運命の恋
俺があの人を好きになったのは、運命だったのだと思う。
「は〜い〜ざ〜き〜く〜ん?」
「ぃだっ」
ゴイィィィイン、と大きな音が頭の中に響いた。暖かい季節、こういう日は屋上で気持ちよ〜く寝るのに限る。素晴らしい昼寝タイムだ。…まァ、たった今邪魔されたから秒で終わったんだけど。
「お前はいつもいつもサボりやがって!!いい加減にしやがれ!!!」
「いっだだだだだ!!!痛い!!分かったから離せ!!!!!!」
敬語使えや!!!!!!と叫びながらこめかみが無くなるんじゃないかってくらい圧をかけてくるこの鬼、もとい悪魔は虹村修造という。強豪帝光中バスケ部を従える主将である。練習サボる俺をどういう訳か絶対見つけ、ボコボコにし、そして連れていく。最早日常の風景と化してしまっているが俺は大変不本意だった。必死で逃げても絶対捕まるし、ボコられるし、メニューは増やされるし。全く意味が分からん。
「っもうほっとけよ!!なんで毎回毎回迎えにくんだよ暇人かよいだだだだだだいだい!!!」
こめかみにかかる力を何とか分散させようと、もがきながら訴えるが余計に力が増しただけだった。この鬼主将どんな馬鹿力してんだよいい加減脳みそ弾け飛びそうなんだけど。
「おめーは一旦来るようになったかと思えばまたすーぐサボりやがって。実力あんだから練習しろ、よっ!!!」
「ぐえっ」
言いながら虹村さんは俺を地面に叩きつけた。思わず蛙が潰れたみたいな声出ちまったじゃねえか。本当にこの人強豪校の主将か?本当乱暴だしスポーツマンシップとかゼロなんですけど。虹村さんは大きな溜息をつきながら俺の襟首をぐっと引いた。いや近い近い近い。
「灰崎、そんなに心配すんな。お前なら大丈夫だよ」
「はぁ?!」
「だから練習に来い。いいな」
そのまま腕を引かれ強制的に部活へと連行される。何が大丈夫なんだよ。主語ねえしそんなんで練習に来いとか、全く意味わかんねえんだよ。てか俺別に心配なことなんて無いし。ついに頭バグったんか。本当に意味がわからない。全然わからない。顔と掴まれてる腕がじわりと熱くなっていくばかりで浮かんでは消えるたくさんの文句はどれも言葉にならなかった。
「灰崎くん、本当に最近よく練習出るようになりましたね」
「………そんなことねえだろ」
「いやありますよ。なにかきっかけがあったんですか?」
先程ゲロって休憩中のテツヤが死にそうな顔で問いかけてきた。いや俺と話してる場合かよ。………テツヤにじっと見られると何でもバレる気がしてなんか居心地悪いんだよな…つい話してしまう、というか。
「…別に大したことはねえよ。もう殴られるのは嫌だからな」
「虹村主将ですか」
「それ以外いねえだろ。つーかお前はそんなこと気にしてる場合かよ赤司がこっち見てるぞ」
赤司の視線に気づいたテツヤは慌てて起き上がり練習に戻っていった。テツヤの言う通り、俺はサボりの頻度が徐々に減っていた。虹村さんにあんなことを言われたから、という訳では断じて無いがサボると虹村さんの言うことを認めてしまう気がして嫌だった。別に、ちゃんと行けば喜んでくれるからとか笑いかけてくれるからとか、そんなことが理由では無い。断じて。自分らしくないことばかり考えてしまうのはこんなところにいすぎたせいだ。今なら鬼の虹村さんもいないし赤司は取り込み中。…フケる絶好のチャンスじゃん。そう思ってこっそり出口に向かおうとした時肩が急に重くなった。恐る恐る振り返る。当たり前のように超絶笑顔の(俺にとっては般若の)虹村さんが肩を組んでいた。とてもどいてくださいと言える雰囲気では無い。
「灰崎」
「………なんスか」
「おめー今度の部活休みの日曜日予定あるか?ねえよな」
「いやいやいやなに勝手に決めてんだよあるかも知れねえだ、イダッ」
バシィ!!!!と凄い音が俺の頭から発せられた。そろそろ脳細胞無くなるんじゃねえのこれどうしてくれんだよ。
「 敬 語 」
「………すません」
「まあいいわ。とりあえず日曜日駅で10時待ち合わせな。ゼッテエ遅刻すんなよ」
凄いいい笑顔だったがそれが逆に怖すぎてウス、としか言えなかったし当たり前のようにフケようとしたのがバレててペナルティ食らった。解せん。
「お、時間通り来たな」
「虹村さんが来いって言ったんじゃないすか」
約束の日曜日、10時ちょっと前。柄にもなく早起きしてしまい珍しく時間通り駅に向かった。虹村さんは時計を見ながら壁に背を預けていたけど、目が合うと手を上げてこっちこっちと手招きした。近づくなり頭をガシガシしてくる大きな手を払うとハハ、と嬉しそうに笑った。胸がきゅ、となった気がして慌てて視線を逸らす。
「…んで、今日は何なんですか」
「今日はな、デートだ」
…は!?
俺がぎょっとしたのを見ておかしそうに笑いながら虹村は歩き出してしまった。いや置いてくなよ!
「次はあそこのスポーツショップ行くか」
まあ当たり前というかなんというか。バスケ用品巡りというのがデートの正体であった。俺も新しいバッシュ欲しかったしちょうどいいか、と思い付き合っていたけれども。驚いたことに休日の虹村さんはよく笑い、いつものように俺をしばくことはあまり無かった。お前にこれ合うんじゃねえの、とか月バスの話とか。普通にバスケが大好きな青年であって般若の面影は全く見られない。…主将じゃない時はこんな顔すんだな。新たな一面を知れてちょっと嬉しいと思ってるのが悔しい。
「よし、結構歩いたしそろそろなんか飲もうぜ」
虹村さんはそう言った時、ちょうど近くにコーヒーショップがあった。お前これでいいか、と確認してさらっと買いに行き、ん、と俺にコーヒーをくれた。
「………あざす」
「おーい奢ってやったんだからもうちょい嬉しそうな顔しろや」
「いやなんか、」
そういうさり気ないところ、かっこよくてムカつく。思わず言いかけて口を噤む。虹村さんは不思議そうな顔をしていたがまあいいや、次行こうぜと深く突っ込まなかった。セーフ。
結局色々見て回って、バッシュを買って、ゲーセンとか行って。何事もなくフツーに遊んだ訳だけど。
「いやこれほんと何なんですか?」
公園で休憩してさて帰るかというタイミングでの俺の問いかけに、ん?と虹村さんが振り返る。いやだってバッシュ買うなら普通にタメ誘えばいいし。なんで俺?言いたいことが顔に出てたのかちょっと考えて当たり前のように言った。
「最初に言ったろ。デートだよ」
からかっているような雰囲気でもない。夕日に照らされた笑顔が柔らかくて、目が離せなかった。虹村さんの手が俺の頬に伸びる。思わずびく、と反応してしまうと虹村は手を引っ込めた。
「あ…」
残念そうな、物欲しそうな声が自分の口から零れてしまって。なんかもう凄く恥ずかしくて、柄にもなく照れてしまったしもう虹村さんの顔を見れなかった。
「お前、俺以外の前でそういう顔すんなよ」
どんな顔だよ。てかどういう意味だよ。俺の事どう思ってんだよ。意味わかんねえよ。いつもたくさん言いたいことがあるのに、いつも何も言えず終わってしまう。そんで虹村さんだって俺を大切そうな目で見てくるくせに肝心なことは何も言わないから俺たちはずっと先輩後輩以上、のようなそうでないようなふわふわした関係だ。それがすげえムカつく。ムカついてる自分にもムカつくし、虹村さんにもムカつく。でもおかげで分かってしまった。認めざるを得なかった。
俺は、虹村さんのことが好きだ。
好きだと気づいたものの特に代わり映えのしない日々を過ごしていた。最近は比較的ちゃんと部活に出ていたけれどサボった時はしっかり虹村さんにボコられて、部活に連行されて。たまに一緒に帰って、たまに出かけて、たまに手を繋いで、そんで結局バスケして。そんな日々をらしくもなく楽しいなんて感じてしまっていて。ああ俺、この人の隣にいていいんだと思っていた。都合のいい夢も永遠もあるはずないのに。俺はまだ中2のガキだったから。そんな日々が永遠に続くと思ってたんだ。
「主将が赤司くんに変わる」
その事を聞いたのは、サボったのに珍しく虹村さんが迎えにこなかった日の、次の日だった。迎えにこないなんて滅多にないから風邪でも引いたのかと思って部活に顔を出した。そこで目にしたのは指示を出す赤司とただ練習に打ち込む虹村さんという不思議な光景だった。
「…らしいですよ」
「え……」
なんで。
声にならない問いにテツヤは静かに答える。昨日のミーティングで発表されたけれど、理由は明かされなかったこと。虹村さんも納得の上の主将交代であるように見えたこと。大丈夫ですか、なんてテツヤの声が聞こえた気がしたけど俺は無視して体育館を飛び出していた。いつもの虹村さんの怒声は聞こえなかった。
それから虹村さんは俺がサボっても、フケても全く迎えにこなくなった。前のように一緒に帰ることも、休日に出かけることも無くなった。それどころか学校の中でも部活中でも話しかけてこない。一度思い切って声をかけたことがあるが、会話は事務的で目も合わせてくれず、前みたく笑ってくれることも怒ってくれることも無かった。
*
「本当なんであんたなんて産んじゃったんだろうね」
