第九話 組織アポロ

「アポロって、どんな奴らなんですか?」
 午後のカフェボストークで、歩が発した台詞に皆、注目した。
「いきなりどうしたの? プシンカ。」
 瑠璃が問い返すと、歩は思い出しながら話した。
「初めてみんなと会った時、アポロの奴らに追われてると思ってたとかって言ってたから…悪い奴らなのかなと思って。」
「悪い奴らか…どうなんだろうな。」
 嘆息しながら口を開いたのは悠里だった。
「…オレ達は全く解らない内に、アポロに敵対されているからな。あいつらが悪い奴らなのかどうかも解らない。」
「オレ達的には迷惑な奴らではあるんだけどな。」
 言いながら虎徹が頭をガリガリ掻くと、歩は不思議そうな顔をした。
「ふーん?」
 カウンター席にいた鼎は不機嫌な顔になり、カフェの隅にあるボックス席に移動した。
 朔はそんな鼎を見やると、考えながら発言した。
「アポロの奴らは、何がしたいのかな。何がしたくて、みんなを追い回したり、能力者を引っ張り込んだりしてるんでしょうか?」
 朔の疑問に、皆解らないという困惑した顔をした。悠里のみ、表情を変えずにただカップを拭いていた。

 同じ頃。
 とあるアパートの一室で、ずっと布団にくるまっていた人間が這い出してきた。朔や鼎と同年代と思われる、灰色のショートヘアに幼い顔立ちをした少年だった。
 起き抜けの少年は小さく唸る。
「ん…。」
「やっと起きたか、燐。」
 起き抜けの少年はりんと声をかけられ、顔を上げる。表情をあまり動かさず、小さな声で口を開いた。
「……おはよう。嵐。」
 燐の視線の先では彼と同じ年頃の、逆立てた髪を金色に染めた少年が苦笑していた。
「もう昼だ。ほら、早く支度しろ。行くぞ。」
 燐が不思議そうにすると、らんと呼ばれた金髪の少年はまた笑った。
「今日はアポロの事務所に行くって話だったろ。中間報告だ。…メルクリウスにも、たまには顔見せとかないとな。」
「…うん。」
 燐はほとんど無表情で頷き、体を起こす。それを見て嵐も出かける支度を始めた。

 燐と嵐がアパートを出て歩いて来たのは、街中のとある雑居ビルだった。ビルの中に入り、階段を上がっていくと、降りていく人間達に声をかけられた。
「よう、メルクリウスの秘蔵っ子達。」
「おう。出かけるのか。」
 嵐が軽く返すと、彼らは頷いた。
「そうだ。ボストークの奴らの情報を集めにな。」
「お前ら二人も街に出てるんだろ?」
「ああ。」
 嵐も頷いて見せ、彼らに問う。
「メルクリウスいるか?」
「いつもの部屋にいるぜ。」
「解った、気をつけてな。」
「おう。」
 燐と嵐に声をかけた数人は、階段を降りていく。燐は小さく手を振った。
「…ばいばい。」
 気づいた数人は笑って手を振り返し、階段の下に姿を消した。

 雑居ビルの中にある一室では、メルクリウスが険しい顔でパソコンの画面に向かい合っている。アトラスはそんな彼を少し離れたところで見ていた。
 不意にノックの音が響いた。
「開いている。」
 メルクリウスが短く返し、パソコンから顔を上げる。部屋のドアが開き、入って来たのは燐と嵐だった。
「こんちは、メルクリウス! アトラス!」
 嵐の軽い調子の挨拶に、メルクリウスとアトラスは表情を緩ませた。
「…お前達か。…1B、V。」
「久しぶりだな。」
 メルクリウスとアトラスが二人に声をかけると、1Bワンビーと呼ばれた燐は小さな声で挨拶をした。
「…こんにちは。メルクリウス、アトラス。」
「中間報告に来ました。…って言っても、全然手がかりはないんですけど。すみません。」
 ファイブと呼ばれた嵐が報告しながら苦笑すると、メルクリウスは穏やかな笑顔を見せた。
「いいや、いい。お前達が元気なところを見られてよかった。」
「…うん。」
 メルクリウスの笑顔を受け、無表情な燐の眼差しがわずかに緩んだ。
 不意にアトラスが声をかけた。
「V。ちょっと来い。稽古つけてやるよ。」
 不敵に笑うアトラスを見、嵐も挑戦的な表情になった。
「そーですか。1B、お前は見てろ。今日こそ倒してやる。」
「…うん。」
 燐は嵐に向かい、素直に頷いた。次にメルクリウスがかけた声は優しく響いた。
「それじゃあ、体に気をつけろ。1B、V。」
「はい、メルクリウスも。」
「…ばいばい。」
 燐と嵐、アトラスは連れ立って部屋を出た。

