思った。
 暮羽は云った。
「『親友』より『心友』がほしいな」
 ただ友達よりも親しいだけでは駄目らしい。心を分かち合い、尊重し尊敬し合える間柄こそ本物だ。これには私も、なるほどと思った。
 暮羽はそういう話も幾度となく私にした。それから、『心友』だと思える友達の条件みたいなものも私に教えた。
 私もその条件を考えてみると、暮羽なら私の『心友』になり得そうだと思っていた。それほど一緒にいたし、彼女の悪い癖も知っていたからだ。
 それでも、私はそのことを暮羽に云わなかった。云ってしまえば、私も『自称親友』になるのではないかとどうしても思ってしまうからだ。この人間関係の名前はもしかしたら、一対一で成り立つ『恋人』という関係以上に厄介なものなのかも知れないーー。そう思うこすらあった。
「ここでこうして並んで座っていたら、仲がいいように見られてるのかな」
「そりゃそうでしょ。ってか、そうしか見えないって」
 高校時代。この日は特別に自由着席のある授業で、私の呟きに暮羽は答えた。
 私にはそれが嬉しくもあったが、これがまた、彼女の悪い癖かも知れないと思うと、それ以上は何も云えなかった。
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