金たかるし最悪、と渋々1000円札を差し出す女は俺を産んだ女であった。今日の晩メシは、と聞いただけでこのザマである。厚い化粧をして、露出の多い服を着て。あたしこれからデートだから夕飯くらい1人で何とかしてよと言い放って女になった母は出ていった。いつものことである。俺の母親は子どもは放置し男に貢ぐ様な女だった。兄貴と俺は異父兄弟であり誰が父親かも知らない。そんな環境のためか俺のせいで母親が荒れてるとでも思ってるのか、兄貴はなにか気に食わないことがあると俺をよくサンドバックにしていた。せっかくの食費も取られるし、ボコボコにされる。今日こそ兄貴がいない間に家を出なければ、また奪われて一文無しだ。立て付けの悪いドアを開けて家を出る。中学生が出歩いていい時間ではないが仕方がない。夕飯確保に行かなければ。
フラフラと歩きながら、思い出すのは虹村さんの事だ。俺は家族がいる間はできるだけ家にいたくない。そんな中で出会ったのが虹村さんだった。ウザイほど構ってきて、今までのろくでもない人生で初めて俺を真っ直ぐ見てくれる人だと思っていた。バスケすら気まぐれに始めてどうでもいいと思っていた俺が、虹村さんだけは信じていた。バスケと出会えてよかったとすら思っていた。人を羨まなくても、奪わなくても。きっとこの人ならと思っていた。
「それも勘違いだったってことか…」
あの人は主将として、チームの糧になるから俺に構っていただけだった。俺以外の前でそんな顔すんなとか、手を繋いだりとか。そういうことも全部、全部嘘だった。
「はは、あんな善人ぽい顔してえげつねえの…」
自分が子どもで、馬鹿みたいで、涙すら出てこない。結局のところ俺みたいな奴は人と足並み揃えて生きるとか到底無理って話だ。人のモン奪って生きるのが俺らしい生き方なんだ。
もうどうでもいいや、という独り言は空に掻き消えていった。
その後、俺は見事に元通りになった。
女遊びも喧嘩もするし、サボるし、人のモンも奪う。どんどん孤立していくのは分かっていたがやめられなくて、そのうちリョータが入ってきて赤司に退部させられて。俺はまた一人になった。
実は主将を降りた理由と冷たくなった理由をどうしても知りたくて虹村さんを訪ねたことがある。引退してもたまにバスケ部に顔を出してたのは知っていたから体育館に行けば会えるんじゃないかと思っていたんだけど。部員に見つからないようにコソコソしていると、すぐ傍で虹村さんと3年の先輩の声が聞こえてきたので思わず身を潜めた。
「虹村、本当に良かったのかよ灰崎のこと」
お前誰よりも気にかけてたじゃねえか、という先輩の問いに少なからずドギマギしていた。良くねえよって言ってくれるんじゃないかなんて淡い期待は直ぐに打ち砕かれたのだけど。
「退部したやつのこと振り返ってもしょうがねえだろ。バスケを捨てることを選んだのはあいつ自身だ。あいつの事はもういいんだ。前を見ねえといけねえんだよ」
変わらなかったのは、灰崎だ。
そう言う虹村さんを追いかけることは出来なかった。自分が虹村さんにとって既に過去であることを知ってしまった今、もう二度と虹村さんと話をする気力なんて湧かなかった。
結局、一度も話をすることは無く虹村さんは卒業していった。
*
それから高校生になった俺は驚いたことにバスケをまだ続けていた。俺が退部してからキセキの世代って言われるようになったのがムカつくからだ。静岡の祖父母の家からほど近い、バスケ強豪校の福田総合学園高校に進学を決めた。
「俺に逆らってんじゃねえよ!!」
思いっきりひっぱたいてやるとセンパイはすまん、と悔しそうに謝った。そうだ、それでいいんだよ。楽しそうにバスケをしてる奴ら、才能なんてねえ癖に懸命にバスケしてる奴ら、全部ムカつく。イライラする。
「灰崎!いい加減に…」
「っせーよクソが!」
名ばかりの主将の石田もその他の俺にビクついてる全ての奴にも腹が立ってしょうがない。どうすればイライラが治まるのか全然分からない。そのイライラの原因が俺を追い出したキセキの世代の奴らか、弱いこいつらか、それともあの人かそれも分からなかった。だからキセキの世代に勝つんだ。そうすればきっと嫌な過去もイライラも忘れられる。きっと、あの人のことも。
そして迎えたWC。
俺は夜空を眺めながら地べたに寝っ転がっていた。せっかくキメたコーンロウも汚れちまうし。ダイキめ、思いっきり殴りやがって。これ1週間しか持たねえんだぞ。しかも洗えねえし。
テツヤがリョータを応援していたことも、俺に勝ちやがったリョータも、この結果を予測していた赤司も。全部全部ムカつく。いやムカついていた。あんなにイラついていたのに今はそういうのは全くない。ダイキに止められてすっと憑き物が落ちたような感じだった。その証拠に今度はバッシュは捨てられなかった。
「何してんだ俺は……」
捨てられないついでに何となくWC決勝戦まで見に来てしまった。他のメンバーは先に帰ってしまったので俺だけである。何故見に来たのかと問われると非常に困るのだが、赤司が負ける所を見たかったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。自分が何をしたいのかよく分からなかった。
ただ、テツヤ達の全力で楽しむ仲間たちとのバスケを見て何となく本当のバスケってこういうもんなのかな、これはこれで少し楽しそうだなと思ったのは確かだった。アイツらのバスケは不思議だ。自分の中のぐちゃぐちゃした感情が少しずつ解けていく感じがする。キセキの世代なんて越えなくても俺は少しずつ、前を向けているのかもしれない。アイツらのおかげであの人の事も、もしかしたら忘れられるかもしれない。
“誠凛高校─!ウインターカップ優勝─!!”
アナウンスを聞き、どこかすっきりした気持ちで会場を後にしようとした時。
「…灰崎?」
ザワザワとした喧騒が遠のく。その低い声だけがやけに響いていた。
「に、じ…」
心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。
もう二度と会うことはないと思っていた。身長は俺のが少し高くて、でも顔つきも何もかも変わっていない。なにも変わらないアンタに聞きたいことは沢山あった。どこでどうしていたのか。なんで主将降りたのか。てかなんで俺に平気で声掛けてきてんのか。俺の事、どう思ってんのか。
「っ、」
「おいっ…!」
聞きたいことが脳内で飽和した末、俺は灰崎!と呼ぶ声を無視して脱兎のごとく逃げていた。いや話すのなんて無理すぎる。
「は〜い〜ざ〜き〜く〜ん?」
「いっだだだだだだだだだァ!!!!」
まあ、逃げ切るのも無理だったんだけど。
「おっ前なに普通に逃げてんだよ!!てかなんだよこの髪型!!!!」
「髪はいいだろ別に!つか…アンタと話すことなんて何もねえんだよ!!」
ほ〜う?と拳をゴキゴキ鳴らす虹村さんに少しビビるがここで負けるわけにはいかなかった。色々飽和して会話なんてゼッテェ無理。
「お前になくても俺にはあんだよ。…見てたよ、黄瀬との試合。なんであんなことした」
「………」
「お前あんなことするやつじゃなかったろ。退部してから何があったんだよ」
…本当に、何も分かってねえんだなアンタ。
俺の事何でも知ってるって顔してんのにな。あんたと話すと、汚い感情で頭がいっぱいになる。あんたに会うと、俺はぐちゃぐちゃになっちまうんだよ。
「…退部してからどうとかいう問題じゃねえんだよ」
「なに…」
「お前こそ、なんでここにいんだよ。なんで俺に話しかけてんだよ。俺の事なんて利用してただけだったんだろ」
虹村さんは驚き、傷ついたような顔をしていた。…………なんでアンタがそんな顔すんだよ。
「お前が何にも言わずに主将降りて俺の事捨てたんだろ!お前が!………せっかくアンタのこと忘れられるかと思ったのにっ…二度と現れるな!!!」
一度口に出してしまえば二度と戻らない。無かったことには出来ない。そんなこと頭では分かっていたつもりだった。でも目の前にしてしまえば、抑えきれるはずもなかった。
だって虹村さん、俺はアンタに本気で惚れてたんだから。
*
『灰崎、ほら』
『こうしてれば逃げらんねぇだろ』
『絶対離さないから、逃げようなんて思うんじゃねえぞ』
『なぁ灰崎─』
けたたましいアラームの音で目を覚ます。また懐かしい夢を見たのは、恐らくあれが原因だろう。ポリポリと頭を掻いてそういえばコーンロウ戻したんだった、とぼんやり思い出す。
あの後呆然としてる虹村さんを置いて静岡に帰還を果たした次の日すぐコーンロウを解き色も地毛の灰色に戻した。リョータに負けるわダイキに殴られるわ、あの髪型にしてからいい事なかったんだよな…
はァ〜学校行きたくねえ…けど行かないとばあちゃん達に連絡行くし、スゲェ心配するし。仕方ねえか…あとはまあ、することないと余計なことを考えてしまいそうだったし。とりあえず何でもいいから気を紛らわせたかった。
キーンコーンカーンコーン─
欠伸をしながら帰宅準備をする。学校には行ったけど、部活に行く気は全然起きない。負けちまった後だしバスケしてたらあの人のことばっか考えちゃいそうだし。俺実はスポーツ特待だから行かないと中々ヤバいんだけどな。
行く気が無くても体育館の前を通るとバッシュのスキール音が耳に入り思わず足を止めてしまう。長年染み込んだ習慣のようなものなのだろうと思うとなんとも言えない気持ちになる。
「灰崎!」
さて帰ろうと体育館に背を向けた時、バタバタと慌てたように声をかけてきたのは元主将の石田さんだった。
「ほら」
「…ッス」
放られたジュースを受け取り礼を言うと、石田さんはとても驚いた顔をしていた。そういや俺、お礼とか言ったことなかったな。