 雑居ビル内の違う部屋で、アトラスと嵐は対していた。
 嵐の体が床に叩きつけられる。
「うあ! …てぇ…。」
「どーした? もう終わりか?」
 アトラスが笑いながら指を鳴らす。嵐は獣のように笑い、またアトラスに向かって行った。
「まだまだ!」
 二人が楽しそうに殴り合う様を、燐は部屋の隅で体育座りをしてじっと見ていた。
「…あ、あの、1B…さん。」
 不意に横から声がかかった。燐が不思議そうに顔を上げると、気弱そうな少年が一人いた。燐の記憶では、最近アポロに加入した能力者だった。
 燐が黙って少年の次の言葉を待つと、少年は勇気を振り絞っている様子で口を開いた。
「…ち、力を、貸して欲しいんです!」
 燐は思うように黙った後、立ち上がって少年と共に部屋を出た。

 廊下で燐は、少年に小さな声で問うた。
「力、貸して…って?」
「はい。…僕、メルクリウスに戦力外通告されてて…今日もここから出るなと言われているんです。」
 燐は少年の言葉をじっと聞く。少年は一生懸命、燐に訴えた。
「でも、僕もメルクリウスの役に立ちたいんです! だから、一緒に街を回らせてください!」
 燐は思うようにしばし黙ってから、こくりと頷き了承した。
「……うん。行こう。」
「あ、ありがとうございます!」
 少年は顔をパッと輝かせた。
 燐は表情無く歩き出す。少年はその後ろに続いて雑居ビルを出た。

 散々殴り合った後、嵐はアトラスに話し出した。
「イライラしてるでしょう、あんた。」
「解るか、聡いなお前。」
 アトラスが苦笑すると、嵐は呆れ顔をした。
「見てりゃ解ります。…大方メルクリウスが、あのクソ野郎にせっつかれてるとか、そんなんでしょう。」
 嵐に言われ、アトラスはしばらく黙ったが、やがて苛立ちを隠さずに返した。
「…敵わないな。そうだよ。」
「…メルクリウスもあんなクソ野郎の我儘、律儀に聞くことないだろうに。」
 嵐が嘆息すると、アトラスは僅かに視線を落とした。
「そうもいかないんだろうさ。…メルクリウスにとってあいつは恩人だ。…とてつもなくでかい恩人だからな。」
「恩人ね…。ん?」
「どうした?」
 疑問符を浮かべた嵐にアトラスが問いかけると、嵐は困惑した声で言った。
「1B…どこ行った…?」

 街の路地裏を燐と少年は歩いていた。少年は不安そうな顔で、燐のそばを離れずに歩く。
「…いませんね、ボストークの奴ら…。」
「…うん。」
 燐は無表情で返した。少年は周りをキョロキョロと見回している。
「みんなであれだけ探しても、見つからないんですよね…難しいんでしょうか。」
「…何度か、襲ってる。」
 燐が発した言葉に少年が疑問符を浮かべると、燐は続けて話した。
「あいつら、警戒してる。」
 ボストークの奴らはアポロの人間に何度か襲われているから、こちらを警戒している。
 燐の言葉をそう理解した少年は、頷いた。
「…そうかもしれませんね…。」
「うああああ!!」
 突然、道の陰から男が飛び出し、ナイフを持って燐と少年に突撃して来た。
 燐は少年の手を取ると身を引き、突撃を辛うじて避ける。
 男を見た少年から、震える声が発せられた。
「あ…!」
「お、お前さえいなければ、オレは…家族は…!!」
 髪を振り乱し、目を見開いた男は叫んだ。
「し、死んでくれ…頼むから!!」
 男は更に二人に突進する。少年は震えて立ち尽くしている。燐が見ると、男は少年に一直線に向かって来ていた。
 燐が小さな声を発した。
「…敵。」
 瞬間、燐の周囲から炎が渦を巻き、次には男に襲いかかった。
「ぐああああ!?」
 焼ける熱に男が悲鳴を上げる。燐は小さな、低い声で男に発した。
「…敵。あっち、行け。」
 炎の中にいる燐を目の当たりにし、男は怯えた声を上げた。
「お、お前も…化け物!!」
 男が発した言葉を聞いた瞬間、燐を取り巻く炎が爆発的に強くなった。炎は男を四方八方から焼き尽くさんとする。
「ぎゃああああ!!」
 激しい炎に焼かれ、男が絶叫する。
「…敵。…敵!」
 燐の眼差しは炎のためか、または別の何かがあるのか、強く燃え光っていた。
「わ、1Bさん! 止めてください!! あの人は、僕のお父さん…!!」
 少年は叫んで燐に縋る。
 だが、燐が更に炎を男に向けた時、横から声がした。
「その辺にしとけ、1B。」
 炎が徐々に弱まっていき、やがて消えた。身体中に火傷を負った男がその場に崩れる。
「…V。」
 燐が視線を向けた先には嵐がいた。嵐は少年を指差した。
「そいつ、泣いてんだろ。」
 燐が見ると、少年は燐に縋り付いたまま、しゃくり上げていた。
 燐の眼差しから炎のような感情が消えた。燐は嵐に問う。
「…1Bが、泣かせた?」
「そうだな。」
 嵐の答えを聞いた燐は少年の頭を撫で、小さな声で謝った。
「…ごめんね。」