「WC、お疲れ様」
「…おう」
「灰崎にしては大人しいな。もしかしてWCの帰りなんかあったのか?」
この人、大人しい顔して結構ズバズバ切り込んでくるんだな。1年間一緒に部活してたけど知らなかった。まあ俺、あんまり練習参加してなかったからな…仕方ないか…
「リョータに報復しようとしてダイキに止められた。…そんで、そんで…………」
石田という人間は非常に誠実で穏やかな人柄である。この人がいくら俺に恨みを持っていても誰彼言いふらしたりなどしないということは分かっていた。でも、言えなかった。虹村さんとのことはどうしても。石田さんは俺の葛藤を汲み取ってくれたのか、それ以上聞いてくることは無かった。
「灰崎、バスケは好きか」
「……………バスケなんて何とも思ってねぇよ」
「でも、嫌いじゃないんだろ?」
揚げ足取るなよ。
そう言ってやりたかったけど言葉は何も出てこなかった。事実、その通りだったから。
「灰崎、バスケ部に行こう」
「…行けるわけねぇだろ」
「そりゃああんな態度取っておいて負けてお前にとっちゃ顔出しずらいだろうな。でもそれは自業自得だからな」
ズバズバズバズバ、言葉の刃が止まらねえんだけど。俺中々酷いことしまくったし恨まれて当然だから仕方ないけどさ。でも石田さんは俺の顔をしっかり見つめながら話してくれた。例え恨まれていたとしてもそのことが凄く嬉しかった。
「灰崎の顔を見りゃ分かるよ。お前がバスケしたがってること。正直部員はお前に対して恨みあるやつがほとんどだし許してもらえないかもしれない。でもだからこそ、バスケで返していくしかないんだ」
俺も一緒に行くからさ、と朗らかに笑う石田さんに、この人は人が良すぎて絶対損するタイプだと思った。
「…今までのこと、悪かったと思ってる。許してくれとは言わねえ。ただ、バスケはさせて欲しい」
石田さんに連れられて部活に出た俺が開口一番に謝罪など口にした上に頭を下げたのだから、望月達他の部員はあんぐり口を開けていた。頭を下げながら、そりゃあそうだと自嘲した。今までのことを考えたら許されるはずもない。
「………そう簡単には許せない。皆本当に辛い思いをした。だから、許して欲しいならバスケで貢献してほしい」
思わず顔を上げる。新主将になった望月さんだった。俺が戸惑いを隠せずにいるとあの強面で困ったような表情をする。お前から言い出したことだろって言われて、いやそうだけどでも。
「退部じゃ…ねえの」
「なんでだよ。そんなホイホイ退部なんてさせられるわけないだろ」
望月さんや部員たちが笑って、石田さんが嬉しそうに俺の肩を叩いた。正直俺はいくら石田さんがいても帝光中の時のようになると思っていたから不思議な気持ちだ。
…俺、ここにいていいんだ。鼻がツンとして柄にもなく泣きそうになったけれどそれは意地でも我慢だ、キャラじゃ無さすぎる。
「『よくやったな灰崎!』」
蜃気楼のように頭に浮かぶあの人の顔を振り払う。俺にとっての先輩はもう石田さん達なんだと、自分にそう言い聞かせた。
それからは、別人かと言われるくらい(俺にしては)真面目に部活に打ち込んでいた。元の性格は中々直らないし俺がしてきたことは無くならないので度々部員と衝突するし、今までコミュニケーションなんてとってこなかったから連携もボロボロなんだけど。前よりも充実感はあるし女遊びも喧嘩もやめてしまった。
「灰崎、本当に変わったな」
「望月……さん」
「敬語だけはまだまだだけどな」
はは、と笑う望月さんは意外と表情豊かで、よく見たらそんな強面でもなかった。他のメンツも少しずつ話をするようになった。話してみると意外な発見があって楽しい。バスケ部と少しずつコミュニケーションを取るようになって、今度はクラスのやつらと会話するようになって。
ああ俺、ここにいていいんだな。そう思えたのは人生で二度目だった。
『明日もちゃんと部活来いよ』
『来ねえと迎えに行くからな』
『灰崎─』
自分の居場所を見つけて、バスケに打ち込んで。自分には似合わない充実した日々を送っている。
虹村さん、俺ようやくアンタのこと忘れられそうだよ。
*
そうして無事、高校2年生になった。
虹村さんのことを思い出して苦しくなるような事は、少しずつ減っていた。
「石田さん、大学生活はどうすか?」
「楽しいよ。東京は色んなやつがいるよな」
コーヒーを啜りながら楽しそうに話す石田さんは、春から東京の大学に進学している。バスケ強豪校に入学を果たし、日々バスケ漬けの生活を送っているらしい。今日は夏休みを利用して石田さんの大学に遊びに来ていた。同じ大学に進学を考えているのでちょうど良い。
「今日オープンキャンパスもやってるから中々人が多いんだよな」
大学内のカフェテリアは人で溢れていた。
制服の高校生がやたら多いのはそういう事か。へー、と相槌を打ちながら外を眺める。人混みの中こちらを見ている男と目が合う。途端、時間が止まった気がした。
「─虹村、さん…?」
忘れたと思っていた。俺は前に進んでいるし、もうあの人のことで苦しむ必要はないとそう思っていた、けど。ひとめ見て蘇ってしまう。あの人の手の大きさ、力の強さ、背中の広さ、笑顔、怒った顔、汗の香り、試合中の真剣な顔。忘れるなんて、到底無理な話だったんだ。
「ごめ、俺帰る」
「灰崎!?」
動悸がして、手が震える。一刻も早くあの人の視界から消え去ってしまいたかった。驚く石田さんを置いてけぼりにするのは心苦しいがこれ以上ここにいることは出来そうにない。カフェテリアを出て人混みを縫うように進む。後ろを振り返ることは出来なかった。
「灰崎!!!」
「っ!」
人混みを抜けて校舎裏みたいなところに来た時、左手を掴まれた。息を切らして、必死な顔して。アンタ、そんなに俺と話したかったの?…左手、痛いんだけど。
「灰崎、待て、待ってくれ頼むから!」
「嫌だ、離せっ!」
話すのなんて無理だろう。
だって、アンタの顔を見るだけで頭ん中ぐちゃぐちゃになってしまうんだから。これ以上耐えきれる気がしなくて左手を振りほどこうとした途端、ぐっと引っぱられる。瞬間目の前に広がる虹村さんの顔、強く香る匂い。気づいた時には唇が塞がれていた。
「ん…!?」
自分が何をされたのか分からなかった。アンタ俺の事利用してただけなんだろ。裏切っただろ。意味わかんねえよ。そんで1番意味わかんねえのは、拒否出来ない俺自身だ。
「ふう、んんッ…」
虹村さんの舌が口の中に入ってくる。
この人のこと勝手にドーテーだと思ってたけど勘違いだ。めっちゃキス上手い。頭がぼんやりして、腰に添えられた手からびりびりしてくる感じ。虹村さんの肩にしがみつくのがやっとだった。
「灰崎!!」
石田さんの声が聞こえて我に返る。ドン、と虹村さんを押すと同時に石田さんが現れた。あぶねええぇぇ。汗だくで俺を追いかけてきてくれたらしかった。キスしてた所は見られてない………多分。
「灰崎、大丈夫か…!?急に走り出すから焦ったよ」
「あ、悪ぃ」
突然走り出したらそりゃあ心配するわな。緊急事態だったとはいえ申し訳ないことをしたかもしれない。
「…えっと、ところで灰崎、こちらの方は…」
「俺は虹村修造といいます。中学時代の灰崎の先輩です」
先程は失礼しましたと丁寧に詫びる虹村さんはさっきの面影すらない。石田さんは驚いた顔をして虹村さんを凝視していた。
「あ、俺は石田英輝です、灰崎は高校時代の部活の後輩で……って虹村ってあの虹村…!?中学ナンバーワンプレーヤーの!?」
「あー懐かしいすね。そう呼ばれてたこともあったけど…」
石田さんは虹村さんを知っていたみたいで、会話がえらく盛り上がっていた。…なんか俺だけいたたまれないんだけど。
「あ、悪い灰崎。つい盛り上がってしまって。そろそろ行くか。じゃあ虹村、またな」
「おう、また」
いつの間にかタメ口になってるし…まあでも石田さんのおかげで虹村さんから逃げられるし、正直助かった。後ろから痛いくらいの視線を感じながら、逃げるようにその場を後にした。
石田さんは特に何も聞いてこなかった。
流石に虹村さんと何かあったって勘づいてると思うけど、聞かないのが石田さんらしい。本当に優しいんだな、この人。
「石田さんは…もし好きな人が突然裏切ったらどうする?」
「え?」
何を聞いてんだ俺は。
せっかく石田さんが気づかないふりしてくれてるのに俺が自ら自爆してどうする。めちゃくちゃキョトンとしてるじゃねえか。しかしそこは流石の石田さんである。突拍子もない質問だったけど少し考えて答えてくれた。
「うーん…話を聞くかな」
「怖くねえの?」
「怖い。けど怖くても好きな人にはちゃんと向き合いたいって思うかな」
向き合う…か。
そういえば俺、あの人と腹割って話すってしたことないかもしんない。思えば虹村さんはいつでも真剣に向き合ってくれていた。それなのに俺は裏切られたってずっと逃げてばかりで。挙句人を攻撃して、奪って、傷つけて。それは全部俺の弱さのせいだったのに。
─気づいてしまった。俺、ずっと全部虹村さんのせいにしてたんだ。血の気が引いていく感じがした。自分のしでかしたことの大きさと重さが今更のしかかってくるような気がして足が震える。自分の馬鹿さ加減は自覚しているつもりだったが、実の所全然分かっていなかった。散々逃げて傷つけた俺が虹村さんと向き合って、それでどうなる?
「…もう、手遅れかもしんねーだろ」
「手遅れでもいい。向き合わなかったことの方が絶対後悔する」
向き合わないことの方が絶対後悔する。
震える声で問いかける俺に石田さんは真っ直ぐに目を見つめ、はっきりとそう言った。
石田さんの言葉がすとんと胸に入ってくる。ああそうだ。俺きっと、今行かなかったら後悔する。手遅れでもいい。今、虹村さんに会いたい、話したい、向き合いたい。
「石田さん、俺ちょっと行ってくる!」
「おう、気をつけてな」
急にいてもたってもいられなくなって鞄を引っ掴み店を飛び出した。落ち着いたら連絡しろよ、と笑っていた石田さんには今度何かご馳走しよう。
「はァ、いねえ…!」
大学まで戻ってきたけど虹村さんの姿は無かった。オープンキャンパスも終わったらしく人っ子一人いねえ。虹村さんが今どこで何してるかなんて知らねえし、家がどこかとかも聞いたことない。とにかく、探し回るしかない。
「クソっ」
大学周辺、帝光中周辺、二人で出かけた場所─とにかく必死で探し回った。その間に時間はすっかり夜だ。もしかして、もう東京にはいないのだろうかなんて嫌な想像を頭から振り払いもう一度居そうなところを探し直そう、そう思い駆け出した時だった。
「虹村さん、ここの店はどうでした?」
─灰崎、退部しろ。
思い出すのは氷みたいに冷たい声と視線。振り返った先にいたのは、俺に退部勧告をした時とは違う、柔らかく話す赤司と楽しそうな虹村さんだった。
「赤司オススメの店だけあって美味かったぜ。さすがだな」
「お褒めいただき光栄です。ところでこの後は─灰崎?」
今だから言えることだが、赤司は得体の知れない感じがして当時からあまり近づきたくない存在だった。虹村さんは随分信用していたみたいだけど俺は全然その気持ちが理解できなかったのを覚えている。要は俺にとっての天敵である。出来ることなら逃げ出したい。しかも虹村さんと2人きりで食事って、もしかしてそういうことなのではないかとも思うしそしたら俺超お邪魔虫じゃん。…でも、ここで逃げたら石田さんに顔向け出来なくなる。行け、漢灰崎。今にも反対方向に進みそうな足を叱咤してズンズン進み、赤司の真ん前に立ってやった。流石に目を丸くして驚いてたっぽい。ちょっと優越感。
「赤司悪いけど、この人ちょっと借りるわ」
「………なるほど。いいよ、好きなだけ話してくるといい」
久しぶりにした会話がこれってどうなのかと思わなくもないが。お墨付きを貰ったわけだしまあいいか。まだ混乱してる虹村さんの手を取って赤司にサンキュ、と告げた。
*
「サンキュ、か…」
会話したのは退部勧告以来だったか。黄瀬に負けてから随分様相が変わっていたように感じる。昔は目が合えば誰彼噛み付いて、人のものを奪い、手がつけられなかった。…当時から虹村さんには心を開いていた様子だったがまさかそういうことになっていたとは。
「あれ〜?虹ちんは〜?」
「えってかあれショーゴくんじゃないスか!?」
「はあ、灰崎!?」
「えっ灰崎くんいたんですか」
「虹村さんと一緒に消えたのだよ」
「あのふたり、仲良かったんだね!」
店の奥からドヤドヤとカラフルな面子が降りてくる。そういえば灰崎はなにやら勘違いしていたようだが…まあ、あの様子だと大丈夫だろう。あれは決意した者の目だ。
俺は、2人からのいい報告を待っていよう。
*
虹村さんの手を掴み連れてきたのは人気のない公園だ。バスケットコートがあり昼間はそれなりに賑わっているが今は誰もいない。話すにはうってつけだ。
「虹村さん」
「お、おう…灰崎」
虹村さんは急に俺が現れたからかとてもびっくりしていた。俺、逃げてばかりだったし全くの想定外だったのだろう。まだ状況が掴めていないようだった。
「虹村さん、俺ちゃんと覚悟してきたんだ。今まで逃げててゴメン。ちゃんと腹割って話したい。…ちゃんと、虹村さんのこと知りたい」
「灰崎…」
「だから、最初からちゃんと話そう。虹村さん」
そっから俺は今までの事を全部話した。家庭環境が最悪だったから虹村さんに居場所をもらえたみたいで嬉しかったこと。最初は本気で嫌だったけど、どんどん迎えに来てくれるのが嬉しくなってワザとサボったこともあったこと。虹村さんが急に主将降りて、迎えにこなくなって裏切られた気持ちになったこと。赤司に退部させられてからも何度か話そうと思ってたこと。何度も忘れようとしたけど無理だったこと。WCで再会して嬉しかったけど、同時に辛かったこと。全部全部、話した。虹村さんは黙って最後まで聞いてくれていた。
「そんで俺、気づいてるかもだけどずっとアンタのこと─」
「灰崎。…まず、俺の話を聞いてくれないか」
虹村さんが視線を落としながら話し始める。どこか言いにくそうな、辛そうな表情だった。
「俺今アメリカにいるんだ。親父が今アメリカで治療してるからそれに着いてってんだよ。ずっと具合悪くて、いつどうなってもおかしくなかった。主将辞めたのもそれが理由だ。家族を守るためなら、その他の全て犠牲にしても構わないと思ってた。そんでそれをお前に言わなかったのは心配かけたくなかったのと、罪悪感で言えなかった。俺はお前と親父を天秤にかけて親父を選んだから。合わせる顔が無かったんだよ。それに本当は灰崎が話しかけてくれて嬉しかったけど、話してたらきっと迷いが出てしまう。そう思ったら話せなかった。ごめんな」
衝撃だった。全く、何も知らなかった。虹村さんがそんな状況だったことも、そんな大変な中で俺に時間を作ってくれていたことも何も知らなかった。俺、虹村さんの都合なんて考えてなかった。自分が自分がってそればっかりで…
「虹村さ、俺知らなくて…ごめんなさ……」
「俺が何も言わず灰崎を避けて無視したのが悪かったんだから気にすんな。あとお前が自主退部じゃなくて赤司から退部勧告もらって辞めたことさっき赤司本人からも聞いた。お前が勝手に自主退部したと思ってたし、バスケを捨てたとすら思ったよ。結局変わらない道を選んだんだって。けど違ったんだな。主将降りたから迎えに行かなかったけど意地はらずに俺が迎えに行けば良かったんだよな、本当にごめん」
虹村さんが俺に向かって頭を下げた。違う、アンタは何も悪くない。俺がしたことは本当に最低だったし俺がそこから変われなかったのは事実だ。むしろ家族が大変な時に他人の俺を構えってのが無茶ってもんだ。アンタだって15歳だぞ。背負いすぎなんだよ。自分の馬鹿さ加減と虹村さんの背負ってたもんを考えると本当にしんどい。そんなことを考えてたからか視界がぼやけて目からぽろぽろ水が出てきた。なんだこれ、止まんねえ。
「おっまえ…泣いてんのかよ」
「うっせ…泣いてねえよ…」
「いや泣いてんだろどう見ても。…灰崎お前、前も言ったけどさ」
だから泣いてねえ、と言いかけたところで目元にちゅ、と口付けが落とされた。びっくりして涙引っ込んだんだけど。え、今、何が起きた?
「そういう顔俺以外に見せんなよ」
「え、んッ…」
「はいこれで2回目。灰崎意外と無防備だから心配だわ」
「はぁ!?ちょっ…やめ、」
ちゅ、ちゅ、と唇だけでなく顔中に口付けられる。言ってることもやってることも意味わかんねえんだけど!
「ちょ、なんっ…ちょっと待て!なんだこれ!なんでこんな…」
「好きだよ灰崎」
街頭に照らされた虹村さんの目はしっかりと俺の目を射抜いていた。頬に添えられた手が熱くて緊張が直に伝わってくる。きっと嘘じゃない。凄く真剣に、虹村さんは思いを伝えてくれている。ずっと欲しかった言葉だった。ずっとずっと、聞きたかった言葉だった。灰崎は?と聞く声が優しい。きっと答えが分かっているのだろう、にやける顔がまたかっこよくてムカついた。
「俺も…虹村さんが好き……んっ」
「…先に言われるかと思って焦ったわ。………灰崎、ありがとうな」
あと、これからよろしく。キスしながらそう笑う虹村さんの笑顔に俺はつられて笑うのだった。
「来年から日本?」
「ああ、親父の治療の目処が立ってな。俺が向こうのハイスクール来年卒業したらこっちに戻ってこれる。そしたら上手く行けばその次の年に大学入学できるな」
つまり灰崎と同学年だな、と虹村さんは笑った。なんでも虹村さんはホリデーを利用してオープンキャンパスに来ていたらしかった。つまり俺と同じ大学第一志望で、上手く行けば同じ大学に通うことになる。虹村さんとのキャンパスライフ、すげえ楽しそう。
「オープンキャンパスついでに赤司に連絡したらメシでも食おうってなって。WCで帰った時は別な奴と会ってて赤司達とはゆっくり会えなかったからな」
「赤司………達?」
「?おう、赤司以外もみんないたぜ」
てことはあれ赤司と2人きりじゃなかったってことか…!?俺は早とちりでとんでもない勘違いをしていたんじゃ…それ赤司にバレてたよな、絶対。てかアイツ絶対全部分かってるよな…!?
「うわああああああ!!!」
「なに叫んでんだよ。あ、お前誘わなかったことか?灰崎番号変えたろ?連絡出来なかったんだよ。それにあいつらとあんま仲良くなさそうだからそもそも来なさそうだし」
いやそっちの心配じゃねえんだわ。
今後大会とかでどんな顔して会えばいいんだよ。そもそも全部バレてそうだけど、自爆するのとしないのとでは大分羞恥心が変わってくる。悶えていると、いつの間にか見知らぬ通りに来ていた。ここどこ?
「あ、今から俺ん家行くから」
「は!?」
「そう、家。たまにばあちゃんが掃除してくれてるからその辺は大丈夫だと思うけど」
いや聞きたいのはそこじゃない。えっなんで家?家に行って何す…ナニすんの!?!