 街の雑居ビルの一室。
 メルクリウスの目の前で、少年は泣いている。
「…ごめんなさい…僕…!」
「いや、オレもよくなかった。悪かった。」
 メルクリウスが痛む表情で謝ると、少年は泣きながら頭を振った。
「うああ、ああ…僕が、僕がお父さん、ああ…!」
 メルクリウスは少年の肩に手を置くと、顔を合わせて聞かせた。
「…自分を泣かせた人間のために泣くな。お前を大事に思っている人間は、ここにいるんだ。」
「うっ、うう…!」
 震えながら涙を流す少年に、メルクリウスは優しい声をかけた。
「少し隣の部屋で休め。オレがそばにいるから。」
「ぐす、う…。」
 少年は泣きながら頷くと、メルクリウスと共に立ち上がった。隣の部屋に行く直前、メルクリウスは声をかけた。
「…1B、V。」
「はい?」
「…何度も言うが、従いたく無かったら従わなくともいい。お前達は、お前達のやりたいようにすればいい。」
 言ったメルクリウスの表情は、どこか苦しげだった。嵐は真っ直ぐにメルクリウスに返す。
「今のところは、あんたに従わない理由はないですよ。」
「…そうか。」
 メルクリウスはそれだけ返すと、隣の部屋に入って行った。メルクリウス達を見送ってから、嵐はアトラスに声をかけた。
「…オレ達も帰ります。」
「そうか。…ゆっくり休め。」
 アトラスに気遣う声をかけられた嵐と燐は素直に頷いた。
「…はい。」

 雑居ビルを出て歩きながら、燐は弱い声を発した。
「…燐、よくなかった。」
「よくなかったってことは無いんだろうけどな…メルクリウスも言葉が足りない。多分、あいつが外に出たら、襲われるって視えてたんだろうけど、それ言わないからな。」
 嵐が考えながら話をすると、燐は確認の意味で問うた。
「…未来、視える力?」
「そうだな。」
 嵐が頷くと、燐はまた鈴の音のような声で言った。
「…ごめんね。」
「それはメルクリウス達に言ってやれ。」
「…うん。でも、ごめんね。」
「…気にすんな。」
 嵐が優しい笑みを見せると、燐の眼差しが僅かに穏やかになった。

 燐と嵐を見送った後、部屋に一人残ったアトラスは、深いため息を吐いた。ゆっくりと歩を進め、見下ろしたのはメルクリウスが所有するパソコンの画面だった。
 アトラスはしばし、パソコンの画面に映し出される文章を見ていた。

『早く持ってくること!』
『ホント遅いよね、君』
『早く姉さんに会いたいなー』

 文章が次々映し出される画面を見遣りながら、アトラスは忌々しげに吐き出した。
「…クソが。」
 アトラスは画面に背を向け、足早に部屋を出た。
 
 日が暮れた頃のカフェボストーク。
 悠里は店の片付けをしながら、ホッとしたように息をついた。
「…今日も、何事もなく終わりそうだな。」
 この日、最後まで残っていた朔と鼎が立ち上がった。
「じゃあ、オレ達はこれで…。」
「…ストレルカ。」
「はい?」
 悠里に呼ばれ、朔が疑問符を浮かべると、悠里は思い出しながら話を始めた。
「君は『アポロが何を目的にしているのか』を考えていたな。」
「え、はい。」
 朔が戸惑いがちに頷くと、悠里は穏やかな口調で話した。
「オレには解らない。だがオレには、奴らが悪いことを考えているようには思えないんだ。」
「そうなんですか?」
 不思議そうな朔の隣で、鼎は不機嫌な顔をして黙っている。悠里は続けた。
「確証がある訳ではないがな。…出来ることなら、彼らとも対話の道を探れないかと、オレは思っている。」
 朔が黙って悠里の言葉を聞いていると、鼎が朔の腕を引いた。
「…帰ろう、朔。」
「あ、うん。それじゃあ、ユーリィさん。」
 朔を引っ張る鼎と、引っ張られてカフェを出る朔に、悠里は苦笑しながら挨拶をした。
「…またな、ベルカ。ストレルカ。」

 夜道を歩きながら、朔は鼎に話をした。
「…ユーリィさんは、きっと優しいんだよな。」
「…本当にね。」
 つっけんどんに返された鼎の言葉に、朔は少し考えると、問うた。
「…鼎、何か怒ってるか?」
「僕はアイツら嫌いだから。…アイツらさえいなければ、お前を巻き込むこととか無かったし、お前と普通に付き合えてたのかも…。」
 言いながら眉間にしわを寄せている鼎に、朔は戸惑うように首を傾げた。
「今でも普通に付き合えて…ないか?」
「…お前は普通と思ってる訳?」
 鼎が刺すような声で問うと、朔は迷いなく頷いた。
「うん。」
 鼎は一瞬、驚いたように目を見開いた後、僅かに表情を緩めた。
「…まあ、朔がそう思ってるなら、それでいいけど。」
 鼎はまた首を傾げている朔を追い越すように、歩いて行った。

To be continued
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