「俺明後日にはアメリカ帰んねえと行けないから。…せっかく両想いって分かったんだからな、今度は逃がさねえから」
猛禽類かっていう虹村さんの視線に嫌ですなんて言えず。俺はその日文字通り美味しくいただかれたのであった。…展開が強すぎる。
*
「んじゃあな、灰崎」
ぽんと俺の頭に手が置かれる。虹村さんはもうすぐ飛行機に乗って、アメリカに帰る。結局空港まで見送りに来てしまったのだけども。虹村さんはこれから約1年会えないというのにどこか楽しそうだった。
「ところでお前なんで真夏にタートルネックなんて着てんの?」
「虹村さんのせいだろ!?」
あの後丸一日離してもらえず、アッーなことはもちろんとてもじゃないが素肌は見せられない状態になってしまった。石田さんとバスケの試合見に行く予定だったのに全部パァだよクソったれ。
「灰崎のことは信用してないわけじゃねえけどな、お前無防備だし彼氏としては心配なのよ」
無駄にかっこよくなっちまったしなー、とかいいながら本気で悩んでるんだけどこの人。無駄は余計だよ馬鹿。
「心配しなくても虹村さん以外興味ねえよ。何年好きだったと思ってんだよ」
こちとらあんなに忘れようとして忘れられなかった筋金入りだぞ。なめんな。誰が来ても負ける気しねえよ。
「じゃあ、俺が帰ってくるまで大人しくいい子にしてろよ、灰崎くん」
「…虹村さんこそ、浮気すんなよ」
お前しか見えてないから安心しろよ!そう言って虹村さんはゲートの向こう側に消えていった。両想いになったと思ったらすぐに遠距離って、中々カミサマも意地悪だと思う。でも今の俺たちなら何でも乗り越えられる、そんな気がしている。
「灰崎?」
………気のせいかな、見知った声が聞こえる気がすんだけどな。最近色んなことがあったから疲れ溜まってんのかな。
「も〜峰ちんのせいで虹ちん行っちゃったじゃ〜ん」
「だァから悪かったって言ってんだろ!てか原因は緑間がおは朝見るって聞かなかったからだろ」
「おは朝は絶対なのだよ」
「開き直らないで大ちゃん!ミドリン!」
「ゲエッまたショーゴくんいるじゃん!なんで!?」
「灰崎くんも見送りですか?」
気のせいじゃねえな。見た目も会話も喧しい集団がいるな。確実に。
ピロン♪
『from:虹村さん
題:ついでに
-----------------------------
あいつら呼んでやったからちゃんと仲直りしろよ。感謝しろ。
浮気はすんなよ』
「ふっざけんなああああああ……!」
俺の絶叫は飛行機の想い人に届くことはなく空港中にこだまして終わった。
「は〜い〜ざ〜き〜く〜ん?」
「ぃだっ」
ゴイィィィイン、と大きな音が頭の中に響いた。暖かい季節、こういう日は屋上で気持ちよ〜く寝るのに限る。素晴らしい昼寝タイムだ。…まァ、たった今邪魔されたから秒で終わったんだけど。
「お前はいつもいつもサボりやがって!!いい加減にしやがれ!!!」
「いっだだだだだ!!!痛い!!分かったから離せ!!!!!!」
敬語使えや!!!!!!と叫びながらこめかみが無くなるんじゃないかってくらい圧をかけてくるこの鬼、もとい悪魔は虹村修造という。強豪帝光中バスケ部を従える主将である。練習サボる俺をどういう訳か絶対見つけ、ボコボコにし、そして連れていく。最早日常の風景と化してしまっているが俺は大変不本意だった。必死で逃げても絶対捕まるし、ボコられるし、メニューは増やされるし。全く意味が分からん。
「っもうほっとけよ!!なんで毎回毎回迎えにくんだよ暇人かよいだだだだだだいだい!!!」
こめかみにかかる力を何とか分散させようと、もがきながら訴えるが余計に力が増しただけだった。この鬼主将どんな馬鹿力してんだよいい加減脳みそ弾け飛びそうなんだけど。
「おめーは一旦来るようになったかと思えばまたすーぐサボりやがって。実力あんだから練習しろ、よっ!!!」
「ぐえっ」
言いながら虹村さんは俺を地面に叩きつけた。思わず蛙が潰れたみたいな声出ちまったじゃねえか。本当にこの人強豪校の主将か?本当乱暴だしスポーツマンシップとかゼロなんですけど。虹村さんは大きな溜息をつきながら俺の襟首をぐっと引いた。いや近い近い近い。
「灰崎、そんなに心配すんな。お前なら大丈夫だよ」
「はぁ?!」
「だから練習に来い。いいな」
そのまま腕を引かれ強制的に部活へと連行される。何が大丈夫なんだよ。主語ねえしそんなんで練習に来いとか、全く意味わかんねえんだよ。てか俺別に心配なことなんて無いし。ついに頭バグったんか。本当に意味がわからない。全然わからない。顔と掴まれてる腕がじわりと熱くなっていくばかりで浮かんでは消えるたくさんの文句はどれも言葉にならなかった。
「灰崎くん、本当に最近よく練習出るようになりましたね」
「………そんなことねえだろ」
「いやありますよ。なにかきっかけがあったんですか?」
先程ゲロって休憩中のテツヤが死にそうな顔で問いかけてきた。いや俺と話してる場合かよ。………テツヤにじっと見られると何でもバレる気がしてなんか居心地悪いんだよな…つい話してしまう、というか。
「…別に大したことはねえよ。もう殴られるのは嫌だからな」
「虹村主将ですか」
「それ以外いねえだろ。つーかお前はそんなこと気にしてる場合かよ赤司がこっち見てるぞ」
赤司の視線に気づいたテツヤは慌てて起き上がり練習に戻っていった。テツヤの言う通り、俺はサボりの頻度が徐々に減っていた。虹村さんにあんなことを言われたから、という訳では断じて無いがサボると虹村さんの言うことを認めてしまう気がして嫌だった。別に、ちゃんと行けば喜んでくれるからとか笑いかけてくれるからとか、そんなことが理由では無い。断じて。自分らしくないことばかり考えてしまうのはこんなところにいすぎたせいだ。今なら鬼の虹村さんもいないし赤司は取り込み中。…フケる絶好のチャンスじゃん。そう思ってこっそり出口に向かおうとした時肩が急に重くなった。恐る恐る振り返る。当たり前のように超絶笑顔の(俺にとっては般若の)虹村さんが肩を組んでいた。とてもどいてくださいと言える雰囲気では無い。
「灰崎」
「………なんスか」
「おめー今度の部活休みの日曜日予定あるか?ねえよな」
「いやいやいやなに勝手に決めてんだよあるかも知れねえだ、イダッ」
バシィ!!!!と凄い音が俺の頭から発せられた。そろそろ脳細胞無くなるんじゃねえのこれどうしてくれんだよ。
「 敬 語 」
「………すません」
「まあいいわ。とりあえず日曜日駅で10時待ち合わせな。ゼッテエ遅刻すんなよ」
凄いいい笑顔だったがそれが逆に怖すぎてウス、としか言えなかったし当たり前のようにフケようとしたのがバレててペナルティ食らった。解せん。
「お、時間通り来たな」
「虹村さんが来いって言ったんじゃないすか」
約束の日曜日、10時ちょっと前。柄にもなく早起きしてしまい珍しく時間通り駅に向かった。虹村さんは時計を見ながら壁に背を預けていたけど、目が合うと手を上げてこっちこっちと手招きした。近づくなり頭をガシガシしてくる大きな手を払うとハハ、と嬉しそうに笑った。胸がきゅ、となった気がして慌てて視線を逸らす。
「…んで、今日は何なんですか」
「今日はな、デートだ」
…は!?
俺がぎょっとしたのを見ておかしそうに笑いながら虹村は歩き出してしまった。いや置いてくなよ!
「次はあそこのスポーツショップ行くか」
まあ当たり前というかなんというか。バスケ用品巡りというのがデートの正体であった。俺も新しいバッシュ欲しかったしちょうどいいか、と思い付き合っていたけれども。驚いたことに休日の虹村さんはよく笑い、いつものように俺をしばくことはあまり無かった。お前にこれ合うんじゃねえの、とか月バスの話とか。普通にバスケが大好きな青年であって般若の面影は全く見られない。…主将じゃない時はこんな顔すんだな。新たな一面を知れてちょっと嬉しいと思ってるのが悔しい。
「よし、結構歩いたしそろそろなんか飲もうぜ」
虹村さんはそう言った時、ちょうど近くにコーヒーショップがあった。お前これでいいか、と確認してさらっと買いに行き、ん、と俺にコーヒーをくれた。
「………あざす」
「おーい奢ってやったんだからもうちょい嬉しそうな顔しろや」
「いやなんか、」
そういうさり気ないところ、かっこよくてムカつく。思わず言いかけて口を噤む。虹村さんは不思議そうな顔をしていたがまあいいや、次行こうぜと深く突っ込まなかった。セーフ。
結局色々見て回って、バッシュを買って、ゲーセンとか行って。何事もなくフツーに遊んだ訳だけど。
「いやこれほんと何なんですか?」
公園で休憩してさて帰るかというタイミングでの俺の問いかけに、ん?と虹村さんが振り返る。いやだってバッシュ買うなら普通にタメ誘えばいいし。なんで俺?言いたいことが顔に出てたのかちょっと考えて当たり前のように言った。
「最初に言ったろ。デートだよ」
からかっているような雰囲気でもない。夕日に照らされた笑顔が柔らかくて、目が離せなかった。虹村さんの手が俺の頬に伸びる。思わずびく、と反応してしまうと虹村は手を引っ込めた。
「あ…」
残念そうな、物欲しそうな声が自分の口から零れてしまって。なんかもう凄く恥ずかしくて、柄にもなく照れてしまったしもう虹村さんの顔を見れなかった。
「お前、俺以外の前でそういう顔すんなよ」
どんな顔だよ。てかどういう意味だよ。俺の事どう思ってんだよ。意味わかんねえよ。いつもたくさん言いたいことがあるのに、いつも何も言えず終わってしまう。そんで虹村さんだって俺を大切そうな目で見てくるくせに肝心なことは何も言わないから俺たちはずっと先輩後輩以上、のようなそうでないようなふわふわした関係だ。それがすげえムカつく。ムカついてる自分にもムカつくし、虹村さんにもムカつく。でもおかげで分かってしまった。認めざるを得なかった。
俺は、虹村さんのことが好きだ。
好きだと気づいたものの特に代わり映えのしない日々を過ごしていた。最近は比較的ちゃんと部活に出ていたけれどサボった時はしっかり虹村さんにボコられて、部活に連行されて。たまに一緒に帰って、たまに出かけて、たまに手を繋いで、そんで結局バスケして。そんな日々をらしくもなく楽しいなんて感じてしまっていて。ああ俺、この人の隣にいていいんだと思っていた。都合のいい夢も永遠もあるはずないのに。俺はまだ中2のガキだったから。そんな日々が永遠に続くと思ってたんだ。
「主将が赤司くんに変わる」
その事を聞いたのは、サボったのに珍しく虹村さんが迎えにこなかった日の、次の日だった。迎えにこないなんて滅多にないから風邪でも引いたのかと思って部活に顔を出した。そこで目にしたのは指示を出す赤司とただ練習に打ち込む虹村さんという不思議な光景だった。
「…らしいですよ」
「え……」
なんで。
声にならない問いにテツヤは静かに答える。昨日のミーティングで発表されたけれど、理由は明かされなかったこと。虹村さんも納得の上の主将交代であるように見えたこと。大丈夫ですか、なんてテツヤの声が聞こえた気がしたけど俺は無視して体育館を飛び出していた。いつもの虹村さんの怒声は聞こえなかった。
それから虹村さんは俺がサボっても、フケても全く迎えにこなくなった。前のように一緒に帰ることも、休日に出かけることも無くなった。それどころか学校の中でも部活中でも話しかけてこない。一度思い切って声をかけたことがあるが、会話は事務的で目も合わせてくれず、前みたく笑ってくれることも怒ってくれることも無かった。
*
「本当なんであんたなんて産んじゃったんだろうね」
金たかるし最悪、と渋々1000円札を差し出す女は俺を産んだ女であった。今日の晩メシは、と聞いただけでこのザマである。厚い化粧をして、露出の多い服を着て。あたしこれからデートだから夕飯くらい1人で何とかしてよと言い放って女になった母は出ていった。いつものことである。俺の母親は子どもは放置し男に貢ぐ様な女だった。兄貴と俺は異父兄弟であり誰が父親かも知らない。そんな環境のためか俺のせいで母親が荒れてるとでも思ってるのか、兄貴はなにか気に食わないことがあると俺をよくサンドバックにしていた。せっかくの食費も取られるし、ボコボコにされる。今日こそ兄貴がいない間に家を出なければ、また奪われて一文無しだ。立て付けの悪いドアを開けて家を出る。中学生が出歩いていい時間ではないが仕方がない。夕飯確保に行かなければ。
フラフラと歩きながら、思い出すのは虹村さんの事だ。俺は家族がいる間はできるだけ家にいたくない。そんな中で出会ったのが虹村さんだった。ウザイほど構ってきて、今までのろくでもない人生で初めて俺を真っ直ぐ見てくれる人だと思っていた。バスケすら気まぐれに始めてどうでもいいと思っていた俺が、虹村さんだけは信じていた。バスケと出会えてよかったとすら思っていた。人を羨まなくても、奪わなくても。きっとこの人ならと思っていた。
「それも勘違いだったってことか…」
あの人は主将として、チームの糧になるから俺に構っていただけだった。俺以外の前でそんな顔すんなとか、手を繋いだりとか。そういうことも全部、全部嘘だった。
「はは、あんな善人ぽい顔してえげつねえの…」
自分が子どもで、馬鹿みたいで、涙すら出てこない。結局のところ俺みたいな奴は人と足並み揃えて生きるとか到底無理って話だ。人のモン奪って生きるのが俺らしい生き方なんだ。
もうどうでもいいや、という独り言は空に掻き消えていった。
その後、俺は見事に元通りになった。
女遊びも喧嘩もするし、サボるし、人のモンも奪う。どんどん孤立していくのは分かっていたがやめられなくて、そのうちリョータが入ってきて赤司に退部させられて。俺はまた一人になった。
実は主将を降りた理由と冷たくなった理由をどうしても知りたくて虹村さんを訪ねたことがある。引退してもたまにバスケ部に顔を出してたのは知っていたから体育館に行けば会えるんじゃないかと思っていたんだけど。部員に見つからないようにコソコソしていると、すぐ傍で虹村さんと3年の先輩の声が聞こえてきたので思わず身を潜めた。
「虹村、本当に良かったのかよ灰崎のこと」
お前誰よりも気にかけてたじゃねえか、という先輩の問いに少なからずドギマギしていた。良くねえよって言ってくれるんじゃないかなんて淡い期待は直ぐに打ち砕かれたのだけど。
「退部したやつのこと振り返ってもしょうがねえだろ。バスケを捨てることを選んだのはあいつ自身だ。あいつの事はもういいんだ。前を見ねえといけねえんだよ」
変わらなかったのは、灰崎だ。
そう言う虹村さんを追いかけることは出来なかった。自分が虹村さんにとって既に過去であることを知ってしまった今、もう二度と虹村さんと話をする気力なんて湧かなかった。
結局、一度も話をすることは無く虹村さんは卒業していった。
*
それから高校生になった俺は驚いたことにバスケをまだ続けていた。俺が退部してからキセキの世代って言われるようになったのがムカつくからだ。静岡の祖父母の家からほど近い、バスケ強豪校の福田総合学園高校に進学を決めた。
「俺に逆らってんじゃねえよ!!」
思いっきりひっぱたいてやるとセンパイはすまん、と悔しそうに謝った。そうだ、それでいいんだよ。楽しそうにバスケをしてる奴ら、才能なんてねえ癖に懸命にバスケしてる奴ら、全部ムカつく。イライラする。
「灰崎!いい加減に…」
「っせーよクソが!」
名ばかりの主将の石田もその他の俺にビクついてる全ての奴にも腹が立ってしょうがない。どうすればイライラが治まるのか全然分からない。そのイライラの原因が俺を追い出したキセキの世代の奴らか、弱いこいつらか、それともあの人かそれも分からなかった。だからキセキの世代に勝つんだ。そうすればきっと嫌な過去もイライラも忘れられる。きっと、あの人のことも。
そして迎えたWC。
俺は夜空を眺めながら地べたに寝っ転がっていた。せっかくキメたコーンロウも汚れちまうし。ダイキめ、思いっきり殴りやがって。これ1週間しか持たねえんだぞ。しかも洗えねえし。
テツヤがリョータを応援していたことも、俺に勝ちやがったリョータも、この結果を予測していた赤司も。全部全部ムカつく。いやムカついていた。あんなにイラついていたのに今はそういうのは全くない。ダイキに止められてすっと憑き物が落ちたような感じだった。その証拠に今度はバッシュは捨てられなかった。
「何してんだ俺は……」
捨てられないついでに何となくWC決勝戦まで見に来てしまった。他のメンバーは先に帰ってしまったので俺だけである。何故見に来たのかと問われると非常に困るのだが、赤司が負ける所を見たかったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。自分が何をしたいのかよく分からなかった。
ただ、テツヤ達の全力で楽しむ仲間たちとのバスケを見て何となく本当のバスケってこういうもんなのかな、これはこれで少し楽しそうだなと思ったのは確かだった。アイツらのバスケは不思議だ。自分の中のぐちゃぐちゃした感情が少しずつ解けていく感じがする。キセキの世代なんて越えなくても俺は少しずつ、前を向けているのかもしれない。アイツらのおかげであの人の事も、もしかしたら忘れられるかもしれない。
“誠凛高校─!ウインターカップ優勝─!!”
アナウンスを聞き、どこかすっきりした気持ちで会場を後にしようとした時。
「…灰崎?」
ザワザワとした喧騒が遠のく。その低い声だけがやけに響いていた。
「に、じ…」
心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。
もう二度と会うことはないと思っていた。身長は俺のが少し高くて、でも顔つきも何もかも変わっていない。なにも変わらないアンタに聞きたいことは沢山あった。どこでどうしていたのか。なんで主将降りたのか。てかなんで俺に平気で声掛けてきてんのか。俺の事、どう思ってんのか。
「っ、」
「おいっ…!」
聞きたいことが脳内で飽和した末、俺は灰崎!と呼ぶ声を無視して脱兎のごとく逃げていた。いや話すのなんて無理すぎる。
「は〜い〜ざ〜き〜く〜ん?」
「いっだだだだだだだだだァ!!!!」
まあ、逃げ切るのも無理だったんだけど。
「おっ前なに普通に逃げてんだよ!!てかなんだよこの髪型!!!!」
「髪はいいだろ別に!つか…アンタと話すことなんて何もねえんだよ!!」
ほ〜う?と拳をゴキゴキ鳴らす虹村さんに少しビビるがここで負けるわけにはいかなかった。色々飽和して会話なんてゼッテェ無理。
「お前になくても俺にはあんだよ。…見てたよ、黄瀬との試合。なんであんなことした」
「………」
「お前あんなことするやつじゃなかったろ。退部してから何があったんだよ」
…本当に、何も分かってねえんだなアンタ。
俺の事何でも知ってるって顔してんのにな。あんたと話すと、汚い感情で頭がいっぱいになる。あんたに会うと、俺はぐちゃぐちゃになっちまうんだよ。
「…退部してからどうとかいう問題じゃねえんだよ」
「なに…」
「お前こそ、なんでここにいんだよ。なんで俺に話しかけてんだよ。俺の事なんて利用してただけだったんだろ」
虹村さんは驚き、傷ついたような顔をしていた。…………なんでアンタがそんな顔すんだよ。
「お前が何にも言わずに主将降りて俺の事捨てたんだろ!お前が!………せっかくアンタのこと忘れられるかと思ったのにっ…二度と現れるな!!!」
一度口に出してしまえば二度と戻らない。無かったことには出来ない。そんなこと頭では分かっていたつもりだった。でも目の前にしてしまえば、抑えきれるはずもなかった。
だって虹村さん、俺はアンタに本気で惚れてたんだから。
*
『灰崎、ほら』
『こうしてれば逃げらんねぇだろ』
『絶対離さないから、逃げようなんて思うんじゃねえぞ』
『なぁ灰崎─』
けたたましいアラームの音で目を覚ます。また懐かしい夢を見たのは、恐らくあれが原因だろう。ポリポリと頭を掻いてそういえばコーンロウ戻したんだった、とぼんやり思い出す。
あの後呆然としてる虹村さんを置いて静岡に帰還を果たした次の日すぐコーンロウを解き色も地毛の灰色に戻した。リョータに負けるわダイキに殴られるわ、あの髪型にしてからいい事なかったんだよな…
はァ〜学校行きたくねえ…けど行かないとばあちゃん達に連絡行くし、スゲェ心配するし。仕方ねえか…あとはまあ、することないと余計なことを考えてしまいそうだったし。とりあえず何でもいいから気を紛らわせたかった。
キーンコーンカーンコーン─
欠伸をしながら帰宅準備をする。学校には行ったけど、部活に行く気は全然起きない。負けちまった後だしバスケしてたらあの人のことばっか考えちゃいそうだし。俺実はスポーツ特待だから行かないと中々ヤバいんだけどな。
行く気が無くても体育館の前を通るとバッシュのスキール音が耳に入り思わず足を止めてしまう。長年染み込んだ習慣のようなものなのだろうと思うとなんとも言えない気持ちになる。
「灰崎!」
さて帰ろうと体育館に背を向けた時、バタバタと慌てたように声をかけてきたのは元主将の石田さんだった。
「ほら」
「…ッス」
放られたジュースを受け取り礼を言うと、石田さんはとても驚いた顔をしていた。そういや俺、お礼とか言ったことなかったな。
「WC、お疲れ様」
「…おう」
「灰崎にしては大人しいな。もしかしてWCの帰りなんかあったのか?」
この人、大人しい顔して結構ズバズバ切り込んでくるんだな。1年間一緒に部活してたけど知らなかった。まあ俺、あんまり練習参加してなかったからな…仕方ないか…
「リョータに報復しようとしてダイキに止められた。…そんで、そんで…………」
石田という人間は非常に誠実で穏やかな人柄である。この人がいくら俺に恨みを持っていても誰彼言いふらしたりなどしないということは分かっていた。でも、言えなかった。虹村さんとのことはどうしても。石田さんは俺の葛藤を汲み取ってくれたのか、それ以上聞いてくることは無かった。
「灰崎、バスケは好きか」
「……………バスケなんて何とも思ってねぇよ」
「でも、嫌いじゃないんだろ?」
揚げ足取るなよ。
そう言ってやりたかったけど言葉は何も出てこなかった。事実、その通りだったから。
「灰崎、バスケ部に行こう」
「…行けるわけねぇだろ」
「そりゃああんな態度取っておいて負けてお前にとっちゃ顔出しずらいだろうな。でもそれは自業自得だからな」
ズバズバズバズバ、言葉の刃が止まらねえんだけど。俺中々酷いことしまくったし恨まれて当然だから仕方ないけどさ。でも石田さんは俺の顔をしっかり見つめながら話してくれた。例え恨まれていたとしてもそのことが凄く嬉しかった。
「灰崎の顔を見りゃ分かるよ。お前がバスケしたがってること。正直部員はお前に対して恨みあるやつがほとんどだし許してもらえないかもしれない。でもだからこそ、バスケで返していくしかないんだ」
俺も一緒に行くからさ、と朗らかに笑う石田さんに、この人は人が良すぎて絶対損するタイプだと思った。
「…今までのこと、悪かったと思ってる。許してくれとは言わねえ。ただ、バスケはさせて欲しい」
石田さんに連れられて部活に出た俺が開口一番に謝罪など口にした上に頭を下げたのだから、望月達他の部員はあんぐり口を開けていた。頭を下げながら、そりゃあそうだと自嘲した。今までのことを考えたら許されるはずもない。
「………そう簡単には許せない。皆本当に辛い思いをした。だから、許して欲しいならバスケで貢献してほしい」
思わず顔を上げる。新主将になった望月さんだった。俺が戸惑いを隠せずにいるとあの強面で困ったような表情をする。お前から言い出したことだろって言われて、いやそうだけどでも。
「退部じゃ…ねえの」
「なんでだよ。そんなホイホイ退部なんてさせられるわけないだろ」
望月さんや部員たちが笑って、石田さんが嬉しそうに俺の肩を叩いた。正直俺はいくら石田さんがいても帝光中の時のようになると思っていたから不思議な気持ちだ。
…俺、ここにいていいんだ。鼻がツンとして柄にもなく泣きそうになったけれどそれは意地でも我慢だ、キャラじゃ無さすぎる。
「『よくやったな灰崎!』」
蜃気楼のように頭に浮かぶあの人の顔を振り払う。俺にとっての先輩はもう石田さん達なんだと、自分にそう言い聞かせた。
それからは、別人かと言われるくらい(俺にしては)真面目に部活に打ち込んでいた。元の性格は中々直らないし俺がしてきたことは無くならないので度々部員と衝突するし、今までコミュニケーションなんてとってこなかったから連携もボロボロなんだけど。前よりも充実感はあるし女遊びも喧嘩もやめてしまった。
「灰崎、本当に変わったな」
「望月……さん」
「敬語だけはまだまだだけどな」
はは、と笑う望月さんは意外と表情豊かで、よく見たらそんな強面でもなかった。他のメンツも少しずつ話をするようになった。話してみると意外な発見があって楽しい。バスケ部と少しずつコミュニケーションを取るようになって、今度はクラスのやつらと会話するようになって。
ああ俺、ここにいていいんだな。そう思えたのは人生で二度目だった。
『明日もちゃんと部活来いよ』
『来ねえと迎えに行くからな』
『灰崎─』
自分の居場所を見つけて、バスケに打ち込んで。自分には似合わない充実した日々を送っている。
虹村さん、俺ようやくアンタのこと忘れられそうだよ。
*
そうして無事、高校2年生になった。
虹村さんのことを思い出して苦しくなるような事は、少しずつ減っていた。
「石田さん、大学生活はどうすか?」
「楽しいよ。東京は色んなやつがいるよな」
コーヒーを啜りながら楽しそうに話す石田さんは、春から東京の大学に進学している。バスケ強豪校に入学を果たし、日々バスケ漬けの生活を送っているらしい。今日は夏休みを利用して石田さんの大学に遊びに来ていた。同じ大学に進学を考えているのでちょうど良い。
「今日オープンキャンパスもやってるから中々人が多いんだよな」
大学内のカフェテリアは人で溢れていた。
制服の高校生がやたら多いのはそういう事か。へー、と相槌を打ちながら外を眺める。人混みの中こちらを見ている男と目が合う。途端、時間が止まった気がした。
「─虹村、さん…?」
忘れたと思っていた。俺は前に進んでいるし、もうあの人のことで苦しむ必要はないとそう思っていた、けど。ひとめ見て蘇ってしまう。あの人の手の大きさ、力の強さ、背中の広さ、笑顔、怒った顔、汗の香り、試合中の真剣な顔。忘れるなんて、到底無理な話だったんだ。
「ごめ、俺帰る」
「灰崎!?」
動悸がして、手が震える。一刻も早くあの人の視界から消え去ってしまいたかった。驚く石田さんを置いてけぼりにするのは心苦しいがこれ以上ここにいることは出来そうにない。カフェテリアを出て人混みを縫うように進む。後ろを振り返ることは出来なかった。
「灰崎!!!」
「っ!」
人混みを抜けて校舎裏みたいなところに来た時、左手を掴まれた。息を切らして、必死な顔して。アンタ、そんなに俺と話したかったの?…左手、痛いんだけど。
「灰崎、待て、待ってくれ頼むから!」
「嫌だ、離せっ!」
話すのなんて無理だろう。
だって、アンタの顔を見るだけで頭ん中ぐちゃぐちゃになってしまうんだから。これ以上耐えきれる気がしなくて左手を振りほどこうとした途端、ぐっと引っぱられる。瞬間目の前に広がる虹村さんの顔、強く香る匂い。気づいた時には唇が塞がれていた。
「ん…!?」
自分が何をされたのか分からなかった。アンタ俺の事利用してただけなんだろ。裏切っただろ。意味わかんねえよ。そんで1番意味わかんねえのは、拒否出来ない俺自身だ。
「ふう、んんッ…」
虹村さんの舌が口の中に入ってくる。
この人のこと勝手にドーテーだと思ってたけど勘違いだ。めっちゃキス上手い。頭がぼんやりして、腰に添えられた手からびりびりしてくる感じ。虹村さんの肩にしがみつくのがやっとだった。
「灰崎!!」
石田さんの声が聞こえて我に返る。ドン、と虹村さんを押すと同時に石田さんが現れた。あぶねええぇぇ。汗だくで俺を追いかけてきてくれたらしかった。キスしてた所は見られてない………多分。
「灰崎、大丈夫か…!?急に走り出すから焦ったよ」
「あ、悪ぃ」
突然走り出したらそりゃあ心配するわな。緊急事態だったとはいえ申し訳ないことをしたかもしれない。
「…えっと、ところで灰崎、こちらの方は…」
「俺は虹村修造といいます。中学時代の灰崎の先輩です」
先程は失礼しましたと丁寧に詫びる虹村さんはさっきの面影すらない。石田さんは驚いた顔をして虹村さんを凝視していた。
「あ、俺は石田英輝です、灰崎は高校時代の部活の後輩で……って虹村ってあの虹村…!?中学ナンバーワンプレーヤーの!?」
「あー懐かしいすね。そう呼ばれてたこともあったけど…」
石田さんは虹村さんを知っていたみたいで、会話がえらく盛り上がっていた。…なんか俺だけいたたまれないんだけど。
「あ、悪い灰崎。つい盛り上がってしまって。そろそろ行くか。じゃあ虹村、またな」
「おう、また」
いつの間にかタメ口になってるし…まあでも石田さんのおかげで虹村さんから逃げられるし、正直助かった。後ろから痛いくらいの視線を感じながら、逃げるようにその場を後にした。
石田さんは特に何も聞いてこなかった。
流石に虹村さんと何かあったって勘づいてると思うけど、聞かないのが石田さんらしい。本当に優しいんだな、この人。
「石田さんは…もし好きな人が突然裏切ったらどうする?」
「え?」
何を聞いてんだ俺は。
せっかく石田さんが気づかないふりしてくれてるのに俺が自ら自爆してどうする。めちゃくちゃキョトンとしてるじゃねえか。しかしそこは流石の石田さんである。突拍子もない質問だったけど少し考えて答えてくれた。
「うーん…話を聞くかな」
「怖くねえの?」
「怖い。けど怖くても好きな人にはちゃんと向き合いたいって思うかな」
向き合う…か。
そういえば俺、あの人と腹割って話すってしたことないかもしんない。思えば虹村さんはいつでも真剣に向き合ってくれていた。それなのに俺は裏切られたってずっと逃げてばかりで。挙句人を攻撃して、奪って、傷つけて。それは全部俺の弱さのせいだったのに。
─気づいてしまった。俺、ずっと全部虹村さんのせいにしてたんだ。血の気が引いていく感じがした。自分のしでかしたことの大きさと重さが今更のしかかってくるような気がして足が震える。自分の馬鹿さ加減は自覚しているつもりだったが、実の所全然分かっていなかった。散々逃げて傷つけた俺が虹村さんと向き合って、それでどうなる?
「…もう、手遅れかもしんねーだろ」
「手遅れでもいい。向き合わなかったことの方が絶対後悔する」
向き合わないことの方が絶対後悔する。
震える声で問いかける俺に石田さんは真っ直ぐに目を見つめ、はっきりとそう言った。
石田さんの言葉がすとんと胸に入ってくる。ああそうだ。俺きっと、今行かなかったら後悔する。手遅れでもいい。今、虹村さんに会いたい、話したい、向き合いたい。
「石田さん、俺ちょっと行ってくる!」
「おう、気をつけてな」
急にいてもたってもいられなくなって鞄を引っ掴み店を飛び出した。落ち着いたら連絡しろよ、と笑っていた石田さんには今度何かご馳走しよう。
「はァ、いねえ…!」
大学まで戻ってきたけど虹村さんの姿は無かった。オープンキャンパスも終わったらしく人っ子一人いねえ。虹村さんが今どこで何してるかなんて知らねえし、家がどこかとかも聞いたことない。とにかく、探し回るしかない。
「クソっ」
大学周辺、帝光中周辺、二人で出かけた場所─とにかく必死で探し回った。その間に時間はすっかり夜だ。もしかして、もう東京にはいないのだろうかなんて嫌な想像を頭から振り払いもう一度居そうなところを探し直そう、そう思い駆け出した時だった。
「虹村さん、ここの店はどうでした?」
─灰崎、退部しろ。
思い出すのは氷みたいに冷たい声と視線。振り返った先にいたのは、俺に退部勧告をした時とは違う、柔らかく話す赤司と楽しそうな虹村さんだった。
「赤司オススメの店だけあって美味かったぜ。さすがだな」
「お褒めいただき光栄です。ところでこの後は─灰崎?」
今だから言えることだが、赤司は得体の知れない感じがして当時からあまり近づきたくない存在だった。虹村さんは随分信用していたみたいだけど俺は全然その気持ちが理解できなかったのを覚えている。要は俺にとっての天敵である。出来ることなら逃げ出したい。しかも虹村さんと2人きりで食事って、もしかしてそういうことなのではないかとも思うしそしたら俺超お邪魔虫じゃん。…でも、ここで逃げたら石田さんに顔向け出来なくなる。行け、漢灰崎。今にも反対方向に進みそうな足を叱咤してズンズン進み、赤司の真ん前に立ってやった。流石に目を丸くして驚いてたっぽい。ちょっと優越感。
「赤司悪いけど、この人ちょっと借りるわ」
「………なるほど。いいよ、好きなだけ話してくるといい」
久しぶりにした会話がこれってどうなのかと思わなくもないが。お墨付きを貰ったわけだしまあいいか。まだ混乱してる虹村さんの手を取って赤司にサンキュ、と告げた。
*
「サンキュ、か…」
会話したのは退部勧告以来だったか。黄瀬に負けてから随分様相が変わっていたように感じる。昔は目が合えば誰彼噛み付いて、人のものを奪い、手がつけられなかった。…当時から虹村さんには心を開いていた様子だったがまさかそういうことになっていたとは。
「あれ〜?虹ちんは〜?」
「えってかあれショーゴくんじゃないスか!?」
「はあ、灰崎!?」
「えっ灰崎くんいたんですか」
「虹村さんと一緒に消えたのだよ」
「あのふたり、仲良かったんだね!」
店の奥からドヤドヤとカラフルな面子が降りてくる。そういえば灰崎はなにやら勘違いしていたようだが…まあ、あの様子だと大丈夫だろう。あれは決意した者の目だ。
俺は、2人からのいい報告を待っていよう。
*
虹村さんの手を掴み連れてきたのは人気のない公園だ。バスケットコートがあり昼間はそれなりに賑わっているが今は誰もいない。話すにはうってつけだ。
「虹村さん」
「お、おう…灰崎」
虹村さんは急に俺が現れたからかとてもびっくりしていた。俺、逃げてばかりだったし全くの想定外だったのだろう。まだ状況が掴めていないようだった。
「虹村さん、俺ちゃんと覚悟してきたんだ。今まで逃げててゴメン。ちゃんと腹割って話したい。…ちゃんと、虹村さんのこと知りたい」
「灰崎…」
「だから、最初からちゃんと話そう。虹村さん」
そっから俺は今までの事を全部話した。家庭環境が最悪だったから虹村さんに居場所をもらえたみたいで嬉しかったこと。最初は本気で嫌だったけど、どんどん迎えに来てくれるのが嬉しくなってワザとサボったこともあったこと。虹村さんが急に主将降りて、迎えにこなくなって裏切られた気持ちになったこと。赤司に退部させられてからも何度か話そうと思ってたこと。何度も忘れようとしたけど無理だったこと。WCで再会して嬉しかったけど、同時に辛かったこと。全部全部、話した。虹村さんは黙って最後まで聞いてくれていた。
「そんで俺、気づいてるかもだけどずっとアンタのこと─」
「灰崎。…まず、俺の話を聞いてくれないか」
虹村さんが視線を落としながら話し始める。どこか言いにくそうな、辛そうな表情だった。
「俺今アメリカにいるんだ。親父が今アメリカで治療してるからそれに着いてってんだよ。ずっと具合悪くて、いつどうなってもおかしくなかった。主将辞めたのもそれが理由だ。家族を守るためなら、その他の全て犠牲にしても構わないと思ってた。そんでそれをお前に言わなかったのは心配かけたくなかったのと、罪悪感で言えなかった。俺はお前と親父を天秤にかけて親父を選んだから。合わせる顔が無かったんだよ。それに本当は灰崎が話しかけてくれて嬉しかったけど、話してたらきっと迷いが出てしまう。そう思ったら話せなかった。ごめんな」
衝撃だった。全く、何も知らなかった。虹村さんがそんな状況だったことも、そんな大変な中で俺に時間を作ってくれていたことも何も知らなかった。俺、虹村さんの都合なんて考えてなかった。自分が自分がってそればっかりで…
「虹村さ、俺知らなくて…ごめんなさ……」
「俺が何も言わず灰崎を避けて無視したのが悪かったんだから気にすんな。あとお前が自主退部じゃなくて赤司から退部勧告もらって辞めたことさっき赤司本人からも聞いた。お前が勝手に自主退部したと思ってたし、バスケを捨てたとすら思ったよ。結局変わらない道を選んだんだって。けど違ったんだな。主将降りたから迎えに行かなかったけど意地はらずに俺が迎えに行けば良かったんだよな、本当にごめん」
虹村さんが俺に向かって頭を下げた。違う、アンタは何も悪くない。俺がしたことは本当に最低だったし俺がそこから変われなかったのは事実だ。むしろ家族が大変な時に他人の俺を構えってのが無茶ってもんだ。アンタだって15歳だぞ。背負いすぎなんだよ。自分の馬鹿さ加減と虹村さんの背負ってたもんを考えると本当にしんどい。そんなことを考えてたからか視界がぼやけて目からぽろぽろ水が出てきた。なんだこれ、止まんねえ。
「おっまえ…泣いてんのかよ」
「うっせ…泣いてねえよ…」
「いや泣いてんだろどう見ても。…灰崎お前、前も言ったけどさ」
だから泣いてねえ、と言いかけたところで目元にちゅ、と口付けが落とされた。びっくりして涙引っ込んだんだけど。え、今、何が起きた?
「そういう顔俺以外に見せんなよ」
「え、んッ…」
「はいこれで2回目。灰崎意外と無防備だから心配だわ」
「はぁ!?ちょっ…やめ、」
ちゅ、ちゅ、と唇だけでなく顔中に口付けられる。言ってることもやってることも意味わかんねえんだけど!
「ちょ、なんっ…ちょっと待て!なんだこれ!なんでこんな…」
「好きだよ灰崎」
街頭に照らされた虹村さんの目はしっかりと俺の目を射抜いていた。頬に添えられた手が熱くて緊張が直に伝わってくる。きっと嘘じゃない。凄く真剣に、虹村さんは思いを伝えてくれている。ずっと欲しかった言葉だった。ずっとずっと、聞きたかった言葉だった。灰崎は?と聞く声が優しい。きっと答えが分かっているのだろう、にやける顔がまたかっこよくてムカついた。
「俺も…虹村さんが好き……んっ」
「…先に言われるかと思って焦ったわ。………灰崎、ありがとうな」
あと、これからよろしく。キスしながらそう笑う虹村さんの笑顔に俺はつられて笑うのだった。
「来年から日本?」
「ああ、親父の治療の目処が立ってな。俺が向こうのハイスクール来年卒業したらこっちに戻ってこれる。そしたら上手く行けばその次の年に大学入学できるな」
つまり灰崎と同学年だな、と虹村さんは笑った。なんでも虹村さんはホリデーを利用してオープンキャンパスに来ていたらしかった。つまり俺と同じ大学第一志望で、上手く行けば同じ大学に通うことになる。虹村さんとのキャンパスライフ、すげえ楽しそう。
「オープンキャンパスついでに赤司に連絡したらメシでも食おうってなって。WCで帰った時は別な奴と会ってて赤司達とはゆっくり会えなかったからな」
「赤司………達?」
「?おう、赤司以外もみんないたぜ」
てことはあれ赤司と2人きりじゃなかったってことか…!?俺は早とちりでとんでもない勘違いをしていたんじゃ…それ赤司にバレてたよな、絶対。てかアイツ絶対全部分かってるよな…!?
「うわああああああ!!!」
「なに叫んでんだよ。あ、お前誘わなかったことか?灰崎番号変えたろ?連絡出来なかったんだよ。それにあいつらとあんま仲良くなさそうだからそもそも来なさそうだし」
いやそっちの心配じゃねえんだわ。
今後大会とかでどんな顔して会えばいいんだよ。そもそも全部バレてそうだけど、自爆するのとしないのとでは大分羞恥心が変わってくる。悶えていると、いつの間にか見知らぬ通りに来ていた。ここどこ?
「あ、今から俺ん家行くから」
「は!?」
「そう、家。たまにばあちゃんが掃除してくれてるからその辺は大丈夫だと思うけど」
いや聞きたいのはそこじゃない。えっなんで家?家に行って何す…ナニすんの!?!
「俺明後日にはアメリカ帰んねえと行けないから。…せっかく両想いって分かったんだからな、今度は逃がさねえから」
猛禽類かっていう虹村さんの視線に嫌ですなんて言えず。俺はその日文字通り美味しくいただかれたのであった。…展開が強すぎる。
*
「んじゃあな、灰崎」
ぽんと俺の頭に手が置かれる。虹村さんはもうすぐ飛行機に乗って、アメリカに帰る。結局空港まで見送りに来てしまったのだけども。虹村さんはこれから約1年会えないというのにどこか楽しそうだった。
「ところでお前なんで真夏にタートルネックなんて着てんの?」
「虹村さんのせいだろ!?」
あの後丸一日離してもらえず、アッーなことはもちろんとてもじゃないが素肌は見せられない状態になってしまった。石田さんとバスケの試合見に行く予定だったのに全部パァだよクソったれ。
「灰崎のことは信用してないわけじゃねえけどな、お前無防備だし彼氏としては心配なのよ」
無駄にかっこよくなっちまったしなー、とかいいながら本気で悩んでるんだけどこの人。無駄は余計だよ馬鹿。
「心配しなくても虹村さん以外興味ねえよ。何年好きだったと思ってんだよ」
こちとらあんなに忘れようとして忘れられなかった筋金入りだぞ。なめんな。誰が来ても負ける気しねえよ。
「じゃあ、俺が帰ってくるまで大人しくいい子にしてろよ、灰崎くん」
「…虹村さんこそ、浮気すんなよ」
お前しか見えてないから安心しろよ!そう言って虹村さんはゲートの向こう側に消えていった。両想いになったと思ったらすぐに遠距離って、中々カミサマも意地悪だと思う。でも今の俺たちなら何でも乗り越えられる、そんな気がしている。
「灰崎?」
………気のせいかな、見知った声が聞こえる気がすんだけどな。最近色んなことがあったから疲れ溜まってんのかな。
「も〜峰ちんのせいで虹ちん行っちゃったじゃ〜ん」
「だァから悪かったって言ってんだろ!てか原因は緑間がおは朝見るって聞かなかったからだろ」
「おは朝は絶対なのだよ」
「開き直らないで大ちゃん!ミドリン!」
「ゲエッまたショーゴくんいるじゃん!なんで!?」
「灰崎くんも見送りですか?」
気のせいじゃねえな。見た目も会話も喧しい集団がいるな。確実に。
ピロン♪
『from:虹村さん
題:ついでに
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あいつら呼んでやったからちゃんと仲直りしろよ。感謝しろ。
浮気はすんなよ』
「ふっざけんなああああああ……!」
俺の絶叫は飛行機の想い人に届くことはなく空港中にこだまして終わった。
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